Lv8・幸せな悪夢
「朱莉ー?朝よー、早く起きなさーい」と、お母さんの声が聞こえて、私は目を開ける。
くあっ、と欠伸をして、ぐいーと背伸びをした。
時計を見るとぴったり7時。いつもと同じ時間。
私は顔を洗うと、制服に着替えた。
◇ ◇ ◇
ご飯にお味噌汁。焼き鮭に卵焼き、ホウレンソウのおひたしに、キュウリと大根の浅漬け。
いつもと似たような朝ごはんなのに、どうしてだかいつもより美味しいような気がした。
そんな私の言葉を代弁するように、お父さんが「今日はいつもより美味しいな」と笑う。
「昨日実家から新鮮なお野菜が届いたの。だからかしら?」とお母さんは照れ臭そうに笑う。
今日の晩御飯はその新鮮な野菜がたっぷり入ったカレーを作るんだって。
「カレー大好きだから楽しみ!」と言うと、お母さんはくすりと笑った。
◇ ◇ ◇
いつもの通学路。いつもの学校。いつもの授業。いつもの友だち。いつもの先生。いつものクラスメート。
いつもだらけの場所や人々が、どうしてだか懐かしく思える。……昨日が日曜日だったからかな?
授業が終わって、帰宅部の私はのろのろと帰る準備をする。
窓から空を見ると、今にも雨が降りそうだ。しかも今日は傘を持っていない。……これは急いで帰らないと!
「日向」
さあ駆けだそう!とした瞬間、誰かに呼び止められる。
振り向くと、佐々木君がいた。
何の用だ?と彼を見ると、右手になにか持っている。
「学級日誌、頼んでいい?」
「……あ、うん」
そう言えば、今日日直だったっけ?
お前が書いて出せよ!とは思ったけど……まあ、佐々木君剣道部主将だし。
暇人帰宅部朱莉ちゃんが変わりに出しといてやるよ。はっはっは!
……なーんてことは声には出さず、学級日誌を受け取る。
「ありがとな」と佐々木君は爽やかに笑うと、教室から出ていった。多分部活だろう。
さてさて、日誌書かないと思って中を見ると……な、なんと!もう既に書かれている!
さっすが佐々木君!君が私のパートナーでよかったよ!!
私はにこにことその学級日誌を先生に渡すと、家に帰った。
◇ ◇ ◇
新鮮な野菜の入ったカレーはとても美味しかった。
さっすがお母さん!ぐっと親指を立てる。
そんな私にお母さんは苦笑して、唇の右らへんを指す。
「カレーついてるわよ」……思わず赤面。
『アカリ』
ごしごしとティッシュで口元を拭いていると、突然声が聞こえた。
お母さんが呼んだのかと思って見ると、不思議そうに首を傾げられた。
……お母さんじゃない?お母さんじゃないのなら、誰が私の名前を呼んだんだろう?
『アカリ』
もう一度聞こえた声。……よく聞くと、男の人の声だ。
聞いたことのある声だ。でも、誰だったっけ?
『アカリ』
……ああ、そうだ。この声は。
『……お願いだから目を覚ましてくれ、アカリ』
魔王様の声だ。
◇ ◇ ◇
目を開くと、すっかり見慣れた部屋を背景に魔王様の顔が見えた。
お人よしな魔王様は、今にも泣きそうな顔をしていた。
……ああ、さっきのは夢か。
ぼんやりと思う。そりゃあそうだ。――だってあの日、私は家に帰れなかった。
家に帰る前に、私は車に轢かれたのだ。
そう思いだした途端に、魔王様の顔がぼやけだした。
ぎょっとした顔の魔王様。
「ど、どうした?アカリ。気分が悪いのか?」
おろおろと焦る魔王様に、ますますぼやける視界。
「……かれー、たべたい」
ぽつり、と呟く。
「やさいがね、いっぱいはいってて……すっごく、おいしいの」
お母さんの、得意料理。……もう二度と、食べれない料理。
ずずっと鼻を啜る。
魔王様は「……そうか、料理長に頼んでおこう」と言って、ぽんぽんと頭を優しく叩いた。
◇ ◇ ◇
後から聞いた話によると、私は1週間も眠り続けていたらしい。
原因はちびっこ夢魔の悪戯。……ごめんなさいって何度も謝られた。
でも、私はそこまで気にしていない。むしろ、感謝したいぐらいだ。
……あの日食べれなかったお母さんのカレーが食べれて、とても嬉しかったから。
今、私の目の前には美味しそうなカレーがある。
お母さんの作ったのとは違う味に、少し泣きそうになったけど。
魔王様の優しさが嬉しくて……十分満足だ。
「ありがとう、魔王様」
魔王様は黙ったまま、微笑んでいた。