相棒
そこそこ大きな音をたて、開かれた教室前方のドア。
「高岡―! ちょっと付き合ってー!!」
字面だけで見ればさも告白の様な言葉を放ち、返事も聞かずに去っていく瀬戸に俺は迷うことなく席を立ち、
「おっ、青春ですか、ラブですかー!」
案の定な茶化しをしてくる堀田にばーかと言葉を投げながら教室を後にする。
すんなり後を追う俺も俺だが、言いっぱなしで立ち去る瀬戸も瀬戸だ。
ったく。
まぁ、今に始まったことでもないから文句も出ないけれど、それこそ堀田に言わせれば、熟年夫婦並みの連れ合いだ。
あいつがやりたい事、言いたい事は大体分かるし、それを言葉にされるとそれこそ今更感がある。
あと、何だかんだお前だって同小だろうがよ。中学こそ違ったが、ここまでくりゃあまり関係ない。
瀬戸と、相原と、堀田。
それに数人は、同学年だけでも他にいる。後輩だってまぁまぁいるのだ。
エスカレーター式の学校でもないのに、よくもまぁこんなにもと若干呆れるくらいには馴染んだ顔がちらほら見えた。
瀬戸の後をついて行くだけでほら。
どいつもこいつも、変わんねぇなと言いたげに、面白そうに俺を見てくる。
「瀬戸―! 優しくしてやれよー!!」
にやにやと、何が言いたいのやら含んだ物言いが瀬戸に飛べば、あいつはこれまたにやにやと、任せろー!
と何ともなぁ、頼もしく声を張り上げ応えていた。
お前ら一体誰で遊んでやがる。
そんなこんなため息交じりでたどり着いた中庭で、きっちりと持ってきていたグローブをはめ、瀬戸は瀬戸で持ってきていたマイグローブで、くだらない雑談交じりに緩やかな球から投げあい始める。
「いっやぁ、ひっさしぶりに投げたらやっぱりひびくよねー、投げたりなくなっちゃったー!」
「お前の相手ならいつだってやるさ」
「さっすが、私の女房。頼りにしてるー」
「任せろ」
「ひゅーカッコイー」
けたけたと笑う瀬戸に、本当にどっちがどっちだかと思いつつ飛んできた球を投げ返す。
男としては女役にはなりたくもないが、それでも今ですら、俺よりも男らしい瀬戸を見ていると何とも言えない。
たく、無駄に外見は女子なのが余計に中身の男らしさを引きたてやがる。
いくつになっても勝てないだろうそれに、憧れればいいのやら、妬めばいいのやら。
それでもこいつの相棒が俺だ、というのは変わることのない事実で自慢だ。
「よーし、高岡、ばっちこい!!」
歯を出し笑う瀬戸に、手を抜けば拗ねるんだろうとそこそこ力を入れ投げ込んだ。
俺はこいつと違って、変なルーティーンをこなさなくてもノーコンではないから。
重そうな音を立て、綺麗に瀬戸のグローブへと収まった。
俺の軌道が良いのもあるけれど、相手が瀬戸だからでもある。さすが野球一筋野球バカは綺麗にさばく。
「やっぱ重いねー、手がびりびりするー」
それでも楽しそうに笑う瀬戸は、やっぱり瀬戸で。
「結局、部活とか入んねぇのな」
「当ったり前でしょ」
バリバリの野球経験者である瀬戸は、中身は別として女子故に。高校になって野球部を選択することはなかった。
甲子園出場を狙える男子ではないから。
中学まではまだ食らいついてこられた身体能力の差も、高校になれば一気に現れる。
だましだましに続けてこれたのも中学までで、誰よりもセンスが良く、誰よりもこよなく野球を愛している瀬戸が、女、というただそれだけの、けれど圧倒的なまでの違いに、野球ファンなら一度でも二度でも憧れる、あの聖地に立てないのだ。
そして、野球じゃないからといった理由で瀬戸は運動部はおろか、文化部にも入らなかった。
それは弱さでもあり、強さでもある。
積極的に野球部に近寄ることはないけれど、呼ばれればくるし、こうして偶にはキャッチボールやバッティングもする。
近くにいるように見えてその実遠ざけてすらいるし、また逆に遠ざけているように見えて、その実近くにもいたりして。
なんともあまのじゃくの様に自分の赴くままに行動している瀬戸だけれど、それこそ瀬戸であり。
本気で野球は続けないと、趣味で続けるとあの時言った瀬戸は、諦めたような、それでいて確固とした意志がそこにあったから。
ガス抜き程度に付き合って、嫌になったら逃げればいい。
逃げるのに飽きてまた戻ってくるのなら、付き合ってやる。
それの繰り返しで、気づけばきっと年をとっているだろう。
「ねぇー、高岡―!」
「あー?」
先は見えないから、もしかすると瀬戸は完全に野球から離れているかもしれないし、或はそれは俺だったりもするかもしれない。
けれど、もし年老いても俺たちが野球を続けていればその時はまた、
「私がおばあちゃんになったら、また野球してくれる?」
そん時には男女の差なんてまたなくなっているだろうから。
寿命の分では圧倒的に女の方が長いのを見れば、女の方が元気で力強いかもしれない。
そしてその内俺の方が見限られるかもしれない。
それでも、お前が相手なら。
「喜んで」
必死においてけぼりくわないように、そん時に向けて鍛えといてやるよ。
今から先が楽しみだから。
まってろよ、相棒。
なんとまぁ、嬉しそうに笑ってくれる瀬戸に、俺も心から笑い返した。
***
私の相棒は、嬉しいことか、悲しいことか。過去の私を美化しすぎている。
中学までは私だって自分が一番だと自負出来てた。
男女の体格差や、筋肉量だって、自分の体が理解できていれば超えられないものはなかったから。
けれどそれも、中学までは。
実のところ、何も気にせず投げれていたのなんて小学生の時までで。中学に入ると嫌でも理解させられる事があった。
私立でもなんでもなかった小学校の時は、制服なんてなかったし、体操服だって自前のジャージでよかったし、上履きだって特に指定のないもので。
のびのびと過ごしていた小学校生活は、中学に入ると一転。がちがちに固められた決められごとばかり。
男の子の遊びと言われるものは好きだけれど、別に男の子に生まれたかったとか女の子なんて嫌だった、とは思ったことはなかった。
それでも男の子にしか、女の子にしか、できない事は嫌だった。
女の子なのに、とか、男の子なんだから、とかそういう言葉はあまり好きじゃない。
でも、その上で。
どうしたって違ってくる力の強さに、素直に自分が一番早くて、強くて、凄いんだって。
なんにも考えずに胸を張れることはできなくなった。
あーして、こーしてと。
今まで考えてこなかった事を考えて、それまでよりも一生懸命野球に打ち込んで、投球フォームを改造してみたり。
そもそもの体の柔らかさとか、感覚をもっときっちり尖らせて。
どうにかこうにか、三年間、エースを貫き通した。
だから分かってた。これ以上は望めない、と。
それにこれ以上があったとしても、女の子の私だと、あの場には立てないんだってずいぶん前から分かってたから。
どうせ出るなら選手以外に何がある。それが望めないなら高校で、やる意味なんてない。
野球をやらないなら、他にやることもない。
運動部だったらどうしたって野球がいい、容子ちゃんとは違って文化部なんてじっとしていなきゃいけないものは性に合わない。
それでも野球は嫌えない。
その結果が帰宅部一択で、たまに高岡に遊んでもらうのだけれど。
そこそこの強豪校であるこの学校で一年からキャッチャーはってた高岡は、私よりも早い先輩達だっていたくせに、私が一番と嘘のない顔で言ってくる。
過去の記録と言う事実は変えられないけれど、過去の記憶はなかなかに自分たちが思っているよりも変わりやすくて。
いや、記憶は変わらないからこそ、今とのギャップで変化が出ているのか、も?
けれどどうしても私が一番だって言ってくれるのは嬉しいから。心の奥のどこかで苦く思いながらも、心の底から嬉しくて笑う。
私の相棒は高岡がいいし、高岡の相棒は私でいたい。
今はどうしたって男子には勝てない。
それこそこの間の一年生にだってストレート勝ちしてやったけれど、ぎりぎりではあったし。
でも、必ずまた時は来る。
このまま先を目指す高岡の更に先を目指して、私はその時に向けて鍛えなくちゃ。
だから、年をとって子供の時の様に男女の区別さえなくなったその時は、また胸を張って私が一番って言ってやる。
二人だけのキャッチボールではなく、きっちりと人数がそろった野球試合で。
また私が一番速い球を投げて、強くて、かっこいいとこ見せてやるから。
まってろよ、相棒!
でも、
「メタボなおじいちゃんはごめんだからね!!」
「いってろ!」
二人笑って、容子ちゃんが迎えに来てくれるまで投げ続けた。