異世界カルテル~勇者だけど人類がヤバそうだから裏で魔王と手を組むことにした~
連載用ネタのお試し投稿。
俺は正義の味方だ。人類の為に命を懸けて魔族と戦い続けてきた。
名も無い兵士として戦場に飛び込み、この手の届く限りの人々を守り、いつしか勇者と呼ばれるようになっていた。
誰よりも正義を為してきたと胸を張れる。
だからこそ、血に塗れた自分の手を見てふと思ってしまった。
正義を謳いながら命を奪うことしかできない自分は、なにか根本から間違った生物なのではないだろうか。
──キィン!!
硬い音を立てて真銀製の杖が両断される。女は杖を犠牲にしても剣戟の勢いを殺しきれず、吹き飛ばされて背中から石造りの床の上を転がった。
「ぐぅ……っ」
女は直ぐに立ち上がろうとするが衝撃で身体に力が入らない。ダメージもそうだが、目の前の男が纏う絶望が女の身体から抗う気力を奪っていた。
──強い。これが勇者……!
焦げ茶色の髪と目を持つ平凡であり触れた容姿の青年。ボロボロの鎖帷子。特別な業物とも思えない無骨な片手半剣。その姿は英雄譚に語られる華々しさなど微塵もなく、殺し屋のようにしか見えなかった。
「……弱いな。お前、本当に魔王か?」
勇者は女に剣を突きつけて言った。
魔王と呼ばれた女は腰まで届く絹糸のような銀糸と金の瞳を持つ絶世の美女だった。王と呼ぶにはあまりに儚く、姫君と呼んだ方がふさわしく思える。
「影武者とでも思ったか? 残念ながら本物だよ。もし影武者を使うなら、もう少し威厳のある見た目の者をあてがうさ」
魔王は仰向けのまま皮肉気に言った。
そこは玉座の間であった。ただし普段そこに控えている配下の姿は今はなく、いるのは勇者と魔王の二人だけ。深夜のガランとした石造りの広間を天井の窓から差し込む月明かりだけが照らしていた。
勇者との戦いでかなり大きな音が出ていたが、配下の者たちが駆けつけてくる気配はない。既に殺されたか──魔王は生存を諦め口元を皮肉の形に歪めた。
「……まあいい。殺せ。貴様の勝ちだ」
実力差は圧倒的。足掻いたところで勝ち目はない。魔王は目を閉じ、ジッと最期の時を待った。しかし、
「────?」
いつまで経っても勇者の刃が振り下ろされることはなかった。魔王は訝し気に目を開ける。するとそこには顔を顰めて立ち尽くす勇者の姿があった。
「どうした? 貴様の狙いはこの魔王の首だろう? 勿体ぶっていないで一思いにやってくれ」
魔王は本心からそう言った。だが勇者は動かない。魔王が苛立ち、一体何なんだと文句の一つも言ってやろうと口を開こうとした瞬間、勇者が言った。
「……俺は魔王を倒してこの戦いを終わらせるためにここに来た。魔王さえ倒せば魔族はまとまりを失い、戦いを続ける力を失うと聞いて……」
勇者はそこで改めて魔王の姿を見て続けた。
「だがお前を倒せば本当にこの戦いは終わるのか……?」
「……それを私に聞くのか?」
魔王は苦笑した。どうやら勇者は魔王のことを『圧倒的な武力とカリスマで魔族をまとめ上げる支配者』とでも思っていたらしい。それがいざ蓋を開けてみれば自分より圧倒的に弱い小娘。自分の考えに自信を失ったとしても不思議ではない。
「まあいい。答えてやろう──否だ。私を殺したところでこの戦いは終わらんよ」
「────」
魔王は死にゆく自分の最後の嫌がらせのつもりで言った。
「魔族とは複数の氏族からなる連合体であり、魔王とはそのまとめ役に過ぎん。私を殺したところで他の氏族長の中から新たな魔王が選出されるだけだ。貴様ら人間も数ある国の王を一人殺しただけで人類全体が破綻することなどあり得ないだろう? それと同じことさ」
さて、苦労してここまで辿り着き魔王を追い詰めたというのに、それが無駄骨だったと聞かされた勇者は一体どんな顔をしているだろう?
「────?」
魔王は目を丸くした。
「……おい」
「うん?」
「何故ホッとした顔をしているんだ?」
「──え?」
言われて、勇者は初めてそのことに気づいたように自分の顔に手を当てる。
「君は──」
「姫様から離れろぉぉぉっ!!」
魔王の言葉を遮って、銀閃が走った。
──ギィン!!
常人なら視認することすら困難な背後からの一閃を、勇者は余裕をもって剣の腹で受け止め、あっさりと弾き返した。
「くっ!」
奇襲の主は給仕服を身に纏い一まとめにした金髪をサイドに垂らした少女。魔王の側近たる女近侍だ。
女近侍は今の一合で勇者との実力差を理解したのだろう。決死の表情を浮かべ魔王に向けて叫んだ。
「姫様、ここは私が食い止めます! どうか今の内にお逃げください!!」
それが無謀な発言であることは女近侍も理解していた。勇者がその気になれば時間稼ぎすら不可能。一太刀で切り捨てられて終わりだ。だがそれでもやらなくてはならないと覚悟を決める。
こちらに向き直ることもせず冷めた視線だけを向ける勇者に対し、女近侍は全身に力を溜めて飛び掛かろうとした。
「止めよ!!」
「!?」
魔王の一喝が女近侍の動きを止める。魔王は上半身を起こし、冷静に言った。
「……お前が命を捨てたところでその男を止めることはできぬ。無駄なことは止めよ」
「し、しかし──」
顔を歪める女近侍に、魔王は服の埃を払いながら言った
「それよりもお茶を淹れてくれ。私とその男の分だ。少し話がしたい」
『は──?』
その言葉に、女近侍だけでなく勇者も目を丸くした。だが勇者は魔王が立ち上がっても攻撃してくる気配はない。その様子に魔王は一つの確信を抱いた。
「おい──?」
「悪あがきをするつもりはない。君がその気になれば私たちが何をしたところでいつでも殺せるだろうからな。だが私も先ほど質問に答えてやったんだ。君も冥途の土産に話ぐらい聞かせてくれてもいいだろう?」
そう言って魔王は勇者の肩を叩き、悠然とした態度で玉座の間から移動する。
『…………』
その強引な態度に勇者と女近侍は思わず顔を見合わせ、
「っ!」
女近侍は弾かれたように目を逸らして魔王の後を追う。勇者は溜め息を一つ、頭をかいて二人に付いて行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
勇者が通されたのは魔王の私室だった。
書斎と応接を兼ねているのだろう。一軒家がスッポリ入りそうな広さの部屋の中央に豪奢なテーブルとソファーが置かれ、壁際には本棚が四つ。その横には風景画が飾られていた。
入ってきた扉とは反対側にも扉が一つ。あそこは寝室に繋がっているのだろうか?
──ガシャン!
「!」
勇者の無遠慮な視線を遮るように、女近侍が彼の前に音と立ててお茶の入ったカップを置く。魔王はその様子に苦笑しつつも咎めることはせず、自分の前に置かれたお茶に口をつけた。
勇者もそれに倣ってお茶を口に含む。苦いようなそうでないような。お茶の味の分からない勇者は喉の渇きもあってそれを一口で飲みほした。
「…………!」
女近侍が信じられないものを見たように目を丸くする。何かマナー違反でもあっただろうかと、勇者は首を傾げた。それを見て魔王は女近侍が驚いた理由を説明した。
「彼女は君が無警戒に敵地で出された物を口にしたことに驚いているのさ。普通は毒を警戒してもう少し慎重に行動するものだからね」
魔王は実際に女近侍が毒を盛っていたことには触れなかった。勇者もそのことに気づいた様子もなく言った。
「ああ、なるほど。俺、毒とか呪いとか効かないんだ」
「ほう? それは精霊の加護とかそういうやつかい?」
興味深そうに尋ねる魔王に、勇者はかぶりを横に振った。
「いや、精霊とかそういうのは知らんよ。知り合いの魔女は倒した相手の特性を奪って自分のモノにしてるとか言ってたけど、俺に理屈はよく分からん」
「……呆れた力だな。君の方がよほど魔王みたいじゃないか」
「かもな」
勇者は気にした様子もなく肩を竦めた。
「わざわざここまで連れてきてそんなことが聞きたかったのか? それとも本命は命乞いか?」
「それもある」
魔王はあっさり認めた。
「君は私の部下を誰一人殺さなかった。何とか話し合いで切り抜けられないかという色気がないと言えば嘘になるさ」
魔王は最初誤解していたが、勇者はこの襲撃にあたって魔王城にいた魔族を誰一人殺していなかった。全員が無傷とまではいかないが、女近侍を含めほとんどが峰打ち。致命傷を負った者はいない。
勇者は魔王の言葉に冷たく返した。
「必要があれば殺した。殺さなかったのはその必要を感じなかっただけだ」
「っ」
暗に「殺す価値もない」と言われて横で聞いていた女近侍が悔しそうに唇をかむ。勇者は彼女を無視して続けた。
「俺の使命は魔王、お前を殺すことだ。お前を見逃す理由はない」
「それは違うだろう?」
魔王は勇者の言葉を否定した。
「君の使命は魔王を倒して魔族と人類の戦争を終わらせることだ。君自身がそう言った。そこを間違えてはいけないよ」
「……同じことだ」
「まるで違う。魔王を倒したところでこの400年以上続く戦争は終わらない。別の誰かが魔王を継いで戦い続けるだけさ」
魔王の言葉は確信に満ちていた。
勇者は自分より戦闘力では遥かに劣る目の前の女に呑まれそうになっている自分に気づき、ムキになって言い返した。
「……それはお前がそう言っているだけだ。生き延びる為に嘘を言っているのかもしれないだろう?」
「はは、それはそうだ」
魔王は笑いながら勇者の言い分を認めた。
「だが見ての通り私自身は特別な力を持たない一魔族だ。代えは利く。死んで戦況に及ぼす影響が大きいのはむしろ君の方じゃないか?」
「…………」
「勿論、私はこれでも魔人族の氏族長だ。死ねば多少の混乱はあるだろうし、戦況が人類有利に傾くことは否定しない。君がその気になれば魔王となり得る有力な氏族長を殺して回り戦争を終わらせることも不可能ではないだろう。その意味で私を殺す事が無意味とは言わないよ」
魔王は明け透けに勇者が取り得る道筋を語る。簡単な道ではない。だがそうすれば勇者の手で魔族を打倒しこの戦争を終わらせることができると言わんばかりに。だが──
「今度は苦い顔だ」
魔王は勇者の表情を見て言った。
「戦争が終わらないと聞けばホッとして、終わると聞けばその表情……ひょっとして君はこの戦争を終わらせたくないのかい?」
「っ!」
図星を突かれて勇者は顔を強張らせた。魔王はそんな勇者の目をジッと覗き込む。金色の瞳が見透かすように勇者の姿を映した。
「戦いや殺戮を楽しんでいるとは思えない。君がそんな人間なら私の配下を見逃す理由が無いからね。けれどもし君が戦争を終わらせたくないのだとしたら、魔王を殺そうとするのは何故だろう? 例え誰かに命令されたのだとしても適当に理由を付けて誤魔化していればいいんだ。わざわざこんなところまで一人でやってくる必要はない」
「…………」
魔王の言葉に勇者は表情を無にして沈黙を返す。その拒絶反応に魔王は肩を竦めて言った。
「聞いてばかりというのも良くないな。折角だから私の話もすることにしよう。実は私もこの戦争に勝利したいとは今のところ考えていない」
『!?』
突然の告白に勇者だけでなく女近侍も目を丸くした。
「姫様!? 一体何を──」
「勿論負けたいと言っているわけではない。それにあくまで今のところは、だ」
魔王は勇者の目を見たまま言った。勇者は魔王の言葉の意味を確認する。
「……それはこの戦争を終わらせたくない、って意味か?」
「ああ」
「それは何故?」
「人類との戦争が終われば今度は魔族同士の戦争が始まることが目に見えているからさ」
魔王の言葉に勇者は驚かなかった。その反応に魔王はニヤリと笑って言った。
「魔族が複数の氏族からなる連合体であることはもう説明した通りだ。私は魔人族の氏族長だが、つい20年前に父が死んでその地位を受け継いだ若輩者でね。森人族、竜族、獣人族、血鬼族といった有力氏族には私より能力も実績も影響力もある方々がいらっしゃって、本来なら私などに魔王の座が回ってくる筈がなかった。けれどその方々は魔王となることを望まなかった。何故だか分かるかい?」
疑問形ではあったが、魔王は勇者の答えを待つことなく続けた。
「魔族の多くが互いを潜在敵と見做し、人類との戦いの後を見据えていたからさ」
そこまで聞いてもやはり勇者に表情に驚きはない。むしろ女近侍の方が赤裸々な魔王の告白に驚いていた。
「気を悪くしないで聞いて欲しいんだが、我ら魔族と人類の国力を総体で比較すれば我らが圧倒している。恐らく戦力比で言えば『2:1』と倍の開きがあるだろう」
「そんなところだろうな」
勇者はあっさりと認めた。人類と魔族は数で言えばほとんど違いはない。だが魔族には竜族や巨人族、血鬼族といった数こそ少ないが個として圧倒的な戦闘力を持つ種族が含まれている。戦力の合算で言えば魔族は人類を圧倒していた。
しかしそれだけの戦力差がありながら戦況そのものは互角か若干人類有利で推移している。
「だが魔族は混成軍であるが故に統率が取れておらず、まとまった軍事行動ができていない。森人と鉱人なんて顔を合わせれば敵より先に同士討ちを始めてもおかしくないからね。それでもほとんどの魔族は総合的な戦力差から最終的に自分たちが勝利することを疑っていない」
「……だからできるだけ自分たちの氏族の戦力を温存して、人類に他の氏族の戦力を削らせようってことか?」
「その通り。その消極的な戦略が今の拮抗状態を生んでいるというわけさ。他の氏族が魔王を引き受けたがらないのは、その地位に見合った貢献と成果を求められるのを嫌ったからだろうね」
魔王は今の戦況について明快に解説した。
ちなみに今の話は人類のほとんどが理解していない。勇者が魔王の説明を受け入れられたのは彼が最前線で戦い続けてきたからで、後方に控える市民や為政者たちは魔族の力を見誤り、戦況を自分たちに都合よく解釈していた。
「戦力で勝りながらまとまりを欠く魔族と、それに団結して対抗する人類。だが私は最近になってこの構図に変化が生まれたのではないかと考えている──勇者、君の存在によってね」
「…………」
魔王の言葉に、勇者は静かにその目を見つめ返し何も言わなかった。
「ここ最近、違和感のようなものはあったんだ。人類の動きがまとまりを欠き始め、にも関わらず戦況は一向に好転しない。ずっとその理由が分からずにいたんだが、君がたった一人でここにやってきたことでようやく理解できたよ。君たち人類もまた、勇者という刃を得て勝利を現実的なものとして考えるようになったんじゃないかな? だからこそ各国は戦後を睨んで自国の戦力を出し惜しむようになり、足並みに乱れが生じた」
魔王は無表情を貫く勇者の瞳を覗き込みながら続ける。
「本来なら勇者である君もどこかの国の戦力として取り込まれていておかしくない。そうなっていないのは一国家の思惑で勇者という戦力を温存することができなかったか、あるいは君が首輪を嵌められることを拒んだのか」
「…………」
「ふふ、睨まないでおくれよ。何にせよ、勇者の存在によって人類は勝利を確信し、戦後に待つ人間同士の戦いを見据えるようになった。私たち魔族と同様にね。君はそのことを理解しているからこそ、魔王を倒し戦争を終わらせることを恐れているんじゃないかな?」
魔王の推測は正鵠を射ていた。
勇者自身はそこまで明確に不安を言語化できていたわけではない。ただ戦場にあって国や部族の壁を超えて手を取り合ってきた兵士たちの間に、いつの間にか隙間風を感じるようになった。信頼していた仲間たちは国元に呼び戻されて引き離され、勇者自身にも王族からの婚姻や支援の申し出など取り込もうとする動きが目に見えて多くなった。
ずっと悩んでいた。もし自分が魔王を倒してこの戦いを終わらせても、待っているのは平和ではなく魔族の領土の切り取りと人間同士の争いなのではないか。ひょっとしたら自分のその戦いに参加させられ、かつての戦友と殺し合うことになるかもしれない。そんな救いのない未来を迎えるぐらいならいっそ──
「……何が言いたい、魔王」
勇者は内心の迷いを振り払うように魔王を鋭く睨みつけた。
魔王はその眼光に生唾を飲み、余裕を取り繕って言った。
「手を組まないかと言っているのさ。どちらが勝利するかはさて置いて戦争終結による破滅的な未来を回避したいという一点において私と君の目的は一致している。別に人類を裏切れと言っているわけじゃない。お互いの目的のために勝ち過ぎないようにすることは出来るんじゃないか?」
なるほど、合理的だと勇者は魔王の提案を認めた。その上で、キッパリと言った。
「断る」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「魔王暗殺に失敗しただと?」
「……はっ」
魔王との対話から数日後。勇者は人類最大国家たる中央大国の王城に登城し、王に任務失敗の報告を行っていた。
謁見の間には文官武官が左右にズラリと並んでいる。彼らの表情は勇者を蔑むものもあれば失敗を喜ぶものもあったりと様々。けれど勇者に好意的なものは一つもなかった。
「配下の妨害に遭い──」
「言い訳などいらん! 貴様に求められているのは結果だ!」
勇者の言葉を遮ったのは近衛騎士隊長。
「貴様がおめおめと逃げ帰ったことで魔族との戦いが長引き今も無辜の民が苦しんでいるのだぞ! この任務の重要性が理解できていたのか!? 勇者などと呼ばれて増長していたのでは──」
近衛騎士隊長の言葉は正論だ。その重要な任務に援護も無く勇者一人を送り出し、今も勇者の失点に頬が緩んでいなければより説得力があったかもしれない。
「……申し開きもございません」
勇者は近衛騎士隊長の罵声を一通り聞き流し、謝罪した上で言った。
「ですが、そのことで一つご報告したいことがございます」
珍しい勇者の発言に、謁見の間にいた者たちは訝し気な表情をした。
「現在の魔王を倒しても、魔族側の体制には大きな影響はないかもしれません」
「任務に失敗した言い訳のつもりか? くだらん──」
「待て」
近衛騎士隊長の言葉を遮り、宰相が勇者の言葉に興味を示した。
「体制に影響がないとはどういう意味だ? それに現在の、と言ったな?」
「はっ。これは魔王の側近から得た情報ですが──」
勇者は魔王から直接聞いた話であることを伏せ、あくまで自分が敵を尋問して得た情報ということにして魔族の実情を説明した。
魔族が複数の氏族からなる連合体であり、現在の魔王は約20年前に父親からその地位を引き継いだ新参者であること。仮に今の魔王を倒しても他のより有力な氏族長がその地位に就く可能性が高いこと。氏族同士は一枚岩でなく互いに牽制し合っている状態で、未だ魔族は全力を出していないこと。
これまで人類は文化や常識の違いなど様々な壁に阻まれ魔族に対し碌な諜報活動を行えておらず、魔族の政治体制さえ正確には把握できていなかった。そのため勇者がもたらした情報の多くは彼らにとって初めて触れるものだった。
情報は戦況が決して楽観視できるものではなく、人類が不利な状況にあることを示していた。実際に武官の多くはその情報を聞き顔を顰めている。けれど、
「ほう? つまり魔族はまとまりのない烏合の衆である、ということか?」
一部の者が勇者の報告を自分たちに都合よく解釈した。そしてそんな楽観論を前向きな発言と捉え、追随する者たちも現れる。
「氏族ごとに分断して攻めれば各個撃破も可能ということではありますまいか」
「おお、確かに……!」
無論その発言の危うさに気づく者も少なくなかった。だがこうした場で慎重論は後ろ向きなものとして批判されることが多い。宮廷の文官武官はそうした空気を読む傾向が強く、顔を顰めはしても声に出して否定することまではしなかった。
「…………」
勇者とその従者は、そのやり取りを黙って観察していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一方その頃魔王は近隣の有力な氏族に手紙を送っていた。
その一つ、獣人氏族狼人族の族長は魔王からの手紙を読むと、鼻で笑って投げ捨てる。
「はっ、くだらねぇ」
狼人補佐官は狼人族長の投げ捨てた手紙に視線をやって訊ねた。
「私も読ませていただいても宜しいですか?」
「勝手にしろ」
許可を得て、狼人補佐官は魔王からの手紙に目を走らせる。
「ふむ……勇者ですか」
「ああ。最近人間どもの中にそう呼ばれてる野郎がいるって話は耳にしてたが、あの小娘、そいつの襲撃を受けてビビッてるらしい。次また勇者が攻めてきたら助けてくれ、だとよ」
「私には『勇者を単独で迎え撃つのは得策ではなく、発見した場合は互いに協力して対処したい』と書いてあるように読めますが?」
「同じことだろ」
狼人族長は年若い魔王を完全に舐めていた。狼人補佐官は淡々とした態度で方針を確認する。
「ではこの要請は無視するということで宜しいですか?」
「当たり前だ。何で俺がわざわざあの小娘の為に労を割いてやらにゃ──」
吐き捨てようとして、狼人族長はふと真面目な表情で考え込む。そしてニヤリと笑っていった。
「いや、小娘には『分かった』と返事を送っておけ」
狼人補佐官はその意図を図りかねて首を傾げた。
「それは構いませんが、本当に要請があれば救援を出すおつもりで?」
「そんな訳あるか」
狼人族長は当然のように吐き捨てた。
「勇者ってのがどの程度のもんかは知らんが、曲がりなりにも小娘の城に攻め入ったってことはそれなりではあるんだろ。逆に言えばそいつが小娘の城を攻めてる間は人間どもの守りは手薄ってことだよなぁ?」
「……なるほど」
狼人補佐官は狼人族長の思惑を理解した。要は魔王を囮に自分たち狼人氏族の勢力拡大を図ろうというのだろう。
元々狼人族長は魔族の中でも特に野心的な人物だ。獣人氏族は獣人と一括りにされているが、実際は狼人や熊人、馬人など複数の種の連合体で、現在は虎人族が氏族のトップに就いている。狼人族長はそのことを快く思っておらず、寝首をかく機会を虎視眈々と窺っていた。
そんな彼が他氏族の勢力を削りつつ自分たちの勢力を拡大する機会を見逃す筈がなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから更に数日後。
中央大国の軍勢が妖精氏族の集落に向かって進軍していた。勇者の姿はそこにはない。今回の侵攻は野心的な侯爵子弟が自国と自家の勢力を拡大するための軍事行動。勇者の助力は邪魔と判断された。
侵攻の目的は妖精氏族の領土を切り取ること。妖精氏族は魔族の中では比較的弱小勢力で、他氏族の救援さえなければ自国の軍だけで十分に攻め落とすことが可能だ。無論、勇者の言葉を無条件に信じたわけではない。だが妖精氏族と領土を隣接する小鬼氏族と豚鬼氏族は知性と協調性が低い。隣接する両氏族に牽制程度の別働隊を派遣しておけば無理に救援を送ってくる可能性は低いし、仮に送ってきたとしても本隊が撤退する余裕は稼げると考えていた。
成功すれば良し、仮に失敗してもその時は情報が誤りだったせいだと勇者に責任を押し付ければいい。侯爵子弟はそんな風に考え、高揚した気持ちで軍を進めていた。
「ぐひひっ」
そうして別働隊を切り離し、妖精氏族の集落まであと少しのところまで到着。侯爵子弟は準備万端、部下たちに集落への攻撃を命じようとした。
「これより我らは悪辣なる魔族の拠点に侵攻する! 全軍、とつげ──」
「閣下、敵襲です!!」
しかしその侯爵子弟の威勢を挫く様に、息を切らせた部下が駆け寄って叫んだ。邪魔をされた侯爵子弟は不快そうに顔を顰めながらも尋ねる。
「っ! これからというところで……敵は何だ!? 小鬼か、豚鬼か!?」
そのどちらであっても撤退する余裕はある、と侯爵子弟は考えていた。しかし、
「そのどちらでもありません! 敵は魔人──魔王直属軍! 背後を塞がれています!!」
「なにぃ!!?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「族長。魔王様より勇者の姿が前線で確認されたため、救援を願うとの通信が入りました」
「……来たか」
狼人族長は狼人補佐官からの報告にニヤリと笑い、移動式テントに備え付けたベッドから身体を起こした。
そして戦意を堪え切れない様子で犬歯をむき出しにすると、狼人補佐官に確認する。
「準備は出来てるな?」
「十全に」
狼人族長はその返答に満足そうに頷くと、テントを出て広場に集まっていた精鋭300の狼人兵を見渡した。
「行くぞ野郎ども! 狩りの時間だ!!」
『オォォォォォン!!』
高揚し雄叫びを上げる狼人兵。狼人族長は背後の狼人補佐官に振り返り言った。
「後のことは任せるぞ」
「はっ」
狼人補佐官は答えて、念の為といった様子で確認した。
「魔王様への返信はいかがいたしますか?」
「ほっとけ」
狼人族長率いる一団は、人目に付きにくい森の中の悪路を駆けて中央大国の領土目掛けて侵攻していた。
無論、自分たちだけで中央大国の領土を攻め取ろうなどとは考えていない。手薄になった後方拠点を荒らして食料や奴隷を手に入れる算段だった。勿論、拠点に守備兵は残っているだろうが、自分たちが攻めている時は誰だって守りの意識が希薄になるもの。また勇者のことがなくとも前線で魔王軍と戦っている最中に後方に援軍を送ることは難しいだろう。
狼人族長は狡猾に、敵の守りが薄い場所に攻め込んだ──つもりだった。
「っ! 止まれっ!!」
先頭を駆けていた狼人族長が、微かな臭いを感じとりストップをかける。配下の狼人兵たちは、ただならぬ狼人族長の表情に訝し気な顔をしていた。
「へぇ……流石は狼。鼻が利くね」
そう言って木陰から姿を見せたのは焦げ茶色の髪と目を持つ凡庸な容姿の人間の剣士。一人きりだ。他に敵の気配はない。
狼人兵たちは偶然通りかかった冒険者か何かだろうと考え、運の悪い剣士を憐れんだ。だが狼人族長はその剣士に言い知れぬ何かを感じとり立ち尽くす。
「族長……?」
狼人兵の一人が狼人族長の顔を覗き込むと、狼人族長の頬は引き攣り、その歯は小刻みに震えていた。狼人族長が言った。
「お前……何者だ?」
剣士はそれに答えず、腰の剣に手をかけた。狼人族長がそれに反応し構えようとするがそれより早く。
「っ!?」
──斬ッ!!
斬撃が狼人族長の首を胴から切り離していた。
視界が宙を舞う。その刹那の時間の中で、狼人族長はこの剣士こそが勇者なのだと理解した。
数分後、狼人兵士たちが蜘蛛の子を散らしたようにその場から逃げていく。
彼らは最初から勇者に怖気づいていたわけではない。狼人族長の仇を取ろうと一斉に勇者に襲い掛かった。その結果が勇者の足元に転がる十数体の狼人兵士の死体だ。
戦いとも言えない一方的な殺戮を終え静かに息を吐く勇者に近づく影が一つ。
「……随分と甘い対応ですね。貴方の実力なら皆殺しにすることも出来たでしょうに」
その影は勇者の従者に扮した女近侍だった。勇者は女近侍に視線を向けることなく言った。
「必要があればそうしたさ」
「生き残った彼らが貴方の同胞を殺すかもしれないのに?」
挑発的な女近侍の言葉に勇者はあくまで淡々と言った。
「ああ。牙は折った。あれはもう戦士としては役に立たん。生かして恐怖を広めてくれた方が都合がいい。お前の主人もこの場にいたら同じ判断を下しただろうさ」
「…………」
勇者に魔王のことを語られるのは不愉快ではあったが、女近侍も見立てそのものは同感だったので反論しなかった。勇者はそんな女近侍に反応を気にすることなく訊ねた。
「お前の主人の方はどうなった?」
「姫様は無事侯爵子弟とその側近を倒して人間どもを撤退させたそうです……心配せずとも人間側の被害は最少ですよ」
「別に今更殺し過ぎるななんてケチをつけるつもりはない」
ボソリと付け加えた女近侍の言葉に勇者が苦笑する。そして剣の血を払い鞘に納めて言った。
「それより早く戻るぞ。あまり姿を消していると怪しまれる。俺はともかく、お前の正体が露見するのはマズい」
「……言われずとも分かっています」
女近侍は素っ気なく答えて勇者を待つことなく踵を返した。彼女は魔王が送り込んだ連絡係兼スパイだ。彼女が得た人類側の情報を魔王に伝え、魔王から伝えられた魔族側の情報を勇者に流すことでこの勇者と魔王の計画は成立している。いわば女近侍は二人の作戦の肝。勇者という最大級の隠れ蓑もあって人類側の中枢に怪しまれることなく潜り込めているが、周囲に不審を抱かせかねない行動は極力慎むべきだった。
──ああ、姫様の為とは言え、どうして私がこんな男と……
歩きながら女近侍は勇者に見られぬようそっと溜め息を吐く。そしてこの計画が動き出したあの日のことを思い出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「断る」
戦争終結による破滅的な未来を回避するため手を組もうという魔王の提案を、勇者はキッパリと拒絶した。
交渉決裂に魔王と女近侍の緊張が高まる。女近侍はこの場から魔王だけでも逃がそうとそっとスカートの中の武器に触れた。魔王は強張りの隠せない表情で訊ねた。
「……理由を聞いてもいいかな?」
「人類と魔族、どちらが勝っても今度は勝った者同士の戦争が始まるってお前の見立ては正しいと思う。味方だと思ってた連中と争うことになるぐらいなら、まだこの戦争を続けてた方がマシだってのも同感だ。別に魔族なら殺したいとは言わんが、それでも同じ釜の飯を食ってた戦友と殺し合うよりはずっといいからな」
「なら──」
勇者は魔王の言葉を片手を挙げて遮り、続けた。
「だけどこのままこの戦争を続けてもジリ貧だ。犠牲は確実に出るし、いつだってそれは弱い立場の連中だ。お前の提案は問題を先送りにしてるだけで、どこかで必ず破綻する」
「っ!」
勇者の言葉は正しかった。感覚的で理屈は伴っていない。けれどその正しさを魔王は理解していた。
人類と魔族の戦いが始まって約400年。戦争で男たちが死に、子供を産めない女が増え、その人口は開戦当時の3分の1程度にまで減少している。このまま戦争が続けば遠からず社会構造が破綻することは目に見えていた。
「例え問題の先送りだろうと、今すぐ破綻するよりはずっとマシの筈だ!」
魔王がつい感情的になって机を叩く。勇者は冷静だった。
「マシなだけだ。命乞いにしろ口説き文句にしろ、魔王と手を組む汚名と引き換えにするほどの魅力は感じないな」
「ならどうしろと──!?」
「終わらせる方法を考えろ」
「──は?」
勇者の要求は簡潔だった。
「どっちかが勝って終わりじゃない。どっちも破綻してからじゃ意味がない。身内同士で争う未来もいらない。和平でも休戦でも形式は何でもいい。俺には学が無いから思いつかんが、お前は魔王で頭も良けりゃ権力もある。何か思いつくだろ。それぐらいの餌をぶら下げてもらわなけりゃ魔王と手を組む価値はない」
「っ!」
そしてそれ以上に無理難題だった。
魔王は勝手なことをと思った。怒りと悔しさで頬が紅潮した。そして叫んだ。
「出来ればとっくにやってる!! 私がこの地位に就いてむざむざ魔族の滅びを甘受してきたとでも思っているのか!? 魔王だなんて言っても所詮お飾りの小娘だ!! 誰も私の言葉なんて聞いてくれやしない! 変える為の力もない! なのに──」
「力ならあるぞ」
魔王の叫びを正面から受け止め、勇者は言った。
「……は?」
「俺は学はないが腕っぷしだけは自信がある。力でどうにかなることなら俺が何とでもしてやる」
「…………」
「ついでに勇者なんて呼ばれてて、人類側じゃそれなりに信用も影響力もある……と、思う。俺にはそれをどう活かせばいいのか分からんが、お前なら何か思いつくんじゃないのか? こんなクソみたいな現実とずっと向き合ってきた魔王なら」
勇者の目は本気だった。
「…………」
魔王は考える。そして言った。
「……魔族と人類には互いに外敵が必要だ。だが今のままでは仮に停戦を結ぶことができても、すぐまた同じことを繰り返す。戦争という病に侵された患者を救うには根本的な外科手術が必要だ」
「具体的には?」
「好戦的で欲深い勢力を叩き、その指導者を排除する。各勢力のパワーバランスを整え、戦争継続に意味がない、これ以上戦いたくないと思わせる。それができれば和平、あるいは休戦状態を作り出すことも不可能ではないだろう。そして君と私の立場を利用すれば、そうした邪魔な勢力を叩くことは可能だ」
「いいね。やろう」
勇者はあっさりと言った。魔王はもはやその軽い言葉に驚きもせず、ただ彼の目を見据えて言った。
「……意味が分かって言っているのかい? 最初に誘ったのは私だが、この提案は互いに手心を加えようなんて話とはわけが違う。君は私に、私は君に、邪魔な同胞のを殺させようって言ってるんだ。これは言い訳しようのない完全な裏切りだぞ?」
魔王にとってもその選択が持つ意味は重い。勇者の覚悟を確かめるように、じっとその目を見つめる。
「分かってる。だけど俺は自分が思うよりずっと自分勝手だったみたいだ」
勇者は自分の手に視線を落として続けた。
「皆を守るために戦って勇者だなんて呼ばれても、俺に出来るのは死体を積み上げることだけだった。戦わなけりゃ味方が死んで、戦ってもやっぱり他の誰かが死ぬ。どう生きたって俺の未来に正解はない。ならせめて、俺は自分が納得いく間違いを積み上げたい」
そして勇者は改めて魔王の目を見る、魔王はそれを見つめ返し、確認するように言った。
「策を私に委ねる以上、私が君を騙せば人類は窮地に陥るかもしれない。君は会ったばかりの私を信用できるのかい?」
勇者は表情一つ変えることなく言った。
「その時は、俺が全部殺してケジメをつけるさ」
「ハッ!」
勇者の答えに魔王はニヤリと唇を吊り上げる。
「安心したよ。そこで信じてるなんて寝言をほざく間抜けなら、容赦なく騙して陥れてやるところだった」
そして真剣な表情で告げた。
「いいだろう。この戦いを終わらせるため魔王は勇者を利用し、勇者は魔王を利用する。これは契約だ」
「それでいい。魔王がこの契約を違えぬ限り、勇者は魔王の剣になることを誓おう」
そうして二人はどちらからともなく手を握る。
ここに前代未聞、世界を欺く勇者と魔王の密約が結ばれた。
そのことが世界にどのような影響を齎すかは、まだ誰も知らない。




