ブルー 05
薄暗い地下通路で、ナギサさんは目を覚ました。あまり中身の入っていない自分のリックが枕代わりにあてがわれている。
状況が把握できずに戸惑う。そして、どこかで会った少年が顔を覗かせ、困惑の表情を浮かべた。
「よかった、目覚めた。気分はどう?」
不安を残したままの顔でナギサさんの様子をうかがう。ナギサさんは警戒したのか、胸元に手を持っていってからこくりと頷いた。
あの世界から帰還して20分くらい経っただろうか。あの後もブルースとの口論は続いたが、結局のところ彼の口から元の姿に戻る方法が語られることはなかった。
ブルースが追求から逃れるようにナギサさんの捜索を提案したのは、必然と言えよう。
広い街をひとりで捜索するには、ドラゴンの姿は役にたった。議論を棚上げにした甲斐あって、ナギサさんを探し始めるとすぐに見つかった。彼女は、駅ビルの屋上で倒れていた。この世界に誘われた場所がそこだったようだ。
近くには放電により焦げ落ちた何かが複数転がって、少しでも早く安否を確認したかったが、この巨体が降りられそうな場所はなく、右往左往していると急に体の力が抜ける感覚に襲われた。
体の先から崩れ落ちていく錯覚に耐えながら、広い通りに緊急着陸を試みた。ふらふらとビルにぶつかりながら飛行すると、道路に両足が着く頃には元の姿に戻っていた。自分が飛んできた経路を振り返ると、青い炎がちらついていた。
俺は変身したことによる体の異変がないかの確認はそこそこに、ナギサさんが倒れていた場所を目指して駆け出した。
ビルの階段を駆け上がり、息を切らしてたどり着いた屋上にナギサさんは横たわったままだった。遠目ではわからなかったが息をしている。
生きている。
怪我もないことがわかると、ようやく胸を撫で下ろすことができた。
「その子を探していたのか?可愛いな、あれか?彼女か?」
「からかうなよ。ただのクラスメイト。今日、初めて会ったけど」
「クラスメイトなのに初めて?引きこもりってやつか。どっちが?」
「違うよ。俺が転校してきたんだ。やけに人間社会に詳しいドラゴンだな」
これだけ流暢に話せるんだ。ドラゴンにも社会があって学校があるのかもしれない。あの巨大が並ぶ校舎なんて想像もつかないけど。
「……ん、んん」
そんな脱線しつつある話をブルースとしていると、ナギサさんが目を開けた。意識が朦朧としているのか焦点は合っていない。
声をかけようとした途端、不意に体が引っ張られる感覚に襲われる。この感じは初めてではない。
それを知覚した時には、目の前がぼやけ始めていた。薄い膜がまとわりつく感覚。それは、現実世界の地下通路で味わったものと同じだった。
気がついた時には、世界は何でもなかったように色を取り戻していて、ナギサさんは再び眠りについていた。放っておくわけにはいかず、その場で介抱するしかなかった。
こうしてみると、やはり整った顔をしている。数多くの学校を渡り歩いてきて、美少女と呼ばれる人たちも多く見てきたが、文句なしの1位だ。
ブルースに気取られないように、あまり直視しないようにしていた。そう、彼もまたこの世界にやってきたのである。
一心同体というからには、覚悟はしていたが、ブルースの存在が夢ではなかったことの証明のようで、複雑な感情を抱える原因になってしまった。
肝心のブルースは、ナギサさんが目覚める少し前に「疲れたから寝る」と言って、そのまま黙り込んでいる。聞きたいことは山ほどあったが、ナギサさんが目覚めた今となっては、都合が良かったのかもしれない。
「あなたは……誰?」
その言葉に愕然とする。頭の片隅にでも自分の印象が残っていれば、こんな言葉は出ない。ましてや転校生。しかも、初日。見覚えくらいはあってもらいたかったものだ。無難な挨拶をしたツケがこんな形で現れるとは思いもしなかった。
「進藤ハルト。遠藤ナギサさんだよね?今日からクラスメイトになった転校生なんだけど、覚えてない?」
「あぁ、そういえば。助けてくれたのね。ありがとう」
再度の自己紹介にもナギサさんの関心を引くことはできなかった。
立ち上がったナギサさんは、スカートを叩いて汚れを落とす。そして、リュクを背負うとふらふらと階段を登っていった。まるで熱に浮かされる病人だった。
本来であれば、体を支えてあげて自宅まで送り届けることが紳士的なのだろうが、下心があるように思えて、そんな振る舞いはできなかったし、何より覚えてもらえていなかったショックで打ちひしがれていた。
「念のため、病院に行ったほうがいいと思うよ!頭をうってるかもしれないからさ!」
俺にできたことといえば、ナギサさんに聞こえるように大声で叫んだくらいなものだった。
自分の行動を顧みながら家に帰り、制服のままベッドに倒れ込む。
仙台駅東口から徒歩圏内にある年季が入り始めた6階建ての賃貸マンション。その4階にある部屋が進藤家の新しい住処だ。父の会社が借り上げた物件は、当たり外れが激しいのだが、3人家族で住むには十分な広さで、与えられた部屋も満足いくものだった。
あんな戦いの後とはいえ、肉体的な疲労はほとんどない。それよりも今だに飲み込めないあの状況の方が問題だった。
不思議な世界でドラゴンになった。今も頭の中にそのドラゴンの声がする。なんて、窓を開けて叫んでしまいたい。だが、それをしてしまったらご近所中の笑い者だ。
仰向けになり、枕を口に当てて思いっきり叫んでみた。しかし、気は晴れない。ちょっぴり喉の奥が痛くなっただけ。
「ブルース、まだ寝てるのか?」
返事はない。聞きたいことは山ほどあるが、叩き起こす体がない。一心同体の運命共同体という話、どこまで本気なのだろうか。まさか、一生このまま?病める時も健やかなる時も一緒なのか?それは勘弁してほしい。
「いい加減、起きろよ!……なんなんだよ、あの世界は」
急に怖くなって、体を起こして叫んだ。頼むから納得ができる説明をしてくれ。せめて夢ではないことを証明してくれないと、気が狂いそうだった。
「なんだよ……うるさいなぁ」
眠たげなブルースの声が頭の中に響いた。人の気を知らないで、呑気なものである。
「起きたなら、説明してくれよ。君はいったいなんなんだ?」
「なんだハルトぉ?そんなこと聞かなくてもわかってるだろうが。ドラゴン。名はブルース。死にかけたところに現れた親切な少年に救われて、間借りさせてもらってる男さ。もういいか?眠たくてしょうがない」
「待ってくれよ。君がどこで生まれたとか、いつまで俺の中にいるのか、とか聞きたいことはいっぱいあるんだ」
「それって今なのかぁ?」
「今!」
ブルースが「しょうがないなぁ」と言った後、目の前に青い炎で形作られたブルースが現れた。上半身だけの姿だけど、フルサイズだったとしても全長は俺と大差なさそうだった。その足元に放り出されていたボックスティッシュが燃えていないところを見ると、火事になる心配はなさそうだ。
「えっ、なにそれ!?そんなことできたのか!?」
「ハルトの中で休ませてもらったからな。これぐらいはできる。さて、質問に答えるけど期待はするな。まず、俺の体力が回復するまではここにいさせてもらうぜ。……後のことは悪い、わからないんだ。キオクソーシツってやつらしい」