村に守り神あらわる?
翌朝の村は、いつもよりざわついていた。
昨夜の光景――小さな白犬が光に包まれ、神獣となって魔物を追い払った出来事は、すでに村中の噂になっていた。
「よいか皆の衆! あの白犬は、わしらの守り神じゃ!」
広場に立った村長バルドは、白ひげを震わせて高らかに宣言した。
その声に、周囲の村人たちはどっと湧き立つ。
「見たぞ、確かに光ってた!」
「声も喋ってたじゃないか!」
「神の化身に違いない!」
あっという間に熱気を帯びる人々。
だがその中心にいる張本人――エリオは、額を押さえていた。
「……いや、普通の犬だろ」
必死に否定するが、誰も耳を貸さない。
当のシロはといえば、広場の隅で草をはみ、気持ちよさそうに尻尾を振っている。
「ほら見ろ、落ち着き払っておる! やはり神の風格!」
バルドは胸を張り、さらに拍車をかける。
「いや、草食ってるだけだから!」
エリオのツッコミが響くが、村人たちの目はすでに尊敬と畏怖に満ちていた。
中には早くも祠を建てようと言い出す者まで現れ、エリオは頭を抱える。
「おい待て、あんな奴に祠なんかいらん!」
「なんだと、神獣様に不敬な!」
「ただの犬なんだって!」
そんな押し問答をよそに、シロはくしゃみをひとつ。
村人たちはそれすら「神の合図だ」と解釈し、さらに盛り上がるのだった。
「シロー! 遊ぼう!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、元気いっぱいの少女ユウナだった。
手には色とりどりの花を摘んでおり、器用に編んだ首飾りをシロの首にかけてやる。
「ほら、似合うでしょ!」
「わふ!」
シロは尻尾をぶんぶん振り、得意げに胸を張る。
続いて、幼なじみの少年テオが走ってきて、首飾りを見て目を丸くした。
「すげぇ、ほんとに守り神みたいだ!」
「いや、ただの犬だって!」
エリオは慌てて否定するが、子供たちには届かない。
さらに双子のルカとミナが、きゃっきゃと笑いながらシロの尻尾を掴んだ。
「わーい、ふわふわー!」
「ぼくも! わーっ!」
その瞬間、バランスを崩して二人とも尻もちをつき、泣き声をあげる。
「おい、大丈夫か!」とエリオが駆け寄る前に、シロがするりと顔を近づけ、ペロリと舐めた。
するとどうだろう。
さっきまで涙でぐしゃぐしゃだった顔が、ぱっと笑顔に変わったのだ。
「わー、治った!」
「やっぱり神様だ!」
周囲の村人たちがどよめき、子供たちはシロにしがみついて歓声を上げる。
「……いや、犬の舌で泣き止んだだけだからな! 奇跡じゃないからな!」
必死にツッコミを入れるエリオだが、誰ひとり聞いていなかった。
その後も子供たちは、まるで祭りのようにシロを囲んで遊び続ける。
花飾りを追加でつけられ、頭には小枝の王冠まで。
「わふっ!」と鳴くたび、歓声と拍手が広場に響いた。
エリオは頭を抱え、ぼそりと呟く。
「……俺の知らないうちに、本当に村の守り神になってやがる……」
昼下がり、エリオは畑に出て鍬を振るっていた。
昨日の騒ぎから一夜明けても、土は変わらず固く、作物の世話は待ってくれない。
そこへ、がっしりした体つきの青年オルドが手を振りながらやってきた。
「よぉ、エリオ。手伝うぜ!」
「悪いな、助かるよ」
二人で並んで畑を耕していると、シロも負けじと前足で土を掘り始めた。
「わふっ!」
鼻を真っ黒にしながら必死に穴を掘る姿に、オルドが吹き出す。
「ははっ、器用なもんだな! お前の犬、働き者じゃねぇか!」
「いや、ただの邪魔だからな!? やめろシロ!」
エリオが慌てて止めるが、シロは尻尾を振りながらさらに深く掘ってしまう。
そんなやりとりの最中、明るい声が畑に響いた。
「エリオさーん! これ、差し入れです!」
娘のサラが籠を抱えてやって来た。中には焼き立ての甘い菓子パンが並んでいる。
「おぉ、ありが……」
礼を言いかけた瞬間、白い影がすばやく飛び出した。
シロだ。菓子パンをぱくりとくわえ、尻尾をぶんぶん振っている。
「こらあああ! お前にあげたんじゃない!」
エリオが慌てて取り返そうとするが、シロは楽しそうに走り回り、あっという間に一つ平らげてしまった。
その様子を見ていた村人たちは、なぜか感心したように頷く。
「やっぱり神獣様は食も旺盛なんだな」
「うむ、ありがたいことだ」
「いやいや、ただの食いしん坊だろ!?」
エリオのツッコミは空しく畑にこだまする。
それでも作物は、なぜかいつも以上に葉を茂らせていた。
「……まさか、ほんとにこいつのおかげなのか?」
エリオの胸に、不安とも期待ともつかぬ思いがじわりと広がっていった。
夕暮れが村を赤く染めていた。
畑仕事を終え、エリオは汗を拭きながらシロの姿を探す。
見つけたのは囲炉裏のそばで丸くなり、すやすやと眠る小さな犬の姿だった。
「……お前、本当に神獣なのか?」
ぽつりと呟く。
昼間の光景が脳裏をよぎる。子供たちに囲まれ、村人に守り神と称えられ、畑を荒らしてパンまで奪って……。
どう見ても、ただの甘えん坊の犬だ。
だが、昨日の夜に見たあの光――。
獣を圧倒し、村を救った荘厳な姿を、忘れることはできなかった。
「ただの犬でいてくれたら、どれだけ気楽か……」
エリオはため息をつき、眠るシロの頭をそっと撫でた。
その時だった。
――グゥゥゥ……。
重く低い唸り声が、遠く森の方から響いた。
「……!」
エリオの背筋が強張る。
聞き間違いではない。何かが森の奥で蠢いている。
まるで昨夜の騒ぎが、ただの序章にすぎなかったかのように。
シロが耳をぴくりと動かした。
眠っているはずなのに、その瞳が一瞬だけ金色に光ったように見えた。
「……やっぱり、お前はただの犬じゃないんだな」
エリオは唇を噛み、夜の帳が村を包み込むのを見つめた。
こうして、静かな日常に忍び寄る影は、確実に村を揺らし始めていた。