ブルー 02
目を覚ますとレンガ調の白い床が目に入った。どうやら、ここで倒れていたらしい。
「ここ……どこだ?」
さっきまであの地下通路にいたはずだ。あれからどれくらいの時間が経過したのか。携帯電話は動いているが、表示が狂って判読ができない。乱雑に操作を試みても反応はない。誰かに連絡をすることも叶わないらしい。
今いる場所は、仙台駅の西側ということだけはわかる。特徴的な建物だし、デカデカと仙台駅と掲げられているから。
辺りを見渡す。ここにはあるべき物がない。それがたまらなく不安にさせた。
「真っ白だ」
数日間とはいえ、過ごした街から色が失われるとこんなにも違和感を感じるものなのか。
理解を超えた現状にも関わらず、不思議と落ち着いていた。これは夢なのだと、そう思っているからだ。
それでも多くの人が行き交っているはずの駅前に自分しかいないという状況が現実を突き付ける。ここは自分が知っているようで異なる世界。帰る方法は見当もつかない。
「そうだっ!ナギサさんはーー」
なんとか状況を飲み込んだ後、脳裏に浮かんだのは、ナギサさんの姿だった。最後に見た姿からして、この訳のわからない世界に放り出されている可能性が高いはずだ。
あの地下通路に行こうと駆け出した瞬間、吹き飛ばされそうな突風と共に暗闇に包まれた。突然夜になったわけではない。原因は空にあった。
それは東の空からやってきた。
綺麗な青色をした体の翼を持った何か。巨大な翼は空を裂き、咆哮は大地を揺るがした。物語の中に登場するドラゴンとしか形容できないファンタジーの塊が頭上を飛んでいった。
大声を出すこともなく、ドラゴンが去った方角を唖然とした表情で見上げることしかできなかった。
あれはなんだ?強いていうならドラゴン。しかし、それは空想上の生き物であって、現実世界をどれだけ探しても見つけることは叶わない。そもそもあの翼であの巨体が飛べること自体納得できない。それにーー
激しい音と共に訪れた閃光によって、思考は中断される。両腕を交差させて、それが止むのをじっと耐える。お腹に力を入れて踏ん張らなければ、吹き飛ばされそうな衝撃だった。
肺に送られた酸素が枯渇しそうになった頃、ようやく音は鳴り止んだ。腕の隙間から空の様子をうかがって、元に戻っていることを確認すると、咳き込みながらも酸素を求めて呼吸を始めた。そして、息が整うのを待たずにあの地下通路に向かって移動を始める。
「はぁ、はぁ、ここは一体なんなんだ?なんでこんなことになったんだよぉ」
泣き言に応えてくれる人はここにはいない。どこまでも白い世界が広がっている。空が青くなければ気が狂ってしまいそうだ。
道すがら所々に黒く焦げた物が転がっていたが、深くは考えないことにした。明日は我が身。流れ弾でも命取りだ。
ようやくたどり着いた地下通路にナギサさんの姿はなかった。自分も違う場所に放り出されたのだから、予想はしていたものの、嫌な予感だけは当たるものである。
「ふぅー」
大きく息を吐くと、地下通路の壁を背もたれにしながら腰を落とした。
外ではドラゴンが飛んでいる。ナギサさんもいない。帰り道もわからない。膝を抱えて座っていても事態は好転しない。しかし、どこにいれば良いというのだ。自問自答しても答えは出ない。
「ここにいてもどうにもならないし、行くしかないか。できればなんとかなって欲しい。切実に」
答えが出ないのならば、歩くしかない。立ち上がって、そのまま地下通路を歩いて駅の東側へ出た。
さっきのあの閃光は、西へ飛び去ったドラゴンに向けられたものだった。仮にそうであれば、敵対する何かが西側にいるはず。それが人類であれば、このはちゃめちゃな世界でも生きる望みが繋がる。
一縷の期待に望みを託して階段を駆け上がり、視界が開ける場所まで足を進めたところで、またしても閃光と衝撃が襲いかかった。やはり、嫌な予感というものは当たるものだ。
見上げたビルの陰から、巨大な生物が現れた。先ほどの青いドラゴンではない。また別な巨大な何かだ。
四足歩行の獣であることはわかる。姿を見せたその獣は、形容し難い姿をしていた。あんな生き物は見たことがない。
背中から歪なアンテナのような器官があって、駅の西側に向かって照準を合わせている。
一目で察した。ドラゴンを退治する勇者はこの世界にはいない。この世界では人間は無力で、圧倒的な力の前に体を小さくして嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない存在でしかない。
悩むまでもなく、地下通路に戻ることを決めた。見るからに愚鈍そうな獣だから、きっと逃げられるはず。そう考え、獣に背を向け走り出す。
そのため、自分に狙いが定められていることに気づくことができなかった。
巨大生物にとって、自分の周りをうろつく虫けらはうっとおしいものだ。それは、人間だって同じ。恨みがあるわけじゃない。ただ、目障りなだけ。
電気が弾ける音が耳に届き、振り返ってようやく状況を把握した。無駄だと思いつつも、がむしゃらに走ることしか命を繋ぎ止める方法がわからなかった。周囲に身を隠せるような場所はない。当たらないことを祈りながら走るだけ。
緊張のせいか、体が重く感じる。体が上手く動かせない。自分の体ではないみたいだ。
地下通路まであとわずかというところで、頑張り虚しく周囲が閃光に包まれた。
凄まじい熱気と衝撃で俺の体は簡単に吹き飛ばされる。背中から地面に打ち付けられむせ返る。それと同時に自分がまだ生きていることを実感して、安堵した。
確かに直撃したはず。漫画の主人公みたいな特殊能力もない。それなのになぜこうして息をしているのか。
ぼやけた視界が徐々に戻ると、全てを理解する。まだ危機は去っていない。閃光と熱気を感じている。しかし、それは直撃することはなかった。
あの獣と俺の間に巨大な生物が割って入ったのだ。あの青いドラゴンだ。ドラゴンが俺を庇うように背で衝撃波を受け止めている。
黄金瞳を持つドラゴンは、何も言わずにこちらをじっと見つめていた。