Day99 確率という名の警鐘
《アメリカ・ホワイトハウス 国家安全保障会議》
壁のモニターに、青白い地球と赤い線が交差する。
—“Object Ω”—と名付けられた軌道が、地球の周囲をかすめていた。
「報告を。」
軍服姿の男が立ち上がる。
「NASAより。直径約220mの小惑星“オメガ”。
衝突確率は3.1%。ただし観測点が増えるごとに変動中です。」
会議室の空気が張り詰めた。
ジョナサン・ルース大統領は腕を組み、低く呟く。
「三パーセント……銃の弾倉に三発だけ実弾が入ってるようなもんだな。」
国家安全保障補佐官が口を開く。
「現段階では“誤差の範囲”とも言えます。」
「誤差?
地球規模の“誤差”がどれだけの命を飲み込むか、君は分かっているのか。」
ルースの声に、場の温度が下がる。
科学顧問が静かに言った。
「DART実験の成功以降、“キネティック・インパクター(衝突偏向弾)”の実戦使用も想定されています。」
ルースは頷く。
「つまり、“ぶつけて軌道を変える”作戦か。」
「はい。成功率は現時点で五割程度です。」
「五割で地球を守れるなら、やるしかないだろう。」
彼は短く命じた。
「NASAと国防総省に連絡。最悪の想定を始めろ。」
部屋を出る際、ルースは小さく呟いた。
「……あの数字が“3%”のままで終わることを祈る。」
《日本・総理官邸 危機管理センター》
同じ頃、東京・永田町。緊急会議が静かに始まっていた。
鷹岡サクラ総理の前には、NASAから転送されたデータのコピー。
赤い軌道線が日本列島の上をかすめるように描かれている。
「……これが、“オメガ”の軌道?」
「はい。アメリカから正式に情報共有がありました。」
危機管理監の藤原が頷く。
サクラは眉を寄せる。
「確率は“3%”。アメリカは“誤差”と言っているそうね。」
科学顧問の黒川が口を開いた。
「誤差の範囲ではあります。ですが、確率は時間とともに変化する。
観測が増えれば“当たる確率”が上がる可能性もある。」
サクラは少し黙り、ホワイトボードに数字を書いた。
3% = 100回に3回。
「……もし“ジャンボ機が100回飛んで3回落ちる”と言われたら、誰も乗らないわね。」
「まったく、そのとおりです。」と黒川。
「なら、“誤差”ではなく“警告”として扱いましょう。」
サクラはそう言い、柔らかい声に変えた。
「ただ、まだ“確定”じゃない。だからこそ、国民を怖がらせない伝え方を考えたい。」
広報官の中園がメモを取りながら言う。
「“不確実でも、準備する姿勢”ですね。Q&Aを作りましょう。
『なぜ早く気づけなかった?』
『3%ってどれくらい?』を、誰でも理解できる言葉で。」
「お願い。」
サクラは頷いた後、少し笑って言う。
「あと、会議が長引きそうだから、みんな何か食べて。
“空腹のままの判断”は、たいていロクな結果を生まないわ。」
控えめな笑いが広がり、緊張がほんの少しだけ緩む。
だが、その笑いの裏で誰もが気づいていた。
この“3%”は、笑って済ませられる数字ではないということを。
《日本・JAXA/ISAS 相模原キャンパス(軌道計算・惑星防衛)》
「……NASAからのデータが届きました。誤差、ほぼ一致です。」
白鳥レイナは画面を覗き込み、眉を寄せた。
「軌道傾斜角29度、近日点は太陽のすぐ裏側。やっぱり“死角”ね。」
隣の城ヶ崎悠真が言う。
「つまり、“ずっと太陽のまぶしさに隠れてた”ってことですね。」
「ええ。望遠鏡が目をつぶされてる状態。
見つからなかったのは怠慢じゃない。“構造的に見えなかった”のよ。」
城ヶ崎は唇を噛む。
「けど、いま見えてるなら、すぐに警告出すべきじゃ……」
白鳥は首を横に振る。
「政府が動くのは、“確定してから”。
私たち科学者の仕事は、“確定させる”こと。焦っちゃダメ。」
「でも、“確定した時には遅い”かもしれません。」
白鳥は言葉を飲み込む。彼の目には怒りが宿っていた。
その怒りが、後に世界を揺らすことを、まだ誰も知らない。
《アメリカ・NASA/JPL・CNEOS(軌道解析)》
アンナはホワイトハウスからの要請を受け、報告書を送信していた。
「3%。この数字を“誤差”と呼ぶか“運命”と呼ぶかは、人間次第。」
モニターに映るのは、青い地球と赤い線。
オメガの軌道は、確かに“こちら”を向いていた。
アンナは独り言のように呟いた。
「太陽の向こうから来る敵は、昔から“見えない”ものなのよね。
恐怖も、無関心も、同じように。」
《日本・総理官邸 夜》
会議後の執務室。サクラは一人、窓の外を見ていた。
ニュースでは、経済や台風情報が流れ、まだ「隕石」の“い”の字も出ていない。
だが、彼女の机の上の資料には、真っ赤な円が地球の中心に重なっていた。
「……見えないものほど、怖い。」
サクラは小さく呟き、ペンを取った。
書きかけのメモの最後に、こう書き加える。
“3%=希望を信じながら、最悪を想定する数字。”
蛍光灯の光が静かに揺れた。
そして、遠い宇宙では、ひとつの黒い点が確かに
――こちらに向かっていた。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.




