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キール・デリ(パイロット版)

作者: 空谷あかり

町を歩いて酒場を流し、楽器一つで日銭を稼ぐ。

ハズレを引くことも多々あれど、何もないよりよほどまし。そんなキール・デリの日常と冒険。


流しのヴァイオリン弾きの若者が、黒服の老人にとあるお屋敷に招待されます。

そこにいたのはかつての恋人を探す美しい貴婦人でした。


完結済み長編小説のパイロット版として書いてあったものです。

当初はこんな雰囲気の物語が続く予定でした。

 キール・デリの行く先には、実に様々なことが巻き起こる。一体どうしてなのかとも思うが、それも多分、彼の生まれ持った遺伝子構成のひとつなのだろう。そのうちの一つが今回の事件だ。

 彼はその晩、手にしたホットドックをかじりながら、街灯の明るい夜道をぶらぶら歩いていた。背中にはボロなリュックサック、反対側の手には商売道具のヴァイオリンを提げている。足元はかつて白かったスニーカーで、この靴は数日前に、片言の英語をしゃべる中国人から巻き上げたものだった。

 この日はなかなか実入りも多くて、彼は上機嫌で街を歩いていた。この分ならもうワンランク上のホテルに泊まることができる。初めて来た街だったが、人々は思ったより金持ちで、はやりうたを奏でる流しの若僧に、けっこうな額の小銭を恵んでくれていた。

 さて、キール・デリはとある建物の前で立ち止まった。看板には「ジェニパーベリー・グランドホテル」と書いてある。どうやら今日の宿はここらしかった。昨日の木賃宿「ななみ旅館」と比べたら格段の違いである。

「前金になりますがよろしいですか」

 金のなさそうな、あやしげな若者に対するホテルマンの対応だってきちんとしている。彼は朝食も頼み、それなりの金額をフロントに払った。制服を着たホテルマンは無愛想に部屋のキーを、カルトンに乗せて彼に寄こした。もう少し出せば荷物も運んでくれるのだが、彼はもちろんそんな無駄なことはしなかった。

 部屋に入りドアを閉める。鍵を掛けて上着を脱ぐ。次は風呂で、シャワーの栓をひねろうとした、まさにその瞬間だった。

「キールさん。キール・デリさんですね」

 ドアをノックし、彼に呼びかけた者がいる。キール・デリは舌打ちをするとかなりつっけんどんにこう言った。

「そうだけど何だ」

「昼の演奏のことでお話がありまして」

 こんなことを言うのはホテルの人間ではない。

 ずっと彼の後をつけてきたのだろう。いかにもタイミングを見計らってきたのが見え見えである。

「俺に用はないよ」

「そういう訳にもいかないのですよ。すぐにでもあなたに来ていただきたいのです。それにあなたにとってもいい話のはずですよ」

「キャッチセールスはお断りだ。帰ってくれ」

 おおかたショバ代を払えとかいうことだろうと、彼は見当をつけた。部屋までついてきたのが薄気味悪くもあったが、彼の懐具合を確認していたとも考えられる。

「明日にはここを発つよ。だから見逃してくれ。今日だけだからさ。俺もちょっと舞い上がっちゃって、こんなところに泊まっちゃったんだよ。あんたんとこの縄張りは荒らさないから勘弁してくれ」

 彼は計画を変更した。少し不気味な感じもしたし、下手に怒らせて暴れられてもまずい。ホテルの備品など壊されたらたまったものではなかった。

「そうですか」

 ドア越しになにやら考えている気配が伝わってきたが、やはり帰る気はなさそうだった。

「明日は何時にここをお発ちになりますか」

「八時だ」

 朝食は八時半だった。もったいなかったがしょうがない。前金で気前よく払ってしまったのが悔やまれた。

「それに今日はもう遅いからさ。また明日、来てくれよ」

「ではそれまでここで待たせていただきます」

 とうとう彼はあきらめてドアを開けた。部屋の前に座り込まれてはたまらない。フロントから苦情が出ること必至である。

「いくらだよ。百か、百五十か。言っとくがそれ以上はねえぞ」

 はした金でなんとかごまかそうとして、彼は小銭の入った財布を取り出した。廊下に座り込んでいた男は立ち上がり、彼の顔を見てお辞儀をした。

「ありがとうございます。それでは一緒に来ていただけますか」

「金を払うって言ってんだろ。早く帰ってくれよ。迷惑だ」

「お金はいりません」

「いくらだよ。早く金額言えよ」

「だから、一緒に来ていただきたいのです」

 どうも話がかみ合わないので、キール・デリはよくよく相手の顔を見た。そして、人種を間違えていたことに気がついた。

「……じいさんが俺に何の用だ」

 ドアの向こうにいたのは黒い服を着た小柄な老人で、どう見てもこの辺り一帯を取りしきっているテキヤの関係者ではなかった。

「ええとですね……」

 彼は朝食をあきらめなくてよさそうだった。老人はポケットから紙切れと封筒を取り出し、ホテルの廊下でキール・デリに用件を伝えた。


 シャワーを浴び、値段に見合った朝食を済ませると、キール・デリはヴァイオリンを持ってホテルを出た。出口に待機しているタクシーに乗り込み、行先を伝える。途中で貸衣装屋に寄って身なりを整え、花屋に寄って花を買った。

 適当にコロンなんぞも見繕う。昨日とは打って変わって、どこに出してもおかしくない美青年が現れた。汚いリュックサックはホテルの部屋に放り投げ、小銭もちゃんと両替をしてきれいな札に取り替えた。

 三十分もかけて着いたのは、郊外にある大きなお屋敷である。門をくぐってからしばらくまたタクシーで走ると、今度はコテージが現れた。キール・デリは老人がくれた地図を見ながら、さらにその先の母屋に向かった。

「広いお宅ですねえ」

 運転手が感心したように言った。

「今まで入ったことはなかったんですが、こんなに広いお宅とは思いませんでしたよ」

「見るからに金持ちそうだよな」

 着飾ってもキール・デリだ。中身はこんなものだろう。

「大きな家だとは思ってましたが、外からだと実際の広さは分からないもんですね」

 母屋が見えた。運転手は彼をその前で降ろすと金を受け取り、一礼して走り去った。

 ライオンの置物がある玄関には、昨日の老人が佇んでいた。白くて重い扉を引き、彼を中に迎え入れる。

「お待ちしておりました」

 キール・デリはうやうやしく頭を下げる。老人は彼の姿を検分するように眺め、そっと耳打ちした。

「正面の方が奥様です。間違わないで下さい」

「分かってるよ」

 どうもあぶなっかしいが、それでも彼は真ん中の貴婦人のところに行き、丁寧にお辞儀をした。それから用意した花束を渡し、彼女の周囲にいるご婦人達にもまんべんなく愛想をふりまいた。

「今日は何を聞かせてくれるの」

「モーツァルトはいかがでしょうか」

 キール・デリは横目で老人のほうを見た。老人の顔には特に何の表情もなかったが、この場の主役である女主人の顔には、露骨に不満が浮かび上がった。

「この間の方もそうだったわ。何か違うものがいいわね」

 では、とキール・デリは会釈する。

「お申し付け下されば、なんなりと」

 サロンの空気がさざめいた。ご婦人達は古めかしいしつらえのスツールにそれぞれ座り、女主人はゆったりとソファに腰をおろす。少し前に流行ったロココ風のドレスがよく似合っていた。

 先ほどの老人が出てきて、窓を背にし、そこで演奏するようにと指示をした。キール・デリはおとなしく言われた場所に行き、ヴァイオリンを出して構えた。

「ひとつ聞いてもいいかしら」

「なんでしょうか」

「あなた、恋人は?」

 さてなんと答えたらよかろう。キール・デリはちょっとだけ躊躇って、正直に答えることにした。

「今は特におりません、とお答えすればよろしいですか」

 老人の眉が片方上がった。

「昔はいたの」

「以前はそういう時もありました」

 嘘か本当かは分からないが、貴婦人は何か納得したようだった。そう、と言って彼のほうを悪戯っぽくソファから見上げる。

「奥様は恋をお望みですか」

「できればね」

 老人は部屋の隅に、邪魔にならないようにさがっていた。

「だめかしら。だったら仕方のないことだけど」

 美しい微笑みが彼を惑わせた。

「私はヴァイオリン弾きです。一曲だけお弾かせ下さい」

 許可が出た。キール・デリは弦をひとつ弾き、勢いよく音楽を紡ぎ出した。


 むべなるかな、美しい女主人が眠ってしまった後、キール・デリはそっと部屋の窓から抜け出した。

(冗談じゃねえ)

 そう思ったのには訳がある。

 最初はよかったのだ。こんなうまい話、そうそうめったにあるものではない。ホテルの廊下で老人がこの話を持って来た時、彼は小躍りしてとびついた。退屈した未亡人に何曲か弾いてやり、それなりに夜も構ってやればいいと、そう思っていた。

 ところが大間違いだったことをキール・デリは思い知る。

「どこへ行かれる」

 老人が庭を歩く彼を見咎めた。

「こんなのやってられるか。俺は帰る」

 もうやけであった。下着姿で片手にヴァイオリンを引っつかみ、足ははだし、ただし借りた服だけは丸めて背中に背負い込んでいる。なくした場合の弁償代と洗濯代をはかりにかけての行動で、洗濯代なら出せそうに思えたからだった。

「インプの相手なんかできるか。こっちが参っちまう」

「奥様を色魔呼ばわりされるか」

「ああなったらなんだって一緒だよ」

 老人の顔色が変わった。

「それは侮辱ですぞ」

「事実だよ」

 こういう減らず口で、彼はずいぶん損をしている。今回もそうだった。

「あなたならと思ったのですが……残念です」

 老人は静かに語り始めた。

「奥様は前の御主人を亡くされてから、ずっとこのお屋敷を大事な恋人とともに守っておられました」

 なにやら不気味な静けさであった。キール・デリは相手を刺激しないように、ひたひたと後ずさりしながら話を聞いていた。

「やがて、相続の話が出た時に、奥様はヴァイオリン弾きである恋人との仲を反対され、くだんの恋人は追放になりました」

「ちょっと待て。それ、いつの話だ」

 老人の目が暗闇に光る。

「今までにこられた他の方は、三日も持たずにお亡くなりになりました。奥様はずっと追放された恋人を探しておいでで、今度こそは本物だと、涙を流してお喜びでした」

 本物だろうが偽物だろうが関係なく、彼を帰す気がないのが見て取れた。キール・デリは大事なヴァイオリンを抱え込み、一生懸命逃げ道を探していた。

「お、俺が追放されたのはいつだっけ」

「ほんの五十年ほど前でございます」

 言ってはいけない一言を押さえ込みつつ、彼は猿芝居を演じ続けた。

「彼女、変わってないね」

 老人の顔が明るくなる。

「ええもう。あの時のお美しいままです。もしや思い出していただけましたか」

「あ、ああ。でも不思議だよね。なんで、そのままなの?」

 おやおや、と老人は大仰にため息をつく。

「そんなこともお忘れですか。あなたは追放される時に、こうおっしゃられたではありませんか。僕を憶えているかぎり、いつまでも美しくいてほしい、僕の大切な人よ、と。必ず帰ってくると、奥様の前でお気に入りの曲に誓われましたぞ」

 濡れ衣を着せられるにもほどがあろう。その時、母屋の明かりがつき、彼の恋人であるらしい貴婦人が、窓から顔をのぞかせた。

「あら、そんなところで何をしているの。夜風は体に悪いわ。早く戻ってらっしゃい」

 魅惑的な笑みではあるが、キール・デリは心臓が止まりそうになった。老人はさっさと彼の腕を掴み、女主人の前に突き出した。

「懐かしいとおっしゃるので、昔話を少ししておりました」

 キール・デリは力なく笑うほかない。

「せっかくです。誓いの曲を弾いて頂いたらいかがでしょう」

「そうね」

 彼は玄関のポーチに連行された。外に出された白い瀟洒な椅子に貴婦人は座り、老人はガウンを彼に着せかけた。

「奥様、誓われたのは何という曲だったのでしょうか。私はそこまで存じ上げておりませんので」

 老人が言うと貴婦人がうなずいた。

「そうね。あなたはそのときいなかったのよ。あなたがやってくるずっと前の話だから」

 老人の表情が少し歪んだ。

「懐かしいわ。そう、あの曲よ」

 曲名が告げられた。乗りかかった船で、キール・デリはやおら弓を滑らせ、屋敷中に響き渡るように大きな音でその曲を弾き出した。

 

 夜明けの光の中、キール・デリは音楽を止めた。目の前には廃墟と化した邸宅があり、背中側には窓の破れたコテージが建っている。玄関に置かれたライオンの像も半分崩れてしまっていた。

 彼はひびのはいった白い扉を押し、中に入った。改めて貴婦人がいたサロンを見ると、すっかり中は蜘蛛の巣が張り、ほこりまみれになっている。

「あんたが恋人だったんだな」

 黒服の老人が、いつの間にか彼の後ろに出現していた。

「私のせいで、奥様はあんな風になってしまわれました。私があんな誓いをしなければ、奥様は安らかにお眠りになられたはずでした」

 老人の手には、キール・デリが持っているのと同じ楽器が握られていた。

「奥様にはもう私が分からないのです。ずっと何十年もおそばにいましたが、すっかり外見の変わった私を、かつての恋人とはとうとう気づきませんでした」

 老いて楽器の弾けなくなった男を、貴婦人は恋人とは認められなかった。彼女の心にはかつてここにいた、力強く弦を操る若者の姿しか残っていなかった。

「罪滅ぼしか」

 返事はない。振り向くと老人はいなくなっており、老人が手にしていた楽器だけがぽつんと床にあった。

「あんたも行っちまったか」

 キール・デリは床に置かれた楽器に視線を落とし、それから天井を仰いで、数秒の間だけ目をつぶってこう言った。

「奥様。私は偽物ですが、本当に必要なものを差し上げますよ」

 彼は鎮魂の歌を奏でるため、廃墟の中でゆっくりと楽器を構えた。


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