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それから変化は瞬く間に起こった。灯っていた壁掛け松明の明かりは一斉に消え去って暗くなり、固く閉ざされていたはずの鉄扉が独りでに外れて倒れる。ぽっかりと開いた穴から流れる空気にはかつてあった暖かさはなく、騒々しい人形たちの音もない。またハジャルの持つランタンが独りでに灯り壁や天井を照らす。そこにはあったはずの古代の文字は消えていて、赤黒く脈動していた遺跡は色を失っていた。
グリューズは背負う特大の青い石、マルタの見立てるところの魔力の結晶を抱えなおした。今までにはなかった漂う古臭さ、黴臭さに顔をしかめながらも道を進む。遺跡全体の核であった魔力結晶を失ったことで遺跡は何百何千という時が一気に押し寄せたように劣化を始めたようだった。ギーレイとしてマルタたちを苦しめた木製人形はそこら中に無造作に転がり、命を失った白い木の壁には罅が入る。そして限界は来た。マルタたちが地下二層へ向かう階段に着いた頃、壁や天井に連鎖的に亀裂が入り、地震のように地が揺れる。
「崩れるぞ、走れ!」
グリューズの声が届くよりも先にマルタは走るロゼに抱えられていた。極限状態なので仕方がないとはいえこうして女性に抱えられることにマルタは何とも言えない気分になったが、自分の運動能力の低さもまた自覚していた。見栄など命ほど大事にしているわけではない。振り落とされないように強く掴み、時折得意げに見てくるロゼの心境を悟り、まあ恐れられるよりはましだとマルタは小さく笑った。
地下二層を走り抜けているころには遂に遺跡は崩壊を始めた。まるでそうなるように作られたかのように地下三層の奥から出口に向かって順に崩れていく。そして一層に向かう階段を登りきった頃にはすぐ後ろに崩落していく床が迫っていた。脱出を急ぐ<果ての剣>の中で唯一手の空いているマルタはこれで最後だと渾身の魔力を練り上げる。
「<命よ宿れ、巡りて阻め>」
マルタの言葉と魔力は近くの僅かに生きている木に最後の命令を宿した。壁や床は再び薄く赤黒く色をつけ、ゆるりと伸びて崩れていく死んだ木を補強する。それで抑えられたのは僅かな時間だったが、一流の冒険者であるグリューズたちにはそれで十分だった。先に見えるのは微かだが、たしかに光が照らす出口。崩壊の影響で幾分か大きくなったその出口に到達したのだ。崩落の風塵を身に纏いながらもマルタたちはついに遺跡の脱出、そして攻略を終えた。
轟音を響かせながら遺跡はマルタたちの前で崩れ去った。すり鉢状のそこにはさらに深い穴と残骸が散らばり、まるでそこに遺跡があったことなどないようだった。マルタはふと空を見上げた。遺跡に入ってから随分と時間が経っていたようで、冷やりとした空気と儚げに光る夜空になっている。そして真上には眩いほどに月が輝き、空に舞う塵もまた星々のように反射して煌めく。
「終わったね」
それはこの場にいる<果ての剣>の皆に言うと同時に、過去に向かってのものでもあった。百年という歳月は驚くほどにマルタの記憶を奪い、しかし襲い来る感情は少しも減ってはいない。
「どうでもいいけど、そろそろ離れてよ」
緊急事態でなくなったからか、年相応に頬を赤らめたロゼのその言葉にマルタは我に返った。照れ笑いとともに掴んでいた腕を放す。そんなやり取りを見たからか、冒険の成功に込み上げるものがあったのか、自然と皆も笑っていた。