1 ぼっちハンターの誕生
せっかく深い眠りに落ちていたのに、アレルは物音と人の気配によって意識を引き戻された。
侵入の気配はなかった。体にかけた薄い毛布がはがされ、温かい体温が覆いかぶさる。物取りや夜襲の類ではないらしい。
柔らかいものがこれ見よがしに体に押し付けられ、アレルは整った顔を不快に歪める。
「何の真似だ?」
静かに、だが明確な不快感を込めて相手を牽制する。
宿の窓からさす月明かりに、馴染の女の顔が照らされていた。桃色の唇は妖艶な笑みをつくり、薄い寝巻きははだけて艶のある真珠のような肌が露出している。
「だって、せっかく同じ部屋ですし」
甘い声で小首をかしげ、女は淫靡な視線をアレルに注ぐ。
アレルは眼光をさらに鋭くするが効果はなく、ただ潤んだ瞳で見つめ返されるだけだった。
「望んで同室にしたわけじゃない。グレイス、おまえも一緒にいたんだから知っているだろ? ここしか空いてなかったんだ。俺にその気はない。明日も早いんだから、自分のベッドに戻ってくれ」
腹の底から声を出して精一杯相手を威圧しながら、アレルは心の中でグレイスがこのまま何事もなくベッドに戻るように強く願っていた。最高の相棒である彼女との関係をこじれさせたくはない。
グレイスはそっと上半身を持ち上げた。アレルがほっとしたのも束の間、グレイスはアレルの太ももを挟む腰を下ろした。男の肌とは違う、柔らかくて肉感的な感触がアレルに伝わる。
見上げると、グレイスはアレルの声など聞こえなかったかのように妖艶な笑みを浮かべていた。
彼女は人差し指をたてるとゆっくりとアレルの胸から下腹部をツーっとなでて彼の耳に囁いた。
「その気なんて……」
グレイスと組むまで、アレルは散々女に振り回されてきた。だからこそ彼女に期待していただけに、アレルは苛立ちを通り越して憤りすら感じた。
世界にはびこるモンスターを狩るハンターの仕事はアレルの生きがいであり、天職である。それなのに、女たちが強引に好意を押し付けてくるものだからそれが騒ぎに発展してパーティは解散、その度にいちから仲間集めなんて余計なことに時間と労力をとられてしまう。
男とパーティを組もうと思っても、散々パーティを解散に追い込んだアレルは異性からとことん嫌われているため、近づくだけで嫌な顔をされ、仲間になってくれる者などいるわけもない。
そのため、優秀な魔法使いであり、現実主義者で合理的なグレイスのならばとパーティを申し込んだのだ。ハンターとしての腕前だけでなく、穏やかな性格と気品と優雅さのある容姿も相まって彼女の人気は高い。彼女の魅力に惹かれて声をかける男も大勢いるからこそ、自分に興味など持たないと考えた。
実際、彼女とパーティを組んでからの二年間は最高に順調なハンター生活を送っていた。
二人だけのパーティでありながら記録的な数のモンスターを討伐し、S級ランクのハンターに上り詰めたのだ。
「早く退けろ。女だから犯罪にならないとでも思っているのか?」
「そんな……有能なハンター様が女の私に襲われた、なんて言うおつもりですか?」
グレイスの紫色の瞳が煌めいた。反対に、アレルの瞳は失望したように光を失う。
結局、女はみな自分勝手な生き物なのだろうか。
幼い頃から女を大切にしろと教え込まれてきた。だから荷物は率先して持つし、エスコートだって身に染み付いている。しかし、その結果がこれだ。
理不尽さに嫌気がさし、アレルの瞳に怒りの炎が灯った。
グレイスの細い手首を掴み、アレルは上体を起こして彼女を組み敷いた。うっとりと期待する顔に虫唾が走る。不快に歪めた顔を女の耳元に寄せた。
「ふざけるな。俺は眠いんだよ。クソババア、ヤリたいなら他を当たれ」
恐怖心を与えようと手首を掴む手に力を込める。
言葉に出してしまった後で、二十四歳の淑女にクソババアはないかと反射的に反省するが、即座に否定する。こんな変態は淑女に当てはまるはずがない。
このように拒否されるのは初めてだったのかもしれない。美しい顔から余裕のある笑みは消え、顔の筋肉がピクピクと引きつっている。
ざまあみろ!
アレルはほくそ笑むが、青ざめていた女の顔が次第に憎悪に満ちた恐ろしい表情へと変化したので、アレルの顔が固まった。
何がおきたのか、一瞬でアレルの視界が回って天井を見上げていた。グレイスはすでに部屋を飛び出している。そんな薄着でうろついたら危険だぞ、とアレルが声をかけようとしたとき、グレイスの悲鳴が夜の静けさを切り裂いた。
「いやあああ! たすけてぇぇえええ!」
アレルは事情が飲み込めないまま、倒された体を起こしてベッドの上に座る。
グレイスの悲鳴に駆けつけた従業員や目覚めた客たちが廊下で騒がしくなる。
「助けて! アレルにっ! アレルに襲われたの!」
グレイスが泣きながら皆に訴える声が、アレルの耳にもはっきりと届いた。
気がつけば、ありもしない濡れ衣を着せられていた。必死で無実を訴えても、聞き入れてくれる者はいなかった。グレイスの嘘の涙が、アレルの真実の言葉よりも現実味があったらしい。
後日、かつての相棒は「おおごとにはしたくないからお金で解決してあげる」とアレルから絞るだけ金を絞りとっていった。
背中を預け、これまで多くの大型モンスターを討伐してきた。信頼という堅い絆があるのだと思っていた。
「どんなモンスターでも、私達ならば問題ありませんね」
優しく微笑む彼女はもういない。
無敵だと思えるほどに充実していたあの日々は、すべては夢だったのではないかと疑いたくなるほどに、彼女は虫けらを見るような目をアレルに向けていた。
一番の注目株であった若きハンターの失態はハンター界に留まらず、広く知れ渡った。噂にはさらに面白おかしく尾ひれがつき、アレルの評判は地の底に落ちた。当然のごとくアレルとパーティを組む者はいなくなり、アレルはぼっちハンターになったのだった。
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