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テイオスの剣  作者: C:drive
獣の歌
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 濡れた髪をはためかせ、半人半魚の怪物は貞淑な妻が寄り添うようにベスティアの斜め後ろにそっと控え立つ。

「ぐくくく、私の調べたとおりだった。かつてこの草原を統べていたという怪物は確かにいたのだ」

 魔力こそ特異な人間にすぎないマルタ程度ではあったが、放つ存在感は並ではなかった。前時代の、ともすれば混沌時代と呼ばれる常識外の化物が跋扈していた頃に近しいものがある。例えるならば、小山程の火吹き竜に匹敵する威圧感。長く冒険をしてきたマルタでもこれほどの強敵に出会うことはそうない。自然、マルタは全身にじとりと嫌な汗をかいていた。

「封印は解かれた。さあ命令だ。あの小男を殺せ!」

 ああ、だがしかし、マルタはありありと分かってしまった。長い眠りから目覚めたばかりで本能のままに咆哮を上げていた時と違い怪物には理性があるようだった。意気揚々と命令を発する男の後ろで薄く笑う怪物の見る瞳は決して主人を見るものではない。得意気にかざす<獣王の笛>などと大層な名前を持った笛も魔力のほとんどがすでに怪物に移っているのだ。脆弱な人間がもう力弱い獣を操る程度の力しかない笛をもってどうして怪物を縛れるというのか。過ぎたる力は歪みを生む。それはいつものずる賢く用心深い男であれば犯しようのない失敗だった。予想は違わず、鈍く重い音が響く。


 小蝿を払うように放たれた怪物の平手は無防備に構えていたベスティアの頬を捉えていた。ベスティアは冗談のように吹き飛び、幾度か地を跳ねた後、だらりと口や鼻から血を流して倒れ伏す。運が良いようで死んではいないが、しかし白目を剥いて気絶していた。だらしなく弛んだ脂肪と好き勝手に長く伸びていた草原の草葉が緩衝材となって僅かながら命を繋ぎ止めたようだった。


 もう怪物は殴った男のことなど脳裏から消し去っていた。転がる小さな音しか鳴らなくなった笛を無造作に蹴飛ばして、次はお前だと言わんばかりに海色の瞳がマルタを捉える。笛の音の消えた静かな世界にただくすくすとせせら笑う声がした。

(ああ、こんな化け物の相手なんて。さっさと気絶した豚が羨ましい)

 悪態をつく余裕すらなかった。挙動はおろか、微細な魔力の動きさえ見抜かれているような感覚にマルタは石化したように動けない。


 そしてそれもまた見抜いていた怪物は急接近をした。六の獣の足はマルタの認識を置き去りに素早く動き、気が付いたときには目前まで迫る。思考していては間に合わない。マルタは本能のままに用意していた魔力を解放した。


 解放とともに掌からこぼれ落ちた種は瞬く間に成長した。命令は一つ、人間を守れ。恐るべき速度で丘全体を呑み込むように根を張った植物がマルタを、学生たちを、そしてベスティアをも守るようにそれぞれ球体状に幹が包んだ。硬く分厚い球体植物がマルタの盾となる。しかし闇に閉ざされた視界は一発、二発と轟く衝突音にひび割れ光差し、やがて穿たれた穴から笑う女の顔が覗いた。その顔めがけてマルタはまた準備していた種を投げ放つ。種は中空で三又の槍に変じて怪物に突き刺さり、そして怪物は遥か後方に吹き飛んでいった。


 子供なりのマルタは見た目相応に脆い。分厚い脂肪に守られたベスティアと違って平手を顔に貰えば致命傷は避けられなかった。つまり、この怪物との戦闘においてマルタは一撃たりとも全力の攻撃を食らうわけにはいかないのである。マルタは防御に使って割られた球体植物から這い出る。そして未だ土煙舞う先を見やった。こんなものでいにしえの怪物が倒せるなどとは思っていない。掌には次なる種を仕込んでいた。

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