F.
この世では、死ぬことは新らしくない。だが、生きることも別に新しくない。
――エセーニン
ひんやりとした感触に、ジンライは目を覚ました。身を起こした。
よだれが糸を引き、ジンライはあわてて口もとをぬぐった。
その場にあぐらをかくが、違和感があった。
左の腰に手をやり、それから周囲を見渡した。
――あれ? おれ、刀をどこに置いたっけなぁ
いや! それよりも、ジンライは重要なことにひとつ、気がついた。
「ここは一体、どこだ?」
どうにもこうにも、頭が回らなかった。状況が飲み込めない。
ジンライはまだ若い、二十代前後に見える青年だった。
背はもともと高いのだが、やせて手足も長いので、やや弱々しげに映った。
顔立ちで目立つのは、まゆの部分だろうか。太い筆で描ききったように、黒々としていた。
髪はまゆと同じで黒く、それを首の後ろでまとめ、背中へと流していた。
ジンライが身につけているのは、腰まである羽織に袴、という出で立ちだった。
それはこの世界で通常見られるチュニックやシャツ、ジャケットなどと比べると、とてもというか、かなり風変わりに映るものだった。
今、そのジンライがいるのは小さな部屋だった。
床の面積は六畳ほどだった。
それなのに、天井まではとても高さがあった。おそらく、何か台でもないと、あの天井までは届かないだろう。
部屋のつくりとしては、ひどくアンバランスだ。
今の刻限は、夕方くらいなのだろうか。
天井近くにある、やたらと高い位置にある窓には、茜色に染まる雲がのぞいていた。
その窓といっても、床から見上げた限りだが、幅は顔くらいの大きさしかなかった。
明かり取りとしても不充分で、夕刻という今の時間もあるのだろうが、部屋全体が薄暗かった。
――これじゃまるで、牢屋のなかだ。
つぶやいたジンライは視線を窓から、自分の頭の高さに戻した。
すぐ右手の壁を見た。
――あ……あれ?
ジンライは床から、立ち上がった。
自分の目の前にあるものに、目を凝らした。
「う、うそだろッ。これって、まさか――鉄格子、かよぉ」
ジンライは腕をのばした。
鉄格子をつかんだ。
しかし! それは、幻と消えてはくれなかった。ただ、冷たい鉄の感触を返してきただけだった。
「おいッ! 何だよ、これ。出してくれよぉ!」
大声を出し、鉄格子を激しく揺さぶった途端、ジンライの左の肩口に、鋭い痛みが走った。
と同時に、ジンライの腹がぐぅ~、と鳴った。
その場に、へたり込んだ。
羽織の肩のところをそっと、めくってみると、包帯が巻かれていた。
それでジンライは自分が海軍によって、捕まったことを思い出した。
しかし、今はそんなことよりも 。
「あ~、どうでもいいから、腹が減ったぁ。何でもいいから、飯をくれよぉ……」
「エエィ! ごちゃごちゃと、うるさい!」
声がして、ジンライは顔をあげた。
廊下をはさんだ向こうには、さらに鉄格子があった。
ジンライがいるのと同じ、その牢屋にはごみみたいなものが置かれていたのだが、そのごみが身動ぎをした。
「わぁッ! ごみが動いた」
「ごみぃ? ごみが動くわけ、なかろうが」
ごみが、そう言った。
もちろん! ごみが自分でしゃべるはずがなかった。
よく見てみれば、それはごみではなく、きちんとした人だった。
しかし――ぼろぼろの薄汚い衣服に髭面、前髪は額までを完全に覆い隠しており、ジンライがごみと思い込んでしまっても、無理はなかった。
「黙っとけ、イズミの民。騒いだって、無駄無駄ぁ。どぉせ最後には、縛り首になっちまうんだからな」
その場にあぐらをかきながら、髭面の男が言った。
「おれは、イズミの民っていう名じゃねぇッ。ジンライってんだ、覚えとけ」
「名前なんて、どうだっていいさ。あンたもオレも――」
「あぁっ!」
髭面の男のことばを途中で遮り、ジンライが大声をあげた。
鉄格子ごしに、相手を指差した。
「あんた、あのルーエン島にいただろう。はっきりと、顔を覚えているぞッ」
「だから、どーした。オレたち、海賊は捕まったら最後、処刑台に送られちまう運命なんだぜ」
ジンライは激しく、首を横に振った。
「冗談じゃない。おれはこんなところで、縛り首になるような人間じゃないんだ」
髭面の男が、乾いた声で笑った。
「だったら、こっから見事、逃げのびてみせてくれよ。あンたが大ぇした人物なら、相応な逸話を残すはずだからよ」
「もちろん!」
勢いよく、ジンライは立ち上がろうとするが、すぐにへなへなと床に崩れ落ちてしまった。
「だぁめだあ」
「おい、どうした?」
「だってよぉ、腹が減っちまっちゃ、なぁんにもできないじゃないか」
ジンライは唇をかんだ。
腰をどうにかして上げると、鉄格子に背中をあずけさせた。
「なぁ。あんた、名前は?」
ジンライは髭面の男に訊いた。
「そんなこと、聞いてどーする」
「こうやって、あんたって呼び続けるのも、どうかと思ってよ。あぁ、おれの名は、ジンライだ」
「名前なら、さっき聞いたよ」
それから、髭面の男はジンライと同じように、鉄格子に背中を預けた。
「エルマンだ」
「え?」
ジンライは肩ごしに、髭面の男を見た。
「オレの名前だよ」
「エルマン、か。よろしく」
「よろしく? もうすぐ、縛り首になるってのに、よろしく、だって? あンた、本当に面白いことを言うな」
笑い声をあげるエルマンに、ジンライは目を細めた。「ずいぶんと、余裕だな。助かるアテでも、あるってのか?」
「アテぇ? んなの、ないない。あるわけ、ねぇだろうが。ただ――見苦しく騒ぎたくないだけだ」
「ふぅん」
ジンライは顔を、牢の壁に向けた。
「ジンライ」
「ん?」
「あンたこそ、どうなんだ。仲間は、助けに来ないのか」
「無ぅ~理だぁっ……!」
のびをしようと、手を頭上に高く差し上げかけたところで、左肩に痛みが走った。
声はあげなかったものの、顔をしかめた。
「今回はおれのドジで、取っ捕まったようなもんだからな。だから、仲間を危険にさらしてまで、助かりたいとは思わないし――」
ジンライは台詞の途中で、ことばを飲み込んだ。
「思わないし?」
「今はまだ、おれにそこまでの価値はねぇからな」
「そうか」
どうも、ジンライはエルマンの冷めたような物言いが、気に入らなかった。
もし、鉄格子がなければ、左肩を怪我してなければ、そして、これが一番重要なのだが 腹がこれほど減っていなければ――エルマンの胸倉に、つかみ掛かっていたところだ。
しかし……ジンライはもう、立ち上がる気力すら残されていなかった。
「あー、だめだぁ。腹がこんなに減っちまうと、なぁんもする気になれねぇ」
ジンライは深く、ため息をついた。
「もしかすると――」
「ん?」
ジンライは顔だけを動かして、視界の隅にエルマンの姿を捕らえた。
「海軍はオレたちを、飢えさせるつもりかもしれねぇな」
「えーッ、マジかよ」
ジンライが言うと、エルマンがからからと、笑い声をあげた。
「冗談だよ。……縛り首になる前に、一食ぐらいはありつけるだろうさ」
「一食ぅ?! それくらいじゃ、足りねぇよ。こっちは、育ち盛りなんだ――」
言いかけて、ジンライは窓を見た。
「ん? 何だか、騒がしいな」
廊下を何人もの人間が、慌ただしく走っていく音などが聞こえてきた。
足音だけではない。
様々な声や、それにたくさんの人間が集団で行動する時特有の、空気の動きなどが伝わってくる。
「お偉いさんが、到着したようだな」
エルマンが言った。
「お偉いさんって、海軍のか?」
「ああ」
「よっし」
ジンライは自分のひざを勢いよく、ポンとたたいた。
「これでようやく、飯にありつけそうだなッ」
「そういう問題か」
あきれたような声で、エルマンが言った。
「これから縛り首にされちまうかも、しれねぇんだぜ」
「だとしても、その前に食事だろぉ? んなモン、腹がいっぱいになりさえすれば、どうにかなるよ」
「……なるほど。確かにあンたは、大ぇした人物のようだな」
「もッちろん!」
と、ジンライとエルマンがしゃべりあっている間に、先刻まで騒がしかったのが急に、静かになった。
声はおろか、何の物音も聞こえてこない。
ジンライとエルマンがそろって耳を澄ましていると、足音がした。
カツーン、カツーンと、まるで、こちらの気をもたせるように、足音はゆっくりとこちらへ、近づいてきた。
この作品はもともとは宇宙が舞台だったものを、ファンタジーへと背景を移したものです。もともとの作品は『銀河英雄伝説』ばりに、様々な国家や英雄が割拠し、艦隊戦を繰り広げる、というものでした(実際は『銀英伝』ではなく、テーブルトークRPGの『トラベラー』をモトネタにしたものなのですが)。
今回、タイトルがやたらと長いのですが、以前の作品が各章にSFのタイトルを用いてきたので、『小説家になろう』でも同様のスタイルを取らせてもらいました。それでは、よろしくお願いします。