幻の翼、出撃ス‼︎
幻に終わった富嶽の勇姿をお伝えできれば
昭和19年3月10日。
連日の空襲で焼け落ちた兵舎が並ぶラバウル飛行場に、あちこち銃弾をくらってズタボロになった一式陸攻が危なっかしい飛行で戻ってきた。
整備員や他の搭乗員が見守る中、一式陸攻は半ば墜落するように滑走路へ滑り込んだ。
「…誰か!手を貸せ!」
割れたガラスから手が伸び、助けを求める声が響いた。手空きの者がわらわら近寄ると、飛行服を血で濡らした大尉が機体からずり落ちて地上に落ちた。
「千田大尉」
彼が誰であるか気が付いた何人かの兵が、ゆっくり抱き起こす。千田と呼ばれた海軍大尉は緩慢な動作で空を睨むとがっくりと首を落として意識を失った。
米軍泊地雷撃に向かった陸攻隊で、生存者は彼ともう一人だけだった。
昭和20年8月10日。
精強を誇った聯合艦隊も太平洋の空を支配した銀翼も死に、帝国の落日が迫っていた。
空襲を避けるための地下壕にて開かれていた軍首脳会議は抗戦派と講和派の二つが真っ向から対立し、紛糾していた。
「徹底抗戦あるのみ‼︎」「ポツダム宣言の受託など…とんでもない!それこそ亡国への道!」「我々は盟邦ドイツの技術を導入した超重爆がある!」
もはや、その場は会議ではなく単にそれぞれのプライドをぶつけ合う場となっていた。
「…だが、帝都への連日の空襲さえ 止められず本土決戦など無謀すぎるのではないか」
苦虫を噛み潰したような顔で、米内大臣が言う。
「B29など恐るるに足らず!」
B29の猛烈な爆撃にさらされている国民が聞けば、憎悪すら抱きかねない発言をした将校を苦々しく見ながら、米内は小さくため息をついた。
300機以上で侵入する敵重爆を阻止できずにいるこの状況で恐るるに足らず、か。
隣に座る深谷少佐は米内の表情を読んで重い口を開いた。
「馬鹿な。撃破すら難しいではないか。第一、我々は敵国土に傷一つつけておらん」
至極全うな発言だが、それを聞いた周囲の青年将校は目を剥いた。
「貴様ァ、非国民か!」
アホらしい、と小さく呟いた深谷はそれっきり黙ってしまった。
「富嶽をもって米本土を叩けば有利な講話も可能!」「その通り!」
「とにかく!一億総玉砕の精神を持ってー
自分の言葉に酔っているのか、頬を紅潮させた将校が時代錯誤の演説を始める。
後の言葉を聞かず、米内大臣は打開策を練り始めた。
「しかし、これは…深谷少佐」
初夏の柔らかな日差しが入り込む大臣執務室で、渋い表情の米内が呻くように言った。その机の前に立つ深谷の顔もまた渋い。
「閣下、ですが抗戦派の頼みの綱は
富嶽隊です。富嶽隊責任者としてお願い申し上げます」
深谷は米内の秘書的役割を果たしつつ、最新鋭爆撃機である富嶽の責任者でもあった。もともと陸攻隊出身というのもあって、その開発や運用には初期から携わっていた。
「深谷少佐」
「は」
椅子を鳴かせ立ち上がった米内は言った。
「出撃させるにはそれなりの成果は出さねばならん。それは軍人としてのプライドの問題だ」
深谷は顔を引き締めた。
「富嶽隊の指揮官は…」初めて深谷の眼を見据えて言う。「この作戦を指揮するに値する有能な指揮官はなのか?」
「はい」
即答だった。
もともと考えていたことだ。どっちにしろ片足を吹き飛ばされた自分には行きたくても行けない。
「同じ陸攻隊にいた千田という者であります」
稜線上に沈む太陽を見つめながら歩く人影があった。
人影は太陽から真横にその巨体を横たわらせる富嶽に視線を移した。深緑色の機体が鈍く紅い光を反射させている。
「千田少佐、どうだこいつは」
傷跡が生々しく残る身体を隠すように、格納壕の影にいた彼はゆっくり名前を呼ばれた方向へ歩き出す。
「深谷少佐」
千田は心ここにあらずという風に気の抜けた声で答えた。制服もくたびれ、軍帽のつばに当てた敬礼だけが唯一彼を軍人らしく見せている。
「十分とは言えませんが、飛ぶだけなら、まあ」
「貴様は厳しすぎる。もう訓練飛行に何百時間も当てられんのだ」
深谷は苦笑しつつ言った。千田はクスリともしない。
「米本土爆撃。正式な命令がすぐ出るだろう」
居心地の悪さをごまかすように、深谷はすぐに本題を切り出した。
「決戦だ。今作戦が上手くいけば我々に有利な講和条約が結べる」
「満州にソ連軍、長崎には原爆。もう無理な話ですよ」
千田は深谷の建前を制し、険しい表情で言った。
実際のところ、戦局は絶望的であった。ことは米軍による本土上陸だけの話ではないし、それに加えてソ連軍の満州侵攻である。もう打つ手などありはしないのだ。
「人身御供というやつでしょう?我々は」
「千田…では貴様はこの作戦には意味はないと言うか?」
「そうではありません。自分にも死ぬための理由はあります」
意味を見出せない死などごめんだ千田は小さく吐き捨てた。
「ではどういうことだ」
深谷の声にはある種の戸惑いが生じていた。
「死ぬ目的は死に場所を見つけるためですよ。部下も同様ですが。それはラバウルで雷撃せずに帰還した深谷少佐ならお分かりでしょう?」
深谷は口を開かない。
では、と千田は言って格納壕の影に戻って行った。
爆音。
耳を聾するとは正にこのことだと千田は思った。富嶽8機の5000馬力を発揮する合計48基のエンジンが織り成す狂想曲。
「現在高度10500m、油温異常なし。あと一時間ほどで米本土です」
副操縦士の新山飛曹長が淡々と報告してきた。了解、答えて千田は風防のガラス越しに見える編隊を眺めた。
8機の富嶽を護衛するのは16機の陸上爆撃機 銀河 と試作双発戦闘機 キ83 8機だ。彼等は日本に戻ってこれるだけの燃料はない。つまり片道である。
キ83は戦闘機だが、問題は銀河だ。銀河は身軽とはいえ爆撃機であり、本来はこのような護衛が任務ではない。キ83にしろ銀河にしろ積めるだけの燃料を積み込んでおり、余計鈍重になっている。米本土につけば燃料もなく身軽になるだろうが。
「総員戦闘配置につけ」
千田は複雑な心境を押しとどめて命じた。12人いる搭乗員がハッチを閉めつつ、それぞれの機銃座につく。周囲の銀河やキ83は編隊を密集させ、敵の攻撃に備えた。
ワシントンDCまであと30分というところで、彼等の幸運は失われた。
ジリリリリリリリ‼︎
けたたましい警報。
搭載する電探が敵機を探知したのだ。
「電探に感あり!推定高度8500m、機数2、一時方向より接近中!」
飛行計画にない機影を捉えた米軍のレーダー基地が哨戒のためにP-51Dムスタング戦闘機を発進させていたのだ。
「構うな。目標はもうすぐだ、高度を5000mまで落とせ」
千田は操縦しつつマイクに吹き込む。各機からの応答を待たず、彼は操縦桿を押して高度を落とし始めた。
初投稿ということも拙い文章でしたが、少しでも楽しんで頂けたでしょうか。
次回で最終話となります。富嶽隊の闘いの行方をご覧ください。
次回投稿後は、ファンタジー系を書きます。初投稿がこれで次はファンタジーかよ!とお思いになるかもしれませんか、御期待下さい。