妹からの飛び蹴りはご褒美です
時刻は夜の九時頃。いつものように妹の勉強を見てあげた後、教材を片付けている最中にふと彼女が呟いた。
「お兄ちゃん。あたし、彼氏出来たから」
「…………?」
「だから、彼氏出来たから」
「ナ、ナ、ナンダッテー!」
膝から力が抜け、崩れ落ちる俺。恐らく鏡をみればこの世の終わりのような絶望の表情を浮かべているだろう。
世界一可愛い俺の妹に好きな人が出来ただとっ誰だそんな幸せな奴は!
「アイエエエ! カレシ!? カレシマジデ!?」
「うん、そういう事だから明日から気安く話しかけないでね」
にっこり微笑む。可愛い。……じゃなくて!
「ちょ、ちょっと待って! お兄ちゃんは彼氏なんて認めないからな! どんな奴なの俺の前に連れてきなさいっ」
「それじゃお休み」
「いやああ! 慈悲を! おはようの挨拶と行ってらっしゃいのキスぐらいはせめて」
「いや、一度もそんな事した記憶ないんだけど」
冷たい視線が俺を貫く。ありがとうございます!
「お兄ちゃんが楽しそうで何よりだよ」
「楽しくない! えっ、彼氏って誰、まさか俺の知ってる奴?」
「……」
「なん……だと……!?」
俺は幽鬼のようにふらりと立ち上がると、妹の部屋を出ていく。後ろから天使の呼び声が聞こえてきたが、それどころではなかった。自室に戻り、戦闘服に着替えて家を出た。許さん。誰だか知らんが――いや、心当たりはある。奴に死の鉄槌を下ろしてやろうぞ!
「……ちゃんっ……まっ!」
「うおおおおおっ! 首を洗って待ってろ国見ィィィ!」
咆哮は、世界の産声のようだった。
「おーっす、どうした橘こんな時間に」
夜遅く呼び出したにも関わらずいつも通りのゆるい表情で出迎えてくれた親友に、俺は隠し持っていたフライパンを容赦なく振り下ろした。
「死ねええええええええええっ!!」
「ふぁっ!? 急に何だ危ないだろバカ!」
かわされた!? 俺は恨みの籠った視線で国見を睨み付ける。
「お前が……! 俺の妹を、それで!」
「ごめん何言ってるのか分かんない」
「国見!」
「お、おう」
危ない人間を見るような目で俺から距離を取る親友に指を突きつける。確信があった。犯人はお前だっ。
「………………………………妹を泣かせたら許さんからな。くっ、ふぐっ!」
「何で泣いてるの? 何の話なの? ――わけがわからないよ」
「つまりまとめると、真琴ちゃんに彼氏が出来たらしくて、それがお前の知り合いだと聞いたお前は、僕を呼び出して事に及んだ、と。……ごめん、さっぱり分からないんだけど何で僕?」
「顔が良くて金持ってて優しくて妹が惚れても仕方ないと考えたのが貴様だけだったからだ!」
「いやいや、ないない。第一、僕彼女いるし」
「五人以上女の子を侍らせてる奴の台詞な。殺すぞ国見」
来るもの拒まずのこやつの周りは気付けばハーレム状態となっていた。俺に害は無いし放っておいたのだが。
「まさか俺の可愛い妹までハーレムに加えていたとはな! 今すぐ解散しろクソヤロウ!」
「いや、皆大切な子達だし。……何より妹ちゃんだけは無いよ」
「うちの真琴じゃ不足だって言うのか!」
「そ、そうじゃなくてさ、ほら、その……」
国見は俺の剣幕に呆れつつも、何か言いづらそうに頬を掻いた。
「僕は来るもの拒まずだけど、爆弾だけは抱える気はないんだよ」
オーケー、遺言はそれだけだな。俺は手元をみる。フライパンが「いつでも行けるぜ相棒」と語りかけて来た気がした。
「――まあ真琴ちゃんに限って彼氏なんてありえないと思うけど、ってちょっと待て、目が据わってるよ橘? 冗談だよね、ま、待って、話し合えば分かるから、つか僕何もしてないきゃーっ!」
兄が奇声を発しながら出ていった玄関を、真琴はじっと見つめていた。
――何か嫌な予感がする。
彼氏が出来たと言ったのは嘘だ。そんな事は百度生まれ変わってもありえない。自分はずっと妹で、彼は兄なのだから。
まさかあんなにショックを受けるとは思わなかった。友人の助言通り、これでもっと自分を見てくれるだろうか?
少々歪な思考をしながら彼女は玄関を出て最愛の兄を探す。ほとんど勘だったが、こんな時間に騒がしい公園を見つける。恐らく兄だろう。真琴は笑顔で兄に声をかけた。
「――お兄、ちゃん?」
兄曰く天使と評される笑顔が固まる。彼女が目にしたのは、
「ば、ばかっ。どこ、触ってる、んっ」
艶やかな色を浮かべている、兄の昔からの親友で大変魅力的な女性でもある国見早紀と、
「動くんじゃねえ国見! 黙って(罰を)受け入れろ!」
彼女に馬乗りになっている大好きな兄の姿だった。
「…………おにいちゃん」
「ん? おお! 少し待っていろ我が妹よ。今こいつにお仕置きを――」
――音もなく、駆け出した。
真琴がいた所には土煙が残り、数十メートルあった距離が一気に縮まる。それに気付いた国見は静かに二人の世界から離れた。兄は妹が自分に駆け寄ってくるのが嬉しいのか両手をあげてスタンバイ。二人の距離が残り数メートルとなった瞬間、――彼女は飛んだ。
「お兄ちゃんの、馬鹿野郎おおおお!!」
「ふつくしい……」
意味の分からない事を呟く兄に、綺麗なフォームの飛び蹴りがクリーンヒットした。
「ありがとうございます!!!!」
親友はガチレズ。妹はプチヤンデレ。