「やれ」って言われないことを空回りするのがオレだぜ?
これはやったらまずいだろう、と、思うけれども。
時代が時代なら、不敬の罪として捕らえられるだろうけれども。
両陛下の歌会始の儀で詠まれた歌に触発されてネット上で返歌をしてみる。
天皇陛下
津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
【返歌】
日の出づる平たき海の年初め岸辺たつ吾まぶた荒れたり
【「津波が来たときの岸辺はいかがなものだったろうと見下ろした海はもはや青く静まっていた」とする陛下のお心には、どうやら真っ先に現地にいらっしゃりたかった痛切な後悔もにじんでいるように感じられる。歌会始に詠まれたものであるから、第五句「青く静まる」は、被災地に向けて、落ち着いた日々を一日も早く、という復興を詠み込まれたものと思われる。お答えして、初日の出を眺めるすがすがしさに復興を志す歌を詠む。「日が昇ってくる平らな海が見える場所へ初日拝みに参りました、まぶたは涙に荒れましたが岸辺に立っています」。「荒れ」は「海」の縁語、人間のまぶたを海に見立てる】
皇后陛下
帰り来るを立ちて待てるに季のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
【返歌】
季問へば今は昔と謂れたる忘れがたきを岸見ての待ち
【「帰ってくるのを立ち続けて待っているというのには季節がないのでしょう、待つ『岸』という言葉は歳時記には見当たらないものです」とする陛下のお心には、季節を越えてずっと帰ってくるのを待っている待ち人の心の切なさが浮き彫りにされているように感じられる。歳時記とはこの場合「俳句の季語をまとめたもの」と考えられる。お答えして「立ちて待てる」ことの志を述べる。「いつごろからあるのか、と人に問うと、昔々だ、といわれる様々な謂れのある、忘れ難い、心は軋むけれど岸を見る町があることです」。「岸見」を掛詞として「軋み」、「待ち」を掛詞として「町」と扱った】
歌会始の儀という儀式に矢を放つつもりは毛頭ないと言って、ネット上に甚だ無礼にも、陛下へ返歌をしようとするのは、極めてタブーであろうと存ずるところである。
ましてや、一流の歌人や作家であるならばいざしらず、埒もない社会不適合者がこれをやれば、罪そのものであるかもしれない。
それでもとめどなく溢れるは涙。
両陛下のお心へ謝辞をお伝えしたい気持ちなのだ。