◆第三話『イグニッション』
案内された先は西方に位置する都市の外縁。
二階建ての家屋だった。
「も、もう少しだけ待っててくださいね! すぐ終わりますから!」
ルカは玄関でひとり待たされていた。
廊下の先からはガタゴトと騒がしい物音が聞こえてきている。おそらく急な来訪とあって片付けでもしているのだろう。
師弟関係になったのだ。
あまり気を遣わないほしいというのが本音だった。
暇を持て余してちらちらと視線を巡らせる。
外観はほかの建物と同じく洗練された華やかなものだったが、中は木造が多く使われ、また観葉植物も置かれている。
懐古的なデザインで優しい空気が漂っている。
外観と違うところからして、きっとキアラの趣味だろう。
とはいえ、まだここは玄関だ。
廊下の先はどうなっているのだろうか。
そうして興味が膨らみはじめたとき――。
「きゃっ!」
キアラの悲鳴が聞こえてきた。
どどど、と騒がしい音が聞こえてくる。
ルカは気づけば駆けだしていた。
「どうしたんですか!?」
廊下を抜け、居間らしき場所に飛びだす。
直後、ルカはすべてを悟った。
――片付けをしているのだろう。
その予想は当たっていた。
ただ、規模が違った。
散らかり具合が異常だ。
そこは10人が入っても余裕があるほどに広い。
だが、壁は大半が本棚で占められ、凄まじい圧迫感だった。
しかも棚に収まりきらなかった本があちこちに積み上げられている。どれも、いつ崩れてもおかしくない高さだ。
幸いなのは埃臭さがほとんどないことだ。
これで埃まみれだったらもう家ではない。
ただの物置小屋だ。
視線を下げると、小高い本の山ができていた。
とてもしなやかで白い脚が一本出ている。
おそらくとも言わずキアラの脚だろう。
ローブのスリットから覗いているからか。
背徳感のある艶かしさを醸しだしている。
思わず見惚れてしまいそうになったが……。
状況の間抜けさを考えると一気に冷めた。
いまもぴくぴくと動く脚に声をかける。
「あ~……大丈夫ですか?」
「た、たすけてください……」
本の山から聞こえてくる呻き声。
どうやら自力で抜けだせないらしい。
嘆息しつつ、本を横にどかしていく。
それから10冊ほど取り除いたところでようやく救出できた。
「あは、あははは……これは、その~……」
居心地が悪そうに目をそらすキアラ。
初対面のときに感じた神々しさはもう微塵もない。
「先生、片付けしたほうがいいですよ」
「違うんです! 片付けることぐらいできるんですよっ。でも読みたい本って、いつでも読めるように近くにおいておきたいじゃないですかっ」
「だからって本の下敷きになるのは……」
その言葉だけでキアラは一瞬で勢いを失った。
口をつぐんだままひとり羞恥心に悶えている。
「俺、弟子としての初仕事は部屋の片付けになりそうな気がしてきました……」
「うぅ……わたしは師匠としての威厳がなくなりそうです」
「心配しなくても、さっきのでなくなりました」
「そ、そんなぁ……」
涙目になりながらすがるような目を向けてくる。
本当にころころと表情が変わる人だ。
とはいえ、いやなわけではなかった。
厳しすぎてまともに会話できないよりずっといい。
「でも、家の中で魔法なんて使って大丈夫なんですか? ここ、燃えやすそうなものたくさんありますけど……」
大量の本に木造の棚。
一度火がつけば小さな火事ではすまないだろう。
隣家まで一気に巻き込みそうだ。
「さすがにここでは使いませんよ」
キアラが苦笑したのち、床を指差した。
「この地下です」
◆◆◆◆◆
地下室は軽く駆け回れる程度に広かった。
床や天井、壁は鉱物のような質感だ。
くすんだ青色で煉瓦組みされている。
それに地下だからだろうか。
少しひんやりとして肌寒かった。
「ある程度の魔法までなら耐えられるよう、ここの壁には特殊な加工を施してあります」
言って、キアラが向かいの壁へと掌を向ける。
と、赤い煌きが走り、<ファイアボール>が放たれた。
壁に衝突後、かすかに鈍い音がしたのも一瞬。
かき消えるように<ファイアボール>は消滅した。
「ほんとだ……全然、傷ついてない」
「ですので思う存分魔法が使えるというわけです」
「イルヴァリオの家って、どこもこんな地下があるんですか?」
「さすがにそんなことはありませんよ」
キアラが苦笑しつつ言う。
つまりこの家が特別というわけだ。
いつでも魔法の訓練ができるように、だろうか。
いずれにせよ魔法を学ぶにはもってこいの場所だ。
「さて、それでは本題に入りましょうか」
「はいっ、お願いします先生!」
「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ」
こちらの気合の入りようを見てか。
ふふ、と淑やか笑うキアラ。
誰かに魔法を学ぶなんてことは初めてだった。
だから楽しい半分、興奮してどうしようもなかったのだ。
「魔法の基本動作については知っていますか?」
「えっと……まずは<想像>して次に<描写>。そして最後に<発動>」
「はい、そうですね。<描写>と<発動>の間に<維持>を入れる場合もありますが、おおむねそれで間違いありません」
書物で学んだ知識だったので正解してほっとした。
そんなこちらの心境を悟ってか、キアラが優しく微笑んでいた。
「そして今回は、その<描写>と<発動>の間に割りこませる――<イグニッション>と呼ばれる技術を学んでもらいます」
「それがファイアボールのファイアボールって言ってたものですか?」
ええ、と頷くキアラ。
なんだかまだよくわからない。
こちらの混乱具合を見て取ったか。
キアラが実演をしてみせてくれる。
「今回、ルカくんに覚えてもらうのは2つ。ひとつ目は……<増加>です」
彼女の掌に再び生成された<ファイアボール>。
初めは人の頭大だったが、途端に約2倍の大きさに膨れあがった。
「で、でかっ」
「現在、多くの魔法は既存のものを模倣することで生成しています。ですから、<イグニッション>はこの常識を覆す技術ととってもらえばいいかもしれません」
まさしくそのとおりだ。
使用者によって多少の違いはある。
だが、ほとんど決まった形状だ。
眼前の<ファイアボール>のように一目でわかるほど大きなものは見たことがない。
「ちなみに<増加>させた魔法を呼称するときは魔法名のあとに2とつけます。これなら<ファイアボール2>ですね」
言い終えるなり、キアラは手を払った。
あわせて<ファイアボール>がふっと消滅する。
「そしてふたつ目は質を上げる技術。<昇華>です」
みたび生み出された通常の<ファイアボール>。
キアラが<昇華>と口にした、瞬間。
ぼう、と音が鳴った。
まるで渦巻くように炎の管が火球の周りを巡りはじめる。
「今度は激しくなった……!」
こちらの驚く反応を見てか。
キアラが満足そうに笑っている。
「<昇華>の場合は魔法名のあとに0をつけます」
「ってことは、これは<ファイアボール0>ですね」
初めて知ることばかりだ。
ルカは気づかぬうちに心が躍っていた。
声も自然と弾んでしまう。
キアラがまた手を横に払い、魔法を消した。
ふぅと息を吐いて説明を続ける。
「これらを使用するには多くの魔力だけでなく、高度な技術も必要となります。ゆえに大魔導師から習得することがほとんどです。このことから、〝大魔導師の扉を開ける〟なんて言い回しもされますね」
「……すごいですね」
ルカは思わずそう口にしていた。
「大魔導師以上の階級でも習得できる人はほんの一握りですからね」
「いや、先生がです」
「え、わたしですかっ?」
大きな目をぱちくりとさせるキアラ。
本気で意外だと思っているようだ。
「だって大魔導師でようやく使える技術なのに、さらっと使えてるし。もしかして先生って大魔導師だったりするんですか?」
「いえ、階級は上級魔導師です。ただ、こういったことが少し得意なだけです。実際、魔力量が追いついてなくて、いまのでかなり疲れてしまっていますし」
たしかに疲労が見て取れる。
とはいえ、倒れるほどではない様子だ。
キアラがその綺麗な眉根を下げる。
「……ですが、あまりほかの人に知られると困るかもです」
「どうしてですか?」
「ほら、学園に所属していますから。教師同士の付き合いと言いますか、その、大人にも色々あるのですよ。目をつけられたりなんてことも」
「あ~、なんか面倒そうですね」
キアラは教師というには年齢的に若い。
目立つと同僚からやっかみを受けるのだろう。
「なので、先生との秘密にしてくれますか?」
立てた人差し指を口元に当て、片目をぱちんと閉じるキアラ。彼女の飛びぬけた美貌と、大人の余裕があわさり凄まじい破壊力だ。
答えは決まっている。
「墓まで持っていきます!」
「そ、そんな先まで……でも安心ですね」
キアラがくすくすと楽しそうに笑う。
つられてこちらまで朗らかな気分になる。
まだ会って間もないこともあり、師弟関係になった実感はあまりなかった。だが、秘密を共有したからか。キアラとの距離も少し近づいたような、そんな気がした。
「では、ルカくんもやってみましょうか」
「はい……!」
「まずは<増加>からいきましょう。イメージとしては通常の<ファイアボール>と同じものをもう1個作る感じです」
キアラの話を聴きつつ、ルカは右掌を上に向けた。
まずは通常の<ファイアボール>を生成する。
「大事なのは自身が生成した<ファイアボール>を正確に把握すること。ここで少しずつ増やそうとしてしまうと、微細な変化を掴みきれず逆に難しくなってしまいます。ですから一気にもう1個。2個分の<ファイアボール>として認識してください」
キアラの説明はわかりやすい。
これしか使えないからと<ファイアボール>は数えきれないほどたくさん使ってきた。おかげで<ファイアボール>1個分の感覚は体に染みついている。
――もう1個の<ファイアボール>。
そう意識しながら思い切って魔力を込める。
体内から肩、腕を伝って流れる魔力の奔流。
それらが一気に右掌の上へと吐きだされた瞬間。
ごう、と音をたてて火球が膨張した。
視界が真っ赤に染まり、慌てて顔を後ろにそらす。
まさか一発でできるとは思わなかった。
自分でも驚きだ。
それでも成功は成功だ。
ルカは得意気にキアラのほうを確認するが――。
「とはいえ大魔導師に至った者ですら、その感覚を掴むのに長いときを要すると言われています。長ければ数年。早くて1年とも」
いまだキアラの説明は続いていた。
彼女は人差し指を立てながら目を閉じている。
まるで授業で教鞭をとっているかのようだ。
想像すれば彼女の前にはたくさんの生徒の姿が見えるような気がする。
「あの、先生」
「ですから失敗してもめげずに何度も挑戦しましょう」
「先生~っ!」
「焦らなくても大丈夫です。先生がついていますから」
完全に自分の世界に入り込んでいる。
ルカは思い切り息を吸い込んだのち、声を張り上げる。
「できましたっ!」
「こう見えてわたし、教えるのは得意なんですよ――って、えぇ!?」




