第八話
「……ジナムさん、あの何か……怒ってますか?」
「地顔だ」
俺の素っ気ない態度にリヒトが戸惑っているのは分かっていた。
でも俺はわざと気付かない。理解した所で改めてやれそうもないのだ。
リヒトには示してやらなかったが機嫌が悪い。はっきり憤っている。
さっきまでは最高の気分だった。
買い出しとはいえ、久々の二人きり。
いつも通り話も盛り上がって、けれど。
『そういえば、この間ツェリさんが』
リヒトにとってはただの話題提供だったのかもしれない。
でも俺の機嫌は急降下していった。
彼が悪くない事は自分とて分かっている。
だが今はその名前すら聞きたくなかったのだ。
「お前は」
我ながら何とも幼稚だとは思う。
くだらない独占欲でリヒトを困らせ、
今から更に悩ませようとしているのだから。
「ツェリが好きなのか」
「好きですよ?」
想像とは違い即答だった。
のわりに照れくさそうなのがまた心を削る。
その場で跪かなかったのが奇跡だ。
「……やっぱりそうなのか」
「はい。話してると勉強に……じ、ジナムさん?どこに行くんですか?」
咄嗟に掴んだ手首は簡単に折れてしまいそうな細さだった。
非力なのを良いことに路地裏へと連れて行く。
抵抗が無いのは信頼からなのか、それが嬉しくも心を乱していく。
◆◆◆◆◆◆
「ジ……ジナムさん……?」
続くであろう拒絶を遮る為に、更にきつく抱きしめる。
どうすべきか判断できないのだろう、腕の中で固まるリヒト。
喧噪が僅かに耳へ届く、人通りはすぐそこ。でも周囲には俺達しかいない。
「リヒト」
「は、はいっ!」
「……意地でも離さん」
そう告げた声は隠しようもない位、苛立っていた。
少し、けれど逃げられない程度に腕の力を緩めてリヒトの表情を見やる。
ぽかんと大きく開かれた口。だめだ、これはたぶん理解できてない。
聡明なくせに肝心な所は鈍い奴だ。
「意地でも離さん、と言った」
耳元でしっかりと宣言する。
俺の服を両手で握りながらリヒトは胸へ顔を埋めた。
単にくすぐったくて縋り付いているのか、それでもいい。
俺の腕にリヒトがいる事が重要なのだ。
「俺はお前を諦めるつもりは無い」
肩を掴んで、俺と目が合うようにリヒトの体を動かす。
気の利いた台詞でも言えれば良かったが、俺には本音をぶつけるしかできない。
心の内を言い放てば、リヒトは疑問符を浮かべている。
何故そんな顔をするのか、俺にはわからない。
「お前がツェリを愛したとしても知らん」
「へ?あ、愛し?」
「お前が好きだ」
「は、はひぃっ?!」
上ずった声でリヒトが叫ぶ、あれは噛んだな。
俺の期待を誘うようにリヒトの顔が真っ赤に染まった。
さっき以上に口が広がっている、澄んだ青の瞳は何度も瞬きを繰り返していた。
何をそんな面食らうのか。単に俺は本心を……。
「ジ、ジナムさん、あの」
「……何も言うな」
付き合い始めもそうだったが、また勢い任せでやってしまった。
こっぱずかしい。もう少し包んで言えないのか、俺は。
さっきの威勢はどこへ行ったのかと小心になりつつ、
聞いてくれと強く望むリヒトへ耳を傾ける。
「さっきのツェリさんへの好意はあくまで友情です。
それ以上でもそれ以下でもありません」
「……お前は昔からよくアイツを見ていただろう」
「否定できませんが、それは彼女が憧れの存在だったからです。
一魔術師として。あとゲイルさんと彼女の関係を羨んでいた」
ですから、と零し黙りこむリヒト。
背中に腕が回る。より密着した状態でリヒトは顔を仰向けた。
何度か言い淀んで、きゅっと唇を結ぶ。そして俺だけに聞こえるよう告げた。
「ぼ、僕が、ぁ、あ、愛してる、のは……ジナムさん、だけ……です」
言い終えたリヒトの顔を見つめる。涙目なのは羞恥心からなのか。
ぼふっと再びリヒトは俺の胸で顔を隠す。
彼には悪いが見たい。片腕で抱きとめたまま、空いた方の手で顎を掴む。
強く握り込まれた拳で服が皺になりそうだったが気にならなかった。
「……誤解させてごめんなさい」
彼の顔を上向かせた直後にリヒトは言う。
勘違いして悪かった、そう謝るつもりだったのだが先を越された。
目を逸らされるかと思ったがリヒトはまっすぐ俺を見る。
潤んだ空色はいつまでも見惚れてしまう。それも悪くないが。
顎に当てていた手で今度は彼の視界を遮る。これで俺のにやけ面は見えないだろう。
「ジ、ナムさ」
嫉妬を含まない二度目の口付けは幸福感しかなかった。