金と銀
お母様は原初の黒のところへ行った。
私に、ドウルの世話を任せて。
それにしても、お母様は相変わらずお母様だった。
眠りに着く数百万年前と何も変わらない。
いや、何も変わらないというのは語弊がある。
お母様はまた一段と強くなった。
私達、悪魔の中でも最強の原初ですらはかりしれない存在。
深淵。
数百万年前のお母様は、深淵と一体化し、呑み込まれた。
しかし今のお母様は、完璧にその力を自らのモノとしている。
深淵との一体化以前も、私達原初の誰よりも強い力を持ち、万能とすら思えるほど修得し極められた技能。
今はその力は無限。技能は多少鈍ってはいるけれど、それもすぐに勘を取り戻されるでしょう。
数百万年前、お母様が眠りについた時、私は悲しみにくれました。
なんせずっと母として慕っていた相手が、心からの信頼を寄せていた方が、唯一、甘えられた母が、恐らく永遠に目覚めない眠りに着いたのだから。
深淵は、原初である私でも手出しできない存在。私には、お母様を救う手立てが無かった。
けれど、いつかきっとお母様は戻って来る。
そう信じて、ずっと努力してきた。お母様が目覚められたときのための準備を。
そしてついに、その努力が実った。
本当にお母様が戻って来たのだ。
これほど嬉しいことは無い。
ようやく、またお母様に甘えられる。役に立てる。
そして、またお母様と一緒にドウルで遊べる。
「おい。」
「…何?」
「今、変なことを考えてなかったか?」
鋭い。そしていつのまにかお母様が作った料理を完食している。
食器類は、洗って保管しておこう。洗う必要の無いくらい、綺麗に食されているが、念のため。
確か、『お子様ランチ』という名前だったはず。
つまり、幼い子供のための料理だ。
…お母様の作ったものでなければ、ドウルは食べなかっただろう。
何せドウルは原初の中でもプライドが高い方だ。
傲慢と言ってもいい。
だけど、それに見合う実力を備えている。
原初でも三人しか成れていない最強の悪魔、魔神。
その内の一人が、ドウル。
ドウルもまた、いつかお母様が目覚めると信じて疑わず、そのときに一人前と認められたくて、子供扱いをされたくなくて、ずっと努力していた。その実力は、私でも到底及ばない。
…まあ、それでもお母様には遠く及ばなかったようだが。
「別に?」
「そうか?ならいいが。それと、先程のことは絶対に黒には告げるなよ。」
「……了解」
「おい。今の間はなんだ?!いいか!絶対に黙っていろよ!…はあ。まあいい。いや、良くは無いが。それと、気になっていたのだが、なぜ母上の前で猫を被る?」
「別に猫を被ってる訳じゃない。」
そう、別に私は猫を被ってる訳ではない。アレも本当の私。いつもより饒舌になるのは、それだけお母様と一緒にいるのが楽しいから。嬉しいから。お母様といると、いつも凪いでいる心が、たちまち歓喜に震える。さすがお母様だ。
それと、原初の黒には告げるつもりだ。
報告連絡相談は大事だと、お母様もよく言っていた。
「…なるほどな。理解はした。それと、今回のことは覚えていろよ?いつか何らかの形で仕返ししてやる。」
「…そう言って、これまで一度も成功してない。」
「それはお前が母上に泣きつくからだろう!?」
確かに、ドウルという圧倒的格上に、私があんな辱しめるようなことをして無事なのは、お母様の存在が大きい。
しかし、それだけではない。ドウルの性格の面もある。
ドウルは、悪魔にしては珍しい人格者だ。
悪魔とは基本的に自己中心的だ。上位存在に敬意を払うことはあっても、それはどちらかというと恐怖故にだ。
ドウルは傲慢ではあるが、それは別に他者を虐げるようなことはしない。そして、不平等を嫌う。弱いものいじめのようなことはしない。
つまり、私はドウルにとって、弱者だ。それは不服ではあるが十全たる事実なので仕方ない。
そういう訳で、ドウルは私を力ずくでどうこうしようとはしない。
そうでなければ、私はお母様が眠っていた数百万年の間に、とっくにドウルに何度も殺されている。
そうなっていないのは、ドウル性格が、それを許さないからに他ならない。
「…本当に。甘い。」
「なんだと!?」
思わずこぼれた私の言葉に、なにやらドウルが喚いているが、知らない。どうせ下らないことだ。
ドウルとのこんなささやかなじゃれあいは、ひどく久しぶりで、とても甘美な一時だ。
お互い、お母様のために努力していたから、このようなことは、長らくしてこなかった。
お母様に甘えるのとは、また違った甘さ。
これからは、いくらでも味わえる。
もう、無くしたくはない。
お母様もドウルも、個の力は飛び抜けている。しかし、どうしても一人では穴がある。その穴を埋めるのが、私の役目。
今度こそ、私も、お母様の役に立ってみせる。
そのための準備はしてきた。
もう、絶対に失わせない。