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100日後、巨大隕石落下  作者: 橘靖竜
第六章 着弾後の世界

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106/111

Day+5 動き出す手


《午前5時07分/茨城県・着弾地外縁》


五日目の朝は、

初めて

“作業の音”が

“悲鳴の残響”を少しだけ押し返し始めていた。


重機。

トラック。

無線。

発電機。

誘導員の声。

遠くのヘリ。

警戒線の張り直し。

仮設の資材置き場。


もちろん、

現場の中心にあるのは

まだ救助と収容だ。

だが五日目になると、

そこへ

片づける

つなぐ

運ぶ

という音が混ざり始める。


クレーターは

相変わらず巨大だった。


朝の斜光を受けた外縁は、

もはや“昨日できた穴”ではなく、

地図から浮き上がった

新しい傷そのものに見える。


抉られた地面。

土砂で埋まった田。

切れた道路。

剥き出しの斜面。

倒れた林。

壊れた家々。


だがその外側で、

人の手が

ようやく

“このあと”に向けて動き始めている。


それが五日目の朝だった。




《午前5時32分/統合現地指揮所》


真壁恒一三等陸佐は、

机の上の地図を

昨日より長く見ていた。


新しく加わった線は二つ。


仮設搬出路候補

重点物資輸送ライン


救助だけでは

現場はもはや持たない。

かといって、

救助より先に

復旧へ振り切ることもできない。


五日目は、

その二つを

無理やり同じ机の上に置く日だった。


部下が報告する。


「南東住宅帯、

 生存反応一件。」


「ただし、

 極めて微弱です。」


「位置は

 半壊した住宅と倉庫の中間部。」


「上部に

 重量物が複数。」


真壁は

顔を上げた。


「昨日の反応と同じか。」


「いえ、

 別です。」


「新しい反応です。」


真壁の目の色が

わずかに変わる。


五日目の“新しい反応”は、

現場の時間感覚を一瞬で変える。


普通に考えれば

厳しい。

だが普通ではないからこそ、

ここまで生きていた者もいる。


「黒崎隊、入れるか。」


部下が

即座に答える。


「狭いですが、

 行けます。」


「ただし、

 支点取りに時間が要ります。」


真壁は

地図を見たあと、

無線へ言った。


「南東反応地点、

 救助最優先。」


「重機は待機。」


「人力で入れ。」


部下が

確認する。


「収容予定だった班を

 回しますか。」


真壁は

一瞬だけ黙った。


その問いの中には

現場の今が詰まっている。

助かるかもしれない一人へ

人を寄せれば、

別の場所の確認が遅れる。


「回す。」


「今日の一人は、

 今日しか拾えない。」


その一言で、

指揮所の空気が

少しだけ前へ傾いた。


五日目にもなると、

現場は

“淡々と続く消耗”に支配されがちだ。

そこへ

たった一件の生存反応が

人間をもう一度

生き物の顔に戻す。


真壁は

無線を置いて

短く息を吐いた。


(頼む。)


(今度こそ、

 間に合ってくれ。)


その願いは

もう指揮官の言葉ではなく、

現場に立つ一人の男の

剥き出しの感情に近かった。




《午前6時01分/JAXA筑波宇宙センター》


筑波宇宙センターは、

立っていた。


建物はある。

アンテナもある。

塔もある。

看板も、駐車場も、

見た目だけなら

完全な廃墟ではない。


けれど、

そこはもう

“普段通りに人が出勤して宇宙を見上げる場所”

ではなかった。


構内は静かだった。

警備と最小限の保守確認だけ。

広い敷地の中に

人の気配は薄い。


遠隔へ切り替えられたシステム。

閉じられた会議室。

片づけきれずに置かれた箱。

一部の机の上に残る

個人用マグカップ。

壁に貼られた

避難手順の紙。


朝の光が

無人に近い廊下へ差し込む。


その光景を、

安全確認のために一時立ち入った

職員の一人が

スマホ越しに見つめていた。


「……残ってるな。」


言葉の意味は

自分でも曖昧だった。


建物が残っている。

機能の一部が残っている。

働いていた時間の匂いが残っている。


だが同時に、

“以前の筑波”は

もう残っていない。


回線の向こう、

相模原から

レイナの声が届く。


「構内の確認、

 無理しないで。」


職員は

小さく答える。


「分かっています。」


「でも、

 見ておきたかったんです。」


その気持ちは

レイナにも分かった。


筑波宇宙センターは

着弾で吹き飛ばされたわけではない。

けれど着弾によって

そこにあった日常の使われ方を

切断された。


宇宙を見る拠点が、

いまは

宇宙から来た災厄の余波で

人を置けない場所になっている。


その皮肉が、

ひどく静かな形で

構内全体に沈んでいた。


レイナは

回線の向こうで

低く言う。


「戻すのは

 すぐじゃない。」


「でも、

 終わったわけでもない。」


職員は

しばらく返事ができなかった。


“終わっていない”

それは希望でもあり、

同時に

長い時間がかかる宣告でもあるからだ。


筑波宇宙センターは

今、

被災地の施設であり、

遠隔運用拠点であり、

そして

いつか再び人が戻るかもしれない場所として

中途半端に生き残っていた。




《午前6時43分/避難所》


体育館の朝は早い。


毛布を畳む音。

給水の列。

子どものくしゃみ。

高齢者の咳。

ボランティアの足音。

簡易ストーブの微かな匂い。

段ボールの仕切り越しの話し声。


その中を、

城ヶ崎悠真は

折りたたみ机を運んでいた。


着弾前、

彼は情報を持ち、

黙り、

渡し、

引き金を引いた側の人間だった。


いま、

その手には

USBも資料もない。

あるのは

飲料水のケースと、

配布用の毛布と、

臨時の受付表だけだ。


ボランティア用の腕章が

妙に軽い。


「それ、

 こっちお願いできますか。」


自治体職員に言われ、

城ヶ崎は

短くうなずく。


「はい。」


返事をしながら、

自分で少しだけ違和感を覚える。


“はい”と答える側の人間になっている。

何かを暴くのでも、

何かを持ち出すのでもなく、

ただ

今必要なものを運ぶ側。


だが五日目になると、

そういう手が

現場には本当に必要だった。


城ヶ崎は

水の箱を置き、

次に

高齢者用の簡易椅子を並べる。


その途中、

ふと目に入ったのは

体育館の隅で

子どもたちが座っている場所だった。


一人の男の子は、

アストレアAが大きく描かれたタオルを

膝にかけている。

別の女の子は

ツクヨミちゃんの小さなキーホルダーを

ずっと指で回していた。


着弾前、

それは

希望を売る商品だった。


キャラクター化された

人類の挑戦。

応援。

前向きな空気。

“まだ間に合うかもしれない”

という気持ちの形。


だが今、

避難所でその絵柄を見ると、

城ヶ崎の胸の奥に

鈍い痛みが走る。


(助ける側の名前だった。)


(でも、

 助けきれなかった。)


それでも子どもたちは、

そのタオルやキーホルダーを

責めるようには持っていない。

むしろ

“前の世界から持ってきたもの”として

大事に抱えている。


近くにいた年配の女性が

ぽつりと言う。


「……ああいうの、

 見るとつらいね。」


隣の母親が

小さくうなずく。


「でも、

 あの子たちには

 あれが“いつものもの”なんですよね。」


その一言に

城ヶ崎は返せなかった。


助けられなかった現実。

それでも、

その名前にしがみついて

心を保っている子どもたち。


大人にとっての失敗と、

子どもにとっての支えが

同じ形をしている。


それが

ひどく苦しく、

同時に

否定できないほどまっすぐだった。


「すみません、

 こっちの水もお願いできますか。」


職員の声に

城ヶ崎は我に返る。


「はい。」


彼は

また箱を持ち上げる。


今の自分にできることは、

意味を語ることでも、

責任を整理することでもない。


まずは

水を運ぶこと。

椅子を並べること。

列を整えること。

泣いている子どもの横で

ティッシュを差し出すこと。


五日目になって

城ヶ崎は初めて、

“自分の身体を使ってしか返せないものがある”

と知り始めていた。




《午前7時16分/瓦礫帯南東》


黒崎澪は

狭い隙間に

半身を差し込んでいた。


隊員たちが

上部の重量物を

ミリ単位で支えている。

バール。

油圧器具。

支点材。

息を合わせる声。


「止めて。」


「そのまま。」


「あと二センチ。」


昨日までの現場と違うのは、

今日は

“本当に生きている人”へ

隊全体の意識が

一点集中していることだった。


反応は弱い。

だがある。

呼気。

小さなノック音。

時々返るかすれた返事。


黒崎は

隙間の奥へ声を送る。


「レスキューです。」


「聞こえてたら、

 もう少しだけ待って。」


返事はない。

それでも、

その沈黙はもう

完全な無ではない。


隊員が

歯を食いしばって言う。


「黒崎さん、

 抜けますか。」


「いける。」


「でも、

 足場が——」


「いける。」


彼女は

答えながら

自分の肩をさらに押し込んだ。


土と木片が

首筋へ入る。

呼吸が浅くなる。

でも、

奥の暗闇の向こうに

人の体温の気配がある。


それだけで

身体が前へ行く。


数十秒。

あるいは数分。

時間の感覚が

完全に潰れたあとで、

黒崎の手が

ついに

布越しの腕へ触れた。


「いた。」


その一言で

周囲の空気が張る。


「生きてる!」


「搬出ライン準備!」


瓦礫の隙間から

引き出されたのは、

三十代半ばの女性だった。


泥と粉塵にまみれ、

顔色は悪い。

左腕は不自然な角度で固定され、

唇は乾き切っている。

だが、

目が開いていた。


焦点は合っていない。

それでも

黒崎を見た。


「……きこえ、た」


黒崎は

一瞬だけ

呼吸を止めた。


隊員たちが

応急処置へ入る。

酸素。

固定。

頸椎確認。

搬送。


黒崎は

その手の動きを邪魔しないよう

半歩下がる。

だが視線だけは

離せなかった。


五日目。

ここまで来て

まだ人が生きて出てくる。


奇跡、

という言葉を

現場の人間は

あまり簡単には使わない。

使えば、

助からなかった方に

顔向けできない気がするからだ。


それでもこの瞬間だけは、

隊の誰もが

胸のどこかで

それに近いものを感じていた。


「搬送!」


「道、開けろ!」


担架が動き出す。


その横で

黒崎は

ほんの一瞬だけ

目を閉じた。


昨日収容した

高齢男性の顔が

頭の奥をよぎる。

逃げてくれればよかった。

助けたかった。

間に合わなかった。


その痛みは消えない。

たぶん消えないままだ。


それでも今、

一人が生きて出た。


その事実だけが

現場の空気を

少しだけ前へ押し出す。




《午前8時07分/東京・研究機関合同会議》


三崎祐介の前には

新しい上空写真が並んでいた。


クレーター外縁。

噴出物。

倒木帯。

道路断裂。

土砂流。

熱の残る中心部。


昨日までより

明らかに情報は増えている。

そしてその情報の増加は、

研究者としての神経を

どうしても刺激する。


「外縁部なら

 近い観察は可能かもしれません。」


「ただし救助優先、

 現場判断絶対。」


政府側担当が

慎重に言う。


三崎は

資料から目を離さずに答える。


「分かっています。」


「最初に必要なのは

 “調べられるか”ではなく

 “調べることで何を守れるか”です。」


他の研究者が

少しだけうなずく。


三崎は

まだ現場へ行けない。

だが五日目になると、

彼の役割も

“その時が来たら入る人間”として

少しずつ輪郭を持ち始める。


クレーターは

ただの巨大な穴ではない。

安全評価、

環境影響、

噴出物分析、

落下物質の状態、

今後の立入制限。


科学が入る理由は

好奇心だけではなくなる。


そのことを

サクラにも、

真壁にも、

現場にも

理解してもらえる言葉へ変換すること。


それが

三崎に課される最初の仕事になりつつあった。




《午前8時44分/茨城空港側臨時受け入れ拠点》


海外からの救助支援隊が、

実際に日本へ入ってきていた。


空港脇の臨時受け入れ拠点。

輸送機。

支援車両。

通訳。

外務省職員。

自衛隊の案内要員。


胸元に

それぞれの国のワッペン。

医療。

捜索救助。

構造評価。

通信支援。


英語、

韓国語、

フランス語、

日本語が

短く交差する。


「到着確認。」


「活動区域は限定。」


「現地指揮権は日本側。」


「安全ブリーフィング優先。」


長距離移動の疲れを

顔に残したまま、

隊員たちは

説明資料へ目を落としていた。


一人の外国人救助隊員が

通訳越しに聞く。


「まだ生存者の可能性は。」


日本側担当者が

数秒だけ迷い、

それから答える。


「あります。」


「低いですが、

 ゼロではありません。」


その返事に

隊員は

ただ静かにうなずく。


大げさな連帯も、

劇的な握手もない。

あるのは

“今ここで使える人手を足す”

という、

現場に必要な実務だけだ。


だがその実務の到着自体が、

この災害が

もう一県の災害ではなく

世界が手を伸ばし始めた災害だと

示していた。




《午前10時09分/総理官邸・会見》


サクラは

会見台の前に立った。


背後には

立入制限区域。

救助継続区域。

避難受け入れ状況。

交通障害。

そして

“安全評価・調査準備”。


「——着弾から五日目です。」


「現在も、

 救助活動は継続しています。」


「本日、

 海外からの救助支援隊も

 順次日本に到着し始めています。」


会見場の空気が

わずかに変わる。


サクラは続ける。


「現地の指揮系統は

 日本側が一元管理します。」


「その上で、

 使える人手、使える技術、使える支援を

 最大限に活かします。」


「茨城県内では、

 短期間での帰還を

 前提にできない地域の可能性が

 さらに現実味を帯びています。」


「一方で、

 避難所、受け入れ地域、

 医療機関、学校施設では

 日々の生活をつなぐための支援が

 続いています。」


そして、

昨日までより少しだけ

未来側へ踏み出した言葉を置いた。


「復旧も復興も、

 まだ遠いです。」


「ですが、

 人の手はもう動き始めています。」


「その手を、

 国として支えます。」


それは

希望を大きく語る言葉ではない。

だが五日目の日本には、

そのくらいの硬さの希望の方が

ふさわしかった。




Day+5。

着弾から五日。


クレーターは

傷としてそこにあり続ける。

救助も続いている。

それでも、

水を運ぶ手、

椅子を並べる手、

施設を再配置する手、

国境を越えて到着する手が

少しずつ動き始めていた。


復興はまだ遠い。

だが五日目にして初めて、

人が“失ったものの後ろ側”ではなく

“これから支えるものの前側”へ

身体を向け始めていた。




本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。

This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.


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