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マルタはしばらく眺めつつ息を整えていたが、あるものを見つけると再び歩みを進めた。高らかに鳴く獣たちの声はばらばらだが不思議と一つの音のように調和していた。しかしそれらに混じらずに乱す音がある。低く苦しみに耐えるような唸り声。泉には様々生き物が集まっていたが、一か所だけは数が少なかった。近づくほどにそれが何であるのかが分かる。身を縮ませて頭を抱え、あるいは胸を掻きむしる。猿のようだが毛が少なく代わりに服を着ている。それはまさしく人間の子供だった。何故だか周りを肉食獣ばかりに囲まれ、しかし子供たちは恐怖ではない何かに耐えるように身を丸めて唸る。それらは間違いなく大学の学生たちだった。
近づくものに無関心な肉食獣に一つ安心して、マルタは歩み寄りつつ泉全体を見渡した。すると探していたものは自ら現れる。それは大きく派手な刺繍の施された白のローブを着る巨漢の男だった。しかしその男の巨漢たる所以はユピテルとは違い贅肉によって体を膨らませてるためで、手に持つ杖も大振りでそこら中に装飾が施されていた。その男はマルタの姿を見つけると見せつけるように無抵抗の獣を撫で付けて、歪んだ笑みを絶やさない。
「ぶぐくく、誰かと思えば名誉教授のマルタ殿じゃあないかね」
頬や顎の肉を大きく震わせながら下品な笑い声を立てて男、ベスティアは獣の群れをかき分け進み出た。妙に自信を持っているその様子にマルタは低く見積もっていた警戒を上げる。本来魔法使いの力量というのは瞬間的に使うことのできる魔力の量に比例する。それはつまり実力は純粋な才能に比例し、精霊人という特殊体質であるマルタはベスティアなど到底及ばない力の差があった。そうして思考を重ねて眉を潜めるマルタの様子をベスティアは愉快そうに笑う。積年の感情が積もり積もったのか、ベスティアはついに堪えきれないと肉を大きく震わせて顔を更に歪めていた。そんな様子を油断なく観察しながらも、マルタは挑発するように言った。
「お前の力は知っているよ。ただの人間にしては優秀。ただ、それじゃあ僕に勝てないことくらい優秀なお前ならわかるだろ」
「ぐくく、随分と安い挑発じゃあないか」
常通りの男であれば怒りに顔を赤く染めていてもおかしくはなかった。だというのに平然と、むしろ待っていたとばかりに笑みを深めるばかり。
「面白い、その挑発買ってやろうじゃあないか」
べアスティアはおもむろに懐から腕ほどの長さの棒を取り出す。銅に輝くそれは笛だった。明らかに異様な圧力を放つそれが帯びる魔力は持ち主であるベスティアの比ではなく、ただの笛でないことは確かだった。
嫌な予感のしたマルタが行動を起こすよりも早くベスティアは動いた。口元に添えられた笛に見劣りするが魔力が注がれる。そうするだけでただ息を吹き込めば音は七色に変化して、強弱さえつけてみせた。気づけば獣たちの声は止んでいて、誰もが笛の音に注目する。敵であるマルタでさえ一瞬聞き入るほどで、奏でる音は奏者の醜悪な笑みとは不釣り合いなほど美しく伸びやかに響いていた。