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◆第四話『新たな技術』

 翌日。

 ルカは陽が昇るよりも早くに起床していた。


 自然と目が覚めたわけではない。

 キアラとの用事があって意図的に起きたのだ。


 自前の簡素な運動服に着替え終えた。

 そのまま部屋を出ようと思ったが、先にするべきことがあったのを思い出した。


 視界の端、いまもファムがベッドの上で寝ていた。


 いつも睨み散らしているファムだが、さすがに睡眠中の顔は穏やかだ。もともとの顔が可愛いこともあって、まさに天使としか言いようがない。


 ただ、いかんせん寝相が悪かった。

 毛布を蹴飛ばしているし、めくれ上がった服からは可愛らしいヘソを覗かせている。


 ルカは苦笑しつつ、指でつまんで服を下ろした。

 毛布もかけなおすと、ファムが呻きながら寝返りを打った。


 一瞬起こしてしまったかと思ったが、どうやら大丈夫だったらしい。


 もし自分に弟……ではなく、妹がいたらこんな風にしていたのかな。

 そんなことを考えつつ、ルカは部屋をあとにした。



     ◆◆◆◆◆


「おはようございます、先生」

「おはようございます。ルカくん」


 呼び鐘を鳴らしてから間もなくして。

 キアラに家の中へと迎え入れてもらえた。


「もしかしてここまで走ってきたんですか?」


 息が上がっているのを見て取ってか。

 キアラがそう訊いてきた。

 はい、とルカは頷く。


「<ヒューリアス>のために体を鍛えようと思って。これからも毎朝走るつもりです。あ、ちゃんと<イグニッション>の訓練もしてますから安心してくださいっ」

「……ルカくんは本当に頑張りやさんですね」

「いまは新しいことに挑戦できて、ただただ楽しいってのもあるかもです」


 ルカはにっと笑って答える。

 と、キアラが嬉しそうな顔を見せてくれた。


 頑張れば――。

 キアラが喜んでくれる。

 キアラに褒めてもらえる。

 そんな気持ちがわずかながらあるのは内緒だ。


「それより……こんな朝から付き合ってもらっちゃってすみません。昨日、倒れたばかりなのに」

「この時間に指定したのはわたしのほうなんですから気にする必要はありませんよ。体調だってもう万全どころかすごく調子がよかったりですし」


 両手に拳を作って元気をアピールするキアラ。

 その両腕に挟まれた豊かな胸がぐっと強調される。


 彼女はまだ薄手の寝衣姿だ。

 おかげで胸の形がくっきりと確認できてしまった。


 ルカは思わず目をそらしてしまう。

 信頼してくれるのはわかるが、あまりにも無防備すぎだ。


 そんなこちらの動揺を知ってか知らでか。

 キアラが背を向け、自室のほうへと歩きだした。


「それじゃ、先に地下で待っていてくれますか。すぐに用意しますので」



     ◆◆◆◆◆


「それで……魔導祭典の話でしたよね」


 キアラはローブ姿になって地下に来ると、早速とばかりに話を切り出してきた。

 ルカは頷いて悩みを口にする。


「はい。みんなが<アーツ>って魔法を使う中、<ファイアボール>しか使えないのをなんとかできないかなって」

「なんとか、ですか」

「新しい魔法を習得できないことはわかっています。でも、だからってこのまま諦めたくなくて……」


 ファムやイメルダの足を引っ張りたくない。

 それに、せっかくの魔導祭典だ。

 胸を張って参加したと言えるようになりたかった。


「ルカくんは<アーツ>を見たことがありますか?」

「実はまだ一度もなくて……」

「では、一度見てもらいましょうか」


 キアラが人差し指と中指を合わせて筆に見立てると、眼前の虚空をなぞりはじめた。指先がとおった箇所には青い光が残り、線となっていく。


 やがてキアラの指が止まったとき、光の線は鳥の絵となっていた。


 キアラが鳥の絵を下から掌でそっと押し上げた。

 ふわっと上昇した鳥の絵が一気に巨大化し、頭上に留まる。


「<アーツ>とはこのように魔力で空に絵を描く魔法です。訓練次第ではもっと複雑な形状でも空に描きだすことができます。<アーツ>の美しさでその魔導師の実力がわかる、と言われるほど基本的な魔法でもありますね」


 説明の終わりと同時にキアラが掌を閉じた。

 あわせて頭上で輝いていた鳥の絵がふっとかき消える。


「この魔法に等級自体は設定されていません。ただ、<アーツ>の複雑な形状変化はすべての魔法回路を必要とします」

「……だから俺には使えないんですね」


 ――もしも自分が使えたら。

 新しい魔法を見るたびに踊る心は湧きあがることなく静まっていく。


 ルカはいまだ慣れない感覚に思わず目を下向けてしまう。

 だが、キアラの声が陰鬱な気分をすぐに取っ払ってくれた。


「ですが、空を彩る魔法は<アーツ>だけではありません」

「……どういうことですか?」

「いまのルカくんにもってこいの技術があるんです」

「技術ってことは……もしかして<イグニッション>ですか?」


 当たりとばかりにキアラが微笑んだ。


 <イグニッション>には<増加>と<昇華>しかない。

 そう勝手に思い込んでいたが、どうやらまだ残された技術があるようだ。


 キアラが早速とばかりに実演に入った。

 胸の前辺りで天井に向けられた右掌。


 ここまでは通常時となにも変わらない。

 だが、次の瞬間、掌上に2つの火の粉が現れた。


 それらは独立して揺れると、ぼうと勢いを増加。

 瞬きするうちに人間の頭大まで膨れ上がった。

 <ファイアボール>が2つ生成された形だ。


「<複製>……同じ魔法を1度に同時発動する技術です。そして、これが<待機>――」


 続けてキアラは掌を下ろす。

 しかし、<ファイアボール>が追随することなかった。

 キアラの前で浮遊したまま留まっている。


「任意の場所で発動した魔法を待機させる技術です」

「……すごい」

「また任意のタイミングで放つこともできます」


 キアラの発言後、弾かれたように2つの<ファイアボール>が動きだした。壁に衝突し、その姿を散らす。


 流れるように行われた一連の動作。

 ルカはただただ感嘆するしかなかった。


「これを幾つも出せたら、すごいと思いませんか?」


 すごいなんてものではない。

 赤い光点でしかないが、ほかの<アーツ>にあわせて彩ることができる。


 いや、そもそもこの技術は<アーツ>に限らない。


 これまで<ファイアボール>は自身の正面にしか撃つことができなかった。だが、<複製>と<待機>を使えるようになれば多方向からの攻撃が可能になる。


 戦術の幅がとんでもなく広がることは間違いない。


「これらの技術は工程に維持が入る分、魔力の消耗がとても激しいものとなっています。<増加>や<昇華>をも上回ります。大魔導師でも使いこなしている人はほとんどいません」

「……でも、俺にはたくさんの魔力がある」


 そのとおり、とキアラが首肯する。


「や、やってみてもいいですかっ?」


 興奮を隠せずに思わず食い気味に訊いてしまった。

 ふふっ、キアラが微笑む。


「もちろんですよ。では、まず<複製>からいきましょうか。魔法回路で生成した<ファイアボール>のもととなる魔力を同時に掌まで持っていくことを意識してください。このとき、2つの魔力をくっつけないように注意です」


 言われたとおりに<ファイアボール>を発動する際の魔力を体内で生成。腕から右手へと2つの魔力の塊が流していく。


 2つが触れてはダメらしいが、かなり難しい。

 やがて2つの魔力は手に辿りつき、一気に外へと出す。


 が、2つの火の粉はわずかな時間差で掌上に出現。

 さらに場所がかちあったせいか、互いに衝突し、燃え上がった。


 すぐに火球は消滅したものの、ルカは思わず「おわぁっ」と声をあげて後ろに倒れ込んでしまう。


「前みたいにさくっとできるかもって思ってたけど……難しいですね、これ」

「大丈夫ですよ。ルカくんの感性ならきっとすぐにできるようになります」


 不思議だ。

 信頼し、尊敬するキアラの言葉だからだろうか。

 絶対にできるという確信しかなかった。


 ルカは立ち上がってまた挑戦しようとする。


「……あの、先生でどれくらい<複製>できるんですか?」


 ふと気づけばそう口にしていた。

 それは、キアラの魔力量がどれほどかを計る質問だ。


 キアラが少し困ったようにその綺麗な眉を下げる。


「イメルダさんですか?」

「うっ……はい」


 情報源だけではない。

 きっとこちらの考えも見透かされているのだろう。

 この際だからとルカは思っていることを口にする。


「話せないことはわかってるので無理に答えなくても大丈夫です。でも、先生が倒れた瞬間が頭に残ってて、どうしても気になってしまうんです……」


 またキアラが倒れるようなところを見たくない。

 だから、本当に魔力量が少ないのかをたしかめたかったのだ。


 わずかな間の沈黙を経て、キアラが静かに口を開いた。


「深くは話せませんが、ルカくんにだけは教えておいたほうがいいかもしれませんね」


 彼女はひと呼吸を置いた。

 それから目を細め、過去を思い出すように話しはじめる。


「わたしはあるときをきっかけに魔力の大半が使えなくなってしまったんです。それでも一般的な魔導師の方々よりも多いほうではあるのですが……本来には程遠い量の魔力しか扱えなくなってしまいました」


 あるとき、というものがキアラの秘密に関わるのだろう。


 しかし、魔力の大半が使えなくなったとは――。

 いったいどんなことが起きたのか想像もつかない。


「あまり話せなくてごめんなさい」

「いえ。少しでも先生のことが知れて嬉しかったです」


 ルカは本心からの言葉を口にした。

 ただ、キアラの顔は痛ましげに歪んでいた。


「ルカくん、少しだけじっとしててもらえますか?」


 言って、キアラがこちらの胸に右手をそっと当ててきた。

 心臓の鼓動でも感じとろうとしているのか。


「……先生、どうかしたんですか?」

「ごめんなさい。もう少しだけ……」


 その言葉の直後、キアラがわずかに歪んだ。

 ただ、本当に一瞬のことですぐにもとの彼女の顔に戻っていた。

 やがて満足したのか、キアラの手が離される。


「あの、もしかして俺の体、どこか悪かったり……?」

「そんなことはありませんよ。ただルカくんから元気をわけてもらっていただけです」


 キアラがおどけたように微笑む。


 魔力が流れた感覚はなかった。

 おそらく気持ち的な話だろう。


 ただ、先ほどキアラの顔が一瞬歪んだのを見たからか。

 どうしても取り繕っているように感じてしまった。


 そんな考えが顔に出ていたのか。

 まるではかったようにキアラがあからさまに明るい声を出した。


「さ、訓練を始めますよ。これから魔導祭典までの一ヶ月間、時間の許す限りわたしも付き合いますから一緒に頑張りましょう……!」



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