第九十八話:狼の遠吠え
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「アヴェルナ、また、来たのかい?」
水晶造りの宮殿。それは、現代では聖域と呼ばれ、昔はノームの城と呼ばれていた。
ノームとは、四大精霊たる、土の王の事を指す。
勇者アヴェルナが、寂しそうな目で……その、土王の庭の、小さな墓に向けて、手を合わせている。
ひどく、質素な庭である。豪華絢爛な宮殿の中で、その場所のみが、何の手入れもされておらず、過去に取り残されている様であった。
「あぁ……ノーム様……」
「…やれやれ」
言いつつ、ノームは、指をくるっと回し、魔法で土の椅子を作ると、勇者の隣に座った。
「君は、いやはや、本当に…よくここに来るね……何故だい?」
勇者が手を合わせ、見つめる、その墓には…『ホルス』とだけ、刻まれていた。
「やはり落ち着くな、ここに来れば……私も、何かを慈しむ事が…出来る」
「人間の様に、感情を持つ生命体の気持ちが、分かる」
勇者は、ポツリ…と言った。
「……なるほど」
髭を撫でつつ、ノームは微笑むと
「だが、君にはゲラマド君が、居るじゃないか……その気持ちを、もっと彼に向けてあげなさい」
すると、勇者は、逆に笑いつつ
「いや、私があの人間に向けている想いは、環境故に、作られた物だ」
「本心からでは無い」
そうに決まっている。とさえ、彼女は…皆が恐れた魔王は、付け足した。
「でも、君はゲラマド君に、執着している」
どうやら、ソレには反論出来無いらしく、勇者は困った様な顔になる。
「それは……ふむ、そうだな」
「ゲラマドと私は、何かで……結ばれている気がするのだ」
「何なのだろうなぁ…この、感覚は」
勇者は、既に壮齢であった。白髪がボチボチ見え始め、顔にも細かいシワが出来ている。
そして、虚空に向かい、喋っていた。
完全な、空である。
黒い土に向い、発せられた音は、誰にも届かず蒸発し、消えてゆく。
「いつか、遠い未来に、また、勇者が現れる」
「ゲラマドが、あの血筋が、成してくれそうな……そんな気がしてならんのだ」
当然。ノームは、勇者の弱気に、驚いた。
「何を、君の様な化け物は…もう、産まれる事など、無いだろうよ」
始まりの勇者は、既に故人である。
数多くの仲間を殺し、己の心まで殺した勇者は、自らの力を疎い、恐れて、聖域に封じたのだろう。
…化け物として産まれなければ、どんなに幸せだったのだろう。勇者は、死ぬ、その間際まで、力を捨てようとした。
だが、最後の勇者は、逆に、力を欲した。
怪物の様な中身に、耐えられるだけの、頑丈な器を欲したのだろう。
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___戦場から、ホスロの…勇者の、魔力が消えた。南方諸国連合にとって、唯一の勝ちの目が去ったのである。
そして……ここで、ダンテ・メフメルの最期についても、触れておかねば、ならないだろう。
ホスロとライオリックの戦闘後の、ダンテの陣は、凄惨な有様であった。
側近は皆討たれ…旗持ちや、近衛部隊は逃げるか、ダンテに許可を貰った後に、雄叫びを挙げつつ敵雲の中に身を投げて行った。
最早、非戦闘員を含めた百数名がダンテの周囲を固めているのみであり、突破されるのも時間の問題であろう。万策、尽きている。
朝日が、やけに明るい。黒く、眩しいその光は、とても、自然のモノとは思えなかった。
「ダンテ様…エレノア様の御旗が……」
「そうか、終いだなぁ」
とうとう、最後の希望たるエレノアまでもが、戦場を後にし始めたのだ。
「賭けも、終わりだ……」
ソレを見て、眼帯を掛けた、長髪の男は笑いつつ地面に膝を着き……不思議と、穏やかな顔付きになった。
闘志が抜け落ち、狼の様な気迫も、薄れた。
『ダンテ・メフメル率いる病院騎士団は、三日間、ずっと寝ずに戦い続け、当初二千と少し程存在していた兵も、最終日には、最早把握すら出来ず……天幕は砕けており……恐らく、周辺を走り回っている百数十名程のみであったのだろう』
ライオリック・ノルマンドが執筆した、後の戦記にも、そう記されている。
「左衛門尉、長い……戦だったな」
なるほど、天幕は既に引き倒されており、目印を失った、前線からの逃亡兵は大いに混乱し、主君の居場所すら分からず、各々、バラバラになって戦っている。
「一時は…ホスロが……あのままライオリック達を殲滅して行くと思ったが……はっ、人間の魂の、強い事よ」
「……あぁ、悔しいなぁ、あと少し、もう少しで……ホスロが、ライオリックを討ち取ってさえいれば」
面白い事に、味方側で、唯一ダンテのみが、ホスロに起こった何かしらの変化を嗅ぎ取り、詳細まで把握していた。
彼の固有魔法なのだろうか。
ダンテは自らの魔法を、誰にも漏らさず、最期の最期まで、秘匿し続けた、この時代としては珍しい指揮官である。
一方。
猛将として、南方にその名を広めた左衛門尉は、依然として闘志を失っては居らず、紙にサラサラと
『このまま、マドラサ川付近まで大いに撤退し、そこで味方の再集結を期待しましょう』
と綴る。
「はっ…戦争中も……息が合わなかった国同士だ、出来ようハズが無い」
ヒュー…ヒュぅ……と、呼吸をしつつ…ダンテは、喋ることすら辛そうである。
初日の戦闘にて、右の肺に攻撃魔法を受けたのだそう。
だが、ここまでずっと、宝剣を杖とし、歩き回りつつ指揮をし続けている。
「尉よ、お前はもう…ここから去れ」
「……と、言っても聞かんだろうから……な」
そう言うと、騎士団長は、目の前で片膝を立て、顔も伏せていた部下の肩に、ぽすっ…と、手を当てる。
当てた、その掌には、ワープの魔法陣が書き込まれた札が、しっかりと忍ばされていた。
「……!」
気付き、目に見えて左衛門尉は動揺し、立ち上がり、声は出ぬが、ダンテの両肩に逆に手を当て、振り解こうとし、更に何かを訴えようとした。
短い黒髪が、稲穂の様に左右に揺れ、恨むような目つきとなる。
「尉よ、そんな目をするな……」
そして、ダンテは少女を抱き寄せると、額に口付けをした。
古くからの…オアシス村の、風習である。意中の者に送る、別れの作法であった。
「恨んで、くれるな」
そして……パッ、と、また、次のアクションを取る頃には、左衛門尉の姿は、綺麗さっぱり消えてしまっていた。
かなり遠くに飛ばしたのだろう。彼女の魔力すら、既に探知出来ぬ。
_左衛門尉が消えた後には、ポタ…と、水らしき液体が、空中に溢れて、零れた。
どちらから、産まれた物だったのだろうか。
「さて……誰か、誰か、馬を持て」
そして、ダンテは最後の指揮に移る。
生き残った護衛兵に、魔法で召集を掛けた後に、山のような、巨躯の黒馬に跨り……レイピアを引き抜いた。その、鋭い刃が、スラリ…と空気に触れる。
ダンテが一歩、一歩…と、進めば、辺りを逃げ惑っていた兵士は正気を取り戻し、体の向きを変えた。
黒馬が、血みどろの戦場を闊歩する。
「阿呆共、何を寝ている、起きろ、起きろ、戦はこれからだ!」
ダンテが声を掛ける度に、地べたに這いつくばっていた兵士は、剣を杖にし起き上がり、足が折れれば手で這って進む。
二百数名の戦士達は、そうして前に進んでゆく。
前に、前に。
病院騎士団員にとって、ダンテは象徴であったのだ。穢れず、強く。
彼らにとって、ダンテは王であった。唯一の…不屈の王であったのだろう。
思えば、惜しい男である。オアシス村などと言う、辺境に産まれなければ……マラレルに産まれてさえ居れば、王家の霊剣に、その名を連ね得たかも知れない。
___ダンテの部隊は、自殺者の群れは、正面を塞いでいた、テル・グラディウスの残党を蹴散らし、その先で横に広く伸び切っていた、フォルクスの戦列に突っ込んだ。
死兵達は進んでゆく。進んでゆく。
一列、二列、三列…と、突き殺し、突き殺し、進んでゆく。
最早戦場に、味方の旗は無い。
アッディーン公国でさえも、総大将のエレノアは、オルレアンやらの隊長に護衛されつつ、落ち延びた後である。
「進め、進め、朝日を見よ!」
もう、戦闘も、四日目に突入しようとしている。
この日の朝日は、黒く輝いていた。
ダンテの体を、朝日が照らす。
鎧は血で塗れ、剣は錆び始めている。
「マラレルの雑兵共よ、討ち取れるものなら、討ち取ってみよ!」
「はっは、ダンテ・メフメルの首、取れば貴族、貴族ぞ!」
血を全身に浴び、笑いつつ、騎士団長は、進む、進む。
そして……日が上がりきり、太陽が赤くなってから、ようやくダンテの叱咤の声は消え失せる。
代わりに響いたのは、マラレル兵達の、歓喜と興奮の雄叫びであった。