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帝国よりも大きくゆるやかに  作者: なりちかてる
第一章 雷鳴と薔薇
4/4

—03—

雲雀は宇宙の歓びを表明するのではない。それは歓びを現実化し、歓びを投射する。

 ——ガストン・バシュラール「空と夢」

 このアスカの地に、真の意味での地上は存在していない。大陸の遥か下方に横たわるのはただ、視界を遮る雲海のみで、幾多の命知らずの冒険者と呼ばれる者たちがそこを目指して船の舵を取ったが、雲海の下から帰還してきた者はひとりとして、いなかった。

 伝承によれば——かつて、アスカの民の始祖たちは”大地(アース)”という名の故郷を捨て、永遠とも思える長い長い旅の果てに、星海の彼方にあったこの、アスカの地にたどり着いたという。

 ——我々は呪われた存在なのです。だから、決して大地を捨て去ったことを忘れてはならないのです。

 ゼヴィアはファーヴィルの神官たちがそう唱えているのを何度か、耳にしたことがあった。

 だが、今ではその戯言を信じる者はほとんどいない。少なくとも、ゼヴィアはまったく信用していなかった。

 だっテ、信用できるカイ? アスカの民の始祖たちはアーズモランもノアルデュール、エンシェント・ビーイングなどノ別もなく、たダ髪や瞳、肌の色の違いはあレど、同じ人だっタ、だの、星海を渡る方舟はとてつもなく巨大デ、長い航海に備えて数世代の人々がそのなかで過ごすことができた、ダの、作り話としてはそれナりに面白いかモしれないけド、子供だましの域を脱していナい。事実と信じ込ませるには、真実味に欠けると言わざるを得なかった。

 だが——神官たちの唱えることばがどうであれ、十の浮遊大陸と、その数二千以上にも昇る群小の周遊島が、言葉ある種族たちに与えたれた活躍の場となっているのは、変わりのない事実だった。

 商人や軍人、神官または新たな航路を開拓する冒険者たちは帆に風を受けて空を行く風搬船(ふうはんせん)に乗り込み、アレールヴェルンやポルト-アルシェール、サクラザキといった大陸、はたまた未知の空域へと旅立っていった。

 それ以前は、大陸の沿岸の周遊島をめぐるのが、せいぜいだった。大陸から大陸へと渡るのだけでも危険なこと、この上ない行為で、国家の支援を受けずに、私人が船で外洋へと乗り出すことなど、夢のまた夢の話だった。

 それが——今や時代は、大航海時代となっていた。風搬船が空を行き交い、良港に恵まれた地域は栄え、新たな戦乱が幾度となくまた巻き起こり、そして国家もまた、隆盛を繰り返すこととなった。一夜にして、ただの船乗りが大金持ちになり、その逆に飛ぶ鳥を落とす勢いだった豪商が一文無しとなる——そんなことは日常茶飯事だった。

「フェロー岩礁帯がんしょうたいカ……」

 ゼヴィアたちがいるここ、フェロー岩礁帯もある意味では、この時代を象徴している、と言えるのかもしれない。現在では、この空域は主要な交易路から大きく外れ、誰も寄りつかない場所となっている。が、数十年前まではこの周辺も派手に賑わっていたのだ。

 きっかけは、鉱山から魔鉱まこうが掘り尽くされてしまったことだった。

 呪性金属は魔晶珠(プレシードオーブ)調律具(アチューンド)呪符(フォース・インテンシブ・カード)といった呪工具を作成するのに広く需要があるのだが、その呪性金属じゅせいきんぞくのもととなるのが、魔鉱だった。

 魔鉱の鉱山がフェロー岩礁帯のひとつ——ルーエン島で発見されるや否や、瞬く間に鉱山町ができ、港ができ、その富を目当てに鉱夫や独立商人、金貸し、用心棒、賭博師、娼婦といった裏稼業を常とする人物も大勢、押し寄せ、それはそれは賑わっていたのだが、魔鉱が尽きると、あっという間だった。町は廃墟となり、あれほどたくさんいた人々も、いずこかへと立ち去ってしまった。今ではもう、この岩礁帯に町があったことなど、すっかり忘れ去られてしまったのではないだろうか。

 そのルーエン島の元鉱山町で、”青銅の斧”が裏取引を行う、という情報を得たのは、つい三日前のことだった。

 ——三日前か。

 ゼヴィアは声に出さずに、呟いた。

 ——三日前にしてハ、なゼだろウ。もう一年……いヤ、それ以上も前のコトに思えるンだけドね。

 ”青銅の斧”——その名が、人々の口の端にのぼらぬ日はない。が、多くの場合、”青銅の斧”の名は忌みことばのように、周囲の視線を気にして、声をひそめるのが常だった。

 いつ頃だろうか、彼らが海賊として名をあげだしたのは。通常、著名な海賊団といっても、複数の周遊島、または一地方を縄張りとしているのに対し、"青銅の斧”は地域どころか国家という枠組みすらも飛び越えて、活動していた。

 その内容といえば、風搬船の襲撃といった海賊行為だけでなく、港街への略奪、麻薬の取引、違法な兵器の密輸入、人身売買、果ては地方の領主を賄賂づけにして、海賊が直接統治を行っていた、などということまであった。

 ——あんたたち、本気なのか? "青銅の斧”に刃を向けることが、どんな意味を持つのか、よ〜くわかってるんだろうな。

 不意に、あの時——メクレンブルク島でヘリックから向けられたことばが、ゼヴィアの耳によみがえった。


     □   ■   △


「あんたたち、本気なのか? "青銅の斧”に刃を向けることが、どんな意味を持つのか、よ〜くわかってるんだろうな」

 グラスを握った方の手で、ゼヴィアに人差し指を突きつけると、ヘリックが言った。

「はッ。そんナ当たり前のコとを聞いテ欲しくハないネ。今サラ、あんたがビビったとしてモ、こっちハ聞く耳ヲ持たなイかラね」

 ゼヴィアは牙を剥いて、そう言った。

 彼女のことばにヘリックは舌打ちをすると、グラスを呷った。ひと息でブランデーを飲む下すと、口もとから垂れた滴を袖で拭った。

 アレールヴェルンの周遊島のひとつであるメクレンブルク島——。

 その小さな島でも、さらに奥にある、森に隠れるようにして建てられた小屋のなか——ヘリックとの会談は、そこで行われた。

 もともとは、この部屋は猟師のためのものだったのだが、今はメクレンブルク島には農民が数家族しかおらず、数十年以上は手入れがされていないようだった。

 なるほど、小屋の中央にはテーブルもあるし、人数分のイスも置かれてはいる。顔を向き合わせて、話をする必要最低限のものはそろってはいるが——それだけだった。テーブルもイスも、どれも今この瞬間に壊れそうなものばかりで、家具と呼べる状態になかった。

 いや! それどころか、小屋そのものからして天井の一部が欠け、壁のところどころには穴が開き、果てには床板が腐って土が剥き出しになっているという有様で、これでは建物のなかというよりは、軒下で立ち話をしているような感じだった。

 これで雨でも降っていようものなら、天を呪ってやりたいところなのだが、ゼヴィアたちの日ごろの行いは、それほど悪くはなかったのだろう。空には夏の陽光をいくらか和らげてくれる程度の雲がかかり、時折、森から吹き抜ける風もあって、一時間くらいならここにいることも我慢することができそうだった。

「ところで、あんたたち海賊団——えーと、何て名前だったっけな……」

 ヘリックは眉間に皺を寄せた。考え込むような顔になる。

「……漆黒の牙ダよ」

「そうそう、それだ。漆黒の牙!」

 膝を叩きながら、ヘリックが言った。

「確か、そんな名前だったよな」

「あんたなぁ……」

 ゼヴィアのすぐ横で、ジンライが芝居がかった調子で、ため息をついた。

「確か、そんな名前だったな、じゃねぇよ。これから"青銅の斧”にいっぱい食らわせてやろうって時に、その態度はねぇだろうが」

 ヘリックはじろりと、ジンライに一瞥をくれると、グラスをひっくり返した。指先で、底にわずかに残っていた滴をぬぐうと、舌先で舐め取った。

「いっぱい食らわす、だって? ハッ! そんな出来もしないことを、口にするもんじゃねぇな」

「出来ない、だって!? どうして、そんなことが——」

 ジンライがヘリックに食ってかかろうとすると、ゼヴィアが押さえつけるように、彼の腕の上に手を置いた。

「ゼヴィア——」

 それでも、ジンライは口を開きかけようとするが、ゼヴィアの鉤爪が手の甲に食い込み、それ以上、何も言えなくなってしまった。

「ヘリック。あんタから、ソんなこトバを聞くとハねェ。ってコとは何かイ? あたシらニは、"青銅の斧”に仇ナスことはデきないト、そう思ってイルのかい」

 ヘリックは首を横に振った。

「あんたらには、"青銅の斧”の真の恐ろしさがわかっていないのさ。そして——このおれも、未だにな」

 "青銅の斧”は、ただ巨大な海賊団ではない。海賊税の取立てを拒絶した島民を全員虐殺したり、海軍の軍人だけでなく、直接関係のない家族ごと爆殺したり、魔術師の人体実験用に、誘拐した子供を売りつけるなど、海賊でも顔をそむけるような冷酷な行いを重ねていた。

 ゼヴィアたち以外にも、"青銅の斧”の行いに対して、深い憤りを感じている海賊は大勢いる。が——ゼヴィアたちのように、モラルの面から問題視している海賊もいるにはいるが、それはどちらかというと、少数派だろう。大部分は、"青銅の斧”のとばっちりが自分たちに向かってくることを迷惑がっているのが、ほとんどを占めるはずだった。

 いや——どちらかというと、やっかみが大勢を占めるだろうか。

「そうカもシレない。けどネ、あたシハあんタみたイニ、足モトをスくわレルようナへマハしないツモリだヨ」

 目の前のヘリックはもとは海賊団、"碧雲の七星”の副船長だったのだが、部下の反乱により船長は殺され、そしてヘリックは海賊団から追放されてしまったのだった。それまで、"碧雲の七星”は"青銅の斧”になびくことのない、数少ない海賊団だったのだが、今は逆にパートナーというよりは、手足として利用されるだけの存在になり果ててしまっていた。

 今のヘリックに、"碧雲の七星”に復讐する、といった気概はまったくないようだった。そして、副船長時代に得た重要な情報をゼヴィアたちに与える代わりに、引退資金をせしめようとするのが、せいぜいのようだった。

 ヘリックがもう一度、グラスに酒を注ごうとしたので、ゼヴィアが酒瓶を押さえた。ヘリックの手の届かないところまで、遠ざけた。

「オっと——アルコーるハこれクラいにしテもらウヨ。こッちガ聞きタイことヲ喋る前につブレちまったラ、こっチの投資ガ無駄にナッちまウからネェ」

「このくらいで、つぶれたりしねーよ。それに——これが投資? この程度で、か」

「いラないっテんなら——」

 ゼヴィアが酒瓶を頭の上、高く掲げた。ひっくり返そうとする真似をした。

「ああっ! 何しやがる。わかった! わかったよ」

「わかレば、それデいいサ——それジゃ、早速本題に入るとすルかねェ」

 ヘリックは舌打ちをすると、内懐を探った。そこから、一片の紙を取り出すと、テーブルの上に広げた。


 ◆       □   ■


「ふぁ〜あ!」

 ジンライは思いっきり、伸びをした。あくびを噛み殺そうともせず、大きく口をあけた。

 と、思い切りその頭を叩かれた。それがあまりにも強い勢いだったので、ジンライは体勢を崩し、上体から倒れこんでしまった。

「な——なにを、しやがる!」

 ジンライはすばやく、床から立ち上がると、相手——アイルをにらみつけた。

 アイルはエイルと同じ、ノアルデュールだった。ふたりは双子で、顔も背丈も寸分違わなかった。違うところと言えば、髪の色と髪型だった。エイルは白金色の髪で、いつも三つ編みにしているのに対して、アイルは黒髪で、ポニーテールにしてまとめていた。

 それ以外にも、異なる部分はある。

 ——その性格だ。

 エイルが無口で、「漆黒の牙」号の仲間とほとんど会話をしないのに対して、アイルはとにかく、よく喋る。エイルの声を奪って、その分を喋っているのではないかと、そう思わせるほどだ。

「しーッ! 声を出すんじゃないよ」

「声を出すなって——お前の声の方が、大きいじゃねぇか」

 ジンライも背はあまり低い方ではないのだが、それでもアイルと比べるとかなりの差がある。床の上に座っているアイルに対して、ジンライが立ち上がってみても、ふたりの頭の高さはほぼ変わりなかった。

「そういう問題じゃないの。今、あたいたちがどういう状況に置かれているのか、本っ当〜にわかっているんだろうね」

「もちろん——」

 と、咳払いの音が聞こえた。

「じゃれあっているところ、邪魔して悪いが、おふたりさん。それぐらいにしてくれないかな。この計画がダメになった時、ゼヴィアがどんな行動に出るのか——あまり、想像したくないからね」

 彼らの後ろから、甲板員のジュールが言った。

 ──その通り。まったく! まぁったく、その通りだよねぇ。

 耳から聞こえる声とは異なる、頭に直接響くことばが聞こえてくるのと同時に、白い毛並みを持つ、よく肥えた猫が、ジンライたちの目の前に姿を現した。

 いや——猫によく似ているが、それは猫ではなかった。体毛は白一色であるが、頭頂部から背中、短い尻尾までが硬い装甲状のもので覆われていた。その装甲状のものは甲族(こうぞく)特有のもので、背中だけでなく、前脚にもあった。

 球猫(たまねこ)、というのがその生物の名称で、危機が迫ると装甲を外側にして丸くなることから、その名がつけられていた。

 ──いっつも、とばっちりを喰らうのは、こっちなんだからねぇ。

「とばっちりって、どういうことだよ。それに——ジュール。おれたちがじゃれあっているって? んなワケ、ねーだろ。どこを見て、そんなことを言うんだよ」

「気に入らなかったら、訂正しよう。しかし、お願いだから——黙ってろ!」

 ジンライたちが今いるのは、ルーエン島の鉱山町のゴーストタウンのなかだった。周辺には、鉱夫たちの住居や港、エレベーターの巻き上げ機、製錬所、水車などが見える。

 鉱山町は階段状になっていて、島の中心へ行くほど、低くなっていた。露天掘りの坑道が町のど真ん中にあるのだが、その底は深すぎて夕刻の日の光も届かないようだった。坑道の直径はフリゲート艦が数隻、並んで停泊できそうなくらい、あるだろうか。坑道の側面にも、小さな横穴や橋、階段、建物などがあるのだが、階段や橋は途中で落ちているのがほとんどだったし、建物も縦穴にへばりついているのがやっと、というのが目についた。

 ヘリックによれば、このルーエン島の中央市場の跡地で"碧雲の七星”と"青銅の斧”が、秘密の取引を行う、とのことだった。取引の内容は——魔導ドラッグと武器の交換だった。"碧雲の七星”は最近——ヘリックがまだ、副船長をしていた頃の話だが、海軍の倉庫の襲撃に成功しており、そこで大量の魔導ドラッグを手にしたらしい。

 魔導ドラッグは主に魔術師の能力を増強する目的で使われるものだが、なかには魔力を持たない者に一時的に魔力を与えるものや、多大な副作用がありながら危険なほどに魔力を増大するもの、その逆に魔術師が魔力を封じるものなどもあった。一般に、これらの魔導ドラッグは国家によって生産から完全に管理されており、裏マーケットで流通することがあっても、量は少ないものに限られるので、そこに"青銅の斧”が目をつけた、ということらしい。

 ジンライたちが先刻から潜んでいるのは、かつての教会のなかのようだった。家具の類はすべて持ち去られていたものの、建物の外形や壁に残されていた装飾、柱の形状、それに割れた薔薇窓があったと思われる窓枠などが、ここが教会である名残をとどめていた。

 教会は中央市場の外れにあり、"青銅の斧”の会談場所を監視するなら、もってこいの場所だった。ジンライたちがここにいるのに気づかれるほど、近すぎもせず、かといって行動を起こすのに遠すぎもしない。

 ジンライは、窓を振り返った。中央市場跡を見下ろした。

 教会は段差がある境目にあった。正面には、下の段差へ降りる階段があり、教会のある側はやや雑然と建物が並んでいたが、階段の向こうはちょっとした広場になっていた。そこが中央市場跡で、柱や台、崩れた石の壁などは一部、残されていたものの、槍を投げて届くくらいの空間には何もなかった。

 市場跡の向こうは、坑道がすぐそばまで迫っており、巨大な生物の(あぎと)のような暗い穴が、のぞいていた。

 そして、ジンライたちから見て右手——北の方角に、川があった。川はもともと、その場所にあったものではなかった。建物と建物の間を蛇行しつつ、段差に沿って下り、坑道の縁からは滝となって底へ降り注いでいた。滝と市場跡はそれほど離れておらず、水の落ちる音が教会のなかにまで、届いていた。会話が聞き取れない、とまではいかないが、しかし、市場跡に立てば、ちょっとやそっとの音などは、かき消されてしまうのかもしれない。

 ——滝と崖、か。

 ジンライは声に出さずにつぶやきながら、坑道の縁の手前にいる、数人の人物を眺め見た。

 "碧雲の七星”の船員たちはもう、小一時間ほど前から市場跡にいるのだが、肝心の"青銅の斧”の海賊どもはまだ、現れていないようだった。

 しかし──このような場所で、取引きを行うと言い出したのは、一体どちらのほうなのか。

”碧雲の七星”なのか、それとも”青銅の斧”なのか。どちらにせよ、崖を背にしての交渉はそれなりに緊迫感がある。もし、話がまとまらなければ——と相手側に思わせるだけでも、交渉は有利になる。

「あ〜、それにしてもよぉ」

 ジンライは立ち上がると、教会の部屋のなかを一歩、二歩と歩きはじめた。

 教会の部屋は窓枠が三つあり、かなり大きなものだった。ここにいるのは、十人ほどだから、息苦しいということはまったくない。

 ジュールがジンライをにらみつけているのには気づいたが、構わずに続けた。

「いったい、いつまで待たせるつもりなんだろうなぁ」

 ──待たせる、という表現はこの際、正確じゃないよね。こっちは別に約束をしたわけでもなく、勝手に待ち構えているだけなんだからさぁ。

 ジンライは、夜風を蹴るような真似をした。と、夜風は大げさにその場から飛び退いた。

 ──何をするのさ!

「誰が、お前に意見なんて求めた、え? 勝手に喋ってんじゃねぇよ」

 ──喋るな、だって? フン! 仕方ないじゃない。あんたとは魔力結合の状態にあるんだからさ。喋る以前に、ものを考えただけでこっちの頭のなかに直接、ことばが響いてしまうんだからね。

 球猫には思念波である程度、コミュニケーションを取る能力があるのだが、夜風のように人間のことばを理解できるほどの知性はないのが、通常だった。それが、夜風に限って会話できるのは、彼が使い魔だからだ。

 使い魔とは──ファーヴィル教の神官や評議会に属する魔道士に与えられている特殊な生物で、人間のことばを理解するだけの知性と、神官や魔道士を支援する様々な魔力、それに特殊な能力が与えられていた。

 もともと、夜風はジンライではなく、”漆黒の牙”の魔術師であるノーマダールの使い魔だったのだが、どうしたことかジンライと魔力結合の状態となってしまったのだ。

 魔力結合とは、魔力を持つ者同士が精神的な絆で結ばれていることを指す。魔術師と使い魔は常に魔力結合の状態にある。が、ジンライは魔力を持っていないので、夜風とは思念波で会話する程度のことぐらいしか、できずにいた。

 ジンライは舌打ちをすると、夜風に背中を向けた。その場に、あぐらをかいて座った。

 夜風のほうも、ジンライに背を向けた。背中を丸めて、床の上にうずくまった。

 それを見て、アイルがくすりと笑った。

「……なんだよ。何を笑っているんだ」

 ジンライが言うと、アイルは肩をすくめた。

「あんたたちって、本当に似ているな、と思ってね」

「おれたちが? 似ている?」

 ──そのような、おぞましいこと、口にして欲しくはないよね。

 ジンライと夜風が、ほとんど同時に言った。

 夜風がくるりと、ジンライを振り返った。視線が合うが、また互いに背中を向けた。

「おい! おぞましいって、どういうことだよ」

 ──そのままの意味だよ。……まさかとは思うけど、”おぞましい”の意味がわからないってことはないよねぇ。

「んなこと、あるわけねぇだろうが。おれにだって、おぞましいくらいの意味、わかってらぁ」

「じゃあ、教えてもらいたいもんだね。おぞましいの意味を」

 アイルが口を挟んだ。

「え──」

「だから──おぞましいの意味をさ」

「な、何を……っていうか、どうしてそんなことを、わざわざおまえに言わなきゃならないんだよ」

「あたいは、おぞましいの意味がわからないからね。後学のために、教えてくれよ」

「あのなぁ──」

「まさか、とは思うけど」

 アイルが腕を組んだ。挑みかかるように、ジンライを見下ろした。

「知らないってことはないよね。あれだけの口を利いたんだからさ」

「あ……当たり前だろ。もちろん、知ってるさ」

「じゃあ、教えてもらえるかい。さぁ、早く!」

 ジンライは口を開きかけ、首を横に振った。アイル以外の海賊仲間へ視線をさまよわせるが、誰も彼を見ようともしなかった。

「い……いいか? おぞましいの意味はな──」

 ──シッ! 黙って。

 突然、夜風がジンライのことばを遮った。

 ──ノーマダールから連絡だよ。

 次の瞬間、ジンライの頭のなかに夜風を通じて”声なき”声が響いた。

 ──夜風。それに、ジンライ。お待たせ致しました。いよいよ、はじまるようですよ。

 夜風がぴくりと、体格に似合わないほどの大きな耳を動かすと、窓際までとことこと、歩いていった。ジンライも、それに続いた。

「ちょ……ちょっと。ジンライ! 話はまだ終わって──」

 ノーマダールの声を直接、聞くことのできないアイルが驚いたような表情を浮かべて、ジンライを見た。

 ──静かに。

 夜風が、アイルたちに向かって言った。

「やぁれ、やれ。ついに……か。いつまで待たせるんだか」

 ──そうだよねぇ。もう四年近くもずっと、ここで待たされているような、そんな気がするよね。

 ジンライと夜風のことばに、「漆黒の牙」号の乗組員が視線を合わせ、それから、彼らの周囲に集まってきた。

 ──あれか。

 夜風が暮色に染まりかけた空の一点を見上げ、つぶやいた。

「どこだ? どこに……」

 ──わからないのか? ほら! あそこだよ、あそこ。

「口で言ったって、わかるわけねーだろが。指で示せよ、指で」

 ──指? 指だって! このわたしに、二足直立獣のあんたたちの真似をしろって言うのかい。

「おい! 聞こえたぞ。今、おれたちを差別するようなことを言っただろう。ふざけるな──」

 なおも夜風に?みつこうとするジンライの膝を、アイルが後ろから蹴飛ばした。転倒するジンライには目もくれず、アイルは窓の向こうに見入った。

「……あれだね」

 アイルが空の一点を、指差した。

 耳をすませば、かすかに聞こえるか聞こえない程度だが、鳥が羽ばたくような音が聞こえてきた。

 一度、気がつけば、見つけるのは容易いことだった。

 宵闇に染まろうとする空を背景に、巨大な黒鳥が翼を大きく動かしながら、こちらへと降下してくるのが、視界に入ってきた。

 いや! そうではない。あれは──鳥などではなかった。

 羽ばたき飛行機械(オーニソプター)だ。アスカでは、移動の手段としてフリゲート艦やキャラック、ガレオン船といった風搬船が用いられるのがほとんどだが、なかには火甲船(かこうせん)と呼ばれる金属製の船体を持つ船も存在する。

 風搬船(ふうはんせん)は現在でも作られているが、火甲船をはじめから建造する技は失われてしまって(ロスト)いる。現在、使用可能な火甲船はそのすべてが、先史文明種族(フォアルーラー)の遺跡で発見されたものである。

 先史文明種族──それは、アスカの民が彼の地に移民してくる以前に、浮遊大陸と雲海、それに星々の彼方までもを支配していたとされる種族の名だった。

 される、と但し書きがつくのは、実際のところ、先史文明種族について、よくわかっていないからだ。アスカの民がこの地に漂着した時、既に彼らの姿はなく、遺跡でしか、その存在を明らかにすることはできなかった。そのため、先史文明種族を研究しているファーヴィルの神官のなかには、彼らは存在していなかった、遺跡はアスカの民がつくりあげたものだ──そう唱える者までもが、いるようだった。

 確かに、先史文明種族が如何にして高度な文明を築き、支配領域を広げ、そして遺跡だけを残して滅亡してしまったのか、明らかにされていない。

 とは言え、今も遺跡からアスカの技術水準を遥かに超える工芸品──聖遺物(アーティファクト)は発見されており、それを利用する側にとっては、どうでもいいことではあった。

 ──市場跡にいる”碧雲の七星”の海賊どもも、羽ばたき飛行機械に、気がついたようだった。同じく、空を見あげて指を差したり、声をあげたり、または合図のつもりだろうか、大きく腕を振る者までもがいた。

「しかし──まさか、羽ばたき飛行機械でここまで、やって来るとはね」

 アイルがつぶやくように、言った。

 羽ばたき飛行機械にも、様々なタイプがあるのだが、ジンライたちが見上げている羽ばたき飛行機械の外見は、鳥にそっくりだった。くちばしと瞳、翼を持ち、尻尾はバランスを取るためか、鞭状の長いものになっていた。飛行機械の下にはゴンドラが吊り下げられていて、そこに人の姿が見えていた。

 ──羽ばたき飛行機械でなければ、この時間までにここに来るのに、とても間に合いそうにないからね。

 確かに、夜風の言うとおりだった。風搬船で来るのなら、ずっと以前にゼヴィアたちに発見されているはずだし、もっと目立たない小型の乗り物で来るのなら、この空域は危険すぎる。

 岩礁帯は大は砦ほど、小は小石までの様々な大きさの岩と石が無秩序に衝突をくり返しながら、空域を行き交う場所なのだが、ある程度、風の動きや時間帯などで安全な場所を読むことができる。

 しかし──フェロー岩礁帯はその他の岩礁帯と異なっている。ここは風の動きが複雑で、ある瞬間には無風になったかと思うと、次の瞬間には突風が吹いたりして、船を操るのにも苦労がいるし、大岩の占める割合も大きい上にかなりの高速で移動するので、並みの風搬船であれば船体を破壊されて雲海の底へ墜落──などと言うことにも、なりかねなかった。

 ルーエン島の周辺はそれでもまだ、風も岩の動きも穏やかなのだが、魔鉱がまだ掘りつくされていなかった時も、大型の船は近づくことができないので、上陸用の舟艇で何度も鉱石の積み替えをしなければならなかったほどだ。

 「漆黒の牙」号も”青銅の斧”の裏取り引きの場面に踏み込む前に破壊されてしまっては、しまらないことになってしまうので、ルーエン島から離れたところに待機させていた。

 羽ばたき飛行機械は大きく動かし、降下する速度を緩めると、脚を広げた。どすん、と音までは聞こえてこなかったが、地響きをたてて、羽ばたき飛行機械は市場跡に着地した。ゴンドラが激しく揺れたが、地面に投げ出されるとまではいかなかった。

 ──投げ出されたらいいのになぁ。

 思っていたことを、夜風に言われてジンライはどきりとした。彼のかたわらにいる球猫を、見下ろした。

「おまえ、性格が悪くなったな」

 ──ジンライ。あんたに、言われたくないよねぇ。それに、ヒトにはこういう言葉があるって聞いたことがあるけど。種に交われば、闇となるって。

「それを言うんなら、朱に交われば、赤くなるだ。何だよ、種とか闇とか。まったく、意味が通らないじゃねぇか」

 ──ヒトのことばの意味には、興味ないからね。

「あぁ、そうかい」

 ──それに、あんただって同じことを思ったはずだよ。ここであの羽ばたき飛行機械が”碧雲の七星”の海賊どもを巻き添えに墜落でもしてくれたら、面倒がなくなるってさ。

「そんなことになったら、”青銅の斧”の重要な情報が得られなくなってしまうじゃないか」

 ──重要な情報? そんなこと、思ってもないくせに。ジンライだって、今すぐにでもこの島からおさらばしたいって、そう思っているんでしょう。

「ば! ……()()野郎。んなこと、思ってねぇよ」

 ──はぁ〜ん。どうだかね。

「おふたりさん──」

 ジンライと夜風が、同時にジュールを振り返った。

「わかってるよ、ジュール。これ以上、おしゃべりをするなってんだろう」

 ──皆まで言わなくても、ジュール! あんたの言いたいことは理解しているよ。

「……だったら、少し考えて行動してくれ」

 ジュールが大仰にため息をつくと、手を叩いた。

「よし! それでは配置につくぞ」

 おう! と海賊たちが声をあげた。

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