3 甘い罠
アレルの足が大地を蹴って走るたび、肩に抱えたミアの体が揺れて弾力のあるものが筋肉にぶつかる。だが、そんな感覚を微塵も感じないほどに、アレルは追い詰められていた。
背後で、クルルガがくちばしを大きくひらいて不快な鳴き声をあげる。
ミアは一度に大量の魔力を使ったせいで意識を失ってしまった。
アレルは顔をひきつらせ、心の中で悪態をつく。
ふっざけてんじゃねぇぞ! このドクズ魔法使いがあ!
クルルガは成鳥すると人間の1.5倍ほどになる大きな怪鳥で、体内の毒袋から神経毒を吐き出す中型のモンスターだ。
クルルガは大きな翼を広げ、悔しそうに足踏みしたかと思うと二人を狙って紫色の毒液を吐き出した。
背後で猛毒の液体が地面に落ちる音に背筋が凍りついた。
アレルはぎりぎりと奥歯を噛み締め、呑気に寝ている魔法使いを再び罵る。
こんな女のことを信じるんじゃなかった!
こいつはとんでもない詐欺師じゃないか!!
不幸な男アレルが後悔するのは、昨晩の出来事だった。
「ミアが一番得意なことはなんだ?」
アレルはエールを片手に新しい相棒に話しかける。
周囲は有名人のアレルと見かけない顔の少女の組み合わせに不躾な視線を送るが、アレルは気にもとめない。
「うーん。強いて言えば、治癒魔法でしょうか」
酒が苦手だというミアはオレンジジュースの入ったグラスをクルクル回しながら答えた。酒場が苦手なのか、少し居心地が悪いようにも見える。
「そりゃ心強いな!」
アレルは近距離の戦闘タイプの自分と相性が良いことを素直に喜んで、エールをあおった。
ミアは誇らしげににんまりと笑みを浮かべる。
「ふふん♪ 実は、恩師にも100年ひとりの天才だと言われました」
「す、すごいじゃないか……そんなにすごいのに、なんで俺なんかに声をかけたんだ?」
アレルの不安げな表情を見て、ドヤ顔をしていたミアは優しく微笑みかけた。
「それは、アレルさまだから、ですよ」
アレルに悪寒が走る。それはつまり……。
「おまえ、俺のこと……」
「恋愛感情はありませんから!」ミアは即座に否定する。「今後、何百年経とうとそんな気持ちは微塵も起こりえませんので!」
天使の微笑みから一転、蛆虫でも見るかのような顔で否定されてアレルは安堵する。
「そりゃ、心強いな。ところで、明日さっそく狩りに行きたいんだが、おまえは後衛ってことでいいのか? 狩りの経験はどれくらいある?」
気のせいか、ミアの雰囲気がわずかに暗くなる。
「え〜っと、経験は……そんなにないんです。五回くらいかな〜? 前衛も、遠距離攻撃もできるので後衛も経験が、あります。それから、罠についても一通り学んだので、そういうアシストも可能です……」
言葉は歯切れが悪く、ミアの瞳は不安そうに左右に泳いだ。
どうして自信がないのかアレルには理由がさっぱりわからない。
「……すごいじゃないか」
素直な感想だった。狩り経験は少なすぎるが、まだ若いのに回復だけでなく攻撃魔法も使えるなんて才能に恵まれているとしか思えない。おまけに自分の才能に奢ることなく罠の知識もあるとは、真面目で勉強熱心なのだろう。
だが、そこでまた最初の疑問に戻る。
そんな多才な彼女が、どうして前のパーティを抜けて世間から見放されたハンターを相棒に選んだのか。
アレルの視線が気になったのか、ミアがオレンジジュースを両手に持ったまま心配そうに見上げてくる。
愛らしい顔立ちに活発そうな明るい雰囲気。彼女を見た多くの者が、彼女に好感を抱くだろう。
アレルが手元のエールに視線を落とすと、浮かない自分の顔が映っていた。
もっと強面で男らしい顔だったなら、グレイスも怯んであんなことをしようとは思わなかっただろう。どんなに睨みをきかせても余裕の笑みを浮かべていた彼女の顔が浮かび、アレルは顔を歪めた。
ただ目があっただけで頬を染め、好きだと迫ってくる女たち。 もしかしたら目の前の明るい少女も、何か事情があるのかもしれない。
アレルは詮索をするのをやめ、思い出したくない過去を振り切るように口角をあげた。
「まっ! やってみるのが一番だよな!」
時間を戻せるのなら、ギルドで格好つけた顔でクルルガの討伐依頼を受注した自分を殴り飛ばそうと固く決意する。
抱えていたミアの体がわずかに動き、アレルはほっとした。
「おい、自分で走れるか?」
クルルガとの距離は先程よりも離れている。二手に分かれれば隙も作れるだろう。
「はっ! すみません! 意識を失っていました。うわあ! 追われてるんですね! 任せてください! い、いま防御魔法を!」
「んなものいい! 自分で走ってくれ!」
慌てて懇願するが、ミアはすでに呪文を唱えだしていた。
「我を守る盾となれ、ウォール!」
余計なことするな! というアレルの悲痛な思いは届かない。間もなくして、ゴン! という鈍い音がして、同時にアレルの体に痛みと衝撃が走った。目の前に現れた防御壁に衝突し、後ろに倒れたのだ。担いでいたミアも地面に放り出され、短い悲鳴が聞こえる。
素早く上体を起こしたアレルは頭の中で叫ぶ。
このドグズ魔法使いがあ!
この魔法使い、ずっとこの調子なのである。攻撃をすればアレルをかすめ、アレルを狙うかのように罠を張る。
不幸な男の頭に、疑念がよぎる。この可愛らしい魔法使いは、嫌がらせのためにパーティを組んだのかもしれない。もしや、グレイスの手先なのか? 大金を巻き上げただけでは足りなかったのか?
極めつけは、アレルのかすり傷を回復しようとして、瀕死のクルルガを完全回復させたことだ。あと少しだったのに、アレルの努力は一瞬で泡となって消えた。さらに本人は魔力の大量消費により意識を失ってしまった。一〇〇年にひとりの天才? とんでもない詐欺師だ。
「ご、ごめんなさい」
ミアが涙目で謝罪する。今日だけで、その姿を何度見たことだろう。
「グエエエ!」
まるで歓喜するようにクルルガが鳴き声をあげると、アレルは頭の中で何かの糸が切れる音を聞いた。
「おい、ドクズ魔法使い」
心の中だけで留めておいた暴言がもれる。
「ド、ドクズ!? ぬあんてことを言うんですかあ!」
自分の失態を棚にあげ、ミアがわめく。
アレルはこれまでモンスターにしか向けたことがないような怒りの感情を込めて足手まといの少女を睨んだ。少女は途端に静かになり、身を小さくする。
アレルは口の端を曲げ、意地悪そうな笑みを作った。
「おまえにぴったりの仕事がある」
ミアの体が恐怖に震えている。その青い瞳には、クルルガではなく仁王立ちで見下ろすアレルの姿が映っていた。
最後までお読み頂きありがとうございます。
よろしければ、☆〜☆☆☆☆☆で評価頂けたら嬉しいです。