◆第十五話『至上の炎』
宣言と同時に<昇華>と<増加>を適用。
<ファイアボール02>として放った。
闇の虚空に赤の線を引きながら猛然と突き進む大火球。進路上のアルヴォを呑み込まんとするが、しかし衝突の直前に弾け飛んだ。
アルヴォが生成した<魔法障壁>によって防がれたのだ。
<ファイアボール02>は上級魔法に匹敵する。
あの<魔法障壁>もまた<昇華>によって強化されているのは間違いない。
ただ、相手は大魔導師だ。
防がれることなんて予想していた。
ルカはすでに次なる魔法を発動していた。
つい先ほどコツを掴んだばかりの攻撃――。
<ファイアボール02>を<複製>し、5発同時発射だ。
「いけぇっ!」
横一列に並べたそれらを発射する。
屋上の床を這うように翔けるそれらがアルヴォに激突するよりも早く、さらなる5発の<ファイアボール02>を生成し、放つ。
休んでる暇なんてない。
魔力量の多さだけが取り得なのだ。
ひたすらに<複製>した<ファイアボール02>を連射しつづけた。アルヴォの<魔法障壁>に衝突した火球から順に四散し、煙をあげる。
合計で50発は放っただろうか。
ついには巻き上がった黒煙がアルヴォを覆い隠した。
これだけの数を撃ったのだ。
いくら大魔導師とはいえ、無事ではすまないはずだ。
「ルカくん……いまのうちに逃げて」
背後から聞こえてきた苦しげなキアラの声。
どうしてそこに安堵がいっさい感じられないのか。
湧いて出たその疑問は一瞬にして消え去った。
立ち込めた煙を散らすように迸った一筋の光。
それが拳大の氷塊――<フロストバレット>と認識できたのと、腹部に衝突したのはほぼ同時のことだった。
床を跳ね転がり、勢いよく屋上の塀へと激突する。
「ぐぁっ――」
「ルカくんっ!」
キアラの悲鳴交じりの声が聞こえてくる。
あまりに一瞬のことでなにが起こったのかをわからなかった。それでも理解できたのは以前に一度、ブブから同じ魔法を受けたことがあったからだ。
ただ、あのときよりも威力ははるかに上だ。
氷塊が大きかったことから見ても、<イグニッション>が使われたことは間違いない。
腹部を狙われたせいか。
それとも背中を塀に強く打ちつけたせいか。
ひどく息が苦しい。
跳ね転がったときに色んなところを打ったからだろう。全身が疼くように痛む。すぐには立ち上がれそうにない。
幸いなのは意識だけははっきりとしていることだ。
ルカは首に力を入れ、なんとか顔を上げた。
瞬間、映り込んだ光景を前に思わず目を見開いてしまう。
アルヴォが悠然と立っていたのだ。
肌に傷をつけるどころか、ローブに汚れをつけることすらできていない。
「そ、そんな……っ」
「なにを驚いている。いくら放ったところであの程度の攻撃がわたしに通用するはずがないだろう」
大魔導師にとって最低限の技術、<イグニッション>。
それを使えるようになって大魔導師に近づいた気がした。
だが、実際は気がしただけだったのだ。
まさか大魔導師がここまで遠い存在だとは思いもしなかった。
「とはいえ、その歳でここまで<イグニッション>を使いこなすとはな……さすがあなたの教えを受けているだけのことはある」
アルヴォは心ない称賛の言葉を口にした。
かと思うや、訝るように細めた目を向けてくる。
「しかし、解せない点がある。その魔力量の多さだ。もちろんきみの魔力量が多いことはわたしも知らされていた。そしてそれが<ファイアボール>しか使えないという欠陥魔導師でありながら、学園に入れた大きな要因である、と」
彼はいっそう眉間に皺を寄せ、苛立ち混じりに続ける。
「だが、だとしてもあまりに多すぎる。きみがいままでに使った魔力はまだ大魔導師の域に収まるものだが……疲労がまるで見えない。<極致の賢聖>の再来か……いや、彼女のような存在は異例中の異例。まだあれを持っていると言われたほうが――」
そこでアルヴォがはっとなったようにまぶたを跳ね上げた。
「……そうか。そういうことだったのか!」
先ほどまでの険しい表情から一転して顔を綻ばせると、辺りに響くほどの笑い声をあげはじめた。さらに溢れ出る喜びを抑えるよう両手を全身に荒々しく這わせている。
「な、なにがおかしいんだ……!?」
こちらの声で正気を取り戻したか。
アルヴォがぴたりと狂気染みた動きを止めた。
ふー、と細く長く息を吐いたのち、普段の泰然とした姿へと戻る。
「……いや、すまない。つい取り乱してしまった。なにしろこれほどまでに世界がわたしを味方しているとは思わなくてね。まさか<邪神核>だけでなく、<星の盃>すらも届けてくれるとは……っ」
いまだアルヴォは興奮を隠し切れない様子だった。
口元に笑みを浮かべながら、その目をキアラへと向ける。
「あなたが<極致の賢聖>だと知ってからおかしいとは思っていた。なぜこのような欠陥魔導師を弟子にしたのかと。だが、いまようやく納得がいった。……ルカ・ノグヴェイト。彼の体には<星の盃>が宿っている」
アルヴォはいったいなにを言っているのか。
そんなものを手に取った覚えはないし、体内に入れた覚えもない。第一、<原初の遺物>の存在を知ったのも今日だ。……なぜそう思ったのかまるで理解できない。
こちらの混乱するさまを見て取ったか。
アルヴォが確信に満ちた顔で口を開く。
「そうか、まだその力を教えていなかったな。<星の盃>は魔力を無限に生みだす力を持っている。そう……まさにいまのきみが存分に利用している力そのものだ」
――明かされた<星の盃>の力。
ルカは思わず息が詰まりそうになった。
この豊富な魔力は、魔法回路が欠損した代わりに得られたものではないかとキアラが言っていた。だが、それだけとは思えないほどの魔力量――まるで尽きる気配のない魔力量にわずかながら疑問を抱いていたのだ。
いましがた突きつけられた話は、その疑念を解消するこれ以上ない内容だった。
「おそらくきみが欠陥魔導師となったのも、彼女が<邪神核>によって魔力を制限されているのと同じ理屈だ。<星の盃>を宿したことで魔法回路に本来当てられる機関が欠損したのだろう」
アルヴォの推測が正しいかなんて判断がつかない。
ただ、キアラがなにも反論しなかったことから本当のことなのだと悟ってしまった。
「先にも言ったが、彼女がきみを弟子にしたのは<星の盃>が宿っているからだ。つまり彼女にとってきみは<星の盃>という道具でしかない」
「そんなこと先生が思うわけ――」
――がない。
そう言おうとしたときだった。
「そのとおりよ、ルカくん」
キアラの冷たい声によって遮られた。
あまりに予想外だったために、ルカは思わずきょとんとしてしまう。
「……先生?」
「ルカくんの中に<星の盃>があるかもしれない。そう思ったからこそ弟子にして自分の近くに置いたの。だから、わたしに恩義を感じる必要はありません。いますぐにこの場から逃げなさい……!」
突き放すような淡々とした声だった。
出会ったばかりの頃だったなら、その言葉を信じてしまっていたかもしれない。だが、いまはもう少なくないときをともに過ごした。少なくない言葉を交した。だから――。
その目を見れば嘘をついていることがはっきりとわかった。
「……それでもいい」
ルカはそう口にしながら両肘を胸元に引き寄せた。今度は両膝をたて、ゆっくりと体を起こしていき、ついにはしかと二の足で立ち上がる。
「たとえそれを持っていたからだったとしても、それでいい。だって先生は俺を認めてくれたんだ。誰も認めてくれなかった俺を、ただひとり認めてくれたんだ」
「……ルカくん、それも<星の盃>を守るための――」
「俺はキアラ先生を信じる!」
始まりは<星の盃>だったかもしれない。
だが、それでもキアラが向けてくれた温もりはたしかにあった。
昔、助けてくれたときも。
弟子として迎えてくれたときも。
彼女の笑顔は本物だった。
命だけではない。
人として、魔導師として救ってくれたキアラのためにも、絶対にここで負けるわけにはいかない。
ルカはフラつく足でキアラの前へと出た。
いまも激しい疼痛が襲ってきている。
だが、歯を食いしばることで無理矢理に意識の外へと追い出した。
視界の中、アルヴォが不快だとばかりに顔を歪める。
「どうやらきみは魔導師としてだけでなく、人としても欠けているようだ。……だが、<原初の遺物>を届けてくれた礼もある。わたしの撃てる最高の魔法をもって楽に死なせてあげよう」
上げられた右掌の先、描かれた魔法陣から荒れ狂う水が天へと迸った。それは渦巻きながら激流となって虚空で待機状態となる。
最上級魔法の<メイルシュトローム>だ。
以前、キアラが魔獣に放っていたこともあって見るのは初めてではない。だが、あのときとは違って矛先が自身に向けられているからか、その脅威が何倍にも膨れ上がって感じられた。
足が震えていた。
これは怪我の影響ではない。
おそらく恐怖のせいだろう。
たしかに怖い。
だが、キアラを失うほうがもっと怖い。
だから――。
「俺はっ、この命が尽きるまで先生のために戦うって決めたんだッ!」
ルカは叫びながら上向けた右掌に<ファイアボール02>を生成した。<メイルシュトローム>の青白い光に抗うよう、周囲のわずかな空間が赤い光で染められる。
光の強さで威力が決まるわけではない。
ただ、両者の差を示すように影響範囲は歴然としていた。
アルヴォが落胆交じりにため息をつく。
「どれだけ魔力があっても使える魔法がそれだけでは相手にならないな。さあ、終わりだ……っ!」
宣告とともに<メイルシュトローム>が放たれた。
すべてを呑み込まんとうねりながら押し寄せてくる。
このままでは死しか待っていない。
そんな状況だからだろうか。
異様なまでに頭がすっきりとしていた。
相手の魔法は最上級魔法。
対してこちらは下級魔法。
おそらく<ファイアボール02>では相殺すらできないだろう。ならば、こちらのとれる選択はひとつ。
――さらに強い魔法で迎え撃つしかない。
ルカは左手で胸元の服をぐっと握った。
この身に宿る魔力はただ多いだけではない。
原初の遺物――<星の盃>の力で無限にあるとわかったのだ。
もう魔力量なんて気にする必要はない。
キアラに教えてもらった技術で、いまの自分が出せるすべての力をこの炎につぎ込む……っ!
わずかな逡巡を経て右手を突き出したのと、<メイルシュトローム>が衝突したのはほぼ同時だった。聞こえたキアラの悲鳴がかき消え、視界が青色で一気に埋めつくされる。
水の激流に押し流されてしまったのか。
あるいは四肢をもがれてしまったのか。
まるで体に衝撃を感じなかった。
水に触れれば感じるはずの冷たさも感じない。
むしろ温かい――いや、熱いとすら感じる。
突き出した掌の前で、ぼぅと音をたててなにかが揺らめいた。
その色を見た瞬間、<メイルシュトローム>の飛沫が舞っているのかと思った。だが、そこで燃え盛っているのは紛れもなく炎。
――青い火球だった。
「……ありえない。<メイルシュトローム>は最上級魔法だぞ……わたしの撃てる最高の魔法だぞ……な、なんなんだその魔法は……っ!?」
アルヴォが信じられないとばかりに1歩、2歩とあとずさる。彼ほどではないが、あのキアラでさえも驚愕していた。
2人の反応を見ても、この青い炎がどれだけ異質かがわかる。
だが、発動者としては不思議と驚きはなかった。
むしろ落ちついてすらいる。
ただ、いまも大量の魔力を流し、青い炎を維持しているからか。心臓辺りから掌まで管を通したような感覚に見舞われていた。それがほんの少しだけ痛む。
ルカは突き出した手を引き寄せた。
眼前でなおも力強く燃え続ける火球。
その色は間近で見てもやはり青い。
攻撃を受ける直前、ただ<増加>させただけでは勝てないと判断。<昇華>に絞って<ファイアボール>を強化した結果が、この青い炎だった。
細かいことはわからないが、最上級魔法相手に打ち勝ったのだ。この青い炎が<ファイアボール02>よりも強いことは間違いなかった。
ルカは青い炎をずらし、代わりに映りこんだアルヴォへと返答する。
「どう見ても<ファイアボール>だろ」
「……嘘だ、そんなはずはない! そんな……青色の<ファイアボール>なんてわたしは知らない……っ!」
「だったらその体で覚えればいい。これがキアラ先生に教えてもらった俺の――ルカ・ノグヴェイトのッ、<ファイアボール>だッ!」
ルカは右掌を突き出し、<ファイアボール>を撃ちだした。
青の火球は暗闇に一筋の光を残しながら猛然と突き進んでいく。
襲いくる異質な炎を前に、アルヴォが恐怖に顔を歪めていた。だが、その顔は<ファイアボール>が衝突する直前に勝ち誇ったものへと変わる。
アルヴォの輪郭が揺れ、全身がふっとブレた。
気づいたときには彼の体が<ファイアボール>の軌道上からずれていた。上級魔法<ウィンドウォーク>を使ったのだ。
そばを通りすぎていく<ファイアボール>を横目にしながら、アルヴォが高らかな声をあげる。
「は、ははっ、どれだけの威力を持っていようとも当たらなければ――なっ!?」
すでにルカはアルヴォに肉迫していた。
<ウィンドウォーク>を使う魔導師に魔法を当てることがどれだけ難しいかは、編入試験の際にいやというほど思い知っている。
それに相手に回避手段があることは事前にわかっていたことだ。避けられることを想定し、<ヒューリアス>で距離を一気に詰めたのだ。
――本命はこの2発目。
突き出した手にわずかな抵抗を覚えた。
視界の中、うっすらと光る膜が見えた。
アルヴォがとっさに<魔法障壁>を展開したようだ。
「わたしはっ、まだこんなところで倒れるわけにはいかないのだっ!」
持てる魔力のすべてを注ぎ込んでいるのか。
こちらが膜を削ってはいるものの、想像以上に硬い。
ルカは左手で右手首を掴み、固定する。いまだ青い<ファイアボール>に適用した<イグニッション>は<昇華>のみ。だが、もうコツは掴んだ。
さらなる魔力を右腕へと流した。
激しい流れのせいか、腕が破裂しそうなほどの激痛が走る。
だが、ルカはすべてを金繰り捨てる覚悟で右掌から一気に魔力を放出した。青の火球が膨れ上がり、瞬く間に視界を埋め尽くす。
「ぉぁあああああああああっ!」
咆哮とともに押し込んだ右手は抵抗なく進んだ。
制御を離れた青い火球は屋上の床を削り、塀すらも抉り取るように破壊。勢いよく空へ飛び出すと、はるか遠くでようやくその姿を消した。
おそろしいほどの威力に自分でも驚きを隠せなかった。
本当にこの手から放たれた魔法なのか、と。
ただ、その答えをたしかめる暇はなかった。
辛うじて残った屋上の足場にアルヴォは立っていたのだ。
あれほどの威力をもってしても倒せなかったのか。
胸中に落胆と絶望が湧きあがりはじめた、その瞬間。アルヴォは糸が切れた操り人形のように力なくばたりと倒れた。意識を失ったのか、ぴくりともしない。
あれだけの実力差があったこともあってか。
本当に倒せたのか信じられなかった。
だが、生徒たちがイーリカの呪縛から解き放たれたのか、学園のあらゆる箇所から上がった無数の燐光が勝利を確信させてくれた。
右腕をだらりと垂らしながら、ルカは振り返る。
「先生……俺、やりましたよ」
「あなたという子は……本当に……っ」
感極まったように目を潤ませるキアラ。
彼女が無事でいてくれたことに、ただただ感謝した。
湧き上がる達成感に加え、安堵感のせいか。
張りつめていた緊張がふっと解けた。
足の踏ん張りがきかなくなり、その場に倒れてしまう。
「ルカくんっ!? ルカくん!」
キアラの焦る声が聞こえる中、どんどんぼやけていく視界。
ついには真っ暗となり――。
気づいたときには意識を失っていた。




