Day88 波紋
《午前7時/東京・民放テレビスタジオ》
キャスターが読み上げる声は、どこか震えていた。
「最新観測では、隕石オメガの衝突確率は23.1%に上昇。
専門家は“依然として不確定だが、警戒は必要”としています。」
画面下のテロップには、終日流れ続ける数字——Day–88。
アナウンサー
「現在、欧州各地で“オメガ隕石への不安”による小規模デモが発生しています。
特にドイツ・フランスでは、
“政府は真実を隠しているのでは”という声が広がっている模様です。」
画面には、スーパーマーケットで水や缶詰を買い込む人々、
ATM前にできた行列、
そして“オメガ”の文字がSNSで点滅していた。
「日本でも、一部の学校で欠席が増えるなど、
生活面にじわりと影響が出始めています——」
隣のアナウンサーが言う。
「昨日から“生き方を変える人々”が増えています。
会社を辞める、旅に出る、家族と過ごす——。」
SNSのトレンド欄には、
#やりたいことリスト
#今日を生きる
#終末でも仕事
という言葉が並んでいた。
《東京都・霞ヶ関/総理官邸》
朝の閣議。
サクラは資料の山の前に立ち、ゆっくりと口を開いた。
「……数字は少し上がりました。
でも、恐怖は桁違いに増えています。」
防衛大臣・佐伯が頷く。
「国民の半数が“退職・転職を検討”という調査もあります。
避難訓練より、“残りの人生をどう生きるか”の話が先に出る。」
中園広報官がタブレットを見せる。
「ネットでは“#最後の100日チャレンジ”が流行中です。
“地球が終わるまでにやりたいこと”を投稿して、
それを応援し合う文化が生まれつつあります。」
サクラは少し笑う。
「皮肉ね。“希望”って、案外しぶとい。」
藤原危機管理監が静かに口を開く。
「ですが同時に、暴動・デマ・犯罪も増加傾向です。
“生き方”が自由になった分、“理性”の枠も壊れつつあります。」
「……自由と混乱は、いつも同じ顔をしている。」
サクラの声に、誰も返事をしなかった。
《東京都内・高校教室》
授業中、教師の声がどこか上ずっている。
「えー、じゃあ、今日の数学は——確率の話をしましょう。」
ざわめく生徒たち。
黒板に“0.231”と書かれた瞬間、笑いが起きた。
「先生、それ“オメガ”の確率じゃん!」
教師は一瞬止まり、苦笑した。
「……そうだね。でも、確率ってね、上がることも下がることもある。
“0じゃない”からって、諦めるのは早い。」
窓の外、空はいつも通りの青。
でもその青の中に、見えない“終わり”が確かにあった。
《秋葉原・家電量販店》
「パソコン完売、発電機完売、水完売です!」
店員の声がかすれる。
レジには行列。
「どうせ終わるなら、最後までネットは繋がってたい」
「バッテリーとWi-Fiだけは命綱だ!」
笑いながら買い占める人たち。
けれど、笑い声の奥には“何かを誤魔化すような焦燥”があった。
《IAWN(国際小惑星警報ネットワーク)臨時連絡》
《SMPAG(宇宙ミッション計画アドバイザリーグループ)非公式調整》
アンナ・ロウエル
「……軌道偏向ミッションの予備プランを、そろそろ本格検討に移すべきです。」
ESA軌道解析班
「しかし、まだ“ミッション実施の政治判断”が下りていない。」
JAXA・白鳥レイナ
「判断を待っていたら遅れます。
最低でも、インパクター射出角度の計算だけは進めておきたい。」
画面に表示された試算表には、
“ΔV(軌道変更に必要な速度)”の数値が並んでいる。
NASAの技術官
「……分かった。
“準備段階”という名目で進めよう。
正式会議まで48時間とする。」
静かだが確実に、世界の裏側で“人類の賭け”が動き出した。
《日本・JAXA/ISAS 相模原キャンパス(軌道計算・惑星防衛)》
白鳥レイナが観測データを見つめる。
アンナ・ロウエル博士からのメッセージが届いた。
“We’re all under the same sky, but fear divides faster than light.”
(私たちは同じ空の下にいる。でも、恐怖は光より早く広がる。)
白鳥は小さく頷いた。
「その通りね。
だけど——科学も“光”なんです。
届くのが遅くても、きっと照らせる。」
背後で若い研究員がつぶやいた。
「主任、僕、昨日彼女にプロポーズしました。」
白鳥が振り返る。
「こんな時に?」
「ええ。“もしオメガが外れたら結婚しよう”って。
……確率23%なら、77%は“生きられる”じゃないですか。」
白鳥は笑った。
「いい確率の使い方ね。」
《新宿・路地裏》
天城セラの姿があった。
手にスマホを持ち、静かにライブ配信を始める。
「皆さん、恐怖の波に呑まれていませんか?
数字は恐れを生みます。
でも、“信じる”という選択は、いまこの瞬間もあなたにあります。」
コメントが流れ始める。
「救われました」
「セラ様、どうすれば怖くなくなりますか」
「政府を信じてはいけない」
セラは、瞳に光を宿したまま答えた。
「恐怖を忘れる必要はありません。
でも、恐怖に“意味”を与えることができるのは、人間だけ。
——それが“再生”の第一歩です。」
その声は、穏やかで美しかった。
だが、どこかに狂気の温度があった。
《夜・新聞社社会部》
桐生誠は、パソコンの画面を見つめていた。
ニュースサイトの見出しが並ぶ。
「“オメガ株”暴落、政府対策に批判」
「各地で“終末婚”ブーム」
「“もう勉強しなくていい”中高生が急増」
「……バカみたいだ。」
そう呟いても、彼の手はキーボードの上で止まらない。
上司が背後から声をかけた。
「桐生、お前の記事、いい反響だぞ。“希望がリアルだ”って。」
「“リアルな希望”なんて、どこにあるんですかね。」
「探せ。俺たちの仕事は、“恐怖の中で光を拾う”ことだ。」
《東京・総理官邸 夜》
官邸の会議室には、緊張と疲労の空気。藤原が報告する。
「治安はまだ維持されています。
ですが、地方で“避難自主組織”が乱立。
“政府を信じるな”というビラも出回っています。」
中園広報官が静かに言った。
「SNSでは、今日一日で“神に委ねる”派と“科学で救う”派が激突。
まるで宗教戦争のようです。」
サクラは資料を閉じた。
「戦争ね。
武器は、言葉と不安。」
「どうなさいますか?」と藤原。
「“恐怖に名前をつける”の。
そうすれば、対話ができる。」
「名前を、ですか?」
サクラはゆっくりと呟いた。
「“オメガ”——終わりの記号。
でも、人間は“アルファ”も持っている。
終わりを見たら、始まりを考える。
それが、私たちの本能よ。」
彼女は立ち上がり、窓の外の夜空を見つめた。
ビル群の隙間に見える星が、一つ、瞬いた。
それは、まだ誰にも知られていない“明日の兆し”だった。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.




