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いよいよスツールが口から泡を吹き始めた頃、マルタの前を塞ぐように躍り出る影があった。ゆったりとした濃紺のローブに身を包んではいるが、その影の主である老人はそんなものでは隠しきれないほどの巨漢だった。魔法使いらしい美麗な杖こそ持ってはいるものの、それで直接相手を殴る方がよほど適して見える。
「それくらいにしなさい。それ以上は君をこの大学から追い出さなければならなくなる」
白く長い髭を蓄えた老人は手に持つ簡素な杖で地を叩く。ただそれだけの行為でスツールを縛り上げる植物の勢いは衰えていった。それこそが巨漢の老人がただならぬ魔法使いである証だった。場を支配していたマルタの魔力に負けない勢いで老人の魔力は広がり、中庭の全てを包み込む。
「仕方ないね」
マルタは大きく息を吸うと一つ手を鳴らした。それだけで溢れ出ていた魔力はぴたりと収まり、蠢く植物は元に戻っていく。戻る魔力に呼応するように建物は元の姿を取り戻し、芝生は青々と生い茂り、地を這う植物は元の位置へと戻っていった。中空で突然拘束を解かれたスツールは受け身も取れないまま強か体を打ち付け呆然とする。しかし声の主、老人の存在に気づくと身体中が体液でまみれていることなど忘れたように勝機を見出し叫びたてた。
「そ、総長、見たでしょうこの男の仕打ちを。危険だ。即刻追放にすべきだ!」
この大学の長たる老人、総長ユピテルはただ子供のように喚くスツールを見た。細く開かれた瞼から覗く瞳はすでに魔力などという力を宿していない。しかし、見つめられたスツールは再び動けなくなっていた。その圧倒的存在感を前に己にとって都合の良い主張を並び立てる気力など消え失せていたのだ。マルタでさえ己の領分を軽く越える化け物だというのに、その上をいくユピテルに睨まれてどうしてこれ以上足掻けるというのか。
ユピテルは戦意喪失した男から視線を外すとマルタに向き直る。すでにマルタの瞳は輝きを弱め、怒りは収まっていた。というのもそもそも怒りは手っ取り早く魔力を高めるために心を制御して増幅させ生み出したものだったからだ。とはいえ微塵も怒りの感情がなかったわけではない。マルタは探るような目つきでユピテルを見上げた。
「どうするの。大学にベスティアはいないみたいだけど」
ユピテルも流石に今回のベスティアの動きは予想外だったのか、深いため息とともに事情を話す。
「ベスティアは頭の悪い男ではない。今までは許される限界を見極め上手くやっていた。しかし同時に恐ろしく欲の深い男だ。高まり続けるマルタ君の活躍と人気が我慢ならなかったのだろう。今回ついに一線を越えてしまった。私の許可なく強引に学生を集めて調査、挙げ句に行方不明になるとは。まあ成功さえしたならばどうとでもなると思っていたのだろう」
そうだろう、と不意に言葉を投げ付けられたスツールは身体を更に震わせた。まさしくその通りだったのだ。それ見たことかとマルタはユピテルに言葉を投げかける。
「こんなことになる前にユピテルが追い出せば良かったじゃないか」
「そう言わないでくれ。素行に多少の問題があったがそれなりに優秀だったのだ。大きな問題を起こしていない以上追い出せない。それにここは中立かつ独立の都市だ」
そう、エテニティは独立と中立を謳っている以上、たとえとある過去の遺恨から市民の多くがベスティアの祖国である<教国>を快く思っていないとしても一定数受け入れられなければならない。そうして大学内にエテニティを囲うように存在する三国、<教国>、<共和国>、そして<帝国>の人材を受け入れ意図的に三竦みを起こしていたのだから。当然古株であるマルタもそんなことは知っていた。知っていたからこそ満足気に笑う。
「だけどもう一線を越えた。そうでしょ?」
ユピテルはマルタに答えるように老いを感じさせない獰猛な笑みを浮かべた。ユピテルの許可を得ず、一日で終わるはずの調査で三日経っても戻らない。ベスティアを大学から追い出すには十分すぎる理由だった。スツールはついに己の未来を悟ったのか、がくりと体を倒して気を失った。




