07
外に出た二人は、徒歩で最寄り駅まで向かった。ノボルはヒメモスに電車を体験させたかったのだった。閑静な緑道を手を繋いで歩く二人の姿は親子のようだった。ヒメモスは嬉し気に手を大きく振って歩いている。
既に外は暗く、街灯が灯されていた。 空には月が茫洋と佇んでいる。珍しく小さな星々も見えた。
ヒメモスは立ち止まると夜空を見上げて、嘆息した。瞳は爛々と輝いている。
「……綺麗。黒くてとても落ち着く。それにきらきらと光る粒も……」
ノボルも立ち止まる。ヒメモスの横画を優しい微笑みで見つめる。
しばらく見上げて、満足したヒメモスはノボルにニコッと笑いかけてから、また歩き始めた。ヒメモスはその後もきょろきょろと周りを見回しながら歩いた。
春のはじめのあまめいた風が二人を撫でる。甘ったるい植物の香りが風に乗っている。ヒメモスはすぅっとその風を吸い込んで、香りを楽しんだ。
ヒメモスはノボルの手を離して、緑道に植えられているある一本の木に駆け寄ると、ぺたぺたと触り出した。
「温かいんだね。ざらざらして気持ちいい」
「そうか」
ノボルは笑顔で答えた。それか急かすように手招いた。
「ほら、行くぞ」
「うん!」
ヒメモスはノボルに駆け寄ると、再び手を繋いだ。
二人はぶらぶらと手を大振りしながら緑道を行く。しばしの沈黙が訪れる。ふと、ノボルが何か思いだしたように口を開いた。
「ヒメモス、お前、腹空いていないか?」
ヒメモスはすぐさま顔を上げて答える。
「うん! お腹空いた」
「そうか、じゃあ晩飯も食べてくるとするか」
ヒメモスは上機嫌になって手のふり幅を大きくした。それから、昨晩観た映画のテーマメロディを歌い始めた。ノボルは目をまるくしてヒメモスを見つめた。
「お前、それ……」
その映画はノボルの好きな恋愛ものの洋画だった。ノボルは意外にも上手いヒメモスの歌に感心した。心地よげに耳を傾けた。
ヒメモスはテーマメロディの気に入った部分だけ繰り返している。ノボルも自然と身体がリズムにのってきて、鼻歌を始めた。二人は歌いながら緑道を歩いて行った。
駅に着いた、二人は券売機の前に立つ。ノボルはヒメモスの為に交通ICを発行した。それに数千円チャージするとヒメモスに渡した。
ヒメモスは珍し気にカードを見つめる。ノボルはヒメモスの手を引っ張り、改札へ向かう。ヒメモスは混雑している夜の駅の雑踏に驚いてきょろきょろとしながら改札へ向かう。。
改札に着くとノボルはヒメモスを先に通そうと、前にやった。
「ほら、そのカードをここにかざすんだよ」
ヒメモスはおずおずとカードを改札に押し付けた。
途端にばたんっと改札が開く。
「おぉ……」
そう言ってノボルの方を見上げた。ヒメモスはノボルに背中を押されて、改札を抜けていった。改札の向こう側で、ヒメモスは手を振った。ノボルは頷いてから、自分も改札を通った。
それから二人はまた手を繋ぎ、エスカレーターにのって地下へとむかった。
ふと、地下から生温い風が吹いてくる。ヒメモスは風に目を細める。
「温い風、気持ち悪いね」
「そうだな」
ノボルは困ったような笑顔をヒメモスに向けた。
二人はホームに着くと、立ったまま電車を待った。次の電車はすぐに来る予定だ。
ノボルが心配そうにヒメモスに話しかける。
「ヒメモス、体調は問題ないか?」
ヒメモスにとって白い部屋で何度も聞かれた質問だったが、今回は印象が違った。心の底から自分を心配してくれているんだな、と感じた。ヒメモスは嬉しくなった。
「うん、大丈夫」
ヒメモスは笑顔で答えた。
「そうか、ならいい」
ノボルはぶっきらぼうに答えた。
二人は手を繋いで、立って、電車が来るのを待った。
数分もしないうちに電車はやってきた。
轟音と共に遠くから電車が走ってくる様を、ヒメモスはじっと見つめていた。
電車はヒメモスの前に来るとゆっくりと減速していく。ヒメモスは目を輝かせて、はしゃいでいる。
「はぁ……」
ヒメモスは立ち止まると長嘆した。それから、目の前の扉が開く。どっと人が降りてくる。ヒメモスはその流れに驚いて身体をびくりと強張らせた。ノボルを握る手を強くした。
「すごい人の量……」
ヒメモスはぼそりと呟いた。降りていく人の顔をきょろきょろと見回す。
人の流れが去ると、ノボルはヒメモスの手を引いた。
「ほら、入るぞ。ほーっとするな」
「あ、うん……」
二人は連れ立って電車の中に入ると、隣合って席に着いた。その後、どんどんと人が入ってくる。席は既に埋まり、つり革につかまる乗客がひしめき合った。
ヒメモスは息苦しくなるのを感じた。不安になってノボルの顔を見上げる。
「大丈夫だから」
ノボルはヒメモスに笑顔で言うと、握る手を強めた。
がたり、と電車が走り始める。段々とスピードを増していく。ごとん、ごとんと揺れるのがヒメモスには心地よかった。
窓の外は真っ暗で、時たま白く光る何かが速さに形を崩して飛び去って行くのが見えた。
電車内は沈黙が満ちていた。
ヒメモスは人の密度に窒息するような思いになった。段々と熱気を増していき、こもるような空気が不快だった。ヒメモスは顔をしかめた。
ヒメモスは窓ガラスに映る自分の顔に視線を向けるとぼーっと見つめていた。