第二十五話:抗えないキス
コンスノープルの中心より、かなり離れた山地まで、ホスロはレマナを抱えながらボロボロの体で避難した。精霊によって多少魔力が回復したとは言え、やはりキツイ。今まで魔力強化により促進しててきた心肺機能や体内の調節機能が稼働しなくなる為、途中休み休み、嘔吐さえしながら登る。おまけに寒く、コンディションとしては最悪である。
だが、危機的状況は去りつつ有る。
(かなりシンドかったけど……ここまで来れば…)
こんな奥地まで態々殺しに来る程に律儀なマラレル兵士ではあるまい。
安心したホスロは、両腕に抱くレマナに向けて、囁くように確認を取った。
「占い師さん、占い師さん」
「……」
起きない。
おまけに先程からポツポツ…ポツと冷たい雨が降っている。延々と続き、ホスロの髪から滴り落ちる水滴が、レマナを濡らしていた。
どうにか、凌げる場所へ。このままでは風邪を引いてしまう。ほんのりと、レマナの体が熱を帯びている気さえしてきた。
だが幸運にも、丁度山奥であったため、小さな岩陰…というか洞窟サイズの場所が空いていた。
ホスロはレマナを抱いたまま、スルッと入ってゆき、適当な場所に降ろす。
かなり冷えており、冷たい風が洞窟内を吹き荒らす。
レマナは瞼を閉じたまま。
美しい銀髪に多少の雨水とホコリが付いているものの、変わらず透き通る様な色。いつもは憎たらしい口を開き、特に意識していなかったが、喋らず、柔らかなタレ目を閉じる彼女の顔は、例えようもなく美麗である。
いかんいかん、とホスロは自制をする。別に見とれている訳では無いと、異常が無いか確認しただけだと言い聞かす。
「ふぅ…ようやく居心地が……」
最後に眠ったままのレマナの髪を撫で、ホスロは安心した様に腰を降ろした。
とにかく二人共命が有って良かったと、あの時レマナを見捨てずに加勢して良かったと、少年は心が満たされる思いで、そのまま眠ろうとした。
しかし、その意志は容易に乱される。
「ふふっ、待ってましたよ、ホスロ」
洞窟で発した声は、四方に飛び、シィぃんと反響し、そして鼓膜に届く。
突然響いた女性の声に、安心しきって休もうとしていたホスロはビクッと、レマナを撫でる手を止めて、体を震わしながら杖を手に取り、立ち上がった。
薄暗い洞窟の中、サァサァ、と静かに小雨が降る音が聞こえて居るだけだったのに。
コツコツ……冷たい石を踏みながら、長身の黒髪の女性が、一定の速度で近づいて来ている。
純白の布服に、黒色の袴を履いて。
ネロ・ラドリアはホスロにとって一番の恐怖の対象であり、同時に悍ましく、理解の及ばない狂人でもある。
「なぁ…頼む」
ホスロは仕込み杖を持ちながら振り返り、震えた声で言った。連続して。
「頼む、頼みます……お願いします……どうか、レマナだけは……この人は殺さないで下さい」
誰に言われるまでも無く、本能が彼にその姿勢をさせる。
石の上に手を置き、腰を折って土下座をした。
戦っても勝てない事は明白である、魔力がカラの上に、頼りのレマナは戦闘不能状態。
こうするより他あるまい。
少年の顔は酷くクシャッとシワが寄っており、少し泣きながら、寒さと恐怖でどうにかなりそうに
「お願い…します……何でもする…しますから………」
「どうか、どうか………」
「あら……ホスロ、顔を上げて下さい」
だが、そんなホスロとは反対に、ネロは困った様に足音を鳴らしながら近づいて行き、土下座を続けるホスロの眼の前までたどり着き、クイッと顎を持ちあげた。
「大丈夫、大丈夫ですよ、私はただ単純に……貴方にどうしても…会いたくて来ただけです」
「……え…」
「まだ、別に…『断金の大鎌』フォルクス様曰く、貴方達を殺す必要は無いらしいので」
ソレを聞いて、ホスロはパァァと明るい顔になる。
「そうか……なら、なら良かっ__」
と思ったのも束の間、ネロは無表情に「水よ満ちよ」と『水』の普遍魔法を唱えると、片手に少し大きめの針の様な水を生み出して、レマナ向けて放った。短い詠唱時間で効率的な威力を出す技の一つである。圧縮された水は鉄をも上回る硬度となり、射程圏内であれば弩よりも大きな損傷を相手に与える事が出来るらしい。
そして、その針はドスッと思いっ切り、遮る物も無かった為レマナの右腕にあたり、ゴリゴリと骨まで達する。
「ぐっ……がっ」
刺さった瞬間、余りの痛みでレマナは反射的に声を上げた。血がブシっと吹き出る。
「おい、ネロ!?」
「殺しはしません、ただ……もう、今後教王に弓を引けない体にするだけですよ」
確かに軍人としては当然の判断だろう、レマナ単独で正直言って二百名程の下位の宮廷魔術師の集団くらいならば殲滅出来るのだ。
五老杖から直々に、「殺すな」との司令が出ているとは言え、ネロとしてはこんな好機、逃すべきでは無いだろう。
だが、そんな彼女の腕に縋り付いて、ホスロはまた哀願した。仲間をいたぶられて、指を咥えるだけ…というのは出来るモノではない。
「まって、止めて……頼むから……本当に、何でもするけん……お願いじゃ……」
「……」
ホスロは再び怯えた表情を取りながら、必死になってネロに頼んだ。
否、頼む…というよりこの場合ホスロが持ちかけたのは"お願い"となるだろう。
魔術師間のお願い、とは即ち契約の事。
例えばサイエンとホスロが決闘の末、公的には夫婦となった風に、儀礼的にも、魔術的にも守るべきルール…呪いの様な物である。
「……そうですか」
予測していたようにネロはにぃぃ、と妖しげに笑うと、レマナに向けて二発目の『水』を打とうとしていた手を素直に閉じて、下に下ろし
とても、人間的な、好いた相手に吐く、メジャーな欲望を言った。
「では……"キス"…をしてくれませんか?」
「愛している、と言って」
何とも恥ずかしげに、赤面しながら。
ネロの精神は確かに冷たいが、ただそれはホスロ以外の人間に対してであって、ホスロに向ける想いは年頃の娘そのものである。
「……分かっ……た」
ただ、ホスロにとっては屈辱だろう。
仲間を守るために戦う力も無く、かといって抱えて逃げる手段さえない。
有るのは惨めったらしく、媚びる様に相手の望み通りに、言いたくも無いセリフを…友達の、『ラヴェンナ』の前で吐きながら、キスをするだけ。
少年からすれば、死よりも、魔術師として、軍人としてコレ以上無く誇りを傷つけられた。
思わずギリギリと舌を噛み、血を流し、涙しながら少年は自身の顔とネロの顔との距離を狭めて行く。
(このまま舌を噛み千切って、死んでしまいたい……)そう思うくらい、とにかくズタズタなプライド。
「さぁ、ホスロ、言って下さい」
加えてネロは至近距離で、囁く様に言った。
こんなにも酷いファーストキスは無いだろうと、ホスロは悔やみ、嘆く。
「愛して……クソっ……愛しとるよ、ネロ…」
悪態をつきつつもそう言うと、思い切って少年は口を近づけ、溶ける様な熱く、熱が籠もり、唾液が重なり合う接吻を行った。ネロの後頭部に手を回し、更に引き寄せる。
トロンと、お互いの唾液が混ざり、口の中で糸を引き、仄かに自身で噛んだ血の味がする。
「んっ……」
どちらが言ったのだろうか、小さな声と共にネロにとっては至極の時間、ホスロにとっては屈辱の時間が終わりを迎えた。
どちらの顔も火照っており、冷たいはずの洞窟内なのに、やけに暑い。
「ふぅ……いやはや、良き……メチャクチャ良い時間を過ごさせて貰いましたよ……ホスロ…」
離れてしまったものの、ネロは、ハァ、ハァと興奮した様子で喜んでいる。
「そか……なら契約通りさっさと行けや」
だが、ホスロは反対に自身を、そしてネロを見ながら軽蔑して冷たい声で促した。
「はぁ……ファーストキスの相手に言う言葉ですか…ソレが」
しかし契約とあらば仕方あるまい、とネロは両手で熱を持ち続ける頬を仰ぎながら、ホクホクとした表情で去ってゆく。
本当に会いに来ただけなのだろう、キス以外には何も要求しなかった。
「良かったわ…占い師さんが寝てくれとって……」
そんな彼女の、愛を告げた相手の後ろ姿など気にもせずに、ホスロはレマナを見ながら、ヤレヤレとそう呟く。
全く……己の醜悪な姿を見られなかったたけでも、良しとするしか無いのだろう。




