あの夜に授かった子と静かに暮らしたいだけなのに、悪役令嬢ざまぁ付きで王子様が迎えに来ました
西の大国アルノーク。
辺境のとある街で、最近ちょっとした噂があります。
――とても腕の良い帽子屋がいるらしい、と。
……らしい、というより。
その帽子屋って、どうやら私のことらしくて……。
貴族令嬢だった頃に身に着けた裁縫の腕だけが取り柄で、気づけば領外からもたくさんお客さんが来てくれるようになりました。
私の帽子は少しだけ特別で、風で飛ばないよう伸縮性の『あご紐』を付けているんです。
配色や編み方にもこだわっているから、とくに幼児用の帽子は「子どもが失くさないし、かわいい!」と奥様方にも好評で。
*
「……ふぅ。ちょっと一息付けますね」
午前の仕事をひと段落したところで、店主のジャックさんが声をかけてきました。
「おつかれさん、メアリー。今日も朝から5件もオーダーが入ったな」
奥さんのマーサさんも、ジャックさんの後ろからひょこりと顔をのぞかせて笑います。
「メアリーが来てくれてから、うちは毎日大繁盛だよ。本当にありがとうね!」
「こちらこそ。すてきなお店で働かせていただけて、幸せです」
『ブラウン帽子店』の店主夫婦は、とても気さくで優しい人たちです。行き場のなかった私たち母子に、居場所を与えてくれました。
「メアリー、奥でお昼を食べておいで。ルッカも待ってるよ」
「はい! ありがとうございます!」
帽子店の奥は、店主夫婦の住まいにつながっています。
奥へと続く仕切りを抜けると、ソファで絵本を読んでいる幼い姿が目に入りました。
――息子の、ルッカです。
「わぁい! ままだ!」
私を見るなり、大輪の花みたいな笑顔で駆け寄ってきました。
まだ3歳の幼い子ですが、室内でも私の作った帽子をかぶっています。
「お待たせ、ルッカ。いい子にしてた?」
「うん」
ルッカをぎゅっと抱きしめると、ミルクみたいな柔らかい匂いがしました。
胸にぴっとりくっつく体温。
「まま。だいすきっ!」
ルッカはまるで、しっぽを振る子犬みたいです。
でも動いているのはしっぽではなく、頭の上の小さな耳……。
「ママもルッカが大好きよ。……でも興奮しすぎると、帽子がずれちゃうわ」
店主夫婦が見ていないのを確かめてから、ルッカの帽子をかぶせ直します。金髪を掻き分けるように、金毛の猫耳がひよひよと動いていました。
私はルッカに囁きました。
「ルッカの猫さんのお耳、絶対誰にも見られちゃだめだからね……?」
「はーい!」
――私が帽子屋で働く、いちばんの理由。
それは、この子の猫耳を隠すため。
この子が、王家の血を引いていると気づかれないために……。
人間の耳と猫の耳。
ルッカには、2種類の耳が生えています。
……猫の耳は、頭の上に。
ふわふわの金髪とまったく同色のそれが、ぴょこんと。
この国の王族は、幼少期のみ猫耳を持つ――そんな話を聞いたことがあります。
本当は豹の耳らしく、ルッカの猫耳も、よくよく見ると薄っすらヒョウ柄になっています。なんでも、王家が豹の神獣の加護を受けているからだそうで。
つまり、この猫耳を見られたら終わりです。
なぜ私が王族の子を授かったか……少しだけ、昔の話をさせてください。
*
私は、第二王子の婚約者候補ベアトリス様の侍女として、王宮で暮らす彼女のおそばで働いていました。
ベアトリス・ルモア侯爵令嬢は、五人の婚約者候補のうちの一人。
王子には複数の婚約者候補が与えられ、数年かけて妃を選ぶ――それが、この国の習わしです。
……ちなみに余談ですが、私もかつては『婚約者候補』の一人でした。でも、ほかのご令嬢と比べて圧倒的に家格が低く、最初から数に入っていなかったと思います。
初めての顔合わせの席で、即座に理解しましたもの。――あ、私、サンドバッグの役割ですね。って。
私以外のご令嬢たちは熾烈な妃争いを繰り広げ、そして溜めこんだストレスを私にぶつけて解消しているご様子でした。……まあ、高貴な方々をお支えするのも中級貴族の役割だと思うので、割り切ってしまえば気楽なものです。
しかし実家に不運が重なって没落したため、私は早々に候補から外されざるを得なくなりまして。
働き口を探していた私を雇ってくださったのが、ルモア侯爵家でした。
そうして私は、ベアトリス様の侍女になったのです。
「ああ、もう! あんたってなんてグズなのかしら!」
このベアトリス様、とても二面性の強いご令嬢でして。
王子殿下の前では淑女。しかし裏では感情の起伏が激しく、私はベアトリス様専用サンドバッグへとジョブチェンジしたのでした。
それでもまあ、働けるだけ良しとしましたけど。
ベアトリス様は、イザーク第二王子殿下にご執心でした。
しかしイザーク殿下は、見向きもしません。どの婚約者候補にも冷ややかな態度で接しておられました。
(イザーク殿下はきっと、理想がお高いんですね。こんなに素敵な方ですもの……)
イザーク殿下は金髪碧眼の、氷のように澄んだ美貌の持ち主です。けれど笑うと春の日差しのようで、胸の奥が温かくなるお方でした。
ほんの一時でも彼の婚約者候補でいられて、私は本当に光栄でした。
遠くからお姿を拝めるだけでも、十分に幸せ。
そう思っていました。
なのに――。
とある真夜中、事件が起きたのです。
王城の外れにある、古い倉庫。
私はその夜、魔光灯のか細い灯りの下で調度品や魔導具の木箱を運んでいました。ベアトリス様のご命令で、「片付けが終わるまで出てきてはいけない」と命じられていたからです。
ひとり黙々と作業していると、音を立てて扉が開きました。
(――イザーク殿下?)
月光を背に立っていたのは、イザーク殿下でした。
苦悶の表情を浮かべ、荒い息を繰り返しています。
「…………なぜ、ここに、人が……」
うっ、と苦しげな声を漏らし、殿下はその場に膝をついてしまいました。
「どうなさったのですか!? 殿下! 殿――」
思わず駆け寄った次の瞬間、手首を掴まれ引き倒されていました。
私を見下ろす碧眼は、理性を失い、獣じみた情欲の色を帯びていて――。
私はただ、呆然としていました。
殿下は私に手を伸ばしてきて――でも、自分を押しとどめるように唇を噛んで、血を滲ませました。
「すまない。……っ」
殿下の状態は、どう見ても普通ではありません。
「一体、どうなさったのですか?」
「……媚薬だ。食事に、盛られていた」
「媚薬!?」
「あの女が……まさか、ここまでするとは……」
忌まわしそうに吐き捨てて、殿下はわなわなと肩を震わせていました。
感情の抑制が利かなくなっているらしく、歯を食いしばってご自身を戒めているようです――その姿に、私まで胸が苦しくなりました。
殿下はきっと、薬の効果が抜けるまで人のいない場所に潜んでやり過ごすつもりだったのでしょう。なのに、こんなところに私がいたから……。
「……マー、ガレッ……ト……」
不意に名を呼ばれ、私はびくりと身をこわばらせました。
マーガレットは私の本名です。『帽子屋のメアリー』になったのは、ずいぶんと後のことですので。
「俺から、逃げろ……マーガレット……」
イザーク殿下は自分の胸に手を当てて、攻撃魔法の呪文を唱え始めました。私が逃げ出せるように、自身を攻撃するつもりなのです。そんなことをされたら――
「おやめください!」
気付けば、殿下に縋りついていました。
「私を使ってください。……あなたを、鎮めるために」
「……っ!?」
「聞いたことがあります。媚薬は、事を済ますと効果が消えるのでしょう? でしたら、どうか――」
自分で自分を傷つけるようなことを、殿下にしてほしくありません。そんなことをされるくらいなら、喜んで身を差し出せます。
――私の、初恋の人に。
「ダメだ、そんな……ことは」
「お願いです。……私なんかじゃ、力不足かもしれませんけど」
「違っ……、っ……マーガレット……!」
それから先は、考える余裕がありませんでした。
貪られるように唇を奪われ、獣のように肌を重ね……。
彼を助けるつもりが、助けられたのは私だったのかもしれません。
叶うはずがない初恋に、一夜の花を咲かせることができたのですから。
――夜明け前。
イザーク殿下が目覚める前に、私は消えることにしました。
使用人用の通用門を使い、誰にも気づかれないように。
……婚約者候補ですらない私が殿下と関係したとあれば、殿下の醜聞につながるからです。
「さようなら。イザーク殿下」
悔いはありません。
どうかあなたが、幸せでありますように――。
*
王城を去った私は、『メアリー・スミス』と名乗ることにしました。長かった亜麻色の髪は肩まで切り、染め粉で少しだけ暗くしました。
どこにでもいる、ありふれた平民女のできあがりです。
行く先々で小金を稼ぎながら転々とし、たどりついたのは縁もゆかりもない辺境の街でした。国境沿いで移民が多く、紛れ込むのにちょうど良い場所です。
身ごもっていると知ったのは、あの夜から4ヵ月後。
街はずれに住んでいた老齢の産婆さんが、黙って助けてくれました。
――そしてルッカも、今や3歳。
イザーク殿下にそっくりな美貌ですが、金髪碧眼は平民にもいるので、珍しくありません。……マズいのは、猫耳だけ。
王族の猫耳は、10歳ごろに消えると聞きます。
あと7年。全然、隠し通せる気がします。
赤ちゃんの頃なんて、今よりよほど大変だったんですから……!
私が帽子屋に就職したのも、我が子の猫耳を自然に隠すためでした。
親が帽子屋なら、息子がいつも帽子姿でも「アリ」でしょう?
ブラウン帽子店は、もともと静かな店でしたが、私の作った帽子をきっかけに少しずつ忙しくなり――いつの間にか、領内でも名の知れた店になっていました。
「メアリーが来て、おれらの店は生まれ変わったよ」
「いつか王都に店を出すのが、あたしらの夢さ」
私はただ笑って聞いていました。……ちょっと複雑な心境です。
ジャックさんとマーサさんは、私たち母子を本物の家族のように気にかけてくれていて。私たちは店のすぐそばの貸家に住んでいますが、仕事中は奥のご自宅にルッカを置いてくださるので、本当に助かっています。
(……この生活が、ずっと続きますように)
*
そんなある朝のことでした。
私とルッカがいつものようにお店に行くと、
「おはよう、メアリー!! 聞いてくれ!」
「大変よ、大ニュースなんだよ!!」
ジャックさんとマーサさんが、大興奮でまくし立ててきました。
「どうしたんですか?」
「来月、うちの店にお偉いさんが来るんだ!」
「視察……ですか? お偉いさんということは、領主様でしょうか」
(人気になるのは嬉しいけれど、あんまり目立つと、私とルッカにはちょっと……)
そう思った矢先、ご夫婦は首を振りました。
「違うんだ!」
「来るのはなんと……第二王子なんだってさ!!」
(……なんですってぇ!?)
何でも、とある貴族が王妃陛下にうちの帽子を献上したらしく。王妃陛下はそれを大変お気に召し、王家御用達にしたいんだとか……。
そのために、イザーク第二王子殿下が直々に視察に来るというのです。
「メアリーのおかげだなぁ!! 本当にお前さんは、幸運の女神だよ」
(――やりすぎたぁあああ!)
私はただ、ルッカのために帽子屋さんに徹して生きたいだけなのに……。
「まま、しゅごいね!」
小さな親指をぴんと立てて褒めてくれるルッカに、引き攣った笑みを返すしかありません。
「ジャックさん……その日は、私……お休みを……」
「ん? どうしたんだ、メアリー」
「じつは、体調が悪くて……」
「1か月も先だぞ?」
「ひぇ!? いえ、ええと……」
「「?」」
欠勤しよう。
その日は、お店には行かない!
イザーク殿下と再会するわけにはいきません!
殿下を傷物(?)にした罪を問われても困りますし、もしも王家の血を引くルッカを連れていかれてしまったら――。
(そんなの、絶対にイヤ……!!)
「まま。どちたの?」
「……っ」
半泣きでルッカを抱きしめ、私は必死に訴えました。
「と、ともかく、私、その日は絶対にお休みさせてください、お願いします!!」
店主夫妻は、顔を見合わせて首をかしげていました。
――そして視察当日。
「ママ、きょうはおみせ、いかないの?」
「……ええ。ママ、ちょっと熱があるみたいなの」
仮病を使おうとした罰なのか……本当に夜中から熱が出てしまいました。
「おねつ? かわいそう。ぽんぽんいたい?」
「ぽんぽんは平気よ」
ルッカは心配そうに、私のおでこを撫でてくれました。……ねえ、天使ですか? あなた猫耳の天使ですか?
この子を取られたら私、1秒だって生きられません……。
「ルッカ。今日は誰かが来ても、お顔を見せちゃダメよ」
「なんで?」
「……そう言う日なの」
こてんと首をかしげてから、ルッカは「はぁい」と答えてくれました。
「おくすりのんだ?」
「じつは大人用は、切らしちゃってて……」
子どもの薬は備えているのに、大人用は用意していませんでした。……王城を去ってから、風邪なんて一度も引かなかったので。
「まま。おかお、あかいよ……くるちい?」
「大丈夫。少し寝たらすぐ治るわ」
「よちよち……」
火照ったおでこに、幼い掌がひんやりと気持ちよくて……なんだか、眠くなってきました。
毎日不安で、あまり寝ていなかったから……。
「――すぅ」
そのまま私は、深い眠りに落ちていきました。
*
「……ママ、ねんねちた?」
寝息を立てるママを見つめて、ルッカはきゅっと小さな拳を握りしめた。
「ママ。なおって。……おねつのおくすり、おばたんにもらってくるからね!」
帽子屋さんはすぐそばだ。ルッカ一人でも道は分かる。帽子を深くかぶり、あご紐もぎゅっと締めた。
「……あ。おかお、みせちゃダメって、ままいってた」
だからルッカは、おもちゃ箱をひっくり返してお面を探した。
「あった。ねこちゃんのおめん!」
お祭りの日に、ママが買ってくれたお気に入りだ。
お面と帽子で完全武装し、ルッカは外に飛び出した。
「わ……ひと、いっぱい……」
いつもは静かな通りに、今日は人だかりができている。王家の護衛と見物人でいっぱいだ。
その波を小さな体で掻き分けてブラウン帽子屋へと向かうと、店先でジャックとマーサが誰かと話していた。
――第二王子、イザークだ。
*
イザークは帽子を手に取り、静かな視線を注いでいた。
「――よくできている。軽くて形も美しい。使い手を考えた造りだ」
がちがちと緊張した店主夫婦は、震えながら笑顔を浮かべた。
「あ、ありがとうごぜえます、で、でで殿下……」
「こ、光栄で、ございますわ……おほほ」
「この帽子、誰の手による品だ?」
「う、うでの良い職人が、おりましてね……」
「職人……? その職人はどこに?」
ジャックとマーサは、思わず顔を見合せた。メアリーからは、「自分のことは言わないで」と頼まれているのだ。
返事に詰まっていた、そのとき。
「おばたん。おじたん」
猫のお面と帽子の子どもが、マーサのスカートをくいくいと引っ張っていた。
「ルッカ!?」
「おめぇ、どうしてここに……? なんでお面なんてかぶってんだ!?」
(――はっ)
マーサに、雷で撃たれたような衝撃が走った。
女の勘だ。
思わずイザーク殿下をふり返る。……似ている。
がっつり似ている。
ルッカと、まんま瓜二つだ……!
(メアリー……まさか!?)
「ねえ。おくすりちょーだい」
石像のように固まっているマーサの隣で、ジャックは尋ねた。
「薬って、おめぇのか?」
「ううん、ママ。おねつあるの」
イザークは息を呑んだように、ルッカを凝視していた。
「……店主。その子は?」
「いえ、その。……近所の、知り合いの子で……」
その瞬間、ルッカのお面がずり落ちかけ――
「ひぇ!!!」
マーサは凄まじい速度でしゃがみ込み、お面を紐を結び直してルッカを抱きかかえた。
「す、すみませんね殿下! あたし、この子の世話があるんで……あんた、ここは任せたからね!!」
マーサは全力疾走で店から遠ざかって行った。
「おばたん?」
「いいからおいで!!」
遠ざかる店主夫人と幼児の後ろ姿を、イザークは射抜くような眼で見つめていた――。
*
「もう! 何やってんだい、メアリー!! ルッカが店に来ちまったよ!?」
私が目を覚ましたとき、ルッカはいませんでした。
涙目で探していたら、マーサさんがルッカを抱えてきてくれたのです……。
「すみません、マーサさん……」
「ルッカも、勝手に出て行っちゃダメだろう? ママが心配するじゃないか!」
「ご、ごめんなたい……」
今にも泣き出しそうなルッカを、私はしっかり抱きしめました。
悪いのは、私です。
「まったく、寿命が縮んだよ! でも、あんたの事情は、……だいたい分かった」
「……っ」
私は、怯えた目でマーサさんを見つめました。
けれどマーサさんは、ふぅ――と息をついてから苦笑しました。
「なんて顔してんのさ。あたしら夫婦は、あんたとルッカを娘と孫だと思ってるんだから。王家にだって、売りはしないさ」
「マーサさん……!」
目から涙があふれ出し、マーサさんが優しく拭ってくれました。
「心配いらないよ。店からこの家に来るまで何度も道を変えたし、誰にも見られていないから。視察は今日だけなんだから、二度と顔を合わせやしないよ。……でも念のため、数日間はこの家で引きこもっておいで。いいね?」
「……はい」
マーサさんは私の頭をくしゃっと撫でて、立ち上がった。
「それじゃ、店に戻るよ」
――ぱたんと扉の閉まる音。
私はルッカを抱きしめたまま震える指でその頬を撫でました。
「まま。……ごめんなたい」
「ルッカは悪くないわ。心配してくれて、ありがとう……」
胸を埋め尽くす恐怖が、ほんの少しだけ鎮まってきた気がします。
――その日は誰も訪ねて来ず、静かなままに過ぎていきました。眠るルッカの安らかな寝顔に安堵の息を落としながら、
(数日は家に引きこもろう――)
そう決めていた、そのとき――。
バン!!
「!? 誰――」
「騒ぐな。――連れていけ」
「む、むぐっ!?」
扉の外から複数の陰が雪崩れ込み、口を布で塞がれてしまいました。月明りの中、眠ったまま粗暴な手に捉えられたルッカは今にも壊れてしまいそうで……
「んぅうう! ん――!!(やめて! ルッカに触れないで!!)」
抵抗しきれず、目隠しをされて運び出されて――
私たちどうなってしまうの……?
――ここはどこ?
ずいぶん長く運ばれたあと、埃とカビの匂いが混じった固い床に手荒く放り出されました。
「んぐっ……」
口に嚙まされた布で、悲鳴をあげることもできません。
そのとき。甲高い女の声が響きました。
「お前たち、目隠しと轡を外してやりなさい」
……?
窓から差し込む月明りの中、すらりとした女性が立っているのが見えました。
この人は……
「ベアトリス、様?」
何年ぶりでしょう……。
そこにいるのは、かつて侍女として仕えていたベアトリス・ルモア侯爵令嬢ではありませんか。
「やっと見つけたわよ。この泥棒猫。あんたのせいで、私は地獄を見たんだから……。あの夜あんたが邪魔さえしなければ、私が彼の子を身ごもっていたかもしれないのに!!」
ベアトリス様の怒号は続きました。
あの日――
自分が媚薬を盛り、イザーク殿下と関係を持とうとしていたこと。
他の婚約者を蹴落とすつもりだったこと。
殿下に押しのけられて、床に頭を打って気絶したこと。
一方のイザーク殿下は、人のいない倉庫で倒れていたこと。
そして……私が消えたこと。
「あんたに寝取られるなんて……何もかも、あんたのせいよ!!」
「ちょっ……無茶苦茶です!」
「お黙り! イザーク様はその日、私たち候補者を全員選定から外したの! 『醜い争いはもううんざりだ』って」
実行犯のベアトリス様には、生涯の登城禁止と領内謹慎処分の命が下されたそうです。他の4人は未遂だったものの、全員が媚薬を盛る機会を伺っていたことが判明して除外という結末になったとベアトリス様は言いました。
「……それからイザーク様は、あんたを探し始めたと聞いたわ。その話を聞いて、ようやく理解したのよ。あんた、私に復讐するチャンスを待っていたのね!? 家を没落させられた腹いせに!」
「何の話ですか!!」
分からない……本当に意味が分かりません。
イザーク殿下が私を探していた? 家の復讐って……没落させられたって、何?
聞き出したくても、ベアトリス様の瞳は狂気じみて話し合える状態ではありません。
「あんた一人を始末すれば済む話だと思っていたけど、その子供はもっと邪魔ね」
憎悪に染まった彼女の視線が、眠るルッカを抱えた黒服の男へと向かいました。ルッカの帽子は脱げていて、金毛の猫耳が見えています。その猫耳をベアトリス様は、ナイフのように鋭い眼差しで睨みつけていて――。
「先に子供から始末なさい。この女の目の前で」
黒服の男はうなずくと、ルッカを床に横たえました。目覚める様子もなく、あいかわらず寝息を立てています……。
「や、やめて!!」
後ろ手に縛られたまま体当たりを試みましたが、すぐに他の男たちに押さえつけられてしまいました。
「さっさと片づけるのよ」
「いやぁあああ!!」
男の掲げた刃が、月光を反射してぎらりと光を放ちます。そしてその刃は、まっすぐに、ルッカへと――――
――その瞬間。
風が、空気を切り裂きました。
黒服の男が弾き飛ばされ、高貴な身なりの男性が立っています――。
月明りに照らされて、彼の姿がはっきりと見えました。
「……イザーク、殿下!?」
イザーク殿下が、なぜここに……?
殿下に続いて王国騎士団の騎士たちが押し寄せ、悪漢たちを残らず捕縛していきました。
ベアトリス様が、悲痛な声を上げています。
「イザーク様!? な、なぜこのような場所に!?」
「愚かな。お前ごときの企みに、俺が気づかないとでも思ったか」
イザーク殿下の声は、氷のように冷たくて。
ベアトリス様の肩がびくりと強張りました。
「お前は生涯、領外への外出を禁じられていたはずだ。なのに、なぜ辺境にいる?」
「それは……」
ベアトリス様はしどろもどろになりかけたけれど、すぐに態度を変えてイザーク殿下に身を寄せようとしました。
「諦められなかったのです!! イザーク様を愛していて……だから……」
「――汚らわしい」
鋭い視線で一瞥されて、ベアトリス様は「ひっ」と声を漏らしました。
「この女を連れていけ」
殿下の一言に騎士たちが彼女を抑え込み、外へと引きずり出していきます。
「いやぁ……放して!!」
私は腰が抜けたまま、その光景を見送るしかできませんでした。
「……マーガレット」
名を呼ばれ、心臓が跳ねました。
いまだ眠り込むルッカを、私は必死で抱きしめました。殿下から隠すように背を向けて、絶対に引き離されないように――。
「殿下……こ、これは……誤解なんです!」
なんとかして、誤魔化さないと……。
「この子は……私の子です。でも、王家とは何の関係もありません!」
「神豹の耳が生えている子が、王家と無関係と?」
「……そういう帽子です」
「無理がある」
くす、と殿下が笑った。
堪えきれないと言ったふうに、肩を揺らして。
「な、なにがおかしいのですか……」
「君が……あの頃となにも変わらないから」
そう言うと、殿下は私とルッカをまとめて抱き寄せた。
「会いたかった。ずっと、探していたんだ。マーガレット」
*
殿下は私とルッカを宿へ連れて帰ると、静かに口を開かれました。
「……1か月前、母上に献上された帽子を見た瞬間に、君の作品だと確信した。だから視察には俺が出向いた。家の所在は昼のうちに掴んでいたが――まさか、ベアトリスが俺についてきていたとは。地下の抜け道を使われて、一瞬見失ったときには……肝が冷えた」
殿下は、自身の腕をぎゅっと握りしめていた――その指が震えています。
この方が、こんな表情をなさるなんて。
「媚薬事件は王家の名誉を傷つけかねない事態だった。だから表沙汰にはできず、君を探すにも王子権限の捜索範囲に限られた。――そのせいで、こんなに遅くなってしまった」
私の帽子が王宮に渡り、それで居場所がバレるとは――そんな物語みたいなことが、本当にあるなんて。
「でも。……ただの帽子ですよ? なぜお分かりになったのですか……」
「分かるに決まっている」
殿下はマントの下に隠していた、小さな布製のブローチを私に見せてくださいました。それは、私が伯爵令嬢だった頃に贈ったもの……。
「少年の頃からずっと、私の心は君にあった。君だけは、立場ではなく私自身を見てくれたから」
「殿下……」
胸の奥に、熱い物がせり上がって――私はそれを、どうしたらいいかわかりません。
そのとき、ルッカが目覚めました。
私の腕の中で、「んぅ」と小さく声を漏らしています。
「……まま」
寝ぼけまなこで私を見上げ、それから殿下を見つめます。
「まま、このひと、だぁれ」
返答に迷う私より先に、殿下は穏やかに囁きました。
「――お前のパパだよ」
殿下は笑みを咲かせ、私の腕からそっとルッカを抱き上げました。
ルッカの目は、まんまるです。
「ぱぱ? ぼく、ぱぱいたの?」
幸せそうに弾んだ声を聴いた瞬間、私はもう、抑えきれませんでした。
「う……うぅ……っ」
殿下はルッカを抱いたまま、反対の腕で私を包みました。
「一緒に帰ろう。……家族三人で」
***
その後のことは、怒涛のように過ぎていきました。
ベアトリス・ルモア侯爵令嬢は謹慎破りと不法行為で、戒律の厳しい極寒の修道院に送られてしまいました。
それと同時に、私の生家没落の件にもルモア侯爵家が裏で関与していたことが判明し――ルモア侯爵家には厳罰が下され、生家は名誉と爵位を回復されました。
「イザークの妃として迎える以上、そなたの家をあるべき形に戻すのは当然のことだ」
という国王陛下のお言葉に、涙があふれて止まりませんでした。
王宮に戻った私とルッカに待っていたのは、処罰どころか温かな歓待です。陛下は笑顔でルッカを抱き上げ、「よく帰ってきてくれた」と私に言葉をかけてくださったのです。
そしてブラウン帽子店を王家御用達として、王都に出店するようご提案くださいました。
*
「ままー。ぱぱー」
宮廷の壮麗な廊下をてちてち走るルッカを、イザーク様は笑いながら抱き上げました。
「すみません、イザーク様。ルッカはまだ、宮廷のマナーが……」
「これから身に付ければいいさ。俺だって、父親としては新米だ」
そう言って私の肩を抱き寄せると、優しくキスしてくれたのです。
「マーガレット。ようやく君が手に入った。夢みたいだ」
「……イザーク様ったら」
「ぱぱとまま、なかよち!」
ルッカの頭の上の猫耳が、楽しげにひよひよと揺れています。
もう、この耳を隠す必要はありません。
なんの心配もなく伸び伸び過ごしているルッカを見ると、私は幸せでたまらないのです。
……ところで、私は今も帽子作りを続けています。
「ルッカのができたら、次は私のも頼む」
「家族3人で、お揃いにしましょうか」
「ああ。夏になったら、揃いの帽子で舟遊びに行こう」
「わぁい!」
なかよく並んだ3つの帽子を思い浮かべ、私はイザーク様の腕のなかで笑みを浮かべました。
ありのままの家族3人、これから、もっともっと幸せになります。
帽子もたくさん作りますね――正体を隠すためじゃなくて、家族でオシャレを楽しむために。
最後までお読みいただきありがとうございました。
明日(1/16)にも新作をUPしますので、よければそちらもお楽しみください^^





