おいしいおみやげをくれる奥さん
このところ、大変においしいお土産が話題にのぼりがちである。とある奥さんの作るお菓子、料理がずいぶんに美味であり、その恩恵にあずかりたいと願うものが続出しているのだ。
「前にね、骨のお肉もらってね、ぼくおいしかったの、もらったよ、おみやげ、でね、父ちゃんと母ちゃんに分けたんだ!!」
「あたしもおいしいクリームもらったの。お母さんにたのんで冷凍してもらってたけど、昨日で全部食べ終わっちゃったのよぅ…。」
人の世界とずれた場所にある、人ならざるものが暮らすこの世界。やや薄暗い十字路の真ん中で、子供たちが談笑しており…それをベンチに座った二人の爺と一人の女性がニコニコと見守っている。ここにはベンチがいくつかあり、この世界に暮らす者達が気軽に井戸端会議ができるようになっているのだ。薄暗い夕焼け空には時折細長い雲が流れている、アレは若い龍に違いない。
子供たちは空の様子など微塵も気にせず、自慢話に夢中になっている。おいしいものをくれる奥さんに出会って、おいしいものをもらったことがある子供たちは、大喜びで他の子供たちに報告をし、羨ましがられているのだ。
「いいなあ!!僕も食べたい!!」
「ねえねえ、どんな味だったか、もっと詳しく教えてよぅ…。」
「どうやったら会えるの、教えて!!」
おいしいものをくれる奥さんにあって、おいしいものをもらうことが、この世界で…ちょっとしたブームになっているのである。
「僕が父ちゃんとはぐれたときに助けてくれたんだ!」
「お手伝いしたら、おいしいものくれたの。」
子供たちは、無邪気に気軽に、隙を見ては…おいしいものをくれる奥さんのところに顔を出すようだ。ずいぶん強引に図々しく乗り込んで行くようだが、見ず知らずの子供たちにも、あの奥さんは非常にフレンドリーかつ自然体で向き合ってくれるらしい。さりげなくやってはいけないことを教えてくれたり、常識を見せてくれたり…おそらくあの奥さんは子供好きなのだ。
「わしは柔らかいせんべいをもろうてのう、兄貴は甘いもんは食わんでな、独り占めしたのじゃよ、ははは!」
「わしは歯がないでのぅ、何ももらえんと思うておったが…具材を砕いた味噌汁をいただいたのじゃよ、ははは!!!」
時折、おいしいものをくれる奥さんは…こちら側に迷い込むことがある。
未熟な子供たちのみならず、分別のつく大人たちとも…同じ場所を共有している。
さりげなく人あらざるものとして傲慢になっている事を教えてくれたり、突拍子も無いアイデアで窮地に陥っているものを救ってくれたりしており…おそらくあの奥さんは人でないものが好きなのだ。
…人というものは、コミュニケーションをとる際に、ずいぶん垣根を作ってしまいがちだと思い込んでいた者が多かったのだが。
おいしいものをくれる奥さんは、とにかく物怖じをしないのである。
おいしいものをくれる奥さんは、とにかく無遠慮なのである。
おいしいものをくれる奥さんは、とにかく本当に、普通に、この世界になじんでいるのである。
…人というものは、ずいぶん身勝手な思い込みをした上で、押し付けがましくコミュニケーションをとると思い込んでいた者が多かったのだが。
おいしいものをくれる奥さんは、とにかくおかしな遜りをしないのである。
おいしいものをくれる奥さんは、とにかく同じ場に立つのである。
おいしいものをくれる奥さんは、とにかく本当に、普通に、この世界になじんでいるのである。
人の住む世界とずれた場所にあるこの世界。
人の住む世界にたびたび顔を出しつつ、この世界で集う、人あらざる者たち。
人の世界に時折顔を出しながら…人と関わることがないまま、勝手に自分の役割を…ただ一途にこなし続けて来たこの世界の住人。
人の世界に時折顔を出しながら…人と関わろうとせず、ただ一方的に自らの常識を…信じ続けてきたこの世界の住人。
…この世界に、風が吹いたのだ。
…風ひとつふかない、変わらぬ場所が、少しだけ、変化したのだ。
人は、ただの干渉物ではないらしい。
人は、ただの観賞物ではないらしい。
人は、ただの観照物ではないらしい。
人は、ただの感賞物ではないらしい。
人は、ただの感傷物ではないらしい。
ただ、力を恵んでやっている存在ではないようだ。
ただ、からかって遊ぶだけの存在ではないようだ。
ただ、指導してやらねばならない存在ではないようだ。
ただ、未熟な感情を持て余しているだけの存在ではないようだ。
ただ、命を終えるまでの時間を過ごすだけの存在ではないようだ。
人から、神と呼ばれて…なんとも思わないものがこの世界にいる。
人から、神と呼ばれて…崇められることを当然と思うものがこの世界にいる。
人から、神と呼ばれて…なぜ垣根を作るのかと疑問を抱くものがこの世界にいる。
人から、神と呼ばれることを、受け入れるものがいる。
人から、神と呼ばれることを、受け入れないものがいる。
人から、神と呼ばれないものがいる。
人から、神と呼ばれないことを悲しむものがいる。
人から、神と呼ばれないことに怒りを覚えるものがいる。
何一つ、気にすることなく、ただただ…おいしいものを配る人が、この世界に現れたのだ。
それはまるで、神出鬼没にこの世界に現れる管理人のように。
初めてあの奥さんがこの世界に来たのはいつの事だったのか。…いつの間にか、この世界になじんでいた、それがこの世界の常識となっている。…いつかの出来事は、この世界では重要なことではない。今の出来事、それだけがこの世界の存在意義なのだから。
「やあやあ、いいものいただいてきましたよ、皆さんにおすそ分けしましょう。」
十字路の真ん中に、管理人が現れた。やや小ぶりなトランクを開けると…あたりにふわりと甘い香りが広がった。子供たちの目が、輝く。
世界を自由に行き来する、人のふりをした…いわゆる管理人は、ずいぶんおいしいものをくれる奥さんと親しいようだ。人のふりをし、人に紛れ、人に纏わりつく感情を喰らい、…魂を管理する存在。時に天に昇るようになり、時に地獄に潜るようになり…本来であれば、人と親しくするはずもない存在なのだが。
「あっ!おばちゃんのお菓子だ!!」
「あっ!!僕食べたことない、食べたい!!」
「ちょうだい、ちょうだい!!」
「はいはい!!並んで並んで!!」
管理人はこのところ時折…かばんいっぱいにおいしいものを詰め込んで、土産話と共に…頂き物をふるまっている。おいしいものをくれる奥さんがたくさん持たせてくれるのだそうだ。子供たちが5人、管理人の前に並ぶ。その後ろには都乃牟之の姐さんが並んでいる。龍神の爺たちはベンチに座ったままニコニコとしている。
「今回も実にいい収穫がありましてね、あの奥さんね、たぶんおいしいものホイホイなんですよ!」
「おいしいものホイホイとはなんじゃい。」
「…知っておるぞ!!わが僕たちを集めこみ捕獲し、廃棄する恐ろしき罠の事じゃ!!!」
おいしいものをくれる奥さんは、ずいぶん徳を積んでいるからか…やけに惹かれるものが多いようで、ずいぶんおかしな出来事に巡り合うこともしばしばあるらしく、自力で解決したり、たまたま管理人が居合わせたりして、事なきを得ているらしい。
「あの奥さんのところに行くとね、ホントいい具合にイイ物が収穫できるんですよ、ええ。」
「…あんまり奥方殿に迷惑の無いよう勤めよ。」
「奥さん、助かってるって言っておったのじゃ!」
人には見えざる、徳というものではあるが…その存在に無意識に気が付き、自分のものにしようと願う人がいる。
人には見えざる、徳というものではあるが…自分に持ち合わせがないために、奪おうとする人がいる。
人には見えざる、徳というものではあるが…自分に持ち合わせがないために、奪おうとして、自らの貯めた分を落としてしまう人がいる。
人には見えざる、徳というものではあるが…人でなくなった時、徳の存在に気が付き…初めて窮地に陥る者がいる。
人には見えざる、徳というものではあるが…この世界の住人たちにはしっかりと見えるのだ。
人には見えざる、徳というものの…価値を知る、この世界の住人。
人には見えざる、徳というものが…対等に受け渡しできることを知る、この世界の住人。
徳は積むものであり、奪うものではない。
徳は積まれてゆくもので、落としてゆくものではない。
徳の重みを知るこの世界の住人と、徳の扱い方を知らない人、人、人…。
おいしいものをくれる奥さんは、何も知らない人の中で暮らす、ただ一人の…徳を知るもの。
おいしいものをくれる奥さんは、何も知らない人の中で暮らす、ただ一人の…この場所を知るもの。
時折、ふらりと…おいしいものをくれる奥さんはこちらの世界にやってくる。
無意識に、世界を渡ってしまうらしい。
無意識に迷い込んでしまうほど…危うい存在なのかもしれない。
管理人が、粗方みやげ物を配ったところに…ふらりと件の奥さんがやってきた。なにやらふらふらしながら…あいている十字路のベンチに、腰を下ろした。
「うう、ヤバイ、また迷い込んでる…。」
頭を抱える奥さんの横に、管理人も腰を下ろした。
「あれ、また眩暈ですか、いけませんねえ、お疲れなんじゃないですか。」
「ちょっと張り切って食後のウォーキングに力入れすぎた…。」
わらわらと子供たちが集まって来て…美味しいものをくれる奥さんのもとに駆け寄っていく。
「おばちゃんありがとう!」
「ありがとう!!」
「すごくおいしかった、また食べたい!」
「この前のクリームありがとう!」
「父ちゃんと母ちゃんがね、ありがとうって!!!」
「ええと、うん、はい?なんだろう?ええと、あんたは雷さんとこの子で、あんたは雪ん子で…。」
「ああ、今ね、この前いただいたお菓子をね、おすそ分けしてたところだったんですよ。」
子供たちは感謝の気持ちを伝えて満足そうだ。しかしおいしいものをくれる奥さんはいささか体が斜めになっている。この奥さんは、ずいぶんこのところ…体のバランスが悪いらしい。
「ああ、フィナンシェかな?また今度作ってくるね。」
「「「「「わーい!!」」」」」
子供たちが喜んで…十字路の向こうへと帰って行った。そろそろ夕暮れの時間なのだ、この世界の。時の流れないこの世界の空は、いつも夕焼け色で変わらない。しかし夕は確かに暮れていくのだ。帰るべき瞬間に、皆帰るべき場所に帰っていく。
「奥さん、歳考えて運動しないからいかんのじゃ!!水が浮いておる…取ってやるで、しばし待つのじゃ…。」
反対側のベンチに座っていた姐さんが、奥さんの前までやってきて…触角で奥さんの右耳をふわりふわりとなでる。
「うう、ありがと…。」
斜めになっていた奥さんの体がまっすぐになった。人の体というのは、ずいぶん繊細ではあるが…この世界の住人には容易く不調を取り除くことができる。この世界の住人にはお菓子を容易く作れないというのに…奥さんには容易くお菓子が作れるように、得意、不得意というものがあるのだ。
「おいしいお菓子のお礼じゃ!!今後も遠慮なくお菓子を持ち込むがよいのじゃあ!!」
「わかった!!たくさん作って持って来るから覚悟しといて!」
気軽にやり取りできる感謝の気持ちと、願う気持ち。…この世界になかった譲渡が、大変に心地良いのも、事実なのだ。
「奥さんあんま無理したらあかんぞ。こっちに近くなってしまうで。」
「こっちに来たらいろいろとやらせようと…画策しとるやつらが多いでな。」
反対側のベンチから、二人の爺が奥さんに声をかける。
なにやら…管理人の肩が、一瞬すくみ上った様にも、見える。
「ええ?!やだよ!!あたしゃただの料理好きの普通の人なんだから!!」
普通の人は、この場所にはいないはずなのだが、奥さんは…それを知っていないつもりになっているのだ、おそらく。
「は、ははは!!!まあ、その件につきましてはですね、私がお迎えに上がりました時に詳しく、ええ。」
「迎えはいいんで!!じゃ、また!!」
「あっ!!うちもついて行くのじゃッ!!」
奥さんは勢い良く立ち上がり、そのまま十字路の向こうへと消えた。
「いつ来ても忙しないのぅ…。」
「あの人以外と…いや、見た目のまんま慌て者なんですよ。今頃どっかで躓いてるんじゃないですかね。」
「今はくしゃみをしとるわ、きっとな。」
今頃、子供たちもおいしいものをくれる奥さんからお菓子をもらったことを親に報告していることだろう。おそらく、それは満足げに、誇らしげに、自慢げに。そしてそれを聞いた親たちは、誰かに伝え…奥さんのことを噂するものが、この世界にまた増える。おそらく今頃、連続して出るくしゃみに辟易しているはずだ。
くしゃみに悩まされた奥さんが、風邪をひいたと勘違いをして…お菓子を作るのをやめてしまうかもしれないのだが…そんな事は、この世界に暮らす者達は微塵も考えていない。
人というものに対して思い込みが多い人あらざる者たちは…人の行動をいまいち理解できておらず、人の思考をいまいち読むことができず、ただ、自分の思うまま、素直に行動をする。…それは、この世界に暮らすものたちにとっては、当たり前のことで、特筆すべきことではない。この世界には、人はあふれていないのだから、人の世界の常識など存在するはずがないのだ。
普通の人であれば…普通に自分の行動を、意図を、流れを…理解しようとしない、理解できない、異端の存在を疎ましく思うのだろう。分かり合えないもの同士の軋轢は…すれ違い、諍い、争い、排除、消去へと、繋がってゆくものだ。しかし、この世界には、普通の人は…一人もいないのだ。おいしいものをくれる奥さんは、おそらくこのままずっと変わらず…ただ、この世界でなじみ続けていくに違いない。奥さんは、人あらざるものが暮らすこの世界で、たった一人、人として…ただ馴染んでいる。
人があふれる世界は、人と共に生きていかねばならない世界であり…多くの人たちの中に紛れて暮らさねばいけない世界だ。明らかに他の人たちと違う感性、思考、選択、知識、常識…独特すぎる個性は、人の中に生きるために時折ずいぶん邪魔になることがあるらしい。自分以外の存在に、自分の意思を押さえ込んで…あわせていかなければ平穏が無いという、人の世界。人あらざるものには…ずいぶん紛れ込むことが難しい、世界。
…奥さんは、この世界にこんなにもなじんでいるというのに、人のあふれる世界でもなじんでいるようだ。
人の世界に関わる、人あらざる者たちの中には…奥さんから人に紛れるコツを得ようとする者もいる。人との関わり方に疎いものも少なくないから、時折、奥さんは…面食らうこともあるらしい。しかし、紆余曲折ありながらも…結局最後は、奥さんがおいしいものを渡して…人あらざるものはおいしいものをもらって…丸く、丸く収まってしまうのだ。
…只者ではない、そう思っているものが少なくない。
奥さんがただの人なのか、只者ではないのか…分かるときはいつか来るだろう。だが、奥さんが只者かどうかは、この世界に住むものたちはあまり興味がない。ただ、この世界で馴染む、人である…知り合い。只者じゃないな、けれど只者だったとしても、ただそういう者なのかと納得する…それがこの世界にいるものたちが思う、奥さんに対する印象なのだ。ただ、おいしいものをくれる奥さん、それがこの世界に住むものたちの認識なのだ。
人あらざる者が暮らす世界に、いつか、人だったものが暮らすようになるかもしれない、暮らすようになってほしい…そう思うものが、願うものがいるようだ。
人は命を終えたら、魂だけが世界を越え…また再び人として命を得て、人のあふれる世界に生まれるもの。…その摂理を越える人が現れるのかもしれない。
「は、は…ぶわっくしょん!!!」
「ははは、竜神殿も噂されてるみたいですね!!」
並んでベンチに座る爺の片方が、豪快にくしゃみをした。
「は、は…ぶわっくしょん!!!」
「龍神殿も噂されてるんですね、まあ律儀なことで…。」
並んでベンチに座る爺のもう片方が、豪快にくしゃみをした。
二つの豪快なくしゃみは…小さな風を巻き起こしそれは小さな渦を巻いてどこかに飛んでいってしまった。…あれはやがて、人の住む世界に行って…竜巻となるか、はたまた台風になるか。飛んでいった先の風との相性で、巻き起こる嵐の大きさが変わる。
「わしはくしゃみの行方を見に行こうかのぅ…ついでに、うまいもんが食いたいのぅ…。」
一人の好々爺の目は、やけに鋭く光り…管理人を覗き込み、真正面から捉えている。
「この前さんざん喫茶店でおごったじゃないですか!!」
「…わしは何もおごってもらっておらんのだが?」
もう一人の好々爺も、眼光鋭く…管理人を捉える。二人の爺に睨まれて、管理人が少々顔色を悪くしているようだ。…顔色といっても、闇の塊である管理人は全身が深い深い闇に染まっており、ただの人には顔色などうかがい知ることはできない。
「ええと、またいずれ!!じゃ、この辺でね、ええ、しつれいしますね、はい!」
管理人はふわりとベンチ前から…消えた。
「なんじゃい。失敬な奴じゃのぅ…。」
「まったくじゃて。」
二人の爺も、ふわりと消え…夕暮れ空の十字路には、いつしか何者もいなくなった。
時の流れないこの世界の空は…いつも茜色に染まる、夕暮れ時。
時折…空模様が変わることもあるが、誰もいないこの十字路には、空が変わる要素が存在していない。
闇夜を纏うものは、ここにはいないのだ。
朝日を背負うものは、ここにはいないのだ。
風を送るものは、ここにはいないのだ。
時の移り変わりの時間帯、昼と夜が交じり合う空模様は…この世界の何者も司る事のない、自由な空の色。
時の移り変わりの時間帯、夜と朝が交じり合う空模様は…この世界の何者も司る事のない、自由な空の色。
この変わらぬ空の色が、夕暮れ空であると言ったのは…おいしいものをくれる奥さんだったのだ。
変わらぬ空の色を、夕暮れ時であると…時間を見つけてくれたのは、奥さんだったのだ。
誰も、何者も…自由に存在していいこの場所。
この、自由な場所で、自由に過ごす、自由な者たち。
自由が少ないという、人の世界で…人となじんで暮らす、おいしいものをくれる奥さんがいる。
自由があふれる、人あらざるものの世界で…人あらざるものとなじんで暮らす、おいしいものをくれる奥さんがいる。
おそらく、あの奥さんは、自由、不自由など気にすることなく、ただおいしいものを…これからも作り続けて、おすそ分けし続けるのだ。
あの奥さんには、おそらく…人として持ち合わせるであろう何かが、足りないのだ。損得勘定、恐怖、執着、嫉妬心、欲…。何が、どれくらい、足りないのかはわからないが、少なくとも…管理人の触手が伸びぬ程度に、動かせないほどに、足りないのだ。
足りないのか、それとも…もともと持ち合わせていないのか。
また、ふらりと…奥さんはこの世界にやってくるだろう。何度も、何度も…この世界の人あらざるものたちと親交を深めてゆくだろう。人の世界で、奥さんに出会う…人あらざるものたちも増えてゆくことだろう。奥さんは、今以上に、この世界の人あらざるものたちと…ふれ合ってゆくのだろう。
奥さんが何を持っていて、何を持っていないのか…この人あらざるものたちのすむ世界では、そんなことに拘る者など、どこにもいない。
…奥さんが何を持っていて、何を持っていないのか、人の世界では、やけに拘る者が、いるようだ。
持ち合わせないものを欲しがり、持ち合わせていない物を利用して何かを得ようとする人がいるようだ。
何かを欲する人は、ずいぶん管理人の欲する何かを…持ち合わせている。…管理人が、奥さんのそばに現れがちなのは、理に適った行動なのだ。
欲しがる者と、欲しがらない者、無い者から奪おうとする者、奪おうとする者から貰う者。…三者の均衡は、奥さんの存在を挟んで複雑に絡み合う。おかしな現象は、これからもしばらく続くだろう。
これから、二つの世界がどうなってゆくのかは、まだ何も分からない。けれど、おいしいものをくれる奥さんは、おそらくこれからもおいしいものをたくさん差し出すことだろう。おいしいものを差し出された人あらざる者たちは、嬉々として、おいしいものを受け取るだろう。
差し出したい者と、受け取りたい者。
その二者がいる限り…この世界の夕暮れ空のように、いつまでも変わらぬ関係性が…ここにある。
いつまでも、いつまでも…この関係性が続くことを願う者が…少なくない、のだ。
きっと、おそらく…いつかは、関係性が変わる。
おいしいものを渡すものと、おいしいものをもらうもの。
互いが存在するうちは、続く…期間限定の関係性。
期間があとどれくらい残っているかは、誰も知らない。…けれど。
おいしいものを差し出されたら、皆喜んで受け取り。
おいしいものを受け取ってもらったら、喜ぶ。
その一連の流れは、しばし…続いてゆくのだ。
その一連の流れが、長く…続く事を、願われているのだ。
その、一連の流れが。
長く続くのかどうか。
それを知る者は、どこにも、いないのだ。