第三十五話:渡河作戦
「無論、全軍を以てしての正面突破より手は有るまい」
ヨナタンが軍議の場で大きく、言った。
場所はマドラサ川…もとい平原より奥の、雪山の中。
途中で軍を止め、天幕を貼り、魔法で作った椅子を据えて皆作戦を練っている。一応、中央…総大将、貴族や王族が座るべき位置にはホスロがゆったりと、しかしながら威厳を頑張って作りつつ、腰を降ろしていた。
バサバサ、と風が吹くたび天高く張られた布製の幕が揺れ動く。
「大きく…迂回してはどうかな、ヨナタン」
アステルドが渋い表情で言ったが、本人も分かっていたのだろう。
ヨナタンに「いや、それが出来れば苦労はせぬだろう、その為に向こうは柵やら反魔法陣を敷いているのだ、というかそうだったのだろう?」と反論され、人狐族特有の、その黒く長い鼻を垂らして黙る。
「殿下…ヨナタン殿の仰る通り、どうか…ご決断を」
横槍を入れる様にして、初老の魔法使いが、モゴモゴと口を開く。
再度。今、この場には公国騎士達に加え、隊長級の武将も呼んでいた。この男も、その中の一人である。
「確か…」
「サンレノと申しまする、家名は御座らん」
サンレノの援護を見て、痛み入る、とヨナタンは軽く老人の方を向いて会釈さえした。
彼が年齢的にも、経験的にも諸隊長の中で長的な立ち位置なのだろう。叩き上げらしく、彼が手にする杖は公国のモノでなく、そこいらで買える魔杖の旧式である。
更に後ろに座る数人の諸隊長達を眺めても反論が無いことから、皆正面攻撃支持派らしい。
「じゃけど………反魔法陣が敷かれとったし、占い師さん…特等魔道士並の大魔法でもなきゃ陣地破壊は不可能…かといって占い師さんの魔力を枯らす訳にも行かんしなぁ………」
「だねぇ…いくら私でも、反魔法結界を解析しながらの攻撃魔法の行使は骨が折れるよ」
「ならば私が先駆けを致しましょう」
開戦前の逸る空気を増長させるように、オルレアンが椅子から立ち上がると唐突に言った。
余程言い出したかったらしく、瞳は大きく見開き、頬が赤くなっている。
更に片手に抱く短槍からバンッと火の粉が延々と吹き出、舞い上がり、上がり切った残りが天幕内を焼かんばかりに熱していた。
「練爆炎、公国の槍として、是非とも」
余談だが、練爆炎…固有能力に家名が用いられるというのは、随分と稀有な事例である。(ちなみにオルレアンはアッディーン家のサラーフの様に襲名制で、現オルレアンの名はアンナである、皆オルレアンの方で呼ぶ為、あまり知られて居ないが)
ホスロの生家、アッディーン(マラレル領)家の相伝固有能力である操槍ですら、本来なら練槍の所を改めているだけなので、この一例だけで、いかにオルレアン一族の自負心が垣間見える。
彼女の申し出に対し、ホスロは一応は止めようとしたが、一切を聞かない。
むしろホスロ程度の戦場の経験が少なく、まだまだ暗い男の指図を受けるまでも無いと言う風に飲んですらいた。
困った少年はヨナタンやアステルドを省みるが、逆に二人は先鋒を取られる事のみが不服らしく戦略面での心配はしていない模様であり、軍師役の不足をいよいよ感じて、心中ホスロは嘆いた。
だが、誰も代わりに自分がと名乗り出ない所を見れば、恐らく頭ではオルレアンの考えと、彼女が先鋒として適任だと認めているらしい。
「突撃用の兵も二十騎程で足りるかと」
「後の四十名は、後続として控えられよ」
オルレアンは淡々と言う。その、茶髪の長髪が烈火の如く揺れ、両目下の古傷が大きくなった気がした。まるで神話の戦乙女のような良い表情をしている。
「相手の総大将、何じゃったっけ」
「ジルレド……アキナス」
アステルドがすかさず言った。
「そう、ジルレド殿だ、俺とアステルドの魔力探知を抜けて弓を放って来たんじゃ、余程の手練れじゃでありゃあ」
すると、オルレアンは尚も槍から火の粉を舞わせ、ハッハ、と豪快に笑うと
「何のことがありましょう、公槍が一国の領主如きに敗れては、名折れ」
言うざま、公槍は白馬に跨り、麾下の兵達の元へと向かった。
軍議は終わりらしい、ホスロははぁ…とため息を付きつつ(まさか、ヨナタンやアステルドの方が真面目だったとはなぁ…)
オルレアンはどうも、逸り過ぎていると評価せざるを得ない。当然、ソレを戒められない当方にも責任があると、ホスロは自責もするが。
一応、諸将に号令を下した
「我らもオルレアンに続くぞ、総攻撃じゃ」
ホスロが低く、シィーんと響く声で言うと、皆天幕の中で一斉に立ち上がり「応ッ」と。
十数人の男たちの返事は、更に周囲に陣を張っていた兵士たちの士気すら跳ね上げ、六十余人の雄叫びが山を貫き、震えんばかりに木霊した。
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一方、ジルレドの陣営でも、ホスロ達への対策が練られていた。
ちなみにマラレル王家の飛び地、マドラサは戦略上の要地のため、特にその守将は有能な者たちが多く配置されている。
守護者ジルレド・アキナスを始めとし、その与力である、マラレル騎士団員アウラング・ルノー、マラレル騎士ソルタナ・ラエリウス、同格の、一等宮廷魔術師シモン・フォルクス
主立つものはこのくらいだろう。いずれもマラレルの名家出身であり、実力経験共に申し分ない猛者達である。
中でもシモン・フォルクスに至っては十年前の第五次北征戦争でニクスキオン朝、皇帝ゴッドフリー・ド・パルテナ相手に杖を交え、生還した程の強者である。天下の豪と言っても差し支え無かろう。
マラレル常備軍約一万(第十五話参照)の内、マドラサに配置されている城兵は五百、更にその中から選りすぐりの、騎士、魔法使い計百余人で、現時点では何処の勢力かは不明だが、王に仇なす者共を駆逐するべく布陣した。
目視できる限り兵力差は二倍、無理に増援を請わなくても良さそうだな、と一等宮廷魔術師、シモンは冷静に言う。
怪しい仮面を被っている。更に道化師の様な帽子を載せており、魔術師らしいが戦場には随分と不敵な装いだ。
ただ、かと言ってふざけている訳では無いらしい。というのも、ニクスキオン皇帝とやりあった時もこの出で立ちだったそうな。
城主ジルレドは酒を豪快にも飲みつつ、彼らの、主にシモンの発言に耳を傾けている。坊主頭に長いヒゲ、まるで東国のサムライの様な顔の作り。
シモンは続けて言うに
「恐らく、いかに蛮族…奴らとて、正面からの突破はまず無いと見て宜しかろう」
懐からステッキを取り出し、ホスロ達が居るであろう森を指し示しながら、道化師は愉快そうに語った。
アレをご覧なされ、と更に
「森から川を渡るだけで数分は掛かりましょう、その間、コチラは魔法やら矢の雨を降らし続け、頃合いを見て突撃を繰り返せば」
賊軍、四散するのでは、と締めくくった。
正論である。柵やら魔法陣を敷いた以上、一方的に打ち込み、敵軍が浮足立てば突撃するのが常套手段でもあった。
それに、彼が言うようにジルレド達が本営を構えるマドラサ城側の川岸から森にかけて緩やかに下っている。
ホスロ達は駆け上がりながら攻めねばなるまい。
だが、マラレル騎士団員アウラング、騎士ソルタナはシモンと違い、全軍打って出るべきだと主張しており
「シモン殿の考えは弱兵の案である、我ら王の刃、賊軍如き相手に守るばかりとは」
笑われるわ、と特にアウラングは言った。
しかしソレをジルレドは静かに否定し
「アウラング将軍よ、あまり彼奴らを甘く見ぬ方が良いぞ、俺がさっき出会った男共は少なくとも勇者であった」
そんじょそこいらの凡夫では無い、と断言すらした。
優しくも、何処か諭すような剛毅な表情。
多少怒気も込めてあるが、それでも穏やかである。
「おぉ…ジルレド殿が仰るならば」
ジルレドの気迫に押されたのか、シモン殿の案でも…まぁ宜しいとアウラングは素直に了承する。
ここがホスロとの違いであろう。
少年にはまだ、実績と実力が足りぬ。故に将達を抑えきれないのだ。
すると、突如バキバキと何かを踏み折りながらも進む音が響いたかと思うと、同時に森の木々がざわめいた。
「何事」
ソルタナがすぐさま天幕を出て、周囲を張っていた斥候兵達に尋ねる。
「ハハッ、申し上げます、敵軍…マドラサの森から、全軍正面より、打って出て参りましたッ」
「………ほぅ、愚かな……」
斥候兵の声が大きかった為、自然、中にいた諸将にまで聞こえ、特にシモンは失望の表情を取った。
そしてソルタナが新たに号令を下す前に、ジルレドが椅子をバンッと蹴り上げて立ち上がり
「すわ、総員、戦闘準備じゃ、剣を持てぃ!!」
応、と。
緊張する暇も持たせず、皆自然と切り替わり、配置について行く。
賊軍、もとい公国側の先鋒は勿論、オルレアンである。駿馬に跨り、ほぼ単騎、一応兵達を率いては居るが半ば置き去りにし、マドラサ川を勇猛果敢にも、ザブン、と馬を入れ、轟轟と渡る。
「敵は未だ配置が整って居ないッ進め、槍を入れよッ」
と、背後を振り返りつつ、声を荒げる。
飛んでくる数多の魔法や矢を弾き、弾ききれぬモノは生身で受け止める。一応鎧は着ているものの、普通に貫通し、浅いが、ズブっと皮膚を抜き、肉まで生々しく刺さってゆく。
「アステルド、オルレアンを下がらせた方が良いのでは、あのままだと」
失血死するぞ、とホスロは指揮場所からソレを眺めつつ、不安がるがアステルドやレマナは動じず
「良い良い、平押しに押せば良い、オルレアンはあの程度の飛び道具で死ぬ程ヤワじゃ無い」
「そうだよホス君や、公槍を甘く見すぎだね」
「……」
鬼神の如く槍を構え、体中に矢が刺さり、ハリネズミの様になりながらも、驚く事にオルレアンは一切速度を落とさずに川を渡っている。
「あの騎士を討ち取れッ川を渡らせるな」
ソルタナも声を荒げ、兵を指揮する。敵は一騎である、狙え、引き絞れと。
「ソルタナ殿、ここは我等魔道士部隊にお任せあれ」
だが、シモンがソルタナの叱咤を遮り、十名ほどの魔法使いを率いて、柵から打って出た。
流れる様にソルタナは了承すると、弓矢部隊に射撃を止めさせ、いつでも突撃出来る様に全員槍に持ち替えさせた。
ソレを目視し、ホスロも後軍含め指揮場所を山からマドラサ平原まで大きく進出する。
「いざとなれば、すぐにオルレアン達の救援が出来るよう、並べ、並べ」
お互い、配置は既に出来上がっていた。
あとはオルレアンがどこまで突破するか。
川を今にも渡りそうな公槍の眼前に、氷やら土やらで刀剣を形作り、今すぐにでも打ってきそうな魔法使い達が目に入る。
(魔道士部隊…射程が短い分、当たればキツくなるな……)
水上で判断すると、すぐに馬を左右に揺れ動かしながら、自身は馬上で槍を振るい、空中に巨大な火炎を浮かび上がらせる。
一網打尽にすべく、練爆炎の奥義、『火球』を放つらしい。
「まだ…まだ、」
相対する魔道士部隊の長、シモンはゆっくりと冷えた声で号令を掛ける。額には汗が滲み、体が小刻みに震えている。これだけ戰場を経験しても、怖い者は怖いらしい。
やはり慣れぬ死の恐怖、とシモンはそんな自分自身に驚き、「猛者と殺る時は……良いですね……」と静かに笑った。
オルレアンも打たない。
バシャ、バシャ、馬が水を吸い重くなりつつも、それでも渡る音と、矢や魔法弾の飛来音だけが戦場を占めている。
「……火球ッ」
一瞬、オルレアンの方が速かった。
有効射程に入った瞬間に、純粋な球の形をした爆弾をバシュッと魔導師達に向かって放つ。
だが、ソレを打ち消し、相殺すべくシモンも放てッと命令し、川を埋め尽くす様な風、氷、様々の魔法の結晶が爆炎目掛けて衝突した。
キィぃぃ、と互いの奥義が融合した時、マドラサ川の水位が下がる程に水が蒸発し、あたりに光がバラまかれた。
爆発は双方の中央辺りで行われ、小さなクレーターが出来、モクモクと煙が上がっている。
爆風でシモンはふっ飛ばされつつも、道化師らしくスタッと水面に着地した。どうやら防御結界魔法に集中していたらしく、怪我はあまりしていない。
一応壁の様に張り巡らしていたらしく、麾下の魔法使いの何名かも無事である。
「あれだけの爆撃、流石に耐えては居ないでしょう」
着地したなり、柵の中にまた戻り、大剣を片手に指揮をしていたジルレドに、衣服に付いた煤を払いながら声を掛けた。が、彼は多少諦めた風に笑うと
「見ろ、シモン、あの女騎士、まだまだ元気じゃ」
モクモク…と巻き上がる水蒸気と煙の中から、傷だらけになりながらも、水しぶきを上げ、付着した血を流しながら必死の形相で槍を入れてくるオルレアンが確かに居た。白馬もボロボロだが、生気を失っては居ない様子。
「カッカッカ、誠に…武人よな、まさかこうも容易く渡られるとは」
彼女の背後には十数人の騎士兵達が続き、ホスロやヨナタン、アステルドも後続して居るのが見える。
「堀も無い以上、守っても仕方あるまい、総攻撃じゃ、皆のもの、出陣せよ!!」
カンカン、と魔太鼓が鳴らされ、大将の号令と同時に、待ちきれなかったのだろう、数名が柵を蹴り倒し馬に乗りつつ名乗りを上げて、オルレアン目掛けて槍を入れた。
が、難なく躱され、逆に首を預けてしまう。
「ほぅ、マラレルの騎士候補を……」
守将の一人、アウラングは細い目を大きく見開き、武者震いをする。が、将の身であるため軽挙はせず、あくまで用兵術で以てオルレアンを討ち取るつもりらしい。
一方後続のホスロ達は前線の様子の詳細が分からぬ。オルレアンが渡河を半ば成功させたとの報告は受けたが、なにぶん山から川にかけて坂上がりの為に見えづらかった。
「殿下、このまま押そう」
たまりかね、ヨナタンが軽兵を率いて前線に駆けた。
ただ、ホスロは大将のため前には出ない。
アステルドも少年の護衛と称して動けなかった。
アーディルとレマナは攻城時に必要な為に魔力を温存しておかねばならず、公国側はヨナタン、オルレアンに加え小数の隊長格を何名か前線に派遣したのみである。
まだ二十名程を後方に余らせていた。
「ホス君、全軍押すべきだよ、四十名そこいらで二倍の兵の相手は厳しい」
なにより兵の小分けは禁物だと、レマナは続けて進言した。
ホスロもその通りじゃな、と言って今度こそ、残る兵も全てザブンと川に入れる。
ホスロ自身も操槍で的にならない程度に浮き、渡河を始めた。
マドラサ川はお互いの兵士の血で赤く染まり、乱戦模様である。あちこちで組み討ちが行われ、絶えず怒声と叱咤する声が交わされ、前線では軽兵と共にオルレアンに合流したヨナタン達がソルタナやシモン相手に互角の勝負を演じている。
「ヨナタンさん、あの騎士殿の相手を頼みます」
水上、大声でオルレアンは続けるに。
私は…と、目の前の道化師を睨みつけて
「さっき魔法を撃ってきたこの魔導士を…」
ザンッ!と槍を縦に振るい、威圧した。
「おやおや、全く…元気なお嬢さんですね」
多少慄いたが、すぐに気を取り戻し、道化師、シモンは帽子を取り、丁重に挨拶をすると
「リュクリーク・ノルマンドが配下、一等宮廷魔術師シモン・フォルクス」
「アッディーン公国、公槍………アンナ・オルレアン」
彼女の言を聞き届けると、シモンはニヤリと笑い
「やはり公国軍の生き残りでしたか、名乗られたということは、随分と余裕なようで」
「否、貴殿が名乗って、なぜ私が返さぬ事があろうか」
ソレを聞き、シモンは少し恥じ入る様に帽子を被り直すと、
「これは…失礼致しました、では、フォルクス一族秘伝の魔術を…どうぞ…ご照覧召されよ」
「うむッ」
ステッキを構える紳士は、覚悟を決めた様にふわっと戦場に降り立った。