◆第六話『学生食堂』
食堂を見た瞬間、ルカは思わず感嘆の声をもらした。
とても屋内とは思えないほど広かったのだ。
少なくとも教室10個分はあるかもしれない。
また広さだけでなく、その空気感にも圧倒された。
たくさんの支柱やヴォールトの天井。
外の景色がよく見えるガラス張りな壁。
一般的な暮らしではとても体験できないような――。
それこそ別世界としか言いようがない景色が広がっている。
「もっと小さいのを想像してたけど、すごいな……」
「一応、学園の生徒や教師全員が集まっても大丈夫な広さらしい。つっても全員がきたらきたで鬱陶しいことこのうえないけどな」
利用者は高等部だけではないようだ。
たしかに初等部や中等部の生徒もちらほらと見える。
ちなみに見分け方はネクタイやリボンだ。
初等部が緑、中等部が青。
高等部が赤色となっている。
「おい、なに呆けてんだ。さっさと行くぞ」
「あ、ああ」
入口から向かって左手側の壁。
そこには幾つもの窓口が連なって並んでいた。
奥には厨房が窺え、多くの<魔導駒>が単純作業をこなし、流れるようにして料理を仕上げている。窓口ごとに並ぶ料理の種類は違う。
ファムに倣ってトレイをとって手前の台をすべらせていく。
「これってもしかして好きなものをとってっていいのか?」
「ああ。どれでも幾つでも取り放題だ」
「……どうりで学費がおかしいわけだ」
どれでも好きなものを好きなだけ。
食べ盛りな身としては嬉しいシステムだ。
ただ、この贅沢なシステムさえなければ学費も低く抑えられ、もう少し早くに入学できていたかもしれないと思うと複雑だった。
「でも、バランスよくとれよ。<ヒューリアス>を使いこなしたいなら体作りは大事だからな――ってなんだよ、その顔は」
「いや、そのセリフでそのミルクはどうかと思う」
ファムのトレイにはたくさんのミルク瓶が載っていた。
数えてみたところ、その数8本。
トレイの外縁を固めているのでミルクの城壁さながらだ。
「こ、これは……ボクにはこれが足りないだけで……そう、人それぞれ必要なものが違うのは当たり前だっ」
苦しい言い訳だ。
とはいえ、これ以上突っ込めば怒りかねない。
ルカは頷いて温かく見守ることにした。
ファムが舌打ちしたのは言うまでもない。
適当に料理を選んだのち、席についた。
まだ早い時間とあって席の埋まり具合はぽつぽつといった感じだ。
ただ、入口からは続々と生徒たちが顔を出している。
ファムの言うとおり早めにきていたのは正解だったようだ。
「本当になにからなにまで俺の知ってた世界とは違うな……」
「ま、驚くのも無理はない。ボクだって初等部の頃は慣れるまで時間がかかったしな」
言うやいなや、1本目のミルク瓶を飲み干した。
口もとの白髭を手で拭うしぐさは本当に男よりも男らしい。
そうして同室の小さな友人の気持ちのいい飲みっぷりを観察していると、横合いからひとりの男性教師が近寄ってきた。
年齢は30ぐらいだろうか。
白皙と、黄金の片眼鏡。
中央で分けられた長めの前髪が特徴的だ。
「こんにちは、ファムくん」
「……アルヴォ先生。ども」
いつもどおり無愛想に応じるファムに反して、アルヴォと呼ばれた男性教師は柔らかな笑みを浮かべていた。
ゆったりとした声調もあいまって見るからに優しげな人だ。
と、アルヴォの視線がこちらに向けられた。
「えっとそこのきみは……ルカ・ノグヴェイトくんで合ってるかな?」
「あ、はい。って、俺のこと知ってるんですか?」
「わたしは生徒の顔を覚えることには自信があってね」
「ああ、じゃあ俺の顔は見たことがないから」
「そういうことだ」
編入生は珍しいと聞いている。
となれば教師が知らないわけがなかった。
アルヴォが微笑みながら手を差し出してくる。
「アルヴォ・スコリエ。主に高等部の授業を担当している」
「よろしくお願いします」
握手を交わした。
大人の男にしては掌は薄いし、指も細い。
魔導師の手はこんなものなのだろうか。
少し力を入れれば簡単に握りつぶせそうだ。
「こうして会えてよかったよ。きみには興味があったからね」
「興味って……やっぱり編入生だからですか?」
「それもあるけどね。わたしとしては、レティエレス先生があれだけ入れ込む子がどうしても気になってしまってね」
言って、アルヴォが顔を寄せてきた。
まじまじと瞳を見つめたのち、納得したように頷く。
「ふむ、たしかにいい面構えだ。これは将来、いい魔導師になるね」
「本当ですか……っ?」
「ああ。わたしが言うのだから間違いない。といってもレティエレス先生に乗った形であまり嬉しくないかもしれないけどね」
「いえ、そんなの関係なく嬉しいですっ」
「それはよかった」
アルヴォがまたも笑顔を見せる。
ブブという教師を先に見ているからか。
初対面ながらアルヴォへの印象がいいほうに天井を突破しそうだ。
「もう少し話したいところだけど、いまは食堂の監視担当中でね」
「監視担当?」
「困ったことに喧嘩する生徒がたまにいてね」
言って、苦笑するアルヴォ。
これだけ多くの生徒が集まる場所だ。
そうしたことが起こるのも無理はないかもしれない。
「また機会があるときにゆっくりと話をしよう。それじゃ2人とも、また」
最後に笑みを残してアルヴォは去っていく。
キアラが理想の女性教師ならば、アルヴォはその男性版といった感じだ。
いまも彼の背中を見送っているが、色んな生徒から話しかけられている。というより群がられているといったほうが正しいかもしれない。
「すごい人気だ」
「無理もない」
ファムがパンにジャムを塗りたくりながら言った。
その後、豪快にかじり、むしゃむしゃと咀嚼。
最後にはミルクでごくんと音をたてて飲み干したのち、話を継いだ。
「なにしろ最近まであのアスフィール魔導院にいた人だからな」
「アスフィール魔導院……?」
「知らないのかよ。大陸でも最高峰の魔導研究機関って言われてるところだ。うちの学園でも入れる奴が数年にひとり現れるかどうかってぐらいのところだ」
「そんなすごい人だったのか……」
「しかも学園じゃ唯一学園長と同格の大魔導師ときた。そりゃ、あんだけ群がられるのも当然だろ」
大魔導師。
つまり賢者に近い存在ということだ。
ルカは思わず尊敬の眼差しでアルヴォを見つめる。
と、周囲に集まっているのが女生徒ばかりであることに気づいた。
優秀な実績に加えて外見も非の打ち所がない。
女生徒に人気なのも当然だろう。
「やっぱりファムもああいう先生が好みなのか? って、俺が悪かったから睨むなって」
女扱いをしたからか、ぎろりと睨まれてしまった。
「……ボクはああいうのはいけ好かない。できた人だとは思うけどな」
「ま、なんとなくそうだと思った」
「おい、なにか失礼なこと考えてただろ」
「そんなことないって。気にしすぎだ」
ルカはすかさずそう誤魔化した。
――ファムはひねくれているから。
なんて言った日には首を斬り飛ばされそうだ。
「ま、アルヴォ先生が気に入ったならよかったな。明後日にでもまた会えるぞ」
「明後日? 明後日になにかあるのか?」
「今朝、連絡事項で言ってたろ。明後日の特別演習、アルヴォ先生が受け持つって」
「あ~……」
そんなことを言っていたような気がする。
とはいえ、自己紹介後のことだ。
新しい情報ばかりで頭に上手く取り込めていなかった。
「ところでファム、特別演習ってなにやるんだ?」
「当日になったらいやでもわかる。ひとつ言えるのは、そんな期待するようなもんじゃないってことだ」
言って、ファムは心底面倒くさそうに息を吐いた。
さらにその鬱屈とした気分を晴らすようにミルク瓶を傾けると、瞬く間に飲み干してしまった。
さすがに8本は多すぎるのではと思ったが……。
すでに6本が空になっているあたり余裕でなくなりそうだ。
とにもかくにも〝特別〟というぐらいだ。
きっと魔法習得の演習とは違った内容なのだろう。
学園ではなにからなにまで知らないことだらけ。
ファムに「期待するな」と言われた特別演習もルカは楽しみでしかたなかった。