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 翌朝、ノボルがソファで目を覚ますと足元にヒメモスがうずくまっていた。ノボルは、体調が悪いのかと心配して、慌てて顔を覗きんだ。しかしヒメモスは、すぅすぅと寝息を立てて眠っていた。ノボルはホッと胸をなで下ろした。

 時計を見ると七時を指していた。ノボルは立ち上がって背筋をを伸ばす。つけっぱなしになっていたテレビを消す。それからヒメモスを抱き上げると、文庫本が散らばっているベッドの上に戻してやった。

 ノボルはため息を一つ。マコトとの待ち合わせの時間までどう時間を潰すか考えたが、やはり借りてきた映画を観ることにした。一枚のDVDをプレイヤーに入れる。再びソファにふんぞり返る。ポカンと口を開けて瞳はテレビの光に輝いた。

「うぅん……」

 ノボルがしばらく映画を観ていると、ヒメモスが目を覚ました。

 ノボルはテレビから視線を外してヒメモスの方を向く。

「おはよう、ヒメモス」

 ヒメモスは目を擦りながらもごもごと答える。

「……うん、おはよう」

「ほら、顔を洗って歯を磨いてきなさい」

「……わかった」

 ヒメモスは寝起きのふらふらとした足取りで洗面所へと向かった。

 しばらくして洗面所からヒメモスが戻ってくる。するとノボルの膝の上にちょこんと座った。ノボルは微笑んでヒメモスを抱いた。それから一緒に映画を観始めた。

 観ていた映画は時代物、それも尊皇物だった。密書を巡って暗殺に次ぐ暗殺。殺陣と血しぶきがひっきりなしにテレビに映る。

 ヒメモスは血しぶきが上がる度に目を見開いて身を乗り出した。

「ねぇ、斬られたよ。血がでたよ」

「そうだな」

「痛いだろうねぇ……」

「そうだな」

「可愛そうだね……」

「まぁ、映画だからな」

ヒメモスはその敏感な感受性をいかんなく発揮して、映画のシーンごとに表情を次々と変えていった。ヒメモスはその映画の時代背景や状況など知らないようだったが、表情を見る限り楽しんではいるようだった。

 時代物の映画が終わる。ラストは血みどろの密書が無事、目的の人物に渡ったところで終わった。

 ヒメモスは首を回しノボルの方を向く。

「終わったの?」

「ああ、面白かったか」

「……よくわかんなかった」

「そうか」

 ノボルは時計を見る。もう一本くらい映画が観れる時間はあった。

「もう一本観るか?」

「うん!」

 ノボルはヒメモスを一旦どかして、借りてきたDVDの山を漁る。どれがいいだろうか。ノボルは洋画『クレイマー・クレイマー』を選び出した。それをプレイヤーに入れると再びソファに戻った。またヒメモスが膝の上に乗る。映画が再生される。二人はじっとテレビに意識を集中させた。

 映画が終わった。ヒメモスの瞳は涙液に潤んでいた。ノボルは一度見たことのある映画だったが、二回目でも充分感動できた。ノボルがヒメモスに尋ねる。

「どうだった?」

 ヒメモスはしばらく俯いていたが、パッと顔を上げた。

「うん、私もノボルとは別れたくない……」

 ノボルはふつふつと心の底に何かが沸き起こってくるのを感じた。ヒメモスを抱きしめる手を強めた。

「ああ、俺もだよ」

 その後二人は口を噤んで、視聴後の余韻に浸っていた。

 ふと、ノボルが時計を見る。

「そろそろ行くか……」

 ヒメモスが不思議そうに顔を向ける。

「どこに行くの?」

 既に一緒に行くつもりらしい。

「喫茶店だよ。コーヒーを飲みにな」

 ヒメモスはコーヒー、という言葉を聞いた途端、苦々し気に顔をしかめた。

「私、あれ嫌いなの……」

 ヒメモスはしゅんと項垂れながら言った。

「別の飲み物もあるから大丈夫さ」

「うん!」

 二人は外出の支度を始めた。ノボルの服装はジーンズにシャツ一枚のシンプルなものだった。ヒメモスはノボルが買ってきた水色のワンピースに紺色のカーディガンを羽織った女の子らしい格好だった。ノボルは財布とスマートフォン、鍵をポケットにいれるとヒメモスの手を握って部屋を後にした。




 ノボルとヒメモスは指定された喫茶店に着いた。マコトはまだ来ていないようだった。

 二人は先に店内に入ると、コーヒーとオレンジジュースを注文した。二人は四人席に案内された。ノボルとヒメモスは横に並んで座った。

ヒメモスは持ってきた文庫本をよんでいる。ノボルが本の表紙を覗きこむとそこには『室生犀星詩集』とあった。ノボルは嘆息した。

「また、渋い本を読んでいるんだな……」

 ヒメモスは本から視線を上げてノボルに答える。

「うん、施設にいたころから詩はすきだったの」

「そうか」

 ヒメモスは嬉々として話を続ける。

「あのね、それでね、この『都に帰り来て』って詩がね……」

 ヒメモスが話していると、ふと二人の席の横に男が立っていた。

「ノボル……一人で来いと言ったはずだが」

 その男はマコトだった。マコトはノボルに向き合うように正面の席に座った。ヒメモスは本を畳むと、こわごわとマコトの顔を窺った。

 マコトは険しい表情でノボルを睨む。ノボルはひょうひょうとしてコーヒーを飲んでいる。マコトは言葉を続けた。

「今なら間に合う、ヒメモスを施設に返せ。お前の父親もそうすれば今回の件は不問にすると言っている」

 ノボルは会社側が強気になれないこと、強行手段にでれないことを確信した。その為にマコトを送ってきたんだと察した。

「それはできない」

 ノボルはマコトの提案を切り捨てた。マコトは首を垂れてため息を吐く。そして頭を上げてノボルに尋ねる。

「なぜ?まさか親子ごっこがしたいが為じゃなかろうな」

 ノボルは一瞬カッと頭に血が上ったが、すぐに冷静さを取り戻した。

「べつにそんなんじゃないさ。俺の勝手だろう」

マコトは身を乗り出して、ノボルに囁いた。

「ノボル、どうせヒメモスはもう長くないんだ。今更お前が連れ出して何になる?」

 ノボルは黙り込んだ。俯いて眉根を寄せた。マコトが続ける。

「お前がプロジェクトに罪の意識を持っている事は結構だ。だがな、お前のしている事は悪だ。偽善だ。実験で救われるかもしれない命を見捨てる行為だ」

「……命の重さを数で比較することは出来ない」

 マコトはため息を吐いて頭を振る。ヒメモスは先ほどからきょろきょろと不安気な瞳を走らせている。マコトが背もたれに身体を乗せ口を開く。

「お前の持論はどうでもいい。返すのか、返さないのか」

「返さない」

 ノボルはそれだけ言い捨てた。

 マコトは黙ってノボルを睨み付ける。ノボルも口を一文字にして睨み返す。

 しばらくの沈黙の後、マコトがゆっくりと口を開く。

「大学以来の親友の俺の頼みでもか」

「ああ、駄目だ」

 マコトはノボルの返事を聞くと席を立ち上がった。

「わかった、後悔するなよ」

 それだけ言うと足早に二人のもとを去って行った。

 ふと、マコトが振り向く。

「お前、煙草やめたのか?」

「ああ」

「そうか」

 マコトは微笑みながら、今度こそ去って行った。




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