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マコトと別れた後、ノボルとヒメモスは市街地を散歩した。服屋に入ったり、雑貨屋に入ったり、ゲームセンターに入ったりした。ヒメモスは終始浮かれていた。楽しそうにはじゃぐヒメモスを見て、ノボルは嬉しくなり自然と頬も緩んだ。
午後六時ごろになり、アパートに帰ったノボルとヒメモスは外出の疲れが溜まっていて、二人そろってベッドの上に身体を投げ出した。ヒメモスはノボルの方を向いて横に寝ている。ノボルは仰向けになって首だけヒメモスに向けている。
「つかれたね、ノボル」
「ああ、そうだな。お腹、空いてないか?」
ヒメモスは自分のお腹をちらりと見てから答える。
「うん、お腹空いた」
「それじゃあ、後でコンビニで買ってこような」
ヒメモスは瞳を爛々とさせた。
「私、コンビニ好き!」
ノボルは意外そうな表情になってヒメモスを見つめる。
「また、なんで?」
ヒメモスは顎に手を当てて、首を傾げながら答える。
「うぅん……なんとなく! 雰囲気が好きっていうのかな」
「そんなもんか」
ヒメモスはいたずらっぽく笑って答える。
「うん、そんなもん」
ヒメモスはノボルの身体につつと寄り添う。それから少し悲し気な表情でノボルに尋ねる。
「ねぇ、ノボル。私もう長くないの?」
ノボルはぽかんと口を開けて天井を見つめながらしばし考えた。やや沈黙があってから答えた。
「ああ、そうだな」
ヒメモスは俯く。額をノボルの胸板に押し付ける。
「そっか」
「ああ」
「死ぬんだ、私」
「……ああ」
「そっか」
ヒメモスは押し付ける額を強くした。決して泣いてはいなかった。ノボルはただひたすらに天井を見つめている。
しばらくの沈黙。ふと、ヒメモスが顔を上げた。
「映画、見よう? 時間が勿体ないよね」
「そうするか」
ノボルは身体を起こしてベッドを離れる。DVDを一枚見繕ってプレイヤーに入れる。それからソファへと座る。とことことヒメモスが駆け寄ってきてノボルの膝の上に座る。
テレビの電源がつけられ。映画が映し出される。
映画のタイトルは『生きる』。
「ノボルの奴め! 馬鹿な事を!」
あるマンションの一室、ノボルの父、関川ケイゾウは荒れていた。
「わしの失脚を望んでいる奴らの表情といったら……!」
ケイゾウは苛立たし気にテーブルを叩く。それから煙草を一本取り出すと慌ただし気に吸い始める。二、三口大きく吸ってから、少し落ち着きを取り戻した。
――ノボルの奴、何を考えているんだ? プロジェクトには乗り気では無かったが、今更ヒメモスを連れ出して何がしたいんだ?
ケイゾウの妻が心配そうに話しかけてくる。
「ノボルは、ノボルは大丈夫なんでしょうか?」
ケイゾウはまた苛立ちが沸き起こった。
「大丈夫なものか! 殺されても文句は言えんぞ!」
妻は顔を覆うとさめざめと泣き始めた。ケイゾウはそんな妻を無視して、煙草を咥えながら部屋の中をうろうろと歩きまわる。
――事を公にせずにどうやってノボルからヒメモスを奪い返すか……。本社の奴らも既に動いていることだろう。わしに出来ることと言えば、やはり親友や知人に頼んでノボルを説得させるのがまずは一手か。
ケイゾウは煙草を灰皿に押し付けた。それから自分の部屋へと戻っていった。
リビングには妻の泣き声だけが満ちる。
翌日、ノボルとヒメモスは日帰りで温泉に行くことにした。ノボルのアパートからは電車で二時間程で着く場所にあった。二人は朝から出発した。
二人は電車に揺られながら、心地よさを感じていた。ヒメモスは靴を脱いで椅子に上がると窓から外の景色を眺めていた。ビル群が無くなっていき、次にベッドタウンに変わっていく。それからしばらくして緑が多くなってくる。ヒメモスは景色が移り変わる度に、小さく飛び跳ねて感動した。
しばらくして昼頃には目的の駅に着いた。周りには緑が多く、遠くに山も見える。空気も冷たく透徹している。ヒメモスは深呼吸を何度もした。身体が澄み渡るようで、非常に心地よかった。
二人は早速、温泉へと向かった。温泉宿に入った二人はまず昼食を取った。ヒメモスは和風の食事に感動した。普段はコンビニ弁当が主だった。
昼食を終えた二人はそれぞれ、女湯と男湯に別れていった。
ノボルがヒメモスに忠告する。
「いいか、誰にもついて行っちゃ駄目だぞ。もし無理やり連れていかれそうになったら大声を出して、風呂から廊下まで出てこい。いいな?」
「うん、わかった」
ヒメモスが暖簾をくぐろうとする。ノボルがそれを止める。
「そうだ、風呂に入る前には身体を洗うんだぞ」
「うん!」
ヒメモスは裸になる事に何の羞恥も無かった。施設にいた頃に、検査や実験などで何度も大勢の人の前で裸になったことがあったからだった。
湯につかる、シャワーを浴びるといったことは経験したことがなかった。施設ではウェットペーパーで身体を拭かれる程度だった。
服を脱ぎ終わったヒメモスは、浴場へと向かった。ドアを開けるとむわっと湯気が立ち込めた。すぐ前に、かけ湯と書いてある大きな壺があった。誰かがそのかけ湯を自分の身体にかけているのを見て、ヒメモスも真似をした。
「う、おぉ……」
ヒメモスは身体にかかる丁度いい温度のお湯に快感を覚えた。それからノボルに言われた事を思いだした。
「風呂に入る前に身体を洗う……」
ヒメモスは周りをきょろきょろと見回した。ふと、シャワーで身体を洗っている人達が目に入った。
「なるほど、ああするのか」
ヒメモスはシャワーの前までくると、椅子に座った。それから隣の人の見様見真似でなんとかお湯を出して、身体を洗い始めた。まずボディソープで身体を洗い始めた。ぬるぬるして気持ちよかった。髪を洗うのは怖かったが、シャンプーがとてもいい匂いがしたので、頑張って洗髪もした。一通り終えたヒメモスは身も心もさっぱりした。次はいよいよ湯船だった。
ヒメモスは湯船に近づくと、まずは片足だけを入れた。
「おぉ……あ、熱い」
ヒメモスはこんな温度の高い湯に入れるのか? と疑問に思った。だがヒメモスは少しずつ足を入れていき、もう片方の足も湯船に入れた。
確かに熱い、だがそれが心地よかった。ヒメモスは遂に腰まで湯に浸かった。思わず声が洩れる。
「う、あぁ……」
ヒメモスは年寄り臭い声を出した。そして徐々に、ゆっくりと肩まで浸かっていった。ヒメモスの表情はうっとりとなった。
――あぁ、気持ちいい。身体がゆらゆらぷかぷか漂って、楽ちんだ……。
ヒメモスは恍惚の表情でしばらくの間、目を瞑っていた。
ヒメモスが風呂を上がって廊下に出ると、先に上がっていたノボルが待っていた。ノボルが片手を上げる。
「よ、どうだった?」
ヒメモスはとことことノボルのもとに駆け寄ると手を繋いだ。まだ熱い二人の体温で、手は汗ばんだ。それから見上げながら話し始めた。
「あのね、すっごく気持ちよかったよ。それにねお外にもお風呂があってね……!」
「おう、そうか。楽しんだのならなによりだ。……体調は大丈夫か?」
ノボルは心配そうにヒメモスの顔を覗きこむ。
「うん、大丈夫だよっ」
ヒメモスは元気よく答えた。
「そうか、それはよかった。それじゃあ広間で飲み物でも飲んでから帰ろうか」
「うん! 私ねオレンジジュースがいい!」
「おう、俺はコーヒー牛乳にするかな」
二人は自販機のある方へと進んでいった。風呂上がりの肌が風に撫でられるのが、涼しく心地よかった。




