とりあえず着替えたい
丸太に腰掛けた私の目の前で、ナナ母は作業に追われていました。
紫紅猪の血抜きです。
血の匂いで他の獣を呼び寄せてしまうのではないかと思ったのですが、ナナ母は無頓着です。
やってるのは首を切った紫紅猪を逆さに木に吊し、血が落ちる位置に穴を掘っただけ--後はしばらく放置。内臓は帰ってから処理するようです。
ついでとばかりに、ナナ母は隣の枝に色鮮やかな鳥を二羽、やはり同じ様に逆さ吊りにしました。……いつの間に。
随分と派手な鳥です。背中は青と緑のグラデーション、腹側は朱色と金。首に射られた跡があります。私とエルディンが百を数えていた頃にでも狩ったのでしょう。
紫紅猪を一矢で仕留めた事からも、ナナ母の腕前が凄いものだと分かります。
「この鳥達はねー、村長さんのお土産にするのよ」
ああ、贈賄ですか。
四歳児二人を外に連れ出すにあたって、取引があったと思われます。村長さん耄碌説は消えました。
私は立ち上がり、ナナ母の側へ行きました。まだ小さな私目線からは、吊された紫紅猪の口の中がよく見えます。
……やっぱり赤紫色ですね。血は普通に赤いというのに。とても毒々しいのですが、コレがごちそう、と。ホントかよ。
今はひとまず置いておくとして、それよりも。
「ナナかーさん、エルの光はいつ消えますか」
あの光の壁、まだ残ってました。
振り返れば、途方に暮れたエルディンが立っています。その周りには円柱状の光の膜。客観的にはこう見えるのですね。
護符が発動したあの時、実は私達二人分--つまり私とエルディンがそれぞれ光の壁を出現させ、しかもそれが綺麗に重なっていたらしいのです。共鳴、とナナ母は言いました。光強くね? とは思ったのですが、結構強固なものになっていて、それで紫紅猪は弾き飛ばされたみたいですね。
私の分の光の壁--もう結界と呼びますが、それはナナ母が紫紅猪を吊すべく、後足に縄を巻き付けている時に消えてしまいました。
光が弱まったな、と思ったら私だけが閉め出されて、エルディンのみの結界に変わったのです。 妙な疲労感が私には残っています。ナナ母に疲れただけではなく、魔力切れ、というヤツです。
あの結界、移動そのものは阻害されません。よく見れば足元の方は、光が薄くなっています。物を跨ぐくらいはできます。
しかしここは森の中。いざ歩き出せば木々にゴンゴンぶつかって、ままならない事でしょう。ああ、それでこの開けた場所ですか。
エルディンも、魔力が切れるまであの状態なのでしょうか?
「あ、だいじょーぶよ? 魔力が切れたら消えるから」
まさに考えていた通りの事を言われました。母上サマ、それって本当に大丈夫なんですか。
しかし、この様子ではエルディンの魔力は、私よりかなり多い事になります。
私はナナ母の顔を見上げました。どこか面白がっているような……いえ、企んでいる表情です。
--この世界の生命には必ず魔力が宿ります。人もまた然り。そして人間の肉体は成長するものです。また身体は鍛える事ができます。
……では、魔力はどうなるのでしょうか?
ファンタジーな世界に転生したのは、今世が初めてではありません。魔法にはそれなりに馴染みがあります。
肉体そのものに魔力を宿したり、もしくは大気中の魔力を利用したり。ああ、魂の力がそのまま魔力として発現する世界もありました。
……あの時は、生まれた翌日には魔力過多で死にましたが。チート要らないです。世界との相性が悪かったんです。
それはともかく。
要するに、今の時点で私は、ある程度己の魔力をどうすれば扱えるかを理解できているのですよ。それで当然、結界を止めるべく試してみたのです。あ、魔力切れを起こす前の話ですよ。
……で、止めれませんでした。強制的に魔力が護符に流れていってしまったんですよね。これは護符がそういう仕組みになっていると見做すべきです。
魔力が切れるまで、結界が発生し続ける--それのメリットって、何でしょうね。普通、オンオフの切り換えを付けますよね。
これってやっぱり、アレですか。
魔力を使い切ったら、回復した時に魔力量が増えちゃう定番パターンですか。
器を鍛えて魔力の底上げだとか、狙ってますか、ナナ母サマ。
我が子の物問いたげな視線をガン無視して、ナナ母は血抜きの後始末に移りました。獲物を地面に下ろし、私とエルディンが持ってきていた袋に入れます。そして血の溜まった穴は埋め直します。これにて終了です。
「……ミア」
眺めていたら、袖を引っ張られました。おや?
エルディンもやっと魔力が切れて、めでたく結界消滅したようです。あ、別にめでたくないですか。
エルディンはおずおずと口を開きました。
「……とりのあし、よけちゃってごめんね?」
何このカワイイの。
上目遣いだとか、どこで学びましたか!
美少女顔乙。いえ、美少年ですが。
「ゆるします」
即答致しました。
獲物を担いでいざ帰宅します。
ナナ母は紫紅猪を、私とエルディンは鳥を一羽ずつ持ちました。それぞれ袋に入れておりますので、手は汚れません。
もう汚れてますけどね……流石に顔は拭いましたが、私は服の前面が、エルディンは背中側が。
この汚れは落ちませんね、時間経ってますし……。
ナナ母様、説明はお任せしました。
私達は子供ですので、罪は無いと信じています。