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僕らは一度も始まらなかったはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。  作者: 大天使ミコエル


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51 大丈夫だから(1)

 涙が静かに流れる。

 けれど、足取りは軽快だ。

 このまま、誰もいない場所に行こう。


 そう思った矢先、

「莉子」

 と後ろから声がかかった。


 ヤバい。

 このテンションの低い、投げやりな声。


 拓真だ。


 こんなグシャグシャな顔を晒すわけにはいかなかった。

 聞かなかったことにする。振り向きもせず、足を前へ。

 早足は、次第に駆け足になる。


「莉子!」


 拓真は追っては来なかった。

 こんなことでわざわざ体力を使う人ではないことは、あたしもよく知っていた。




 自室に帰ると、部屋を暗くしたままうずくまる。

 拓真が気にしてないかどうか気になって、窓は少し開けておいた。

 すぐに拓真の部屋の明かりがついて、拓真がいることがわかる。


 部屋は静かだった。何の音もしない。

 じっと、その無いはずの音に耳を澄ませる。


 この調子だと、気にしないでいてくれるだろうか。


 そう思った。その時、

「莉子?」

 と、拓真の部屋から声がかかる。


「…………」

 黙っていれば、やり過ごせるだろう。

 そう思った。

 そう思った、のに。


 ガツッ。


「……!?」


 窓のすぐそばで、音がした。誰かが、窓のそばにいる。

 まあ、十中八九拓真なんだけど。


 心臓が、バクバクした。


 まさかね。

 そんなわけない。


 自分を落ち着かせようとする。

 拓真は、こっちの部屋に入ってきたことはない。

 ましてや、あのおよそ80センチの隙間は、拓真のような運動を進んでしないダウナーな人間にとって、それほど気楽な幅ではないはずだ。

 だから、何の用もないのに、勝手に入ってきたりなんか、しない。


 けど、ガラリ、と部屋の窓は開けられた。


 うそ……。


 カーテンを押し上げて入ってきたのは、案の定拓真だった。

 目が合う。

「…………」

 拓真は何も言葉を発しない。あたしも、何を言えばいいのかわからずにいた。


 怒ってしまえばよかった。いつもの顔で笑ってみせるとか。困惑でもよかった。

 けどあたしは、そのどれでもない反応をしてしまったんだ。

 拓真の存在に安心して、気づけばあたしは、またぼろぼろと涙を流していた。


「たく……ま……」


 拓真が困った顔をする。

 あたしが泣いていると、困ってしまうのだ。

 きっと、どうしていいのかわからないんだろう。……自分からわざわざ来たくせに。


 そして困っているくせに、拓真は黙って部屋に入ってくると、あたしの前にしゃがみ込む。


「……何があった?」

 静かな声。

「あのね……、」

 あたしは、言葉を探した。けれど今は泣くので精一杯で、どう言葉にしたらいいのかわからない。

「今は泣いてるから……、後で話すね」

 ちょっとした気恥ずかしさを抱えた。


 揺らぐ視界の中に見える、しゃがみ込んだ拓真の、なすすべもなく床へ向かって下がった手を眺めて。

「ああ。大丈夫だから」

 と静かに応える声を聞いた。


 少し蒸し暑い暗い部屋の中。

 拓真はじっと、あたしの前にしゃがみ込んでくれていた。

 小さな声でぼろぼろと涙を流すあたしの、しゃくりあげる声と涙が落ち着くまで。

お兄ちゃん、この物語の清涼剤ですね。いいですね。

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