09
お茶づけ専門店を後にした二人は、夕方の街を歩いていた。
「ヒメモス、どっか行きたい所はあるか? それか欲しいものはあるか?」
ヒメモスは唸りながら考え始めた。ややあって顔を上げる。
「ノボルの家で観たあれ、あれを観たい」
「……ああ、映画のことか。まぁ家でも観れるが、映画館に行ってみるのもいいか」
ノボルは決断すると映画館に向かい始めた。ノボルは歩きながらヒメモスに説明した。
「ヒメモス、家で観たあれはな、映画と言って色んな種類があるんだぞ」
「へぇ……」
「これから観に行くのは内容は違うが同じ映画という括りなんだ」
「……わかった」
ヒメモスがどこまで理解したかはわからなかったが、ノボルは説明を切り上げた。
二人は映画館に着くと、真ん中の良い席のチケットを購入した。観る映画は、今流行の海外の恋愛映画の字幕版だった。それがヒメモスに良い思い出を与えるかどうかは疑問だったが、それ以外に適当なものがなかったのだった。
二人はシアタールームに入ると真ん中の席に座った。ノボルはスクリーンを指さしてヒメモスに言う。
「あそこに映画が映るんだよ」
「おっきい……」
ヒメモスはわくわくする心を抑えきれなかった。薄暗い部屋も興奮を増す要因だった。
他の客もぱらぱらと入ってくる。この時間帯は空いているようだった。
数分経って映画開始のブザーが鳴った。部屋は暗みを増した。
ノボルがヒメモスに話しかける。
「映画がやっている間は静かにしているんだよ」
ヒメモスはこくりと頷いた。
映画が終わり二人は、映画館内にある喫茶店で一休みしていた。ノボルは映画に関しては何の感銘も受けなかった。それは好みの問題だったかもしれない。
ヒメモスは何か思う所があったらしく、先ほどから目を瞑っては、映画の情景を思い浮かべているようだった。
ふと、ヒメモスが顔を上げてノボルに尋ねた。
「好きって、どういう気持ち?」
ノボルは飲んでいたコーヒーを少し吹いた。流行の恋愛映画を見せたことを後悔した。
ノボルはなんと説明していいかわからず、まごついた。正直、答えるのが面倒だった。
「まぁ、なんというか……俺には言葉に出来ないな。そのうちヒメモスにもわかる時がくると思うから今は気にするな」
ノボルはお茶を濁した。ヒメモスは不満気だったが、それ以上は何も聞かなかった。
ヒメモスはコーヒーをひとすすりした。
「うえぇ……苦い……」
ノボルは声を上げて笑った。
その後、二人はレンタルショップで映画のDVDを借りるとアパートへと帰っていった。
アパートに着いたヒメモスは真っ先に読書を始めた。ベッドの横には文庫本の山が出来ている。ヒメモスの表情はとても楽しそうだった。
ノボルは財布とスマートフォンをテーブルの上に投げ出した。ノボルはDVDプレイヤーに借りてきた映画を入れると、ソファに身体を投げ出して一息ついた。リモコンの再生ボタンを押す。再生されたのは昔の西部劇だった。
ノボルは黙って映画を観ている。ヒメモスも黙って本を読んでいる。心地よい沈黙だった。ノボルは段々と意識が遠のいていくのを感じた。
ヴーッヴーッ!
出し抜けに、ノボルのスマートフォンのバイブレーションが鳴り響いた。
ノボルの眠けは一気に吹き飛んだ。慌ててスマートフォンを手にする。ヒメモスは不安気な表情でノボルの様子を見つめている。
ノボルは発信者を確認した。そこには〈三浦マコト〉と表示されていた。
ノボルは逡巡してから、スマートフォンの通話ボタンを押した。相手が先に話すのを待った。
「……」
「もしもし、ノボルか?」
「……ああ」
「もう何も言わずともわかってるな?」
「ああ」
「俺の要件は一つ、明日二人で会えないか? それだけだ。会社は関係無い。それは約束する、どうだ?」
「……わかった」
「それじゃあ、明日の昼にいつもの喫茶店で。じゃあな」
「ああ、わかった」
ノボルは電話を切った。その後もスマートフォンを手に、睨み付けている。
ヒメモスが心配そうにノボルを見つめる。
「あ、ああ、なんでもないよ気にするな。ほら、本でも読んでなさい」
「……うん」
ヒメモスは頷くと、再び本を読み始めた。ベッドの上で足をぱたぱたさせながら、機嫌も戻ったようだ。
ノボルは険しい顔になり、一人考えを巡らせた。
――マコトは一人で来いと言った。だからといってヒメモスを一人この部屋に置いて行くのは危険だ。連れ去られる可能性がある……。やはり連れていくか? 会社は関係無いと言っていた。きっとマコトは偽りなく一人でくるだろう。そうだ、連れていこう。
ノボルはそう決心した。それからまたソファに身体を投げ出しため息を吐いた。
テレビでは映画が流れている。ノボルは目を瞑って音だけを聞く。眠りに落ちていくのにそう時間はかからなかった。