本の紹介⑨『はつ恋』 ツルゲーネフ/著
初恋に揺れる少年の心理を通じて浮かび上がる人生の苦み。
タイトルから恋愛小説と受け取られると思いますが、恋焦がれることの苦しみや、人と人の関わりから生み出される人生の苦みを感じることをできる作品だと思っています。130ページほどの中編であり、海外文学、それも古典作品は敷居が高いと感じる人にもオススメです。
主人公であるヴラジミールは白髪の混じった四十がらみの男性で、友人達に自分の話を披露することとなり、彼が16歳の時に経験した初恋に関する出来事を回想するというストーリーです。
ヴラジミールの初恋の相手は別荘で出会ったジナイーダという名前の年上の女性で、彼女は零落した公爵家の令嬢です。ヴラジミールは資産家の息子で大学への進学を控えており、勉強から解放され束の間の自由を謳歌している中でジナイーダを見初め、激しい恋心に揺れ動くことになります。別荘地には他にも彼女に懸想する恋敵が沢山おり、ヴラジミールは彼らと誰がジナイーダの心を射止めるのか競い合うことになります。
恋敵として登場するキャラクタも魅力的で、みんなで集まって誰がジナイーダに相応しいか議論する様子やお互いを牽制し合う駆け引きは微笑ましく、まさに恋愛小説といった風情ですが、ある時彼女がどこかの男と恋仲になっていることが明らかになり、物語は急展開を迎えます。
詩を通じてのヴラジミールとジナイーダが交流する描写はみずみずしく素敵ですが、その他にもヴラジミールと父親の不器用な心の触れ合いも印象的です。ヴラジミールの父親は母親よりも10歳ほど年下で、結婚も財産目当て、自惚れ屋で独りよがりという性格で、良い父親とは言い難いキャラクタです。しかし、ヴラジミールは父親を理想の男性と感じるほど尊敬しており、父親が自分を避けるそぶりを見せても構わず交流を試みます。息子に対して冷たくそっけない態度を取りますが、時折息子に対して、生きる上で大切なこと、人生の妙趣を語らう場面があり、そういった父親の言葉や生きる姿勢そのものがヴラジミールの人生観に大きな影響を与えることになります。
初恋の相手、そして父親との交流を通じて、16歳という多感な時期に甘いだけでない人生の姿を垣間見ることで少年が葛藤し成長していく様が精緻な言葉で紡がれています。
自分が恋焦がれる女性が自分ではない誰かに恋をしていることを、その女性との触れ合いの中で察してしまうというのは大変な責苦です。その苦しみの中で、ジナイーダの不思議な言動に一喜一憂し感情を揺さぶられる様は、多くの人が共感できるものではないでしょうか。恋愛に限らず、他人の言動に自身の感情の動きを支配されるという状況は、人生の中で何らかの形で遭遇する普遍的なものだと思います。
たとえ境遇や生きた時代が読者とかけ離れていても、作者は物語に普遍性を持たせることで、読者を魅了することが出来ます。それに成功している作品が古典と呼ばれ、のちの時代にも残るのだと考えます。
現代の小説、それもベストセラーと謳われている作品を読むときは、そういった視点で、その作品が後の世にも残る素養を備えているか注目してみると良いかも知れません。手当たり次第いろんな作品を読んでみるのも悪くありませんが、自分の中に評価の軸を作って作品選びをすると読後の満足感が変わるかなと思います。 終わり