◆第三話『新たな魔法』
ルカは思わず耳を疑ってしまった。
目をぱちくりとしながらキアラに確認する。
「俺も新しい魔法を覚えられるんですか?」
「はい、そうですよ」
冗談を言っている様子はない。
ほかの生徒が新魔法を習得する光景を眺めるのみ。
そんな時間を想像したこともあり、一気に心が踊りだしそうになった。
ただ、気がかりがないわけではない。
「でも前に話したと思うんですけど、ほかの下級魔法はどれもさっぱりで」
「試したのは<フロストボール>と<ウィンドストライク>でしたよね。実は、それらとはちょっと違う系統の魔法なんです。属性も火なのできっとルカくんとも相性はいいはずですよ」
キアラが微笑んだのち、その魔法の名を口にする。
「<ヒューリアス>。身体を強化する魔法です」
「……初めて聞く魔法です」
「無理もありません。これを使う魔導師は多くありませんから。かくいうわたしも使えはしますが、あまり得意ではなくて……」
あはは、と恥ずかしそうに笑うキアラ。
――教師である彼女が苦手な魔法。
まったく想像がつかない。
「ですが、幸いこのクラスには<ヒューリアス>を得意とする生徒がいます。……ファムくん、お手本を見せてもらってもいいですか?」
そばで静観していたファムへとキアラが問いかけた。
ファムが不満そうに眉をひそめる。
「……どうしてボクが」
「もちろん時間を頂いた分はあとできっちりと個別にお教えします」
「そういう問題じゃなくて――」
「今月、すでに6回も遅刻していますよね?」
「ぐっ」
どうやらファムは遅刻常習犯らしい。
見るからにうろたえていた。
「第2特別棟の1階から5階までの階段掃除を考えていましたが……」
「や、やればいいんだろ!」
「ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべるキアラ。
ファムのほうは悔しげに舌打ちをしていた。
「おい、1回しかやらないからよく見とけよ」
言って、ファムが集中するように息を吐いた。
ルカは「ああ、頼むよ」と応じて注視する。
「……<ヒューリアス>」
ファムによって魔法名が口にされた途端――。
身体の輪郭を縁取るように赤い光が現れた。
それを機にファムが体勢を低くし、地を蹴る。と、大股20歩ほどはあった距離を瞬く間に駆け抜け、対面の壁まで到達。さらに折り返し、再びそばまで戻ってきた。
ファムが軽やかに停止する。
体勢はまったくといっていいほど乱れていなかった。
大きく動いていたのは後ろでくくられた髪ぐらいだ。
「これでいいですか」
「はい、ありがとうございます」
淡々とした口調で確認するファムに、キアラが満足気に礼を言う。
ルカはひとり唖然としていた。
ブブの<ウィンドウォーク>と遜色がない。
いや、むしろ<ヒューリアス>のほうが速い気がする。
もともとの能力だろうか。
あるいはファムが使ったからだろうか。
いずれにせよ、あれだけ速く動いたというのに、ファムの息がまるで乱れていないことが一番の驚きだった。
「すごいな、ファム」
「これぐらい大したことない」
謙遜は感じられない。
本当にできて当然と思っているようだ。
「ファムくんはこう言っていますが、<ウインドウォーク>と違って<ヒューリアス>は基礎となる身体がしっかり鍛えられていなければ効果を発揮しない魔法なんです。使う魔導師が多くないのは、これが理由ですね」
キアラが得意ではない、というのも納得がいった。
というより多くの魔導師は体を激しく動かさない印象がある。
象徴的なのはブブの体型だ。
もし彼の得意魔法が<ウインドウォーク>ではなく<ヒューリアス>だったなら、いまはもっと細身の体型だったのかもしれない。
「発動自体はいたって簡単です。<ファイアボール>を出さずに体の中でそのまま留めてください」
「留める……ですか」
「わかりやすいように慣れるまでは手を閉じるといいかもですね」
<ファイアボール>を使うときは必ず手を開く。
その反対の動きをするというのはわかりやすい。
「あとファムくんもしていたように魔法名を口にして発動しましょうか。そうすることで体がほかの魔法と混同しなくなるうえ、反射的に発動できるようになります」
これまで使ってきたのは<ファイアボール>のみだ。
ほかの魔法と混同する、なんて体験をしたことは一度もない。
新しい魔法を習得しようとしている。
その実感を噛みしめながら、ルカは言われたとおりに魔法名を口にした。
「……<ヒューリアス>」
<ファイアボール>を意識しすぎたからか。
魔力が右腕へと流れてしまう。
だが、掌を閉じていたからか。
なんとか体内に留めることができた。
行き場をなくした魔力が胸や腹の辺りでうろつきはじめる。
「なるべく全身に行き渡るように誘導してください。誘導はファイアボールを手に運ぶときをイメージすればできるはずです」
キアラの言葉に従って誘導を試みる。
だが、なかなか思いどおりに動いてくれない。
それでも次第にコツを掴み、ゆっくりながら全身に行き渡らせることができた。
<ファイアボール>を意識した魔力だからか。
じんわりと体が熱くなっている。
「これ……結構維持が難しいですね」
「慣れるしかありませんね。では少し動いてみましょうか。最初ですからあまり一気に動かないように」
気持ちは大股一歩程度で地を蹴る。
と、体がぐんっと飛びあがった。
「うぉっ」
思った以上の跳躍に目を疑った。
即座に体を制御して両足で着地する。
だが、勢いがありすぎて前に転がってしまった。
受身を取ったので大事はない。
ただ、新品の制服が砂まみれだった。
周囲からくすくすと笑い声が聞こえてくる。
本来の課題とべつのことをしているからか。
どうやら注目を集めてしまったようだ。
ルカは砂を払い落としながらゆっくりと立ち上がる。
「力を持て余してる感がすごいあるな、これ……」
「それでも先生よりよっぽど上手ですよ」
キアラがこの魔法を使ったらどうなるのか。
本に埋もれた姿を思い出すと、悲惨な未来になる想像しかできなかった。彼女が得意ではない、というのも大いに納得だ。
「ファムが手本を見せてくれたおかげです」
ルカは感謝の気持ちを込めてそう返答する。
と、そのファムがなにやら無表情で近づいてきた。
腕をぺたぺたと触ってきたかと思うや、今度は腹から腰、脚と握るように触ってくる。
「お、おいファム……?」
「お前、なにか武術でもやってたのか?」
「力仕事ってわけじゃないけど、色んな雑用はしてたかな」
とある貴族の屋敷で使用人として働いていた。
もちろん執事のように表に出るような役割ではない。
本当に多くが雑用で荷物運びが主だった。
筋肉がついていたとすれば、きっとそのおかげだろう。
ふーん、と返事をしながらファムが離れる。
「そこらのやわな魔導師より見込みあるじゃん。ま、せいぜい頑張れよ」
素っ気なく、おざなりな言葉だった。
それでも応援してくれたことには変わりない。
ルカは嬉しくて「ああっ」と元気に応じた。
ほかの生徒はいまも上級魔法の習得に励んでいる。
そんな中、ひとりだけ下級魔法を習得しようとしている。
羨望や嫉妬の感情は少なからずある。
だが、諦めかけた〝新魔法習得〟の前ではどうでもよくなった。
ルカはただただ昂揚感に身を任せながら、忘れないうちにと<ヒューリアス>の訓練を再開した。