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惰性
失敗が九割で構成されている私にとって、この社会は檻のようでした。私にはこの社会が私をいじめているようにしか思えないのです。一日一日を生きるのも苦しい。そんな気分です。私が小学生の頃でした。席替えで隣になった女子が泣き始めたのです。私はそこで初めて私が浮いている存在だと知りました。私の両親は放任主義でした。私のことなどどうでもよかったのです。私は愛を知らずに育ちました。だから、周りの愛情表現を見ると私が否定されたような、攻撃されたような、なんとも言い難い複雑な感情になるのです。こんな私はもう成人男性になってしまいました。今私の生活は障害者年金に頼っています。一日のすることは排泄、睡眠、摂食、そしてインターネットサーフィンです。何もする義務はなく、ただ毎日を惰性で過ごす物でした。
私はいつしかこの社会を恨むようになりました。私が辛く悲しいのはこの社会が要因だと考えたのです。
続きます。