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領主と教会、二つの影

その日、村は珍しく人々でざわついていた。朝早く、森を抜けてやってきた一団の姿が見えたからだ。鎧を着た兵士たちに囲まれて、立派な馬にまたがった男が進み出る。領主家からの使者だと名乗り、威厳ある口調で言葉を放った。


「我ら領主様の命を受け、神獣とやらを視察に参った」


その言葉に村人たちはざわめき、顔を見合わせる。守り神の噂は、すでに外に漏れていたのだ。


だが事態はそれだけでは終わらなかった。

ほとんど同じ時刻、別の方向からもう一行が現れた。純白の法衣をまとい、聖印を胸に下げた司祭と従者たちである。彼らは静かに祈りを捧げながら、村の門に歩み寄った。


「神の遣いがこの地に降りたと聞きました。正しき祀りを行うため、教会の名において参上いたしました」


領主の使者と教会の司祭、二つの力が同じ日に現れたのだ。

村人たちは一層騒ぎ立ち、口々に「すごいことになったぞ」と興奮を隠せない。


「これで村は安泰だ!」

「領主様も、教会も味方してくださる!」


歓迎の声が広がる中、ただ一人エリオだけが眉をひそめていた。

――偶然なわけがない。

背後に潜む思惑を感じ取りながら、彼は眠そうに欠伸をしているシロを抱き上げた。


「……やれやれ、また厄介ごとか」


「神獣は領主家の庇護に置くべきだ」

堂々と声を張り上げたのは、領主の使者だった。鋼の鎧を鳴らし、彼は村人たちを見回す。

「辺境の村に留めておくには危険すぎる。我らが管理し、領主様の御旗のもとで守護を行うのが正道である!」


「お待ちください」

柔らかく響いたのは司祭の声。純白の法衣を揺らし、聖印を掲げながら穏やかな笑みを浮かべる。

「神獣は神の遣い。人の権力に縛られるものではありません。正しき神殿で祀り、信徒の祈りを集めてこそ、その力は真に発揮されるのです」


「なにを……!」

「それはこちらの台詞ですな」


二人の言葉がぶつかり、空気は一気に張り詰めた。村人たちは顔を見合わせ、右往左往する。


「領主様に守られるのは安心だ」

「いや、やはり神に任せるべきだ」

「どっちがいいんだ……」


その場は板挟みとなり、動揺の波が広がっていく。


「ふざけるな!」

耐えきれなくなったエリオが声を荒げた。

「こいつは村を守ってくれる犬だ! 領主だろうが教会だろうが、勝手に祀ったり管理したりするな!」


一瞬、視線が彼に集まる。しかしすぐに村人の間から囁きが漏れた。

「エリオさん、また否定してる……」

「でも昨日まで神獣だって認めてたはずじゃ……」


孤立感が胸に重くのしかかる。誰も彼の言葉を聞いてはいない。

そんな中、当のシロはといえば――


『ふぁ……眠い。昼寝の続きはまだか?』


尻尾を振りながら大きなあくびをして、地面にごろりと転がった。

張り詰めた空気が一瞬だけ抜け、エリオは頭を抱えた。


子供の一人が、遊びの最中に転んで膝を擦りむいた。泣き声が広場に響き、母親が慌てて駆け寄る。


そのとき、シロがのそのそと立ち上がった。子供の前にちょこんと座ると、ぺろりと傷口を舐める。ほんの些細な仕草――だが次の瞬間、膝の傷が淡い光に包まれ、見る間に塞がっていった。


「き、傷が……治った……?」

母親が息を呑む。周囲の村人たちも声を失い、やがて一斉にどよめきが広がった。


「神の御業だ!」

司祭は目を輝かせ、両手を天に掲げる。

「見よ、癒しの奇跡! この御方はまさしく聖獣、神の遣いなのです!」


その言葉に信じ込んだ村人たちは膝を折り、熱心に祈り始めた。


一方、領主の使者は唇の端を吊り上げる。

「なるほど……癒しの力か。兵を癒せば軍は不敗となる。領主様がお望みになるのも当然だな」


「やめろ!」

エリオが怒鳴った。

「シロは戦うための道具じゃない! 村の……俺たちの仲間なんだ!」


だがその声は祈りのざわめきにかき消され、誰の耳にも届かなかった。


シロはというと、治した子供に尻尾を振り、干し肉をねだっている。

『よし、褒美は二倍だぞ』


「……お前が自分でややこしくしてどうするんだ……!」

エリオは頭を抱えたが、村人たちの信仰と外の思惑は、もう止まらない勢いで膨れ上がっていった。


夜の村は、静けさに包まれていた。昼間の喧騒が嘘のように消え、焚き火の明かりだけが闇を照らしている。だが村の外れでは、二つの影が向かい合っていた。


「互いに目的は違えど、神獣の存在を王都に伝えぬ理由はありますまい」

司祭が低い声で切り出す。法衣の裾が夜風に揺れ、聖印が月光を反射した。


「同感だな」

領主の使者は腕を組み、笑みを浮かべる。

「領主様の庇護に置くべきか、教会の神殿で祀るべきか……いずれにせよ、このまま村に野放しにしておくのは危険だ」


「危険、か。いや、むしろこれは好機でしょう」

司祭の瞳が怪しく光る。

「王都に報せれば、大きな動きになる。神獣を手に入れた者こそ、新たな時代を導くのです」


二人の間に短い沈黙が落ち、次いで焚き火がぱちりと弾けた。

やがて両者は言葉を交わさぬまま視線だけを交差させ、暗黙の了解を結んだかのように背を向けた。


そのころ、村の中央。

囲炉裏の前でシロは丸くなり、寝息を立てている。鼻先がひくひくと動き、夢の中でも何かを食べているのだろう。


エリオはその姿を見下ろしながら、深いため息を漏らした。

「……これから先、もっと厄介な奴らが来る。俺たちの静かな暮らしは……遠ざかる一方だな」


眠り続けるシロは答えない。ただ尻尾を一度だけぱたんと打ち、再び静かな夜が広がっていった。

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