Day41 日常のふりをする人たち
《東京都内・小学校》
一時間目の始まりを告げるチャイムが鳴り終わったあと、
担任の女教師は黒板の前に立ち、
少しだけ深呼吸をした。
「……はい、みんな。
今日はいつもの連絡の前に、
“オメガ”と“アストレアA”の話をします。」
教室の空気が、
わずかに固くなる。
「テレビでも言ってたやつだ。」
「人類の矢のやつだろ。」
ざわつきを手でなだめながら、
教師は黒板に三つ丸を描いた。
〈地球〉 〈オメガ〉 〈アストレアA〉
「まず、前にも話したけど、
この“アストレアA”っていう宇宙船が、」
「この“オメガ”っていう小惑星を
“ちょっと押して”
地球にぶつからないようにする計画です。」
「で、その“ちょっと押す日”――
Day36のことを、
大人たちは“Xデー”とか
“オメガXデー”って呼び始めています。」
教室の後ろの席で、
ひとりの男子が手を挙げた。
「先生、
その日、学校はあるんですか。」
「……あります。」
教師は苦笑した。
「文科省からの通知では、
“通常授業を基本としつつ、
自治体の判断でテレビ中継の視聴も検討”
ということになっています。」
「みんなには、
“いつも通り来て、
いつも通り授業を受けて、”
“その上で、
“人類が頑張ってるところ”を
一緒に見るかもしれない”
っていう感じかな。」
別の女子が、
不安そうに聞いた。
「もし、
“うまくいかなかったら”どうなるの?」
一瞬、
教室の時間が止まったように感じられた。
教師は、
黒板を振り返りながら言葉を選ぶ。
「それは……
今、大人たちが
本気で考えてるところです。」
「“アストレアAが当たってもダメだったら”
日本が“ツクヨミ”っていう
二本目の矢を飛ばすかもしれないし、」
「それでもダメなら、
みんなを守るために
避難したり、
隠れたりする場所を
もっと増やさないといけない。」
「だから…先生も、
毎日ニュースを見ながら
“どうやったらみんなを守れるか”
考えています。」
教室の後ろで、
別の男子がぽつりと言った。
「……俺、
その日もゲームしてると思う。」
クラスの何人かが笑い、
教師も少しだけ肩の力を抜いた。
「それも、
“普通に過ごす”って意味では
悪くないかもしれないね。」
「学校としては、
“いつも通り”を続けながら、
“何かあったらどうするか”を
ちゃんと準備しておきます。」
「だから、
みんなはまず、
“明日の宿題”からやりましょう。」
黒板の隅には、
小さくこう書かれていった。
〈Day41
いつもの算数、
いつもの国語。〉
《総理官邸・執務室》
机の上には、
分厚いファイルが二冊開かれている。
一冊は
「Day36対応・学校関係通知案」
もう一冊は
「Day36対応・企業・公共交通機関ガイドライン案」
サクラは紅茶を一口飲み、
ページをめくった。
「……“通常通り営業を基本とする”か。」
天野里香秘書官補が、
少し申し訳なさそうに言う。
「“一斉に休みにする”案も
一部から出ていたんですが、」
「“その日が“終わりの日”と決まったように
受け取られかねない”という
意見も多くて……。」
「最終的には、
“各自治体・各企業が
それぞれ判断する”という
いつもの形に。」
サクラは
ペンを指で転がしながら言った。
「“いつもの形”は
安心する言葉でもあるけど、」
「“一番責任を取りにくい形”でもあるのよね。」
電話が鳴る。
文科大臣からだ。
「……はい、鷹岡です。」
『Xデーの学校対応の件ですがね、
総理。』
『“一斉視聴”を求める声と、
“子どもにそんなもの見せるな”という声とで
割れておりまして。』
『どこかで“政治判断”として
方向性を示していただけませんか。』
サクラは
窓の外の空をちらりと見る。
(あの日、
うちの娘はどこで何を見ているのかしら。)
(大学の友達と、
馬鹿話しながらテレビを見ていてほしい。)
(それとも、
一人で空を見上げて
泣いているのかもしれない。)
「……“どちらも、正しい”と
私は思います。」
サクラは
ゆっくりと言った。
「見たい子は見ればいいし、
見たくない子には
“別の部屋”を用意してあげればいい。」
「“大人の不安”を
そのまま子どもにぶつけないように、
先生たちを支えることが
文科省の役目でしょう。」
電話の向こうで
大臣が息をつく。
『……分かりました。』
『“一律”ではなく、
“選べるようにする”方向で
通知案を詰めます。』
通話を切ったあと、
里香がぽつりと言う。
「総理は、
当日どこでご覧になるんですか。」
サクラは
机の上の資料を閉じた。
「官邸の危機管理センター。」
「モニターの映像と、
各国首脳との回線と、
国内の避難準備と……」
「全部、同時に見ることになるわ。」
少しだけ笑ってみせる。
「本当は、
家のテレビで
娘と一緒に
“怖いね”って言いながら
見たかったけどね。」
里香は
何も言わず、
ただ深く頭を下げた。
《JAXA/ISAS 相模原キャンパス/ツクヨミ組立棟》
白い大型ハンガーの中に、
まだ配線も剥き出しの
円筒形のタンクが横たわっている。
側面にはマジックで
仮の文字が書かれていた。
〈TSUKUYOMI STAGE-1 TANK〉
エンジニアが
図面を片手に話す。
「推進剤タンクの溶接検査、
今日で一応の合格です。」
「このあと
非破壊検査と圧力試験を通して、
Day35までに
“飛べるタンク”として仕上げます。」
別の担当が補足する。
「IAWNとSMPAGにも、
“ツクヨミの進捗報告”を
週次で送ることになりました。」
「“二本目の矢”が
どこまで現実味を持っているか、
世界中の専門家が
見張っています。」
白鳥レイナは、
タンクを見上げた。
「……このタンク、
“知ってる人が見たら
ドキッとする存在”になるのよね。」
「ニュースで
“ツクヨミの燃料タンクが完成しました”って
出た瞬間に。」
若手が、
不安そうに聞いた。
「それでも、
“ちゃんと見せた方がいい”ですか。」
「“隠しておいて、
いざという時だけ
“実はありました”って出す方が
安全なんじゃないかって
思ってしまう時もあって。」
レイナは首を振る。
「“知らないところで
何かが動いてる”って思われる方が、
よっぽど危ないわ。」
「“怖いけど、
こういうものを作っています”って
正直に見せる方が、
長い目で見たら
プラネタリーディフェンスの信頼になる。」
彼女は、
タンクにそっと手を触れた。
(Day36、
あなたが“ただの保険”で
終われますように。)
(“飛ばなかった二本目の矢”って
笑い話になる未来が、
一番いい。)
《黎明教団・オンライン配信準備》
薄暗いスタジオ。
白い布で覆われた壁面。
中央には、
簡素な椅子がひとつ。
スタッフが、
マイクの位置を調整している。
「Day36の
“世界祈りライブ”の
構成案です。」
台本には大きく
「Xデー瞑想集会」と書かれていた。
・IMPACT WINDOW開始30分前:
世界各地の信者からの映像を接続
・開始10分前:
天城セラのメッセージ
・IMPACT WINDOW中:
一斉沈黙・瞑想
・IMPACT WINDOW終了後:
“結果にかかわらず”新たなメッセージ
セラは、
台本の紙を指でなぞりながら
静かに笑う。
「“結果にかかわらず”――
いい言葉ですね。」
「人は、
成功したときだけ
“神に感謝します”と
言いたがる。」
「でも本当は、
どんな結果でも
“次の物語”を
始めなきゃいけない。」
若いスタッフが尋ねる。
「セラさんは、
Xデー当日、
アストレアAの中継を
見ますか。」
セラは首を横に振った。
「見ません。」
「私が見るのは、
“画面の中の火花”ではなく、
ここに集まる人たちの
目と呼吸です。」
「オメガがどうなろうと、
この世界は
いったん“ゼロ”に戻る。」
「そのとき、
何を“新しい一歩”だと
感じるか。」
「それを
見届けたい。」
スタッフは、
彼女の横顔を見ながら
胸の内でつぶやいた。
(この人は、
“失敗の方がいい”と
本気で思っているのかもしれない。)
(それでも、
言葉には不思議な説得力がある。)
(だから、
世界中で信者が増えているんだ。)
《新聞社・社会部》
デスクの上に、
三通のメールのプリントアウトが
並べられていた。
〈件名:Day36に結婚式を予定している者です〉
〈件名:うちの会社は“Xデーセール”をやるそうです〉
〈件名:コンビニ店長として、あの日も店を開けるべきでしょうか〉
桐生誠は、
ひとつひとつ目を通していく。
結婚式のメールには、
こう書かれていた。
<キャンセルすべきだと言う人もいるし、
“こんな時だからこそ”
予定通りやるべきだと言う人もいます。>
<正直、
どちらが“正しい”のか
分からなくなっています。>
会社員からのメールには、
怒りと呆れが混じっていた。
<うちの会社は、
Day36に合わせて
“Xデー超特価セール”をやると言い出しました。>
<上は“話題になるから”と笑っていますが、
現場の私たちは
なんだか“自分たちの恐怖を
見世物にしているようで”
つらいです。>
コンビニ店長からのメールは、
短く、真剣だった。
<避難の指示が出ない限り、
店を開けるべきだと思っています。>
<でも、
売っているものが
“普通のパンとおにぎり”なのか、
“最後の晩餐”なのか、
考え出すと頭がおかしくなりそうです。>
若手記者が
桐生の顔を覗き込む。
「……みんな
“日常のふり”をするのに
必死ですね。」
桐生は、
ペンを指で回した。
「“ふり”じゃない。」
「本人たちにとっては、
どれも本物の日常だ。」
「結婚式をやるのも、
セールを手伝うのも、
コンビニを開けるのも。」
「そのどれもが、
“もしかしたら最後になるかもしれない
一日の過ごし方”なんだ。」
若手が、
言葉を探すようにして問う。
「じゃあ
俺たちは、
何を書けばいいんでしょう。」
「“いい話”にまとめるのも、
なんか違う気がして。」
桐生は、
新しい原稿ファイルを開いた。
『第7回案:
“日常のふりをする人たち”』
「“答え”じゃなくて、
“迷ってる様子”を書こう。」
「“Xデー特別視聴ガイド”の隣に、
“Xデーの普通の過ごし方ガイド”を
そっと置いておく。」
「“どれも間違いじゃない”って
書けるのは、
たぶん今だけだから。」
若手は、
少し驚いた顔で笑った。
「なんか……
優しいですね。」
「優しくしてる余裕なんて
本当はないんだけどな。」
桐生は、
キーボードに指を置いた。
Day41。
オメガまで、あと41日。
世界は
“特別な一日”に向けて
大きな準備を進めながら、
同時に
“いつもの一日”を続ける方法を
必死で探していた。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.




