◆第十六話『紡ぐ光はともに』
陽光を感じたときにはゆっくりとまぶたを持ち上げていた。
ぱちぱちと瞬きをするうちに映るものが明瞭になっていく。
ここは学園寮の自室だ。
ベッドの上で寝ていたらしい。
空気はほんのりと暖かい。
窓越しに映る景色も明るいし、ちょうど昼頃だろうか。
そうしてのんびり状況の把握に努めていると、視界の端にファムが映り込んだ。
時間が止まっているのではないか。
そう思うほどぴたりとも動かず、大きく目を見開いている。
「こいつ、やっと起きやがった……!」
「ファム……って、どうして裸なんだよっ」
髪を拭いているバスタオル一枚のみ。
ほかは清々しいほど白い肌があらわになっている。
しかし、ファムは相変わらず恥ずかしがることなく、むしろ見せつけるようにその平らな胸を張った。
「風呂上がりなんだから裸に決まってんだろ!」
「いや、裸で出てくるのやめるって約束しただろ!」
「お前が寝てるときぐらいいいだろ!」
起きてすぐに始まった口論。
おかげで頭も目がすっきりだ。
「てかそんなことはどうでもいいんだよ!」
――どうでもよくない。
そう反論しようとしたところ、ファムがずかずかとそばまで寄ってきた。思い切り眉を吊り上げ、ぐいと顔を近づけてくる。
「1日中ずっと寝やがって! こっちがどんな想いで待ってたと思ってんだっ」
ファムの荒々しい怒声が耳に突き刺さる。
そこでようやくルカは目を覚ます前、自分が気を失う形で倒れたことを思い出した。
「ファム……悪かった。心配かけて」
「はぁ? 心配? なに言ってんだお前?」
「え、違うのか?」
てっきり心配をかけたから怒られているのかと思ったが、どうやら勘違いだったらしい。……これは恥ずかしいことこのうえない。しかし、違うというならいったいなにに怒っているのか。
ファムが顔を離すと、ため息をついた。
「体張って戦ったんだ。なにがどうなったかすぐに知りたかっただけだ」
「そういうことか……でも、ありがとう」
なんだかんだと面倒見のいいファムのことだ。
言葉とは裏腹にきっと心配してくれていたに違いない。
ファムが舌打ちをしたのち、自身のベッド側へと戻った。
のそのそと着替えを始める。
「もうすぐ昼食の時間だ。お前もさっさと着替えろよ」
「……あれ、昼食って授業は?」
「昨日今日と休みになった。あんなことがあったあとだからな」
あんなこと、とはアルヴォが魔導祭典の日に起こした事件のことに違いない。
学園がこうして存続していることからも大事には至らなかったのだろう。ただ、細かい結末がまるでわからない。
そこではっとなった。
キアラの正体が<極致の賢聖>である、とアウキス・ロングスサルに知られたかもしれないのだ。生徒に危険が及ばないよう学園を去ろうと考えてもおかしくない。
「キアラ先生は……どうなったんだ?」
「あ? キアラ先生なら――」
そう答えながら、ファムが男性用の下着をはきおえた、そのとき。
こんこんと部屋の扉が小突かれた。
「ファム、いる!? 入るわよ」
聞こえてきたのはイメルダの声。
ただ、断りを入れてからかちゃりと扉が開けられるまでほとんど間がなかった。
着替えの途中だったファムが慌てながら声を荒げる。
「おい、まだなんも言ってねぇだろっ」
「べつにいいでしょ。男なんだし。それよりさっき学園長が帰ってすぐにキアラ先生を呼び出したらしいのよ。もしかしたら詳しい話を聴けるかも――って、ルカ……あんた起きてたの?」
切羽詰まった様子で入ってきたイメルダが、こちらを見てぴたりと止まった。ひどく驚いたように、その長いまつげを何度も上下させている。
――キアラが学園長に呼び出された。
いやな予感がしてならなかった。
ルカはベッドから跳ね起きた。
イメルダの脇を駆け抜け、廊下へと飛びでる。
「ちょっとルカ!?」
向かう先は学園長室。
格好が寝衣姿に裸足なこともあって、すれ違う生徒から奇異の目を向けられた。だが、いまはそんなことなどどうでもよかった。
――先生……っ!
脇目も振らずに走り続けて学園長室に辿りついた。
息は乱れに乱れているが、整える間も惜しい。
即座に扉を開け放ち、中へと踏み入る。
執務机に座った学園長ノアズに向かう格好でキアラが立っていた。振り返ったキアラがぱちくりと目を瞬かせる。
「……ルカくん? もう体のほうは――」
「先生、やめないでください!」
自分でも驚くほど大きな声を出してしまった。
少し落ちついて息を整えたのち、話を継ぐ。
「また奴らが来るかもしれない……だから、先生はみんなに危険が及ばないようにって学園を去ろうとしてるんですよね」
キアラからの返答はない。
ただ困ったように眉尻を下げている。
すでに決意が固まっているのだろうか。
苦しくなる胸を押さえながら、ルカは想いをつづる。
「俺、まだ先生に色んなことを教わりたいです。魔法だけじゃない。人としても、尊敬する先生にたくさんのことを教わりたいです。……もし、また奴らが来たら俺がまた倒します! だからっ」
子どものような我侭を言っていることはわかっている。
だが、やっと再会できた恩人だ。
それにいまや本当の家族のように思える人でもある。
ただただ離れたくないという気持ちでいっぱいだった。
そうして懇願の目を向け続けていると、ノアズがいきなり大きな笑い声をあげた。
「なんとも頼もしい弟子だな、レティエレスくん」
「はい、自慢の弟子です」
2人は顔を見合わせて微笑んでいる。
なにかおかしなことを言ったのだろうか。
ひとり混乱していると、キアラが柔らかな笑みを向けてきた。
「安心してください。学園を去るつもりはありませんよ」
「……え?」
「というよりやめないほうがよくなった、といったほうが正しいでしょうか」
キアラがにこやかな笑みを浮かべた、そのとき。
学園長室の扉が荒々しく開けられた。
「ちょっとルカ、いきなり走り出してなんなのよ……」
「ま、でも悪くない状況だろ、これは」
入ってきたのはイメルダとファムだった。
どうやらあとを追いかけてきたらしい。
「あなたたち……いまは大事な話を――」
「待ちたまえ」
キアラの言葉をノアズが遮った。
それからイメルダとファムをちらりと見つつ、訊いてくる。
「ルカ・ノグヴェイトよ。2人には事情を話しているのかね?」
「いえ、さっき起きたばかりで……」
「ふむ。今後、事情を知る友人がいたほうが彼のためになるのではないかな。レティエレスくん」
「……そう、ですね。2人とも他言しないことを約束できますか」
キアラの問いにイメルダとファムが頷いた。
その目が好奇心に満ちていたのは言うまでもない。
「よろしい。では、先ほどの件だが……」
ノアズが空気を切り替え、話を戻した。
「そもそも今回の件、おそらくほかの<邪神崇拝者>には知られていない。たとえいまの弱った状態とはいえ、相手は<極致の賢聖>。仮に報告が入っていたとすれば、単独で事に当たらせようとはしないだろう」
言われてみればたしかにそうだった。
奴らが目的とするアウキスの復活を第一に考えるなら、全戦力を投入してきてもおかしくないはずだ。しかし、確認できる限りではアルヴォ以外の影はひとつもなかった。
「アルヴォ・スコリエ……彼は自己顕示欲の強い男だった。おそらく自身の地位を高めるため、組織の助力を求めなかったのだろう」
表向きは多くの生徒から慕われる教師だったが、屋上で対峙した際の彼は邪神の寵愛を欲する崇拝者のそれだった。いまは襲撃してきたのが彼でよかったというべきだろう。
「……よって<原初の遺物>をその身に宿すレティエレスくんとルカ・ノグヴェイト両名を変わらずこのベルナシュク魔導学園で保護することにした」
学園には上級魔導師である教師も多くいる。
<原初の遺物>の存在を明かさずに保護するには、これ以上の場所はないだろう。
と、隣に立つファムが脇を軽く小突いてきた。
「……おい、あとで詳しく説明しろよ。全然、意味わかんねぇ」
「わかってる」
色々な情報が欠けているうえに話も途中からだ。
わからないのも無理はない。
対してイメルダに混乱した様子はなかった。
聡い彼女のことだ。
あらゆる状況を想定していたのかもしれない。
「……細かいところはわかりませんが、なんとなく事情は呑み込めました。ただ、<原初の遺物>の存在が彼らに知られた可能性が絶対にないとは言い切れないとわたしは考えています。そのことについてはどうお考えですか?」
まるで詰問するような強い口調だった。
学園長が相手だというのに相変わらずの毅然とした態度だ。
そんな彼女の振る舞いか、あるいは考察に対してか。
ノアズが少しだけ満足気な顔で口を開いた。
「もちろんその可能性を考慮し、策は講じてある。というよりきみはすでに知っているものだと思っていたが」
「わたしが知って……って、まさか――」
「そう、そのまさかよ。メルティちゃん」
聞こえてきた可愛らしい声。
いつの間にか背後にひとりの少女が立っていた。
彼女はてくてくと前に歩み出てくると、2つにくくった髪を翻してくるりとこちらに向きなおった。得意気に胸を張った彼女にあわせ、ノアズが言う。
「紹介しよう。我が学園の新たな教師――カヌハ・ブリアトーレだ」
「ということだからよろしくね。ルカちゃん、ファムちゃん。それから……愛しいわたくしのメルティちゃん」
<高貴なる魔女>と呼ばれる賢者。
まさか彼女ほどの魔導師が教師として常駐してくれるとは。
心強いことこのうえない。
そうして場に歓迎の空気が満ちはじめた中、イメルダがひとり頭を抱えていた。
「……最悪……ほんと最悪……」
カヌハが教壇に立つ場面でも想像しているのか。
この世の終わりだと言わんばかりの絶望具合だ。
「お久しぶりです、カヌハ・ブリアトーレ」
「ええ、本当に久しぶりね」
キアラとカヌハがそんな挨拶を交していた。
ルカは2人を交互に見やりながら問いかける。
「もしかして知り合いなんですか?」
「ええ。昔に何度かお会いしたことがあります」
「といっても仮面の下がこんな顔だったとは知らなかったけれど」
わずかな嫌味を含んだカヌハの物言いに、キアラが苦笑する。
昔、なぜキアラが仮面で正体を隠していたのか。
いまにして思えば、アウキス・ロングスサルとの戦いがあったからなのだろう。理由を話してくれなかったのは、きっと他者を巻き込まないためという考えからに違いない。
「――さて話すべきことは終わったか」
ノアズがゆったりと立ち上がり、全員の顔を見やる。
「みな、あまり気を張らずに普段どおりでいてくれたまえ。そうすることで学園にも早く日常が戻ってくるだろう」
騒動が収まってもなお胸中で不安が蠢いているような気がしていた。だが、優しさに満ち溢れたノアズの笑みを見たからか。
心が落ちつき、ようやく日常が戻ってきたような気がした。
◆◆◆◆◆
部屋でファムとイメルダに知っていることを洗いざらい吐かされ――説明するうちに迎えた、夕刻。正門のほうへ向かって歩くキアラの姿を見つけ、ルカは寮を飛び出した。
「先生っ」
ちょうど大通りを出たところで追いついた。
振り返ったキアラが目を瞬いたあと、困ったようにまなじりを下げる。
「起きたばかりなんですから、まだ安静にしていないとダメですよ」
「少しだるいけど、もう大丈夫です。それよりその……先生と少し話したくて」
学園長室のときのように大勢で話すのではなく、2人きりで話したいことがあった。
キアラは体を横に開くと、柔らかな笑みを浮かべた。
「では、少し歩きましょうか」
ルカは緩みかけた顔を引き締め、キアラの隣に並んだ。
ゆっくりと大通りを歩いていく。
「先生のほうこそ魔力、大丈夫なんですか?」
「魔獣のときほどではなかったので、少し休んだらすぐに元気になりましたよ」
その言葉が本当であることを証明するためか。
キアラが顔を傾けながら微笑みかけてきた。
きらりと輝きながら揺れる翼型のイヤリング。
その綺麗な頬をなぞるように垂れる一房の髪。
背景には夕陽によって染められた噴水が映っていた。それもまた目を引くものではあったが、キアラの前では引き立て役と化してしまっている。
本当にいつ、どこをとって見ても一枚の絵として完成された人だ。
ルカは思わず見惚れてしまったが、慌てて頭を振って誤魔化した。
周囲に人がいないことを確認したのち、話題を切り替える。
「そういえばあの人……アルヴォはどうなったんですか?」
「王国の監獄に入れられたそうですよ」
「なんか心配です。抜け目ない感じの人だったから脱獄しそうで」
「あそこには優秀な魔導師がたくさんいますから安心してください。それにもし脱獄したとしても、いまはカヌハさんもいますから」
キアラはなにも間違ったことを言っていない。
ただ、やるせない気持ちが湧きあがった。
ルカは「先生」と呼んで足を止める。
「学園長室で言ったこと……あれ、本気ですから」
――もしまたキアラを襲う者が現れても自分が倒す。
そう宣言したが、本気にしてもらえているのか不安になり、改めて口にせずにはいられなかった。
「といっても、いまの俺の実力じゃ厳しいことはわかってます。今回、勝てたのだって相手が油断していたからですし。もし手段を選ばずに襲ってきてたらきっと勝てなかった」
ルカは悔しさを押し潰すように右手をぐっと握った。
顔を上げて、真っ直ぐにキアラを見つめる。
「だから俺、もっと強くなります。この先、もしあいつらが襲ってくるようなことがあっても先生を守れるように」
「……ルカくん」
恩人という言葉だけでは足りない。
いまの自分にとってキアラはなによりも大切な人だ。
――絶対に失いたくはない。
「ここで弟子がなにを言ってるんだー、なんて強がれたら師匠としての顔も立つのかもしれませんが、もう守ってもらっちゃいましたからね」
複雑そうな顔でキアラがくるりと身を翻した。
ひとつに結われた金の髪がふわりと舞う。
「期待……しちゃってもいいですか?」
年齢のせいか。
あるいは魔導師としての実力差のせいか。
キアラのことがずっと遠い存在のように感じていた。
だが、向けられた彼女の笑みに無邪気さを垣間見たからか。
少しだけ近づけたような、そんな気がした。
「はいっ!」
ひとまずここで区切りとなります。
続きに関しては少し様子を見させてください。
また新作を投稿しました。
『シャラ・クラーラの奇蹟 ~数多の島が浮かぶこの世界で、俺たちは自由を求めて立ち上がる~』
URL(https://ncode.syosetu.com/n2791fl/)
世界観が特殊で浮遊島同士が激突したり、翼竜やら飛空船やらが飛び交ったりなかなか派手な作品となっております。初めは男多めでむさ苦しいですが、どんどん女性も増えていきます。どうぞよろしくです。




