祖父母や父からのお土産についての思い出話
今回の開催された庵さんの企画「思い出のお土産企画」を見た時に、お土産で物語小説を書くのは難しいそう……やっぱりいつも通り詩かなと思い、詩で作品を作っておりました。
実際にお土産を題材とした詩を2作品作り、その作品で企画に参加したのですが、投稿した後にふとこれエッセイに出来るかもと思い、今綴り始めております。
取り留めもないことで、何も考えずに書いておりますので、繋がりが変なところもあるかと思われますが、今はただ思うことを素直に綴りたいのでほぼ修正もせずに投稿させていただこうと思います。
◇◇◇◇◇
お土産と聞くと、私はやはり父や祖父からのお土産を真っ先に思いつきます。
父はかなりの頻度で西にも東にも出張があって、あらゆるところのお土産をいつも持って帰ってくれました。
例えば東京行ったら私の大好きな「ごまたまご」を、栃木だと「宇都宮餃子」、名古屋だと「うなぎパイ」、大阪だと「りくろーおじさんのアップルパイ」、広島だと「紅葉饅頭」、高知だと私の愛してやまない「芋けんぴ」などなど、美味しい物ばかりでしたね。
他にも本当に色々なところに駆り出されているので、本当に色々な美味しいお土産を持って帰ってくれました。
父は基本的に食べ物メインでしたね。
いや〜なんか幼い頃は父が出かけたら、帰ってきた時に何か美味しい物が食べれるなとすら思っていた気がします(笑)
その一方で祖父は登山帰りの時にお土産をいつも持ってきてくれました。
父は基本的にその場所で有名なお土産を持って帰ってくることが多いのですが、祖父はあまり馴染みのないお土産が多くて、全然名前も覚えていないほどです。
また祖父のお土産は当たり外れも多かったイメージがありまして、美味しいお土産は凄く美味しいのですが、中には何だこの味はみたいなものもありました。
この外れのパターンは主に2通りで、1つは昔ながらの味であること、そしてもう1つは外国産のお土産であることですね。
前者は多分祖父にとっては思い出の味に近くて美味しく感じるのでしょうが、今だともっともっと美味しいお菓子いくらでもあるだろうみたいな感じです。
多分ですが、これはいわゆる変わらぬ美味しさ……なんかその時は祖父との味覚の年齢差を感じておりました。
そして後者はそのままの通りで、外国産のお菓子は本当にしつこい甘さのお菓子もたまにあって、これが海外の甘いお菓子かと認識してしまうんですよね。
実は祖父は本当に登山するために海外にも出ておりまして、なんとエベレストを5000メートルまで登ったという体力が異次元である人でした。
本当にその体力を100分の1で良いので分けて欲しいです。
また祖父のお土産では、父のお土産と比べて物でのお土産も多かった気がします。
今でも持っているのは、エベレスト登った時に貰った独特な絵柄が刺繍されたポシェットと、ハワイに行った時に貰った貝殻のネックレスですね。
多分他のお土産も捨ててないので、どっかにはあるはずなのですが、見当たらない……。
あとこれはお土産に分類して良いのかイマイチだったのでさっきまで語っておりませんでしたが、実は祖母からもよく贈り物をいただいておりました。
どういう形で貰っていたかと申しますと、基本的にゴルフで遊びに行った時に何か買ってくるとそれを頂いていたという形になります。
祖母は月に2回ほどは最低でもゴルフしていたイメージですね。
今は身体の関係で中々出来ないみたいなのですが。
いや本当に夫婦揃って体力が化け物なんです。
まあそれで話を戻しますが、ゴルフをしに行って買ってきたお菓子や食べ物だけでなくカバンや小物などありますし、またゴルフの景品で頂いたA5ランクのブランド牛なども貰ったことがありました。
本当に今思うとお土産を貰いまくりの人生だったとつくづく思いますね。
私は出かけていないのに楽しい気分になっておりました。
もしかして極度のインドア派はお土産で旅の疑似体験をしているから……なわけはありませんが、それぐらい楽しめていた気がします。
では大学生活で一人暮らしをしている今はお土産を貰っていないのか……それはノーですね。
実は友人から定期的にお土産を頂いております。
私が旅行しないので、ほぼ貰ってばかりで申し訳ない気分になる……ごめんね。
そしてつい最近では研究室の先輩からお土産で(何のお土産か忘れてしまったのですが)、餅をいただきました。
お土産って特別なイメージがありますが、こうしてみるとお土産に飢えない人生を送っておりますね。
今回を通して、お土産って意外に身近だなと感じました。
まあ、社会人になったらお土産とどのぐらいの関わりを持つのか全然分からないのですがね(笑)
◇◇◇◇◇
本当に語りたいことを素直に語ったグダグダのエッセイでしたが、最後までご覧いただきありがとうございました。




