◆第二話『実技演習』
編入後、初の授業は実習となった。
集まった場所は学園の敷地内に5箇所あるという演習場のひとつ。
造りは編入試験の際に使った演習場とほぼ同じだ。
乾いた土の地面に石造りの壁に囲まれている。
「さて本日は久しぶりの魔法習得の時間です」
生徒を前にしたキアラがそう口にした。
途端、歓喜の声があがった。
多くの生徒が期待に満ちた目をしている。
そんな中、ルカはひとり複雑な気持ちだった。
高等部ともなれば課題の魔法は中級である可能性が高い。
つまり自分には覚えられない魔法ということになる。
しかし、それを承知で入学したのだ。
たとえ習得できなかったとしても腐るわけにはいかない。
それに色んな魔法を直に見て知っておくのは重要なことなはずだ。
ルカはそう自身に言い聞かせ、胸中の羨望を押し殺した。
「先生、なにを教えてくれるんですかー?」
ひとりの生徒が我慢できずに声をあげた。
キアラが人差し指をピンと立て、にっこりと微笑む。
「みんな楽しみでしかたないといった感じですね。はい、今日教えるのは……<魔法障壁>ですっ」
生徒たちがざわついた。
顔を見合わせて動揺している。
「それって……上級魔法ですよね」
「俺たちにはまだ早いんじゃ……」
「たしかに難度の高い魔法かもしれません。実際、習得時期は卒業後ですからね。ですが、先生としてはどんな攻撃魔法よりもこの<魔法障壁>を先に習得してほしいのです。大切なあなたたちの身を守れますから」
優先するのは攻撃よりも防御。
優しいキアラらしい考え方だ。
「それに周りより早くに上級魔法が使えるだなんてちょっと格好いいと思いませんか?」
言って、片目を閉じるキアラ。
きっと本人はほとんど無意識なのだろう。
だが、男子の多くはそれだけで目にやる気の炎を宿していた。
「では実演してみましょうか。イメルダさん、手伝ってくれますか?」
「……わかりました」
イメルダが堂々と歩み出る。
まるで指名されるのが当然と言わんばかりだ。
「やっぱこういうときはイメルダだよな」
ほかの生徒からそんな声が聞こえてくる。
どうやら普段から指名されているようだ。
それだけ優秀な生徒ということだろうか。
キアラが歩いて充分な距離をとってから振り返る。
「イメルダさん、中級魔法で攻撃をお願いします」
「なんでもいいんですか?」
「はい、得意なもので構いません」
どんな魔法にするのか悩んでいたのか。
少しの間を置いてイメルダが右掌を天にかざした。
その上空でチリリと極小の火の粉が出現。
まるで燃え広がるようにその身を大きくすると、瞬く間に槍の形状へと変貌させた。
石突から穂先までの長さは成人身長の2倍程度。
輪郭はいまもなおうねりながら燃え盛っている。
ルカは思わず感動してしまった。
――中級魔法の<フレイムランス>。
書物では知っていたが、見るのは初めてだった。
派手なうえに、とてつもない威圧感だ。
あれが自分に飛んでくることを考えると、少しばかり――いや、かなり怖い。
だが、対するキアラの顔に動揺はいっさいない。
「いつでもどうぞ」
「……では、いきます」
イメルダの右掌が前へと倒される。
まるで力のこもっていない動きに反して、撃ちだされた<フレイムランス>の速度は凄まじいものだった。
虚空を穿つように突き進んでいき――。
瞬く間にキアラとの距離を詰めてしまう。
予想以上の速度にルカは不安が押し寄せてきた。
もしかしたらキアラが怪我を負ってしまうのでは、と。
だが、そんな心配は不要だった。
キアラがすっと前面に突きだした掌。
その少し先で青白い燐光が無数に現れはじめた。
以前からその場に存在していたかのような自然さだ。
燐光たちは気づけば連なり、キアラを球形に覆う形で膜を張った。まるでカーテンのように薄く、中の彼女の姿をはっきりと視認できる。
事前に説明されたとおり、あれが<魔法障壁>なのだろう。
いつまでも見ていたいと思うほど幻想的な魔法だったが、すぐに光景に変化が訪れた。イメルダによって放たれた<フレイムランス>が衝突したのだ。
まるで大量の水が蒸発するような音が演習場に響く。
激しい閃光が散る中、<フレイムランス>が一気に長さを失っていく。まるで<魔法障壁>に触れた先から吸収されているかのようだ。
ついには<フレイムランス>が跡形もなく消えた。
残った<魔法障壁>の希薄な存在感のせいか。
辺りには必要以上の静寂が漂っていた。
初めて見る他者同士の魔法の衝突。
ただただ凄いとしか言いようがなかった。
ルカは呆けるように感嘆してしまう。
「ありがとうございます、イメルダさん。綺麗な<フレイムランス>でしたよ」
「べつに。このぐらい普通です」
ほめられてもイメルダに喜ぶ様子はない。
それどころか不満を感じているようにも見える。
と、キアラが手を下ろした。
あわせて<魔法障壁>がふっとかき消える。
「このように中級以下の魔法であれば完全に遮断できます。上級魔法でも一度なら防ぐことはできるでしょう」
近くまで戻ってきたキアラがそう説明する。
聞いただけでも相当に効果の高い魔法だ。
難度が高いことも頷ける。
「この魔法の習得において、もっとも重要なことは描写です。絶対に壊れない硬い盾ではなく、仮に壊れたとしても受け流せるような柔軟性を持ち合わせた盾を想像してください」
魔法においてイメージはとても重要だという。
これが下手だからほかの魔法を使えないのか。
そんなことを考えて絵の練習をしていたこともある。
残念ながらそれで新しい魔法を覚えることはできなかったが、少し得意と言える程度には絵を描くのが上達した。……いまとなっては懐かしい思い出だ。
「まずはその場に留めることを意識して挑戦してみましょう。これから班ごとに別れてもらいますが、強度を試す際は下級魔法のみ。それも魔法の軌道上には立たないようにしてください。それでは訓練開始です」
キアラが両手をあわせてぱんと音を鳴らす。
と、生徒たちがざわつきながら散開しはじめた。
「なあ、ファム。班って……?」
ルカは近場にいたファムに声をかけた。
鬱陶しそうにため息をつきつつも応じてくれる。
「……教室の席が班わけになってる。だからお前はボクと、そこの頭いかれてる奴と一緒ってことだ」
言って、ファムは視線を横向けた。
その先ではモッグが変わらずイメルダを舐めまわすように見つめている。涎も垂らしていよいよ変質者だ。
「なんだ、それなら安心だ」
「よかったって……お前マジかよ。あのモッグと一緒なんだぞ」
「でもファムがいるだろ」
この演習場まで案内してくれたのはファムだ。
態度こそ無愛想だが、悪い人間でないことはたしかだった。
ファムから細めた目を向けられる。
「お前、変わってるって言われるだろ」
「どうして?」
「……まあいい。ほら、さっさとあっち行くぞ」
ふんっと鼻を鳴らし、ファムは歩きだす。
いまは知らないことだらけなうえ、友達がいない。
そのせいか、小柄なファムの背中が頼もしく見えた。
「モッグはどうする?」
「どうせ動かないしほっとけ。それより、ここにいるとうざい奴に絡まれるぞ――って噂をすれば」
立ち止まったファムが大きな舌打ちをする。
なにやらひとりの男子生徒が立ちふさがっていた。
同年代にしては少し身長が高い。
あとは鶏のような形の金髪が特徴的だ。
彼は口元をいやらしく歪めながら、ファムを見下ろす。
「なんだ、俺に挨拶するためにわざわざ待ってたのか、ファム」
「んなわけねえだろ。さっさとどけよ。首斬り飛ばすぞ」
「ふん、相変わらず余裕がないな。この俺が話しかけてんだぜ? 礼のひとつぐらい言うべきだろ」
会話を始めて早々、険悪な雰囲気だ。
ルカは恐る恐る問いかける。
「ファム、彼は?」
「こいつはウーノ。バカでクズでカスだ」
ふんだんに罵倒の混じった紹介だ。
とりあえず大嫌いなことだけはわかった。
男子生徒――ウーノが自信に満ちた顔を向けてきた。
「俺はウーノ・クオンツ。クオンツって言えばわかるよな」
「えっと……悪い。俺、あんまりそういう家柄とか知らなくてさ」
「ぐっ」
ウーノが片頬をひきつかせた。
それを見てファムが「ぷっ」と笑い声をもらす。
「ざまあねえの」
「くそがっ」
ウーノはそう吐き捨てた。
それから見下すような目を向けてくる。
「欠陥魔導師なうえに世間知らずの田舎もんとはな。マジで救いようがねえな。ま、落ちこぼれの班にはお似合いか」
「おい、それぐらいにしとけよ、ウーノ」
ファムが低い声で威嚇した。
これまでとは明確な敵意だ。
ウーノも揉め事は求めていないようだ。
肩をすくめておどけたようにいなした。
「まあいい。覚えとけよ、<ファイアボール>使いの賢聖さんよ」
そう言い残して、去っていくウーノ。
彼の向かった先にはイメルダがいた。
「悪い、待たせたな」
ウーノはそう言うと、イメルダの肩に手を回そうとする。が、するりと避けられていた。そればかりか鋭い目で睨まれている。
「何度言ったらわかるの。気安く触ろうとしないで」
「な、そんな冷たいこと言うなよ。俺とお前の仲だろ」
「班が一緒なだけでしょ。あんたの女になったつもりはないわ」
ぴしゃりと言い切ったのち、つかつかと歩いていくイメルダ。もうひとりの班員もおどおどとついていく。
「くそっ……イメルダの奴……!」
ウーノが悔しげに顔を歪ませつつ、あとに続く。
そんな光景をじっと見ていたからか――。
「なんだ、お前もモッグと一緒でイメルダ狂信者になるのか?」
ファムからそんな風に言われてしまった。
「いや、そういうわけじゃなくて……自己紹介のとき俺のことを笑わなかったの、ファムとあの子だけだったからさ。ちょっと気になって」
全員の反応なんて見えるはずがない。
そう思われるかもしれないが、教壇辺りに立つと30人いる生徒の顔や動きも意外と把握できたのだ。だからファムとイメルダの顔は誰よりも早くに覚えられた。
「ふーん……って、なんでボクが入ってるんだ。言っとくが、ボクはどうでもよかっただけだからな」
「それでも笑ってた奴よりずっといい」
よく声をかけているのもそれが理由だ。
同じ班にファムがいて本当によかったと思っている。
……当のファムにはいまも舌打ちをされて顔をそらされてしまったけれど。
「よかった。ちゃんと一緒にいますね」
そう声をかけてきたのはキアラだった。
班で行動できているかどうか。
心配して見にきてくれたのだろうか。
「あれ、モッグくんは?」
「ん」
ファムが面倒そうに指差す。
その先にいるのは、いまだイメルダを見つめるモッグ。
「もう、また……」
どうやらキアラでさえもよく見かける光景らしい。
しかし、彼女はため息をつくだけで注意することなかった。
「ですが、いまはちょうどよかったかもですね」
「ちょうど……よかった?」
こちらの問いかけに「ええ」と頷くキアラ。
すでに幾つかの班では<魔法障壁>の魔法訓練を開始している。あちこちで煌きが走り、騒がしくなった中、キアラが予想だにしない言葉を口にした。
「早速ですが、ルカくんにはべつの魔法を教えたいと思います」