第三十六話:死神
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「姉上」
少年が丁重に、そして尊敬の眼差しで少女を見つめている。
場所は、古い、洋館の様な変わった家の大きな庭である。黒、紫、暗い色の植物ばかりが植えられた。
家自体も全壁、黒で統一され、所々にマラレル王家の紋章が埋め込まれた、いかにも五老杖の本拠地と言った風な見た目。
跪き見つめる少年の視線の先には、少女が悠然と立って居た。黒い死装束に、膝まで届く長いフードを被り、黒色が混じった白髪の、真っ赤な目の少女である。
そう。真っ赤な目、自分には一切受け継がれなかったフォルクスの証。永遠に老いぬ、五老杖……死神の一族の到達点のような女。
自分より二十も歳上なクセに背は幼女ほど、ただ、その膂力は神話の英雄、魔術王リュクリークすらも上回るのだと。
「なんだ、愚弟」
少女はぶっきらぼうに返した。心底、本当にどうでも良さげに。プラプラと右手に持つ鎌に体重を乗せている。
「いえ、陛下から出陣のご命令が」
「そうか、すぐに行くって言っといてくれ」
あの、何者も眼中に無いかの様な瞳。あの、赤い瞳。
シモン・フォルクスでは、私では到達できなかったあの高み。才能の塊。
姉はフォルクス一族秘伝の大鎌を振るい、私は骨董屋で拾った古ぼけたステッキを振るう。
死神様は黒い死装束にその身を包ませ、私は道化師の様な軽薄な衣服を、見た目通りにただ着る。
黒く、濁った普遍的な瞳を隠すように私が仮面を被る反面、ご当主様は赤い猛々しい瞳を隠さず、戦場を駆け回る。
強くなれば、家の連中を見返せると思った。
勁くなれば、姉に振り向いて貰えると思った。
一等宮廷魔術師の称号を得る程強くなったのに、認めてくれたのは……唯一、声をかけて下さったのは__
「『練鎖』」
道化師は水面にトンッと浮き、帽子にゴソゴソと手を突っ込んだかと思うと、ジャラジャラと長く、黒く、毒毒しげな鎖をズリリィと引き摺り出した。
魔法だろうか、重いはずの鎖が常に浮遊している。
「貴殿………多分、練鎖か……良い固有魔法を持っているな」
オルレアンは付近の部下たちの安否を気にしながら、血みどろの戦場の中、敢えて冷静に道化師と向き合う。
目の前の男との会話中にも、四方より聞こえる怒声、鼓膜を震わせる、脳髄まで届かんばかりであった。
「これはこれは、御冗談を、オルレアン公叔程では」
道化師は、敢えて爵位で呼ぶ。
呼び、そして一定時間見つめ合うと、話すことも無いのだろう、バサァと鎖を大きく振り回し、前方に密集していた公国兵ごと、音速に至るであろうスピードで、オルレアン目掛けて投げた。
ザンッと空気を裂く…というよりも削り取るかの様な音とともに。
当然、距離も離れていた為、十分目視しオルレアンは一所懸命に身をかがめ、避けた。が、背後まで声を掛けるゆとりは無く。
必死の鎖は無慈悲にも水面を駆けていた騎士兵三名の首を刈り取り、ザンッ……ボトッ…ビチャと無機質に落とす。
「なんという……」
切れ味、とオルレアンは呆然と、首がなく血が噴き出る死体を見つめると、素早く手を合わせ「済まない」と自身の力不足を詫びた。
ただ、すぐに切り替え
「その鎖…『風』の普遍魔法を纏わせ、斬っているのか…器用器用」
また向き直り、今度はオルレアンの方が槍で爆炎を作り、地面が砕けん程の鋭い踏み込みを行い、鎖の合間をハチが飛ぶかの様に抜けてゆく。
ビュンビュン、と無数の、あらゆる方向からマジシャンの手品の如く繰り出され、踊る鎖達。
見た目よりも範囲が広いらしく、ソレが公槍の皮膚に掠るだけで肉が削がれ、血がプシッと噴き出る。
「影よ満ちよ、影よ満ちよ、我の手中に汝の鈍影を」
同時にシモンは『影』の普遍魔法で常時壁兼目眩ましを作っており、居場所が掴みづらい
(ただ…あの槍の威力……甲冑を着込んだマラレルの騎士候補を瞬殺する程、軽装の私など)
バターでも切るかのようにスパッといくのでしょうね。と、シモンは逆に頰を紅潮させ、勇躍する。
勿論、今でも、全力で左右に持った鎖を振り、手数でオルレアンをゴリ押している。
「オルレアンッ加勢しようか」
「否、ヨナタンさんは……目の前の……敵にッ……集中して………下さい!!」
余程余裕が無いのだろう。ヨナタンの提案を息も絶え絶えに断った。
先程の渡河作戦中に矢弾を受け、抉れた傷口に、更に鎖が降り注ぎ酷いばかりに開いている。
だが、オルレアンは無言で、真顔で、ジジジ……と出来た傷口を戦闘中にすぐ焼いていき、失血を抑えていた。
驚くべき胆力であろう。
「流石は騎士様」
「これしき、死んでいった公国兵の無念に比べれば容易い!」
だが、依然劣勢。
後ろから進軍していたホスロ一行も、道中マラレル騎士兵や魔術師達と剣を交え、加勢には来れない様子。
ただ、ただ、オルレアンのみ戦傷が増えてゆくばかり。
「シモン殿、シモン殿、誰でも良い、兎に角!」
だが、ここで光明か。
一騎打ちの途中、慌ただしく大声でシモンに呼び掛ける騎馬兵が現れた。
当然、鼓膜に入り、反応し、道化師は連絡を取るべく、仲間の迷惑にならない範囲の『霞』の普遍魔法を放ち、一時的にオルレアンと距離を取った。
「何でしょうか」
跳ねた水と汗みどろの部下に、冷たくシモンは言い放つ。
「は……ハハッ、ジルレド様からの伝令に御座います」
ソレを聞くや否や、表情が変わり、下が水にも関わらず、バシャッと膝をつき、シモンは胸の前に手を合わせて軽く頭を下げた。
伝令将校は続けて
「現在、マドラサ城が正体不明の敵兵に囲まれている、数は八百程、急ぎ救援のため引き上げよ」
との事です、と軽く言い終える。
確かに、周りを見れば駆け回っているのはこの将校と同じく、伝令用の兵ばかり。先程まで居たはずのソルタナ達さえ、既に引いていた。余程オルレアンとの戦いに集中し、周りが見えて居なかったのだろう。
『シモン…お前は戦闘狂過ぎる、私の様に強ければ問題が無いが、その程度の実力ではいつか……死ぬな』
(それがこの時ですかね……姉上)
無表情で、なんの感慨も無さそうに道化師は回想する。
紳士は将校に
「全員が逃げれば追撃され、それこそ被害が大きくなるばかりです……私が殿を務めましょう」
ジルレド殿も人が良すぎる。と、笑いながら、戦略として至極当然の事を言った。
「………では、そのように」
伝えますると、寂しそうに馬に跨ったまま、将校は去った。
一応、シモン麾下の、彼の命令にしか服さぬ忠義の臣達は十数名程付近に居る。
道化師はその一人一人に声をかけ、ご苦労とねぎらうと。
「フォルクスの名に……五老杖の一族として恥じぬ戦いぶりを致しましょう、皆々様」
私は引き続き女騎士を抑えます。貴殿らは他の兵達の相手をしなさい。
と、すぐさま部隊を散開させ、シモン自身は自ら撒いた霞の中へと入って行った。
中では、オルレアンが困った様に、されど来ると分かっていたかの様な姿勢で戦神の如く仁王立ちし、槍を握っている。
「……私が方向音痴と知っての魔法かッ」
「いえ……別にそんな訳では無かったのですが……」
(道理で伝令を聞いている途中に出て来なかった訳ですね……)
と、少しシモンは引く。
同時に再びジャラリと鎖を取り出し、今度は『血』の普遍魔法を唱えた。フォルクス一族相伝、その家名、紋章の象徴、一族そのものの様な術を
「血よ溢れよ、血よ溢れよ、我の手中に汝の死血を、血は肉体を裏切らぬ、満ちよ、満ちよ、死神の__生き血を」
バサァ、とシモンの体中から鮮血が溢れ、とめどなく流れ落ち、付着し、雰囲気が重厚を増してゆく。
『血』の詠唱、フォルクスの技。自身に纏う血は肉体性能を極限まで高め、同時に触れれば腐敗する死の守りとなる。
死神にしか本来ならば扱えぬ技で、適合の無い者が無理に使うと数分の内に臓物がただれ、溶け、死ぬ。
(今、この時だけは私も……姉上に並んでいるのでしょうか……)
血に溢れながら、そして道化師は煩わしそうに、仮面をグシャリと剥ぎ取った。
美しく、切れる黒い瞳。整った目鼻。
男ながらまるで天女の如き美貌は、先の詠唱の反動で半面亀裂が走り、崩れかかっている。
時を惜しむように、有無を言わせず、霧の中全速でシモンは、舞った。
己の新たな力に溺れる様に、愉悦し、狂喜し、ただオルレアンを殺す為だけの死の舞を。
「貴殿、その技長くは保たんと見える!」
全身に鎖を打ち込まれ、皮膚が溶解しつつも、敢えて口角をたんまりと上げて、オルレアンも死闘を楽しんでいた。
崩れかかる顔面を見て判断したのだろう。
「ほぉ!ならば、逃げますかな!?」
「無粋な事を申すなッ、無論、正面から打ち砕く」
言うと、オルレアンはザクッと槍を水面を貫通し、その下の土にまで刺し、己の中に残る全魔力を振り絞って、練爆炎の出力を上げてゆく。
槍からドロドロとした熱気が漂い、土が爆ぜ、空気が爆ぜ、そしてキィィィと霧が晴れ始め、熱で、大量の水蒸気が公槍を包み込む。
(大技を……打たせる前にッ)
霧が晴れ切ってしまえば、周囲の公国兵が救援に来るかも知れぬ。
もう、左手が麻痺し、目も霞み始めていた。が、シモンは尚も意思を掴み続け、力を振り絞り、オルレアンの技を止めるべく駆け、全力で鎖を投げた。
全身を腐敗に犯され、既に彼女も虫の息、あと数本鎖を打ち込めば死ぬであろう。
鎖と槍技、速かったのは……
「この勝負、私の勝ちです__」
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「シモン様、シモン様、もう、鍛錬は宜しいのでは」
真っ黒い使用人の服を着た少女が、屋敷の大庭で、ひたすら鎖を振るうシモンに声を掛けている。
鍛錬用に立てられた、三メートルは有るであろう鉄製の看板は、皆シモンの鎖刃によって切り刻まれ、飛散している。
木製の、古ぼけたベンチに置いていた手拭いで汗を拭きつつ
「貴方も人の事を言えませんね、病の身だと言うのに、こんな寒天の下外に出て……」
「えへへ……」
少女は、少し照れ臭そうに、そしてイタズラがバレた幼子のような表情で笑った。
「さぁイサベル、中に入りましょうか」
紅茶でも淹れましょう、最近新たに友人から頂きましてね、とスタスタとシモンは汗を拭き切り、庭を出て服を着ると、早歩きで屋敷へと入ってゆく。
ソレを見て、待ってください、私が淹れますッ!と少女…イサベルも慌てて後を追う。
だが、イサベルは屋敷が怖かった。
なにせ、屋敷の廊下を通る時、自分の主人に向けて聞こえ続ける話し声。
「おい、シモン、フォルクスの特徴を何一つ受け継いで居ない"お前が"いくら鍛錬積んだって無駄なんだよ、諦めて執事の勉強でもしたらどうだ?」
すれ違いざま絡まれ、迷惑者が、と大男に足を引っ掛けられ、思いっきり殴られ、飛ばされる。
バンッ……メリメリ……と拳が腹の中央に入った様で、シモンはうっと呻きつつ、窓をガシャーンと割りながらめり込まされた。
パラパラと、道化師帽に硝子が舞い落ちる。
「シモン様ッ!」
「全く……イサベル、お前もシモンの世話じゃなく、ご当主に……死神様に勤めれば良いものを、せっかく拾ってやったのになぁ……」
異教徒の娘が、とツバを吐くようにして大男は軽蔑の表情を浮かべ、残念がる。
主人の為に何か少女が言い返そうとしたが、シモンは遮り
「これはこれは、父上……些かお戯れが過ぎますな」
と、ステッキをクルクルと回し、帽子をまた被り、敢えて元気よく振る舞う。
「………チッ」
武人らしく無くつまらんと思ったのか、男はそのまま廊下をわざとらしくドンドンと踏み鳴らしつつ、去って行った。
「あの娘も娘だ、病のクセして__家から恥として追い出されたクセに」
「そうですよ、ホント、異教徒の分際で……我が家に拾われなければ野垂れ死んでいたのにねぇ………」
一連の流れを見ていた他の親族達が、ヒソヒソと、ゴミを、汚物を眺める目つきで二人を視界に入れながら面倒臭そうに言い合う。
「さてイサベル、部屋に戻りますよ!」
それを、少女の耳に入らぬように、マントで覆いながら行く、シモンの日課が有った。
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あの日………イサベルが死に、誰も………
陛下だけ、陛下だけが、私にとっての希望となった日から覚悟していたハズだ。
もう、容赦はしない。誰であっても。幼子でも、老人であっても、陛下の……マラレル王家の為ならば。
大技を止めるべく間に合い、真正面から鎖を脳天に打ち込もうとしたシモンの霞む瞳に、オルレアンの端正な顔が映った。
きっと、そうだ、霞んでいたセイだ。
会うはずなんて__
「……イサベル…」
「爆炎槍」
カッッと、巨大な火の玉が眼前で爆ぜ、熱が、紳士を包み込んだ。