第十二話
「おはようございます、ジナムさん」
「ああ」
倒れて数日、あれからもジナムさんの態度はいつも通り。
僕の気持ちを酌み取ってくれているのだろう。
一向に尋ねてくる様子は無かった。きっと僕が話すのを待ってくれる。
だから僕は彼の優しさにつけこんで身勝手を選んだ。
最低の選択だとしても何も語らない。その日に向けて、荷物をまとめはじめた。
選んだのは別離。苦しくないと言ったら嘘だ。一緒に居たい、できるならずっと。
でもそれ以上に彼を僕の悪夢に巻き込みたくない。
僕は今あの女を捜してる、あの女も僕を探ってる。邂逅はもうすぐだと何となく感じていた。
何が何でも先に見つけてみせる。僕の大切な人達へ毒牙がかかる前に。
まだ迷いがあるけれどその前に終焉はやってくるだろう。
僕が何者かは知らせないまま、あの女を見つけたらすぐに僕は元の世界へ帰る。
もしどうにかして追いかけてもらっても、その頃には僕はもう死んでいる。
自分の末路の予想はついていた。彼に余計な危険を冒させたくない。
綺麗な思い出だけ残す、きっとそれが最良の選択だ。
(なのにどうして)
僕は後悔してるんだろう。
◆◆◆◆◆◆
あの日から夢見が酷くなった。一つ物を片付ける度、どんどん悪くなっていく。
気持ち悪い、でも眠りたくない、寝るのが怖い。
不眠状態に陥って、ここ最近の僕は酷い顔をしてる。
だから魔法で隠した。おかげジナムさんを含め、みんな僕の不調に気付いてない。
「はーい、リヒト、そんくらいで止めとこうねー」
「あっ」
夜中、僕はカウンターでひたすら珈琲をあおっていた。
眠気と戦っていたならば軽い口調の忠告、持っていたカップが没収される。
そして僕の隣に彼は腰掛けた。
「こんな時間にぐびぐび口にするもんじゃないねえ、こりゃ」
「……ゲイルさん」
「寝不足ならはい、ホットミルクー」
そう言って代わりに置かれた湯気が立つカップ。
少し甘い香りがする、はちみつとカモミールだろうか。
おいしそう、と思った。でも僕は飲めずに俯く。
「これはお嫌い?」
「いえ……ただ、眠りたくないんです」
「嫌な夢でも見んの?」
「え?」
「こんなクマ作ってまで起きてるなんて普通じゃないしねえ。
ツェリの目はだませても、おっさんの鼻はごまかせんよー」
そう言って目の下をなぞられた。白粉の匂い、と彼が薄く笑う。
魔法耐性の強いツェリさんには初日に心配そうに声を掛けられた。
ならばと化粧で対策はとったつもりだったのに。まさかそれすらも越えられるとは。
どうも彼は商人でありながら魔術の才にも恵まれていたらしい。
ただでさえ目敏いのに鼻まで利くとは……これではもう出し抜けやしない。
「最近みんなを避けてるのと関係ある?」
「さ、けてるつもりは……」
「お前さんが倒れて以来、様子がおかしいってツェリが気にしてたけど?
そもそも無関係のおっさんから見ても挙動不審よー」
結局彼女にも不信を与えたままだったのか。
これじゃジナムさんにも気付かれているかもしれない。
ぐるぐるとカップのスプーンを回す。何も話せず、ただひたすらにそれを繰り返していた。
「っ本当、に……違うん、です……」
納得してほしかった。だから瞳を見て訴えようと。
そこで気付いて歯の根が震えた。彼の瞳は、あかいろ、おなじいろ、あのひとあのひとと。
鮮明に甦る悪夢。怖い、こわいこわいこわい。だけど逸らせない。
今すぐ泣き叫んで逃げ出したかった。そうしなかったのは最後の意地。
ぐっと噛み殺し平静を装った。それに彼は僕へ目を凝らす。
「なになにリヒト、そんなにおっさんの目、気になるの?」
綺麗なピジョンブラッドだろー?と顔を緩めるゲイルさん。
僕はどうにか肯定の言葉を返した。
それに目を細めながら彼は言う、屈託のないとびきりの笑顔で。
「おっさんもこの目大っ嫌い」
「……え?」
「この容姿で散々な人生送ってきたからねえ。
おかげで昔はおっさんどうしようもないクズだったんよ。
でも変えてもらえた、一人で足掻いていた時が嘘みたいにねえ」
今でもまともじゃないけど。そう言いながら自然と視線を外す。
ゲイルさんは僕が赤目に怯えている事に気がついていたようだ。
その事はさっきの台詞でさりげなく告げられていた。
回想しながら語るゲイルさんは優しい表情を浮かべている。
戸惑う僕にすっと目を合わせて彼は教えてくれた。
「助けられるのに救えないのって結構傷つくもんさ。
だから一人で抱え込まずに誰かに変えてもらってもいいんよ、リヒト。
お前さんが好きな人はだーれも嫌がったりしないさ」
じゃあおやすみ、と彼は僕の頭に手を軽く置いて立ち去る。
残った僕の手元にはあたたかいカップ。その中の白を見つめながら思う。
わかっていた。もし僕が頼ったなら助けてくれる。
たとえそれが命がけの事だろうとも。
「だからこそ、できないんです……」
ぼやきながらカップに口を付ける。
心地良い眠りを誘う味。でもきっと今夜も悪夢は続くのだ。