第二十三話:魔術師の戦い講座
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レマナの家に来て二日目の朝。
寝床から起きると、真っ先に腐った野菜の様な匂いが鼻腔に刺さる。グツグツと何かが煮えたぎり、とにかく異臭がした…
一体何を作っているのやら
最悪の目覚めである。
「占い師さん……一体何を作っとん…?」
霞む瞼をパチパチと動かし、グググ…と手を頭上で合わせて伸ばす。ポキポキと関節がなり、何とも気持ちが良い。
「おや、お早う我が助手よ……コレを見給え!」
レマナはそんな寝起きの少年の意思とは無関係に、ズイイッと、青白く発光し、飛び回る玉が入った小瓶を突き出してきた。
視界がボヤけるため、目をこすって頑張って確認すると、何やら玉の周囲からパラパラと微小の粉の様な物質が振りまかれている。
ピクルスを入れる容器くらいの大きさで、レマナは片手で持っていた。肝心の玉はビー玉サイズであるが。
「いやぁ…昨日は中々寝付けなくてねぇ、ずっと魔法で精霊を作る実験をしてたんだよ〜」
精霊とは、普遍魔法や特定の固有能力で核を作り、その核を炎や砂でコーティングして、ある程度の質量を持たせた魔法生物である。
自我や意識は主に核を作った魔法使いによって支配され(何百年も放置された精霊の場合は完全に独立し、高度な自我が芽生える可能性も有る)、戦闘中の予備の魔法源や攻撃手段として利用される。
微小な大きさと言えども精霊を一から生み出す行為は、余程その道に精通した魔法使いしか出来ない。
レマナの場合は一夜でそれを行ったのであるから彼女の魔術の練度の具合が良く分かるであろう。
「君は鍛錬が終わった後は、グースカと気持ちよく寝てたねぇ……」
「そか」
「中々可愛らしい寝顔だったよ、思わず夜這いしたくなる様な……」
「ホントにやったら蹴り飛ばすで?」
冗談さ、本気にしないでよ、と口を尖らせる。
ホスロは再び精霊入りの瓶に視線を移して。
「……所でこの精霊…昨日俺が魔力を込めとった砂で作られとるな」
「おや、自分の魔力の判別が付くのかい、センスがあるねぇ」
すると、レマナはほほう、と目を尖らせ、ウズウズとして
「ならばホス君よ…君、この精霊を育てて見ないかね」
小瓶を突き出しながらレマナは続けて
「確かに核を作ったのは私だが、それを覆う魔力入りの砂は全てホス君が生み出したモノだ、多分君の言うことも聞くはずだよ」
この女…精霊を作ったは良いものの要らなくなったから渡そうとしているのではないか、とホスロはジト目になって疑う。
「なんで俺に預けようと…?」
ホスロの純粋な疑問に、レマナは寂しそうに笑うと
「君なら……魔術の高みに行けそうだなぁ……と、思ったからさ」
魔道士の帽子をギュッと両手で握りしめて、顔を下げる。
意外な反応。
「うぅん……そうか、まぁ、エエよ……なら名前でも付けてやろうかな」
そうして彼女からパシッと受け取った小瓶をフリフリ、と左右に揺らしながら少年は長考する。
作ったのはレマナである為、それに似た名前を付けてあげたいらしく、随分と悩み抜いている。
「レマナ、レマナ………うーん…」
「……お」
「レマロナ…とかどうじゃろうか」
「ほぅ…何故その名に?」
レマナの質問に、ホスロはキラキラとした目で
「占い師さんの名前の要素に、俺の名前の一部を入れたんじゃ、一緒に作った訳じゃし」
ソレを聞いて、レマナはアッハッハと軽く笑うと
「……君は…女の子を誑かす才能が有るね」
心底感心して言った。
だが、すぐに切り替えて
「まぁともかく精霊に名前を付けたんだ、君とその子の親和性が高ければ良くて数ヶ月でお喋りくらいなら出来る様になるだろうよ」
「そうか…ほれ、レマロナ」
ちょんちょん、と指で瓶をつつく。
それに合わせてホワン、ホワンと仄かに光って返してくる。揺れる度に微小な光が舞い落ち、積もる。
「中々可愛げのある…創造主と違って……」
「今何か言ったかいホス君?」
「いんや」
ホスロは小瓶の精霊を再びつつきながら、話題を変えた。
昨日共に研究をしていた時から思っていた事らしく、聞いておきたかったそうな。
「にしても、戦時中なのに占い師さんは出陣せんでええんか、精霊を一晩で作り上げたり、昨日の研究の時の魔術の精度……恐らくマラレルの特等魔術師以上じゃろうに」
レマナは少年の疑問を聞いて、ププッと口を膨らました後に、哀しそうに、だが何とも誇らしげに大きく嘲笑う。
「何でだと思う…?」
彼女の特徴的な、その大きなタレ目が限りなく細まり、鋭くなる。
何となく嫌な目つき。
「何で、何故……私程の練達の術師がこんな、コンスノープルというほぼ公国の国境ギリギリの都市に居るんだと思う?」
レマナは更に細く、目をギュッと瞑り
「コンスノープルはね、昔から軍が侵攻する時には通るべき交通の要所なんだよ、その上民も多く住んでいる……人口なら公国でも五指に入るね」
レマナはホスロに言い当てて欲しそうな顔つきで、舌をペロッと出しながら、とにかく…見つめてくる。
「…交通の要所にアンタ程の手練れを配置する理由……」
何度かパチパチ、と瞬きをし、そしてうーん…と悩んだ後に、ホスロは尋ねる様な口調で
「侵攻された場合に、正規軍が派遣先から戻ったり、王宮騎士団が王都から到着するまでの…時間稼ぎか」
レマナは何とも満足そうに静かに頭を何度も上下させた。
「コンスノープルの豊富な研究資材なんて、王都にたんまりとあるんだよ、ここにいる、私含めた魔術研究者達は……言い方を悪くすれば…まぁ、侵攻された時用の捨て駒なのさ」
それを聞いて、ホスロは眉間にシワを寄せながら
「……なんで……アンタは、じゃあ、こんな街…いや、国なんか出ていきゃええがな」
「馬鹿言っちゃいけないよホス君」
「これでも私は、この街に、この国に愛着があるんだよ…単純にこれまで好き勝手自由に研究させてくれたアッディーン公への恩義もあるしね」
「それに、公もレマナなら、私なら何千という大部隊で襲撃されても数日は持ちこたえてくれる、という期待の裏返しでもある訳だ」
「魔道士として、魔術を極める者としてコレ以上無い……喜ばしい事だよ」
部隊も持たない魔法使いや術者が単独で都市の防衛を任される、というのは最大限の名誉らしい。
それだけ魔法の技術や戦闘能力の高さが認められたと取れるからである。
だが、ホスロはそんな風に語るレマナを見て、苦しそうに尋ねる
「占い師…さん……本当に、そんな風に駒として扱われた挙げ句に死んでしもうて、ええんか?」
レマナは少年の言葉を聞くと、諦めた様に笑い。
「いいんだよ、そういう運命なんだから、この世界の研究者なんてモンは」
その表情は、自分の生を諦めた様な、見透かした様な悲しい顔であった。先程までの自信満々の顔はちょぴっとだけ崩れている。
「ねぇホス君……」
レマナがそのままの顔で聞く。
「君は、この戦争が、どういう風に終わると思うんだい?」
「そりゃ、公国側の勝利で」
「本当に?」
レマナは真顔で詰め寄る。
「君は、本当に勝てると思っているのかい、ならば君は、両勢力の兵力差、将官の質の違いを分かって居ないと見える」
ホスロは自国の敗北を予言し喋るレマナが不思議でならないらしい。
あれだけ諸事冷静なヨナタンでさえ公国の勝利は絶対と断言していたでは無いか。
騎士は主に忠誠を尽くし、信じてこその騎士である、という教育が根底にあるホスロ達にはレマナの心情が理解出来ないという可能性もあるが。
「現在聖地『ホルセリア』に駐屯しているマラレル教圏側の、宮廷魔術師相当以上の兵数は二万を超えている」
「その上、五老杖…まぁ…アレだ、王の最側近レベルの猛者も、私が名を知っている限りでは十六名程が常時結界を張り巡らし、アヴェルナ側の侵攻に備えているらしいね」
「フォルクスも居たっけな…」
レマナは小声でポソっと懐かしそうに言う。
「そして、肝心のアヴェルナ側の軍事力だが…その、実を言ってしまうと、アッディーン公国ほぼ一国分が全てなんだよ…一応小さい同盟国の何国かは味方してるけどね…」
「…えっ」
「だって…誰も、負け戦に態々手を貸す馬鹿なんで居ないだろう」
「勿論、当の公国は兵力を三万やら四万やらと誇張してるよ」
「………じゃけど……もしかしたら」
「万に一つもない、いいかい少年、この戦争は公国側の敗北で集結するハズさ」
しばらくの沈黙が流れる。
ホスロにしてみれば、益々レマナという女性が分からなくなってゆく。
ヨナタンの様に公国の絶対を信じ、そのために殉じるのならば理解に苦しまない…どころか天晴と叫びたくなる、が、レマナは…この魔女は違う。
自身が死地に配置され、尚且つ公国の顛末さえも知り、半ば見限っているかのような気持ちで有る筈なのに…それでもこの国を見捨てない、彼女の思いが。
ホスロにとっては何よりも奇妙で不可解である。
「正直、君にこの話をするのは駄目だったと、今…後悔しつつあるよ」
「だって…おや、噂をすると、だね……」
突然ガタガタガタ、と地面が崩落する音が鳴り響き、空間を断絶し安全なハズであるレマナの研究室までもがひび割れ始めた。
「私がコンスノープルの国境沿いに張り巡らした魔力糸や結界の何枚かが割られた………フフッ、やはり…やはり真っ先にここに来るだろう」
(地震……いや、まさか……)
あの日、ヨナタンと話していた杞憂が鮮明に頭をよぎる。
「まさか、マラレル側が直接公国に……」
「うむうむ、さて、君はもう逃げなさい、後は私が……」
だが、ホスロはレマナの意思と反して、ギュッと彼女を抱き抱えた。杖を持ち、研究室中の重要そうな物品を次々と圧縮し、格納袋にしまってゆく。
逃げる気マンマンらしい。
当のレマナにとっては思いも依らぬ行為であり、反応すら出来なかった。
困惑し、バタバタと手足を動かして反抗している。
「急に何するんだい、早くマラレル軍に対処しなきゃ!!」
「態々死にに行く人をそのままに出来るほど、俺は心が強ぅ無い」
「それは君の勝手だろう、私は、公国の魔道士だ、アッディーン公から期待されてコンスノープルの守備を任されている研究者だぞ、さっさと降ろし給えッ!!!」
「嫌じゃ」
ホスロは聞かない、そればかりかレマナを抱えたまま部屋を出ると、ビューンと操槍で生み出した槍に乗って移動を始める。
二人を乗せた槍は空を駆け、コンスノープルで今行われている暴挙をアリアリと、上空から二人の眼に映し出した。
騎士候補や宮廷魔術師の集団が家を焼き、僅かに駐屯しているコンスノープル守備兵を蹂躙していた。
すでに国境沿いの家々は軒並み炎上し、倒壊しつつあり、地を覆う程の魔術師の軍勢がゾロゾロと都市部に向かって着々と侵攻しつつある。
その上、どうやら女子供、老人すら関係なく「魔族めがっ!」と叫びながら殺し尽くしている。
それを見た瞬間、レマナは頭に一気に血が登ってしまい、がむしゃらにホスロの拘束を振り解くと、今まさに幼子にさえ手にかけようとしていたマラレルの宮廷魔術師の前に降り立ち、懐から取り出した小杖を出しながら『砂よ満ちよ、砂よ満ちよ、我の手中に汝の崩砂を』
と唱え、針状の砂の塊を作り出し、脳天目掛けて無感情に放った。
突然の空からの襲撃に驚いたセイもあり、相手の魔術師は魔法によるマトモな防御をする暇もなく、とっさに防いだ腕ごと頭がボンッと爆ぜ、脳髄や血が撒き散らされる。
「ふぅ……大丈夫かい、お嬢ちゃん」
「……う、うんっ!」
返り血や臓物を浴びながら、レマナは心配そうに少女を見つめる。その姿は魔族と恐れられた龍竜人族らしく、何とも不気味であった。
が、コンスノープルの人間は肝っ玉が太い様で…少女は一瞬驚いたものの元気そうに返した。
「今はとにかく、この街を西に、西に行きなさい、きっと王宮騎士団が保護してくれるハズさ」
そして少女はペコリとお辞儀をして、去って行った。
一時的に解決はしたが、今度は仲間の魔力が消失したことを察知した別の騎士候補や魔術師達がワラワラと集まりだす。
一難去ってまた一難
「やれやれ……この数は少々荷が重いなぁ…」
「占い師さん、俺も手伝うわ」
レマナを囲うようにして、陣を敷き始めた魔術師達を崩すように、ホスロも上空から槍と共にドゴーンと着地した。
流石に人数差を見かねたのだろう。
「落ち着けぃ、落ち着け、敵は魔道士レマナとその従者と思われる男の二人だけだッ、先と変わらず包囲して討つぞ」
ホスロが降り立ち、レマナに対しての包囲陣が崩れて少し浮足立った魔術師達だが、一等宮廷魔術師の紋章を付けた男が大声で檄を飛ばして正した。
依然として数はこちらの方が多いと、部下たちに安心させている。
「それにしてもホス君、君は変わっているね」
言いながら、レマナは『影よ満ちよ』と今度は自分の身体を黒い影でコーティングし、硬度を高める。
「私の命は勘定に入れるのに、自分のは入れないのかい」
所詮一等宮廷魔術師相当程度の実力で、この包囲の中に降り立ったホスロを見て、思わずレマナは驚きながら注意した。
「……何でじゃろうな、自分でも分からんわ」
少年も返しつつ、サイエンと勝負をした時の五本槍(自身の周囲に侵入した敵を自動で攻撃する槍)を浮かせ、纏炎も発動させて臨戦態勢となった。
二人を囲んでいる宮廷魔術師は八人、全員魔力量、雰囲気共に中々
そして…その奥に控える一等宮廷魔術師に至ってはアルブレッド…退役した王家の霊剣並の威圧感である。
「所でさぁ…ホス君、私の固有能力…何だと思う?」
二人を囲む宮廷魔術師達が、剣やら水やらを浮かせ、纏い、歩み寄ってくる…ジリジリと
「占い師さん、もう二百メートルも離れてないで」
ジャリ、ジャリ……お互いの投擲魔法が確実に当たる距離まで近づくらしい。
彼等も、余程自身の固有能力に自身があるのだろうか。
「龍竜人族の固有能力『操龍権』と人魚族の固有能力『操水』が合わさった……」
「突火ヤ__」
ホスロは余裕が無く、焦っている。思わず相手の手の内を見る前に自身の奥義を放とうとする。
が、ソレを見ながら静かにレマナは片手を前に突き出して、少年の軽挙を止めた。
「『操火雫』怪火雫」
そして、もう片方の余った手で、巨大な炎と水とが入り交じり、グツグツと赤黒く煮え滾った球状の物体を浮かび上がらせると、魔術師達に向けてドバッと放り投げる。
巨玉はブァッと宙を飛び、放物線を描いて魔術師達の眼前に降り立ち、着弾した。
すると、ジュワァわぁと巨大な蒸気が立ち込めた後に、操炎使いのホスロでさえも熱いと感じる程の熱波が巻き上がる。
「君も操炎使いならば覚えておきなさい、自身に纏って純粋に身体能力を上げるのも勿論良いが、私達は魔法使いだよ、こう言う広範囲殲滅型の魔法は重宝する」
蒸気が上がると、前方に居た二人程の魔術師は跡形もなく消え去っており、その両隣を歩いていた者達も骨が見える程の大怪我を負っている。
「ただ…欠点としては連発が出来ない……って所かな君が居るから打ったけど、もし居なかったら冷却時間を襲われて、今この瞬間にも首を挙げられてるだろうよ」
なるほど、見れば相手側は一歩も動けていない。
「ホス君が練槍…いや、済まない、操槍遣いだからかな、下手に突っ込んだらカウンターを喰らうからね」
「チッ、魔装弩部隊、前へ!!」
相手側は今度は更に控えていた六人程の小部隊に魔法で強化した弩を構えさせ、キリキリと狙った。
魔力で射出力を高め、空気抵抗を無くし、更に推進力を備えた矢速は亜音速に達する。
恐らく速度的にギリギリ撃ち落とせるかどうか。
「余ったのは頼むよ」
「光よ満ちよ」
ソレを見透かしたのか、レマナは自身とホスロを取り巻くように光の壁を生み出した。
「放てぇ!!」
風を切り開き、空を裂く魔矢が一点集中、レマナを狙う。光の壁を五十メートル程前方に押し出し、ガガンっと三本を弾いて防いだが後の三本はそのまま壁を貫き壊し、変わらぬ勢いで向かっている。
「ホス君」
返事もする間もなく、間一髪でホスロが全弾を槍で撃ち落とした。
ソレを見届けると、今度は冷却時間が終わったレマナが再び怪火雫を放とうとする。
この攻撃で指揮官諸共弩部隊を焼き払う予定らしく、単純な固有能力の雫に加えて『雷』の普遍魔法でさらに火力を上げている。
当然、相手の一等宮廷魔術師の男も焦り始める…が
「……このままでは……ッ………おや…ははっ、申し訳御座いません…いえ、…少々手間取っておりまして」
大体十秒ほど、しっかりと圧縮した魔弾を集団目掛けて全力でレマナは投げた。
「終わりだよ、雷火雫」
だが、玉は着弾する寸前にドバッと割れたかと思うと、そのままブオォと空中へと飛散しながら飛ばされ、落ちてゆく。
「……おや…『風』…いや、『操風』かね」
「お前は………」
リーダー格の一等宮廷魔術師をズズッと押しのけながら、黒髪をオールバックにした、小柄な、随分と顔の整った男が現れる。
膨大な魔力量、尊大な歩き方。
腰には王家の霊剣…胸にはマラレル騎士団団長の証であるペンダント
間違いない、間違うハズがなかった。
「ライオリック…ノルマンド」
「久しいな、アッディーンよ」
少年は少し狂気的な笑みを浮かべながら、ラヴェンナを構える。
あの日見た戦士の高みに、再び見まえて何ともホスロは幸せそうに
「纏尽炎…!!」
叫んだ。