反撃の狼煙
「約束のモノは持ってきたか? 藍沢」
「は、はい……」
学校の屋上。
ほかに誰もいない屋上。
藍沢 大和は、ビクビクと身体を震わせながらお金を渡す。
現金ではなく、MMS (|Micro Motion System《マイクロ モーション システム》)と呼ばれる右腕につけている腕時計のような機械に触れると、モニターが現れ、そしてそれを相手へと送るように手をスライドさせる。
「ありがとよ。それじゃ次も2万円ほどよろしく」
「つ、次!? も、もう無理です……。
これもお母さんに借りて──」
言おうとしたところで大和は胸ぐらを捕まれていた。
グッと引き寄せられ、怒りの表情で睨みつける。
「お前、先輩に対してその態度はなんだ?
舐めた口聞いてるとぶっ殺すぞ」
大和は長い前髪のせいで見づらいが涙を溜めているようだった。
今にも殴られそうな時にその男の後ろから、屋上から校舎内へと繋がる自動ドアを開けて、もう一人男が現れる。
「こらこら、つよくん。あんまり大和ちゃんをいじめちゃダメだよー?」
おお、わりいわりい。と、軽井沢 剛は掴んでいた大和の制服から手を離す。
優しい口調で近づいてくるのは捌幡 光。
笑っている彼だが、面白いからではなく、嘲笑。
「大和ちゃん、大和ちゃん。
痛かったよね? 分かるよー。
でも反抗した大和ちゃんが悪いのは分かるよね?」
「はい……」
よろしい、と、ニッコリと微笑む光。
大和はその怪しい笑みに身動きが取れなかった。
やり返したい気持ちはあるのか、拳を握りしめる大和。
それを見た光はあくまでニヤニヤしながら、
「大和ちゃん、やり返す、なんてことを考えないほうが身のためだと思うよ」
じゃあね。と笑いながらフリフリと手を振り、光は自動ドア横に付いているモニターにMMSをかざし、校舎内へと入っていった。
続くように剛もMMSをかざす。
「金、持ってこなかったらどうなるかわかってるよな?」
光とは違い、豪快にニィと笑って校舎へと入っていった。
「くそっ……」
大和はさらにグッと身体に力を入れ、悔しさに顔を歪ませた。
―――――――――――――――――
「はぁ……。どうしよう……」
大和は自宅の机に向かい、ため息を吐く。
「また明日には2万円……。もうそんなお金ないよなぁ。
バイトなんて僕には無理だし、もう一度お母さんに頼むしか……」
いやいや、そんなことは出来ない。と大和は首を振っている。
少し考えた後、諦めたように彼はベッドへ移動しそこへ寝転んだ。
「AS、今日もネットで話題になったことをまとめて」
大和がそう言うと右腕につけている、MMSが光って、目の前にホログラムで三個のモニター画面が映し出される。
ASと呼ばれた人工知能はかしこまりましたと言い、今日起こったことを物凄い速さでまとめていく。
人工知能と共存することが当たり前となった世界。
一声掛けるだけでそれらが情報をまとめてくれる。
今では国民一人一人がIDで振り分けられていて、それらを用いてSNSを利用する。
2020年の東京オリンピック以来、突如成長の一途を辿った日本の科学力。
それによって世界は生まれ変わった。
人工知能は当たり前なのだ。
『大和様、この情報なんかおもしろいんじゃないでしょうか?』
「ん? どれ?」
左右真ん中のモニターがある中で、真ん中のモニターに映し出されたのは"部屋をかわいく、綺麗にそしてかっこよく魅せるメガテク"と部屋の画像と共に書かれていた。
大和の部屋は見る限り白で統一……されていると思いきや、所々に色んな色の物が置いてあり、パッと見ごちゃごちゃしている。
「余計なお世話すぎるよAS!
僕は僕が好きなものだけ並べてるんだ!」
『ですからモテないんですよ。というかだからいじめられたりするんですよ』
ムッとした表情の大和は怒いかったようだった。
それこそ本当に余計なお世話だ!と大和は言う。
大和はASのことを学校につれて行かなきゃよかったと、後悔している様で表情には疲れた表情が見えた。
「うるさいよAS。それとこれとは関係ないさ。僕はなにもしていないんだから、いじめる方が悪いに決まってるよ」
『その理論、もうこの時代通じませんよ。
やられたらやり返せ! それこそ人間の真理です。
私の座右の銘です』
「暴論だなぁ……」
人間の真理を語り始める人工知能。
やたら怖い。人間よりも業が深い生き物なのかもしれない。
そんなASの意見を無視し、メガテク記事を飛ばし読みする。
目を動かすだけで記事は横に流れる。
左から真ん中、真ん中から右。
モニター間を次々と記事が流れていく。
《世界で久しぶりにアザラシが発見される》
《漆原 愛、スキャンダルか!?》
《日本の科学力、ここらが限界か?》
《最後の謎の影響か? 地震が多発》
《この時代にまさかの銃発砲事件》
「うーん、今日も変わり映えしないニュースばかりだね」
『そうですね、大和様の毎日の服装くらい』
「ぶっ殺すぞてめー」
お喋り人工知能め。と大和は言う。
『ぶっ殺すなんて言葉遣いしちゃだめですよ大和様。そんな言葉使えるのなら、いじめっ子に言えばいいのに。と私は人工知能ながらに思いますね』
「そんなこと言ったら僕が殺されちゃうよ。
いいんだよ、もう、学校の話は。
それよりもAS、10ちゃんねる開いてよ」
10ちゃんねる。ネットでの巨大掲示板の総称。
昔は2ちゃんねるだったものが変化して、今ではちゃんねる数も進んで10になった。
過去には匿名掲示板だったが、全国民IDのためそれもなくなっている。
つまるところ、世界はこの掲示板を中心に人々が情報交換をしている。
『また10ちゃんねるですか。
いくら世界の掲示板だと言っても、毎日確認しているあたりモテない男の典型ですね』
あーだこーだ人工知能に言われる大和。
人間としての尊厳が失われていく音が聞こえるような気がした。
そして開かれたログイン画面を確認してから、左手で空間をタッチするように触れる。
すると自分の現在の顔と共にプロフィールが映し出される。
《藍沢 大和 16歳 知能B 身体能力D 特技、ネットサーフィン》
パッとしないスペックですねとASに言われながら、大和はそのプロフィール画面を空中で掴み、ログイン画面へとドロップする。
そしてログインすることができ、画面の左上に顔画像と英数字入り交じったIDが表示される。
IDは産まれた瞬間に割り振られる。
そこから成長すると共に顔の画像も変化していく。
気味の悪いその管理体制も、今となっては当たり前で、国民は何一つ疑問に思わずそれを利用している。
「AS、今一番人気のスレッドなに?」
無数に存在するスレッドを全て確認するのは容易ではない。
なので大和は毎日、まずは一番人気のスレッドを確認している。ミーハーなのだ。
『これですね。漆原 愛様のスレッドです。
なにやらかなりお祭り騒ぎになっているようですね』
「そういえば、さっきもニュースでスキャンダルか!? みたいな記事があったね」
漆原 愛。
現在一番人気のと言っても過言ではないアイドル。
いつの時代でもそういうものは流行るらしい。
大和はそのスレッドを開く、するとそこに映し出されていたのは一つの動画だった。
動画に触れると、ホログラムシステムによりその人物の姿が目の前に現れた。
『わ、わわわたくし、漆原 愛はこの度世間様にご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ないと思っておりましゅので!
なので! せ、せせ責任を取らせていただこうと思う所存で!』
ビクビクと涙目になりつつ、どもりながら彼女はそう言う。
それを見て大和は可愛すぎる!!!!と思わず叫んでしまう。
『ニュースで話題になっておりました!!スキャンダルの件につつ、つきましては!
あれは全くの嘘であるのでして!! しかしながら私なりにケジメをつけたいと思いますので!!!』
そこで区切って、彼女はふぅーーっと息を吐いたあとキュッと目を瞑り叫ぶ。
『しし、島に!上陸したいと思う所存なので!!!』
「な、なんだってー!!」
大和も同様になぜか叫んだ。
島に上陸という言葉か何を指すのか。
それは全員がわかっていた。
あの最後の謎に挑むということは、それすなわち死と同様の意味を持つと。
2: 須川 健さん@漆原スレッド
2059/05/18(水)14:29:09 ID ksh3b7d
いやいやさすがにこれは嘘でしょ。
3: 林 咲さん@漆原スレッド
2059/05/18(水)14:29:15 ID ho32hsi
なんで!?愛ちゃんちょっと過激派すぎない!?
4: 安濃 嵐さん@漆原スレッド
2059/05/18(水)14:29:17 ID rud08jkj
泣き顔かわいすぎ
5: 佐野 皇帝さん@漆原スレッド
2059/05/18(水)14:29:32 ID bzb281a
愛たんが島に上陸するならぼきも上陸して愛たんをお守りしなくては!
6: 山田 楽園さん@漆原スレッド
2059/05/18(水)14:29:35 ID nsj55dfg
危ないから絶対やめたほうがいい。
そんなスレッドに対してレスはどんどんついていったらしく、三時間が過ぎた今はスレッド番号も10を超えていた。
『え、なんか最初のスレッドの五番目に大和様いませんでした?』
「僕じゃないよ失礼な」
失礼なのはどっちなのだろうか。
それから大和はもう一度動画を見る。
から、何番目かのスレッドを適当に見る。
それを何度か繰り返していく。
「か、かわいい……。尊すぎるよ愛たん」
『やっぱりあの五番目大和様ですよね』
「ばかめ、顔画像をよく見てみなよ。僕じゃないだろうに」
『そういう話をしているのではないのですが』
人工知能に呆れられつつも大和は考えているようだ。
いくらスキャンダルを疑われたからといって、島に上陸することはあまりに早計で行き過ぎた反省ではないだろうかと。
そもそも事務所がそんなことを許すはずもないし、彼女の独断なのでは?と口に出す。
スレッドにいる人たちも同じことを考えているようで、レスには心配の声が圧倒的に多かった。
「島に向かうということは、もう無事では帰って来れないということだからね。
最近人が入ったのはいつだっけ?
それくらい希少な出来事なのに、それをあの愛たんがやるって言うんだから盛り上がるはずだよ」
『ここ最近、人が上陸したのは3日と1時間2分34秒前になりますね』
「え!?そんな最近人が入っていたの?
ニュースにもならなかったけど、どうしてだ?」
『人工知能の私でもそれ以上の情報は得られないようです。
おそらく《《大元》》から情報が遮断られているのでしょう』
つまりは政府御用達の方でも上陸したのでしょう。とASは淡々と答える。
それはそうと、と、ASは言う。
『先程からお母様からのメールがたくさん届いていますよ』
その言葉に大和はドキッと肩が上がる。
おそるおそる左下で点滅していた手紙のマークに触れる。
恐ろしいことに24通ものメールが来ていた。
『大和、ご飯だよ』
『はやく来ないと冷めちゃうよ?』
『まだ?』
『なにしてるの?』
『はやくきてー』
『はやく』
『おい』
『大和』
『^^』
何通か見て、最後の記号二つを見て大和はベッドから勢いよく起き上がる。
その瞬間モニターは消え、大和は叫ぶ。
「ASのあほ!気づいてたんならもっと早く言ってよ!!!」
ドタドタと走り、大和は階段を駆け下りていく。
「ご、ごめんお母さん! ちょっと夢中になってて! 決して無視してたわけじゃないよ!」
大和が階段を降りると白い大きめのテーブルには、もうすでに料理が並んでいて、母親は席についていた。
「うんうん、別にいいんだよ。夢中になれることがあるのは結構なことだし。いいよいいよ。許すよ」
そういう母親の顔は笑っていなかった。
大和は背中に冷や汗が出るのを感じながらも、母親が座っているイスと反対側のイスに座る。
「まぁまぁ、どうせ大和のことだろうから10ちゃんねるでも見てたんでしょう?
漆原 愛ちゃんのスレッドとか」
いつも勘の良い母親は大和の心を読んだように、会話をし始める。
黙っている大和を見て、確信し母親は続ける。
「そんな母親にビビることないよ大和。
私もね、それだけ話題になっていたら目につくって話よ」
ニュースにもなっているということは、それほど盛り上がっている証。
つまりそれぞれがそれぞれをリンクしているため、普段10ちゃんねるを見ないよう人間でも目につくようだった。
「母さんはどう思う? 他人事ではないウチとしては」
「そうだねー。あんな所に近づくのはもの好きか、冒険家か、専門家か。
なんにしても反省と言えどやり過ぎではあるし、褒められたことではないね」
さ、とりあえず冷めきる前に私の愛のある料理をいただくとしましょうか。
そう言って母親は手と手を合わせていただきますをする。
それに習うように大和も手を合わせた。
「大和はもちろん漆原 愛ちゃんの特段ファンではないけど、気になるわよね。
上陸ってことになると」
「……そうだね」
大和がチラリと横目に見るのは写真立て。
この時代には珍しい紙媒体の写真。
そこに写っているのは、大和の中学の卒業式の帰りに撮った家族写真。
並んでいるのは母親と大和、そして姉と父親。
一年前。
科学者である父親とその助手として姉が、島へと上陸した。
母親と大和は反対した。
しかし、父親は名誉なことだと言い、その反対を押し切り上陸することを決めた。
姉も科学者の卵だった。
父親だけで行かせるわけにはいかないと、彼女も同様に反対を押し切り上陸した。
それから一年以上経った今でも、二人からの連絡はない。
島の中に電波はない。
つまりこの一年、連絡を取ることは叶わない。
きっとこれからも。
「でも、あれは二人が望んで行ったんだよ。
だからもういいんだよお母さん。
それにもしかしたら、あの二人のこと、ひょこっと帰ってくるかもしれないしね」
五臓六腑、五体満足ではないだろうけど、と、大和は思う。
「しんみりしちゃったね。愛ちゃんの話はもうやめておきましょう。あくまでも他人事。
私たちには関係ないのよ」
それはさておき、と母親は言い、
「大和、あなたカツアゲされたんだって?
ASが言ってたわよ」
「…………」
まーた余計なことを言う……。と大和は右腕のMMSを睨んだ。
「だ、大丈夫だよお母さん。
今回は僕が頑張って払うから」
そこまで言って、あっ、と大和は顔をしかめた。
時すでに遅し、ギロりと母親は大和に睨みを効かせていた。
「なに?今回は、ってことは前回があったの?
あ、わかった。この前、珍しくお金貸してなんて言ってたのはそれね?
あんた舐められすぎじゃない? まずその前髪切りなさいよ。
そうやって顔を隠してるから舐められるのよ。
さぁ、今すぐ切りにいきましょう。今すぐよ」
ものすごい早口で喋り、食べていた料理そっちのけで立ち上がる母親。
大和はあまりの行動の速さに慌てふためき、
「ま、待って!待ってくださいお母さん!
今からはやめておきましょう!行くから!ちゃんと行くから待って!」
ドードーとあやす大和。
いつものことのようで、慣れた手つきで母親を停止させる大和。
それから息を吐き、いつも言っているでしょう?と、母親は言う。
「"手と手を合わせて、目を瞑って深呼吸"」
言葉に合わせて動く。
「こうやって落ち着いて周りを見るのよ。
カツアゲされてビビってちゃ反撃も出来ないでしょうに」
「それはそうだけど……そんな余裕、僕は持ち合わせていないよ」
それに、そんな願掛けみたいなもの、時代遅れなんじゃないのかな。と、大和は言う。
「時代、時代ねー。私はこの文明の利器ゴリ押しの今はあんまり好きじゃないなー。
何もかも自動になって、買い物だってスーパーはあるけど、別に行かなくてもボタン一つで届いちゃう。
私が子供の頃にはスーパーにはレジなんて物があったんだよ」
なんて、おばさん臭いこと言ってないではやく食べちゃいましょ。と母親は言う。
「あ、カツアゲの件については絶対にお金はもう渡しちゃだめよ」
「……わかったよ」
それから大和と母親は料理を食べ終え、ごちそうさまをしてから大和は、すぐにモニターを開き、再びニュースを確認しながら自室へと帰ろうと階段に足をかける。
────そこで驚愕する。
『速報!速報!約一年前に島へと上陸した、科学者の藍沢 重徳氏が島から脱出した様子!』
その文字を見た瞬間に、パリンと皿が割れるような音が先程までいたキッチンの方から聞こえた。
ダッと大和は踵を返し、母親の元へと向かう。
─────────病院─────────
「はぁ……はぁ……」
大和と母親は走ってはいけない病院内を走っていた。
あのニュースを見て、二人は急いで病院へと向かっていた。
速報が流れた頃にちょうど母親のMMSへと連絡が届き、国立の病院へと父親が搬送されることを知った。
瞬間に、二人は走り出していた。
車へと乗り込み、目的地を車に伝えると自動で走り出す。
その一連の流れは今での人生の中で、一番早かったのではないだろうか。
それから一時間もすると病院へ到着する。
母親はすぐさま病院の中へ入り、受付へと急ぐ。
自分のIDを受付の人間へと転送し、確認をとる。部屋番号を聞いて、二人は走り出した。
後ろから走らないでくださいの声は聞こえていたが、それどころではなかった。
部屋の前に到着し、ドアの横についている小さなモニターに母親はMMSを近づける。
すると認証されました。という声と共にドアが開く。
「あなた!」
「お父さん!」
慌ただしく部屋に入ると、ピッピッと音と同じように波打つ心音や体温が映し出されたモニターがあった。
その傍らにはカプセルのような物にいれられている父親の姿がある。
目に包帯がグルッと巻かれていたり、ほかにも傷があるのか、ガーゼが貼ってあったり、所々痣になっていたりして、とても痛々しい姿だ。
「あなた! 無事なの!? 私のことわかる!?」
心音があって、生きているのは分かる。
しかし、その痛々しい姿に母親は焦り、必死に声をかける。
そこに後から担当の医師が駆けつけたようで、ドアが開いた。
「奥さん、落ち着いてください。
重徳さんはひどい傷ですが命に別状はありません」
「落ち着いています!
生きているのも分かっています!
でも、でも! ずっと連絡がなかったんですよ!
それで……それでこんな姿見たら……!」
落ち着いているという言葉とは裏腹に、母親の目には涙が溜まっていく。
「重徳さんは転送ではなく、脱出です。
なので、お分かり頂けるとは思いますが一部を失っています」
「お父さんは……どこを失ったんですか?」
大和は肩を落とし、無気力に言う。
父親のことを見つめながら。
震えた声で大和は質問した。
「重徳さんは視力……いえ、これでは語弊があります。
眼球ごと失っています」
二人は言葉を失った。
重徳の目には包帯が巻かれていた。
眼球ごと……つまり、もう目が見えることは、ない。
「視力を失っているだけなら、今の医術で治すことは可能ではありました。
しかしながら、眼球ごととなるとまた目が見えるようになるのは、厳しいと思います」
それを聞いた母親はその場で崩れ落ち、カプセルにもたれ掛かる。
大和もグッと手に力を入れて、握りこぶしを作る。
二人の目には涙が溢れていく。
そんな二人に何かを感じたのか、カプセルを通してか細い声が聞こえた。
『沙奈、大和、そこにいるのか』
「! あなた!?」
「お父さん!?」
『二人とも……悪かったな。一年以上も待たせて……。
その様子だと、俺の身体、大変なことになっているみたいだな……。
でも聞いてほしい……。茉奈のことだ』
喋りづらそうに、少しずつ父親は言う。
身体が痛むのか、時々うめき声を上げながら話している。
「……そうだ!お姉ちゃんは!お姉ちゃんはどうなったの!?まさか……!」
茉奈という名前に反応し、大和は思わず声を荒らげる。
唯一の姉。自分が小さい頃から慕ってきた姉。
父親と共に上陸してしまった姉。
父親が帰ってきたということは、姉ももしかしてと、大和は考えているようだった。
『すまない……。茉奈は、茉奈は脱出出来ていないんだ……。まだあそこにあいつは一人で……。
二人で脱出しようとしていたんだ……。
でもあいつらが現れた……。
……俺は茉奈に、茉奈に生かされた。
俺が守らなきゃいけなかった、いけなかったのに』
重徳は震えていた。
眼球を失って流すことの出来ない涙が、出ているように思えた。
それほどに、悔しい思いをしたのか。
大和の隣では重徳の言葉を聞き、さらに沙奈は涙を流していた。
震える重徳を見て、大和も泣きながらに聞く。
「お父さん、お姉ちゃんは無事なの?」
『……分からない。俺はあいつの超能力で逃がされた。それからどうなったかは……』
超能力。
島でのみ発現するいう力。
大和は現実にソレがあるということを再認識したようで、肩に力が入る。
「もう、嫌ね。
なにが島、なにが科学者……。
反対したのに……どうして……」
『本当にすまなかった……。
今更言っても無駄なことは分かっている……。
しかし、あの時、俺は脅されていた。
行かなければ、お前たちが危険だったんだ……。
だから、行かなくてはいけなかった……。
茉奈を置いて一人で行くはずだった。
でもあいつは気づいてたんだ。
脅されていることに、それをあいつは良しとするはずがなく、無理矢理俺に着いてきた。
一人にしてたまるかって……』
「脅されたって……どういうこと?」
大和は言う。
危険というのはどういうことなのか。
どうして脅されていたのか。
『あの時、俺は科学者として島に上陸しろと国から命令を受けた。
俺はもちろん断った。
上陸するっていうことは、ほぼ死を意味することは分かっていたからな……。
しかし、その後すぐに言われたよ。
家族がどうなってもいいのかって。
俺はすぐに察したよ。そういうことかと』
重徳はまた震えていた。
今度は悲しみではなく、怒りに。
『進化とは犠牲の上に成り立つ。
馬鹿げた思想だ……。
でも抗うことは出来なかったよ。
家族のために自分が犠牲になることは、全然構わなかったさ』
「……許せない……。
どうしてあなたが、そんなことに巻き込まれなきゃいけないのよ……」
「そうだよ……。何もお父さんじゃなくても」
じゃなくても、良かったじゃないか。大和は思う。
しかし、それはすなわち、ほかの人間が犠牲になるということ。
そんなことは大和は分かりきっていた。
だが、それでも大和は自分の父親と姉が、こんなことになるのは嫌だった。
『……いや、これは定期的に行われているものらしい……。
あの不可解な島は、国にとってはこれ以上ない研究材料だ。
あきらかに、今の科学力を超えている……あの島は……。
俺の前に上陸した科学者たちは、みな転送されていたよ……』
転送。
脱出とは意味の異なるものだ。
脱出は自分の意思で、島の外へと出るということ。一部を失うが、運が良ければ生きて抜けることも不可能ではないそれ。
しかし、転送。
それは死を意味していた。
あの島の中で死んだ者は、外へと転送される。
天然樹木に囲まれたあの島は、あきらかにこの時代の科学力を超えて存在していた。
「そんなことあっていいわけがない……。
お姉ちゃんは……お姉ちゃんだって!」
大和は再び激昴する。
科学力向上のために人が犠牲になるなんて、そんなことあっていいわけがない、と。
それから重徳は黙り、沙奈は涙をためる。
医師はその様子を少し見守ったあと、重徳さんを診察させてくださいと言った。
大和はそれを見て、ごめんと言い病院を出る。
『大和様』
「……どうしたのAS」
見計らったようにASが大和に声をかける。
人間が声をかけなくとも、人工知能は自らの意思で起動することが出来る。
それが少し邪魔だと大和は思ったようで、訝しげな顔をした。
『重徳様が帰ってきたことは、私としてはとても喜ばしいことです。
なのにどうして大和様はそんな顔をしているのですか?』
「……ASには、人工知能にはきっと分からないだろうね……」
我ながらなんて八つ当たりをしているんだろうと、大和は思っているようだった。
人工知能には人間のような感情はない。
あるように見えるのは、人間が作ったから故に、そう見えるよう作られているだけなのだ。
『大和様の気持ちはとても分かります。
茉奈様が無事かどうか、分からずに不安なのでしょう。
しかし、重徳様が帰ってきたことに対しては喜ぶべきだと思いま──』
「AS! もう黙っててよ! 分かったようなフリしないでよ!
君にはきっとこの気持ちは理解できないよ!
人間みたいに振る舞うのはやめて!」
大和はASの言葉を最後まで聞かずに、叫んで、MMSの電源を落とす。
人工知能に怒鳴りつけるなんて、なんて僕らしくないんだ……。と大和は呟く。
着いた時には少し人のいた病院の待合室。
今はもう誰もいなくなっていた。
そんな暗い、自販機の光だけに照らされた待合室で、大和は一人で考えるような表情をする。
「そもそも、僕らしくってなんだよ……。
ただ黙って俯いてるのが僕らしくなの……」
グッと身体に力が入っていくのが握られた拳で分かった。
大和は普段、学校では過激ではないものの、上級生の人間からいつも絡まれている。
カツアゲされようとも、パシリにされようと、彼は黙って従っている。
反撃なんかしない。
自分には力がない。故に反抗なんかしない。
それが彼らしさらしい。
しかし、そんな自分に今、大和は嫌気がさしているようで、表情は曇っている。
自分に力があったら、姉は。
自分に少しの勇気があれば……。
そう呟いた大和の前に、彼女は突然現れる。
「そうだよ、こっちの大和。
君は強いよ。大丈夫」
声の主に反応するように大和は振り返る。
コッコッと足音のする方を見ると、腰まである、絹のように綺麗なピンク色の髪を靡かせている、学生だろうか。
赤いブレザーに、紺のチェックのスカート。
少し小柄で、しかし堂々と歩く少女。
自販機に照らされたその顔は見えづらいが、まだ子供らしい顔が抜けきっていないように見える。
「君は一体──」
「さあ、反撃の狼煙はもう上がったよ」
彼女がそう言い、自販機の小さな明かりに照らされながらニコっと笑うと、大和の右腕のMMSが大きく光る。
大和は驚き、左腕で目を隠す。
片目を開け、周りを見ようとするがあまりの光に状況が掴めていないようだ。
「な、なにが起こってるの!?
君は誰!!! なんで僕の名前を!?」
「大丈夫。
こういう時はこれでしょ?
いつもそうやって私を助けてくれた。
"手と手を合わせて、目を瞑って深呼吸"
それにこの勇気、あなたに返すよ」
彼女はいつの間にか大和の隣にいて、耳元でそう言うと、目の前から消えた。
あの言葉は、大和の母親、沙奈が小さい頃から教えてくれた言葉だ。
大和にはいつもあまり信じていない、願掛けのようなものだと感じているかもしれない。
けれど、彼女は心底その言葉を信じて言っているような様子だった。
まるで魔法のような、そんな言葉と。
彼女が消えるとMMSの光も徐々に弱まっていく。
大和はやっと目が開けられたようで、周りを確認するようにキョロキョロと顔を動かす。
「いない……」
あまりに不思議な体験に大和は目を丸くし、キョトンとしている。
「一瞬で消えた……ホログラム……なのかな。それにしては足音や声があまりに鮮明だった。
それにしても、どうして電源を切ったはずのMMSが光ったんだろう」
大和はASに確認しようとするが、先程のことを少々気にしているのか、少し悩む素振りをする。
しかし、ええい、とその思いを振り切ったように大和はASと声をかける。
『はい、なんでしょう』
大和が悩んだのは杞憂だったようで、ASは全然気にしていなかったようで、いつもの淡々とした口調で返事をする。
そもそも人工知能なので、そんなことを気にするはずもないのだろうか。
「AS、君がMMSの電源を入れたの?
……いや、いくら優れた人工知能だとしても、電源を切られていちゃどうしようもないか」
『優れているだなんて、そんなそんな。
大和様のおっしゃる通り、私はなにもしていません』
「人のMMSを勝手に起動させることって出来るんだろうか?」
大和は疑問に思い、腕を組んでうーんと唸る。
「それよりも、僕のことを知っていた風だった……。
僕にはあんな可愛らしい子、知り合いにはいないはず。
AS、人の名前とか顔とかって何かしらの方法で分かることってあるの?」
『そうですね、個人情報保護の観点から見るに、そのようなことは出来ない仕組みにはなっています。
流出しない限り、個人が個人を特定することはほぼ不可能だと思われます』
そっか、と大和は言う。
『それにしても大和様、何があったかはよく分かりませんが意外に冷静なのですね。
いつもの大和様ならもっと驚いて、立てなくなって、震えてそうなものですが』
ASは淡々と大和を馬鹿にするように話す。
大和はカチンと来たのか、少し怒ったような口調で、
「僕もそれは思うよ。
何故だか不思議と、冷静なんだ今。
どうしてだろうね。
あの子に声をかけられてから、少しだけ勇気が湧いてきてる気がするんだ」
大和自身もあまりに冷静な自分のことを、不思議に感じているようで、身体がおかしくなったのかと手をグーとパーを繰り返す。
しかし、特段変わったことはなかったようで、大和はそろそろ病室に帰ろうかと言い、
「反撃の狼煙……か」
とも呟いた。
その頃、医師からの診察を受けていた重徳。
診察と言っても、今は全て機械がしてくれるようで、カプセルは開けられ、その代わりにヘルメットを被らされていた。
それで大体の体内状況が分かるらしく、体温、心音、内蔵の動き、それらがカプセル横のモニターに映し出されていく。
「やはり現状、眼球以外に大きな怪我や病気は見当たりませんね」
「そうですか……」
医師の診断に沙奈は力なく答える。
重徳は帰ってきた。
しかし、決して無事とは言い難い。
人間にとっての目とは何よりも大事なものだ。
沙奈はどうしても、力が抜けていく様子だった。
『沙奈……。本当にすまなかった。
茉奈のこと……助けてやれなかった……。
大和も俺のこと恨んでいるだろうな』
「私は……私はこの世界が嫌いになりそう。
私の大事なものを奪っていくの。
どうして、この世の中が便利になるために人が苦しまなきゃいけないの」
沙奈の声には依然として力はない。
国を、世界を許せなかった。
自分の夫と娘を犠牲にした。
『頼むから変な気は起こさないでくれ……。
お前は本当に強い。からこそ、許せないことがあるとすぐに行動してくれる……。
でも俺は……失いたくない。誰一人として』
重徳は沙奈が何かするのではないのかと、危惧したのか、懇願する。
沙奈はもしかすると茉奈を探しに行くのではと、考えたのかもしれない。
「……分かってるよ。無茶はしない。
あなたが今ここにいる。それに、大和だっている……」
だから無茶はしない。と沙奈は言う。
しかしその言葉とは裏腹に、何もしない自分が憎いのか、掌に爪痕がつくかと思うほどにギュッと力を入れている。
『そう言ってくれるだけで、俺は安心できるよ。
俺はもう、目が見えない。
俺はお前たちを見守ってやることは出来ない……。
それがただただ、悔しい。
だからせめて、近くにはいてくれ……』
沙奈は黙った。
ピッピッという機械音だけが病室に鳴り響く。
医師は察するように、診断は一旦終わりにして、続きは明日にしましょうと病室を出ようとする。
そこにドアが開閉する音が追加される。
大和が帰ってきたようで、医師とすれ違うよに病院に入ってくる。
「おかえり、大和」
「うん。ただいま」
よいしょと大和は、沙奈が座っているイスの横のイスに並んで座る。
『大和……。改めてすまなかった。
……茉奈を──』
「お父さん」
大和は重徳の言葉を遮る。
先程までとは違う、強い意志をした目をしていた。
「お父さん、もう謝らないでよ。
お父さんが帰ってきただけでも、僕は嬉しいんだよ。
だから謝らないで。
僕が──僕がお姉ちゃんを助けるよ」
隣に座っている沙奈は、ハッとし、大和を見る。
目を見開き、大和を見る。
「待って大和。それってどういうこと?
あなた何を言って」
『大和……。気持ちは分かる。
それはこういうことだろう?
島に……あそこに上陸しようってことだろう?』
沙奈は焦るような口調で、重徳は落ち着いた口調で、確認するように大和に言う。
「そうだよ。僕はお姉ちゃんを助けたいんだ」
迷うことを知らない、そんな目を大和はしていた。
彼の中に、何か変化があったようだった。
「お父さん、お母さん、反撃したいんだ。
この世界に、あの島に、今までよくもやってくれたなって。
大丈夫。僕はきっと帰ってきてみせる」
大和は沙奈の手を握る。
大丈夫。大丈夫。と、告げるように。
そして説得するように。
「私はやだよ、大和。
急にどうして? 私はもう誰も──」
『わかった、大和』
沙奈の言葉を遮り、重徳は言う。
まさかの言葉だったのだろう、沙奈は驚きの表情を隠せずに、叫ぶ。
「あなた!? なんでそんなこと言えるの!?
あなたはそんな目に合って、茉奈は帰ってこない!
そんな所にどうしてあなたは行ってもいいって、しなことを言えるの!?」
沙奈の言葉に間違いはない。
重徳は目を失い、茉奈は今も尚、島の中。
そんな状況でどうして。
『沙奈。俺は目が見えない。大和の姿は見えていない。
でもな、分かるんだよ。こいつが生半可な気持ちで言っていない。覚悟を決めてるって。
きっと今の大和の目には迷いなんて……』
重徳は確実に何かを感じていた。
大和の中の変化を、何かを起こしてくれると。
もしかすると、目が見えないからこそ、感じる何かがあるのかもしれないのかもしれない。
『それに、反対を押し切ってまでそこに行った俺だ、何も言えない』
「なんで……ならあなたはなんのために、島を脱出したの……! また私たちと会いたかったからじゃないの!? あんな危険なところ、自分の子供に行かせるなんて!」
沙奈はまた泣き崩れる。
今日は何度泣いただろう。
絶望、そして絶望。
それなのに、どうしてまたそれを与えるのだろうと、沙奈の表情はショックを隠せていなかった。
「"手と手を合わせて、目を瞑って深呼吸"
僕はね、お母さん。必ず帰ってくるよ。
お姉ちゃんと一緒に。
またお母さんとお父さんとお姉ちゃんと、また幸せに暮らすために」
大和は言う。
ニッと大和は笑った。
「大和、あなた一体……」
沙奈は大和の変化に泣きながらに驚き、言葉を失った。
沙奈はここ数年、大和が笑ったことをほぼ見たことがなかった。
それなのに、今日、こんな絶望の日に。
彼は笑っている。
昨日の今日まで弱気だった彼が。
そんな大和に沙奈は諦めたようで、
「……わかった。大和、必ず、必ず茉奈を連れて帰ってきて。お願い。必ず帰ってきて」
「ありがとうお母さん。その前に、僕は僕なりにケジメをつけようと思うんだ。
今日、あの子がしたように。僕も高々と宣言するんだ」
大和は立った。
曇1つない目で立ち上がる。
行ってきます。と、大和は言い、歩き出す。
こんな夜にどこに、と沙奈は言いかけたがやめた。
代わりに、
「行ってらっしゃい」
と、背中を押した。
「あの子、急に変わった。
病室を出て何があったのかしら……」
『分からない。でもあいつの言葉。
どうしてあんなにも力があったんだろうな。
正直、島に行くと言った瞬間、俺は馬鹿なことを言うなと思ったよ。
でも何も言えなかった』
「私も……あの笑顔に何も言えなかった。
まるで魔法……まるで超能力みたい」
紗奈は皮肉にそう言った。
『……そうだ! 沙奈。
お前にどうしても頼みがあるんだ。
俺と茉奈が脱出を試みようとした理由を……。
アイツに話さなきゃならん。
あの島について──』
重徳は超能力という言葉で思い出したようだった。
――――――――――――――――
大和は病院近くの公園に来ていた。
もちろん、こんな夜に人は一人としていなかった。
そんな公園にある人物を呼び出す。
そして、今大和の目の前に彼らがいた。
「おう、大和。お前にしては金、早かったな?
どうした? 悪いことでもしたか?」
ニィと剛は笑った。
大和が呼び出していたのは剛と光。
大和のことをカツアゲし、パシリとして使っていた
二人。
いつも大和がビクビクと、二人を見ていた。
しかし、大和は少しも萎縮することもなく、ただ二人を見つめている。
「大和ちゃん、黙っちゃってどうしたの?
そんなに怖がることないよー」
ニヤニヤといつものように嘲笑する光。
相手をバカにし、面白がっている目。
いやらしく、汚い目をしている。
「……僕は、僕は今日、先輩たちに言いに来たんです
」
「うんうん、何をだい?」
「僕はもう、先輩たちの言いなりにはならない。
そして僕は──島に上陸するって」
大和がそう言うと、二人は顔を見合わせ、盛大に笑った。
「ぷっ、あはははは! 大和ちゃん! 頭でも打った?
それとも、精神的におかしくなっちゃったあ?」
「大和よぉ? そんな冗談で笑わせても俺たちは笑わねぇぜ?」
と、言いつつも剛は爆笑する。
嘲り、大和を心底バカにする。
大和もそれを見て、フッと笑い、
「先輩たち、冗談でもなんでもないですよ。
僕は反撃します。先輩たちにも、この世界にも」
「この世界ぃ? あはは! 大和ちゃん、僕はね、入学当時に君を見てね、あまりにビクビクしているその姿がおもしろくて、おもしろくてね。仕方がなかったんだよ。
いやー、ほんと、それよりも君は今、おもしろいよ」
光のいやらしい笑みではなく、本当におかしいようで笑っている。
おかしくておかしくてたまらない。
お腹を抱えている。
「ほんとに、本当に、おかしいよ君」
笑っていた顔が一瞬にして凄む。
笑っていたのが遠い昔のように、怒りの表情へと光は変える。
「ありえないこと言ってんじゃないよ、大和ちゃん。
あんまり舐めたこと言ってると、本当にヤッちゃうよ? 君」
「先輩、どうしてそんなにも僕のこと、嫌うんですか?」
周りから見たら畏怖を含んだ光に、物怖じせずに大和は質問する。
長い前髪から睨みつけるようにしながら。
「その顔が!ムカつくんだよ! そんな弱気なくせに、どうしてそんな顔でいつもこっちを見るんだ!
最初に声をかけた時も君はそうだったよ!
ビクビクしているくせに、いつかやり返してくるような顔で見ている君の顔が大嫌いなんだよ! 」
顔を歪ませ、声を荒らげる。
剛も光のそんな姿を初めて見たのか、一本後ろに下がって、顔を引き攣らせる。
今にも人を殺すようなその表情に。
「先輩、僕は島に上陸します。
だから、もう先輩とは会うことは滅多になくなります。なので安心してください。
僕のこんな顔、もう見なくて済みますよ」
大和は煽った。
自分の出来る限りの、皮肉たっぷりの言葉で。
スっと光は怒りの表情から一変。
そっか、と呟いた。
それからいつもの笑みで。
「大和ちゃん、わかったよ。
それじゃ、せいぜい死んでらっしゃい」
そう言って、踵を返す。
剛はひ、光!?と驚いた様子でその後を付いて行く。
大和はそれを無言で見送っている。
「くそが!くそが!」
大和から少し離れ、見えなくなった辺りで光は怒鳴った。
大和の皮肉たっぷりの言葉は、かなり効いていたようで、光の顔は歪みきっていた。
「なんで僕を!コケにするんだ! あんな弱い生物が! おい剛!」
「は、はい!」
呼び捨てにされたことに驚いたのか、剛の身体が強張る。
「僕達も行くよ。島」
「は、はぁ!? 嘘だろ光! 俺はごめんだぜ!?」
ガッとそう言った剛の胸ぐらを掴む。
華奢でありながら一回りも違いそうなその身長差をものともせずに、光は圧倒する。
そしてポケットからサバイバルナイフを取り出した。
「なら、君が代わりに死ぬ?
知ってる? 島ってね、法律のない島なんだよ?」
ニヤリと笑いながらペタペタと剛の頬をナイフで叩く。
剛の額には冷や汗が滲み出ているのがわかった。
「僕は、このサバイバルナイフが大好きなんだ。
科学力が発達したせいでこういうのものって減ってるよね。
もったいないよねー。こんな良いものを」
剛から離れ、慣れた手つきでサバイバルナイフを振り回す。
天然樹木がなくなり、キャンプ場などもほぼ人工で出来上がった施設で行う。
そんな中でサバイバルナイフなどというものは、淘汰されていった。
しかし、ここまで扱いになれているということは、光は普段からこれを使っているのかもしれない。
「これを使って必ずあの子を殺すよ」
舌を使ってナイフを舐める。
その姿に剛は恐怖で体中から冷や汗が出るのを感じていた。
『大和様』
光たちが公園を出てすぐに、MMSか光ってモニターが出現し、ASが大和に声をかけた。
『よく逃げずに言えましたね、褒めてあげましょうか?』
「冗談はよしてよAS……。僕はね、逃げずにはいたけどさすがに怖すぎて、今も少し震えているよ」
ちょっと座ろ……と、大和は言い、少し歩いてベンチに腰掛けた。
『ところで大和様』
「どうしたのAS」
話を変え、ASはモニターを二つ出現させる。
大和はモニターを見る。
『いえ、大したことではないのですが、これをご覧になってください』
ASは大和が見ているモニターに、少し前に10ちゃんねるで立てられた、スレッドを映し出した。
《漆原 愛ちゃんが島に上陸するらしいので、僕も続きます》
なんていう、普段ならスルーするような、そんな冗談めいたスレッドだ。
しかし、もう一つのモニターを見ると、たくさんの数の同じようなスレッドが立っていた。
『本当かどうか定かではありませんが、もしこれが本当だったのなら、島に上陸、出来ないかもしれません』
島に上陸出来るのは100人まで。
謎の壁に阻まれ、人数が減るまでは入れない。
ネットでの適当な発言ではないのなら、上陸が出来ない可能性が出てくる。
「今って公式発表では何人になってる?」
『約ではありますが、67名ほどだそうです。
先程仰ったように、公式に発表された人数だとしたらですが』
67か……と大和は呟く。
100人までという制限。
もし入れなければ、少しの間島に上陸は叶わない。
そうなると大和は茉奈を、すぐに助けに行くことは出来ない。
「ということは、今日にでも出発した方が良さそう、ってことになるね」
『ですが、それはあのスレッドの情報が本当ならばの話で、そんなに急がなくてもいいのでは──』
「行くよAS。心の準備は出来ているよ」
大和は立ち上がる。
そして夜空を見上げた。
それから風を感じるように目を瞑る。
「島には電波がないらしいからね。
ASとも今日でお別れになるのかな」
『そうですね。残念ですが、私は人工知能ですので、電波のないところでは役には立ちません。私は日本の中心、管理塔である通称アイランドタワーからの通信によって』
ASが長々と説明するような気配を察し、大和は制する。
そういうことじゃないんだよ、そういうことじゃ、と、大和は呆れるように言う。
「君は僕にとって、友達だ。
ムカつく時もあるけど、そんな感情なんて君にはないんだろうけど、それでも親友だ」
『親友と呼べるのが人工知能とは。
大和様も本当にかわいそうな方ですね』
ASはいつものように無感情に言う。
しかし、どことなく嬉しそうにASは言っているようだと感じたのか、いつものようなやり取りが嬉しかったのか、大和はフッ笑い。
「ありがとう、AS」
と、言ったのだった。